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ちょっとだけスピリチュアルな世界の旅日記や 文化、歴史のぷち・エッセイを書いています。他にも海外、国内のお気に入りのドラマのあらすじ&感想を勝手気ままに綴っています。

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大河ドラマ 八重の桜 第23回「会津を救え」

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歴史ドラマ 八重の桜 第23回「会津を救え」

あの名作が帰ってきた!
平日 朝8:00~午前9:00 深夜1:15~深夜2:15(月~金、毎日放送)
制作年 2013年
制作国・・・日本  ジャンル・・・歴史ドラマ
総話数・・・全50話
出演者・・・綾瀬はるか、西島秀俊、長谷川博己、オダギリジョー、綾野剛、玉山鉄二、市川実日子 ほか

視聴率15.0%、前回より1.7%UP!ついにやってきた地獄の使者。顔面凶器のように横暴で下劣な奥羽鎮撫(ちんぶ)使参謀・世良修蔵に屈さず、会津救済のため、奥羽の名誉のため、東北が力を合わせて動き出す・・・!

チャンネル銀河・八重の桜HP https://www.ch-ginga.jp/feature/yaenosakura/
八重23話
八重の桜OP、BGMにドゾ http://www.youtube.com/watch?v=6tDZC6aTUxA


第23話あらすじ

1868(慶応4)年3月、会津討伐に乗り出した新政府軍が仙台に到着。公家の九条道孝が率いる奥羽鎮撫総督宿舎は桜が満開となっていたが、それを見た参謀の世良修蔵と大山格之助は、何もかも遅れた土地だとせせら笑い、伊達家に会津討伐を任せると言い放つ。「奥羽の賊徒は奥羽に討たせる。」それが大総督府の考えだと不敵な笑みをもらしながら世良は、こんな僻遠の国主は手柄でも立てんと朝臣の列にも加われんぞと侮辱を重ねる。この奥羽鎮撫使一行こそ、東北一円を戦乱に巻き込んだ地獄の使者であった。

一方、三郎の戦死と覚馬の消息不明の報を受けて沈みきっていた山本家の嫁・うらを励ますために八重は、薙刀の稽古に彼女をつれていく。道場には、鳥羽伏見の敗戦の責任を被り腹切った神保修理の妻・雪もきて「何もせずにいては、修理に申し訳ない」と健気な覚悟をみせ、竹子も会津のために共に腕を磨こう、と雪に対戦を申し込む。雪の懸命な姿に心動かされたうらは薙刀の稽古をしてみようと発起し、八重もまた覚馬が生きていると一縷の希望を見出し、薙刀の稽古にいそしむ。
 その頃江戸・上野寛永寺では、新政府軍に全面降伏し今日付で江戸城を明け渡すことになった慶喜が、勝海舟にボヤキを漏らしていた。「果たして自分には会津のように君臣一体となる家臣がいただろうか」と。慶喜は、海舟をはじめ多くの幕臣が仕えてきたのは、徳川幕府に対してであって 自分ではない、と うつろな目をして立ち去るのであった。
 同じ頃、会津に奥羽からの使者がひそかに訪れる。仙台藩と米沢藩の家老であった。会津討伐を言いつかったものの、会津との戦いを避けたかった彼らは、恭順の証として鳥羽伏見の戦の首謀者の首を三つほど差し出せないか提案するが、それを聞いた梶原は、非がない会津が討伐の対象となったならば、全藩あげて死をもって国を守るのみ、と脇指しを抜き腹を差し出す。梶原の気迫に圧倒された仙台、米沢の家老達は 両藩の呼びかけで東北諸藩が結託し、嘆願すれば、総督府の妥協もあり得るのではないかと思いつく。そうして、会津救済のために奥羽諸藩に通達し、4月4日に白石に結集することを誓う。今こそ、奥羽諸藩の力が試される時だ、と。
八重は、会ったことも無い他藩の人びとが会津のために動いてくれたことに感謝する。会津への加勢に来た米沢藩士に新式銃のてほどきをする山本家の角場は久しぶりに活気づき、八重はありし日の覚馬の姿を思い浮かべ喜ぶのであった。
その覚馬は、京の薩摩藩邸の牢にいまだ捕らわれていた。目は見えず、足を患い立つこともままならない覚馬は悪夢にうなされながら、会津は、そして自分はどこで間違った道へ進んでしまったのか自身に問いかける。ふとその時 一瞬光が差し込み、かつての象山塾の学友寅二郎(松陰)の「身一つで立ち上がれ!」という声を聴く。打たれたように我に返った覚馬は、自分にもまだ出来ることがあると片隅の文机に向かって這っていく。

ついに、奥羽25藩の署名をしるした嘆願書をもって、仙台の伊達家藩主と米沢の上杉藩主を筆頭に、奥羽諸藩が和議に向かって総督府に掛け合う日がやってきた。だが無残にも嘆願書は総督参謀の世良に握りつぶされ、あまつさえ「こんなものを持ってくる暇があるなら容保の首を持ってこい」とまくし立てる始末。あまりに下劣で傍若無人な世良の振る舞いに伊達も上杉も我慢の限界であったが、世良が都の総督府に宛てた密書の中身を知り総毛立つ。そこには「奥羽をみな敵と見て討つべし」と書かれていたのだ。奥羽鎮撫使とは名ばかりで、実態は全くの奥羽討伐軍にほかならないと知った東北藩士達は、その日の深夜、世良を殺してしまう。しかしこの暗殺が運命の歯車を回してしまう。
会津救済の一縷の望みも断ち切られ、新政府軍と会津・奥羽軍との間で戦いの火蓋が切られる。そしてついに、奥羽越後合わせて31藩からなる※奥羽越後列藩同盟が成立、それはもはや会津救済嘆願の連携でなく、軍事同盟へと姿を変えたのだった。

・・・ということで、次回は第24話「二本松少年隊の悲劇」です。




第23話ぷち・ギャラリー
<黒河内道場>

夫の死後、髪を切りやってきた雪
八重2305a
師匠「まだ喪が明げておらぬだろう」「何もせずにいては旦那さまに申し訳なくて・・・」わかった!
姉さま・・わだすは信じてる・・!  希望を失わない八重
八重2306
あんつぁまはきっと生ぎてる。いづか、また会えっから 「はい」

<最後の将軍、江戸城あけわたしの朝>

のう、勝・・・ワシには家臣がいたのだろうか・・・?会津のように君臣一体となる家臣が
八重2307
ここまで地に堕ちては もうヤルヤル詐欺もできない慶喜

斉藤一と時尾の出会い

新選組総長近藤勇を弔う斉藤と、八重の弟三郎の冥福を祈る時尾
八重23話1

<やってきた地獄の使者 奥州鎮撫使・世良修蔵>

フン、今頃満開か!なんもかんも遅れた土地よのぉ~。
八重2304
仙台中将、早う会津を討ちとれい!僻遠の地の国司など手柄でも立てにゃ、朝臣の列には加われんぞ
歌でも詠むか・・・  「陸奥に桜狩りして思うかな 花散らぬ間に いくさせばやと」 
八重2303
良い歌じゃろ~    (う・・知性・品性のカケラも

<奥羽列藩の友情で会津救済に向け、署名をつのり、嘆願書を提出する方向に>

総督府の意のままになっては奥羽の地が踏みにじられまする!
八重2308
これは会津一国のことだけではございません。
加勢に来てくれた米沢藩士に新式銃の手ほどきをする八重
八重2310
「まさかこないに美しい奥方から教えを受けっとは・・・」カァーッ

<しかし、嘆願書は無残にも・・・>

グシャリ やいっ!こげなもの持ってきよるヒマに賊徒の首を取って来んかーッ!!
八重2311
この女もろた~! ガハハハハ
八重2312 
お前らもなんかやってみぃ! 芸のない奴らめ・・・
主君が主君なら、家臣も家臣、そろいもそろって何の役にも立たんなァ
八重2314
・・・・
こいつの持つ密書、「奥羽をみな敵と見て討つべし」とあるぞ
八重2315
成り上がりの下郎・・・、もはや許せぬ! やるか?
ダダダーッ  「なんじゃ、お前ら~」
八重2316a
ついに取り巻かれる世良

この日、ついに運命の輪がまわってしまった

もはや、戦は避けられぬ
八重2318

当初通り、白河口は頼母が、日光口は大蔵が、越後口は佐川官兵衛が死守することに
八重2301

<最大の難所、白河口を守ることになったが、苦戦を強いられる頼母>

われらの銃は、弾が敵に届がないだと?
八重2319
おめらは城下にもどって城を守れ、俺はここで巻き返す
しかし、ついに新政府軍の手に落ちた白河城
八重2319a
奥羽越列藩同盟の旗  五稜郭CI
八重2320
31藩からなる奥羽越列藩同盟が成立

<その頃、京の薩摩藩邸牢獄に捕らわれていた覚馬は>

まだある、オレにてきるごとがまだひどつだけ・・・
八重2322

<戦場から次々と運ばれてくる負傷兵の看護を手伝う八重>

すまねぇな・・・ああ、優しい手だ
八重2324
医師春英「今夜はもう遅い。八重さん達は帰りなさい」「いいえ、もちっと。出来ることを、もう少し」




 八重の桜、こんなところが好き!感想&雑記

今回は世に名高い関宿会談。

「戦はさけるべきにございまする。なれど、総督府の意のままになっては、奥羽の地は踏みにじられまする。これは決して、会津一国のことではござりませぬ!」

尚之助の、簡潔で的を得たこの言葉、軽いのに重い。
飄々とした風のような尚之助が、場の空気を変える力をもっているとは。

仙台藩家老たちとの対話は決着がつき、列藩同盟が成立しました。
ある資料だと副総督だったか、二番目の位置に容保の名が記されていました。会津藩は、家老クラスを二人失います。そのうちの一人、横山主税(京都詰めの横山の養子ですね)も戦死。

しかし、東北にやってきた「地獄の使者」って、よく言ったものですね。

「みちのくに桜狩りして思うかな 花散らぬまに いくさせばやと」

絶句。
いろんな意味で、生涯二度と忘れえぬ歌となりました。
エピソードでは、桜の枝を横暴にボキリと折って歌を詠んだらしいですが、
世良修蔵さん、さもありなんと笑ってしまいました。

日本には「桜折る馬鹿、梅折らぬ馬鹿」という格言があるけれど、
やはり折ってしまったのですね、桜を。
折るべきものを折らず、折ってはいけないものを折る世良修蔵。
ものの本質が、まるでわかっていない。
それは攻めるべき相手と攻めてはいけない相手にも言えること。
折る相手を間違えて、ついに自分が折られてしまった。

たぐいまれなルックスも相まって、あまりに強烈な残像となりましたが、
世良演じる小沢仁志さん、顔だけでなく感性がまたすごい。
まるで、世良修蔵が憑依したかの如く、撮影前 「世良はもしかしたらこの革命がなし崩しに終わらないようにあえて横暴なふるまいをしたのかもしれない」など、閃いた情景を次々 演出(加藤)チーフに提案したという。 素晴らしい。

というか、顔面凶器と謳われたあのかんばせで言われたら、無碍に断れないでしょうね、加藤チーフの対話を想像するだけで、世良の猛烈シーンより可笑しいかも・・・(爆)
ちゃらけた造作顔ばかりのわが国のタレント界に、まだあのような役者さんがいるのは、実に頼もしいことです。

しかし、慶喜は水戸で謹慎で済んでいるのに、徳川の名で行動した容保を斬首するという処分、新政府勢力の内部にも、強硬派と穏健派がいるのが窺い知れます。
時代が変わる時の負のエネルギーみたいな物を一身にしょわされてしまった会津・・・理不尽すぎます。
融通のきかない世良のような人物を最前線の交渉の任に当たらせたという新政府の狙いはどこにあるのか・・・あるいは・・・考えられますね。世良も捨て駒だったのかもしれません。
ここまで苛烈に容保の首を要求する世良に、長州の私怨による戦いを察し、そんな不条理に加担せじと、奥羽武士の義憤が噴き出した瞬間は、世界が何時にも増して美しかった。

そしてついに奥羽越列藩の同盟へと流れが向きます。
それは、今回の東北の津波被害や放射能の被害を受けた各県とも重なりますね。
東北魂が読み解ける回となりました。
八重や覚馬の感じた無力感と、私自身が東日本大震災で感じた無力感とが重なり、
NHKの狙いに見事にはまってしまいますね。
でも、それは美しい狙いでもある。時代劇でそんなふうに思えたのは初めて。

しかし、河合継之助の加勢は助かりますが、それも追いつかない位、銃が古過ぎ…
銃の替わりにほら貝を吹いてきた山形藩士の家系の話・・・”古風ですね”と言い換えた尚之助、エンジニアとしてのこれからの苦労が偲ばれるところです。

そして、会津の女性達。

未亡人の切り下げ髪で道場にやってきて、何もせずにいては旦那様に申しわけない、と稽古を願い出る雪さんの姿に、思わず涙したのは八重だけではなかった筈。
悲しみを超えて生きようとする彼女の横顔は、なんと輝いていたことか。

それ以上に、ひとは、どんなときも自分を見失ったままではいけないこと、
絶望に、こころを譲り渡してはならないこと・・・
悲しみに心が呑みこまれてしまえば、人は闇の中で生きるしかありません。
いま精いっぱい自分が出来ることをして、自分の足で立って生きていくしかないのだと、八重も うらも、雪の凛としたすがたから 察した気がします。

そしてラストの「これも戦だ」という八重のセリフは重みを感じますね。
この時代では、治療場はまるで地獄絵巻だったことでしょう・・・
八重はこの時点ですでに「ナイチンゲール」だったのですね。

故郷を守るため力を尽くしていく会津。弟の思いを胸に前へと進んでいく八重。
そして、時代を変えようと動き出した新政府軍。
さまざまな視点から物語を見てみると、
より深く「八重の桜」を楽しむことができますね。




 八重の桜かると 山川大蔵と日光口の戦いについて

前々回記した会津の若手4逸材の中でも、もっとも華々しい生き方をしたであろう山川大蔵。会津の武士道を貫きつつ生き残り、戦後の会津藩士たちをまとめ、明治陸軍でも活躍した人物。ついに西南戦争で会津同胞の無念を晴らし、名誉回復を果たした、会津のエースと言えますね!残された者の使命をしっかりと果たす人材を、天は敗者側にもきちんと配分してくれていた・・・そんな法則を見た気がします。
山川ファミリーや大蔵については過去レビューでも何度か書いてきましたが、今回の日光口の戦いと”伝説”彼岸獅子を舞いながら鶴ヶ城入城について、解説・雑記など載せてみます。


ロシア留学後、フランス式の軍服で西洋調練を。 春が来たことを告げる 会津の風物詩、彼岸獅子
玉鉄大蔵 会津彼岸獅子1
                       

鳥羽伏見の戦いで手腕を発揮した大蔵を、なぜ日光口などに配置したのか判らない、という評価があります。
日光口でも大蔵は土佐藩の谷干城が率いる部隊を相手に巧妙に戦い、結果的に新政府軍は会津西街道(日光口)から会津に突入することは出来なかったほど、勲功をあげています。
猛将の佐川官兵衛を会津藩の沢山の飛地があり戦略的に重要な越後に配置したのは判る。けれど、大蔵が日光口だったことは手落ちだという。

当時の西郷頼母家老ファン(←美雨も含め)には少々辛口の批判が。
というのも、白河口の総督に 実戦経験のない西郷頼母を任命したため、適切な指揮が下されず大事な緒戦を失う結果となってしまったという。700余名の新政府軍に対し、同盟軍は約2500の内の700名を失った。小千谷の慈眼寺での会談の前日にあたる5月1日の白河での敗戦は、仙台藩離脱の遠因にも繋がってしまいました。
歴史に”もしも”は禁句ですが、大蔵に白河口を指揮させたらどうなったのか・・・勝てなくても、せめて負けはしなかったのではないか、と。
その結果、奥羽越列藩同盟がより強固となり、榎本海軍の動きも合わせ、新政府と同盟軍は少なくとも引き分けることになったのではないか。そういえば戦の実地体験を知らない頼母さま、予告編でも稚拙なことを口走って、ヒンシュクを買っていましたね。


      山川大蔵    大蔵(山川浩)の著した京都守護職始末
明治になり弟の健次郎と会津の名誉回復運動を展開、「京都守護職職始末」を執筆。
山川家の人についてhttp://yonipo.blog13.fc2.com/blog-entry-941.html
フランス式調練についてhttp://yonipo.blog13.fc2.com/blog-entry-981.html


 もっと辛口に言えば、西郷頼母の一族は、頼母の母、妻、子供など家族と親戚21人が邸内で自決する中で、頼母は明治36年74歳まで生き抜きます。藩主松平容保には潔い自刃を勧めながら、自らはどこまでも生き抜こうとした・・・
でも実際は、残された人たちの背負ったもののほうがずっと大変なのは、言うまでもありません。

さて、話戻りますが 山川浩の著した「京都守護職始末」で、孝明天皇が松平容保に与えたご震かんが明らかとなり、原稿の段階で明治政府は発行を見送らせたというから、なんとも情けない。「京都守護職始末」が世に出たのは没後13年経過した明治44年のことで、故人の意思を継いだ弟の健次郎が発行したのです。
この本は幕末の会津藩が辿った正義の道を後世に伝えてくれています。



※ドラマも前半佳境に入り、暗く重たくなりがちなので、今回のみ ちょっと容保のトノに
POPにはじけていただきました。^^




       <容保の熱き一日編>

ご家老!殿が・・殿がおりませぬ!
ご家老!殿が・・殿がおりませぬ!ご辰韓を持ってどこへ?さては、またあの町娘と赤茄子うどんを食べに出たやもしれぬ!
殿の大切なご宸翰と赤い陣羽織も無い・・・20:45分までは確かに城においでだったのに何処へ!?

そのころ容保は・・・

21時になると松平カナポリに変身していた容保
9時から松平カナポリに変身してしまう容保
ツルツルッ
ワシと飛ぶのが怖いか? 集中するのは、ロック・オンの瞬間の2秒じゃ
タバスコが甘さを中和するのじゃ
しかし美味いのう・・・ワシは甘めが好きじゃ

さては・・・又あの町娘と赤茄子うどんを食べに 出ていったやもしれぬ!
慌てる土佐
ご家老、殿は海陽丸には乗ってないようです! 「では なにで でがげだど」
カナポリさん、ど・・どこへ飛ぶの? 「案ずるな・・あと2分じゃ」(輸送機C1で出た二人
カナポリさん、ど・・どこへ飛ぶの?「案ずるな・・よく聞くがよい」
そちの父上ゆかりの場所でもあろう・・・上空から しかと見るがよい
湖の周りに 田んぼが ばぁーっと広がって・・・近くに 磐梯山・・・!
あと2分じゃ。湖の周りには稲穂が・・・後ろには磐梯山
娘をくどきつつ しっかり会津をアピールするカナポリ
そちの父上ゆかりの、磐梯山が見守る、会津じゃ!会津・猪苗代の上空(しっかり会津をアピールするカナポリ)
美しい猪苗代湖
案内(あない)も、そこそこですまぬな・・・音速で帰らんと家臣たちが騒ぐゆえな
案内もそこそこですまぬな・・・音速で帰らんと家臣たちが騒ぐのじゃ
時間が迫ってきたカナポリ
あっ・・でも、2秒待ってほしい   みやげが欲しい
あっ・・でも、2秒待ってほしい 
頼みいる!!  
頼みいる!!
CHU-☆彡       「・・・・!!」
ちょっとパワハラなカタポリであったが・・・
これが何よりのおみやげであった
カナポリさん、それより急がないと・・!戦雲が迫ってるんでしょ?
カナポリさん、急いで!
ああ、でもあるが・・・2秒は短いのうっ



その後、マッハ2,5のスピードで 帰ってきたカナポリタンであったが・・・



何ごとじゃ!?みな、騒がしいぞ! 一同「ははーっ」         just in time for 軍議♫
帰ってきたカナポリタン just in time♪ 何ごとじゃ!?みな、騒がしいぞ! ハハーッ
これにて一見落着

・・・では決してなさそうな、どちらの時代も波乱ぶくみの次回に、つづく☆彡



「八重の桜」各話あらすじ&感想
http://yonipo.blog13.fc2.com/blog-category-81.html




❤今日もありがとう❤
今日もありがとう 天鏡台
山桜と磐梯 天鏡台にて



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大河ドラマ 八重の桜 第22回「弟のかたき」

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歴史ドラマ 八重の桜 第22回「弟のかたき」

あの名作が帰ってきた!
平日 朝8:00~午前9:00 深夜1:15~深夜2:15(月~金、毎日放送)
制作年 2013年
制作国・・・日本  ジャンル・・・歴史ドラマ
総話数・・・全50話
出演者・・・綾瀬はるか、西島秀俊、長谷川博己、オダギリジョー、綾野剛、玉山鉄二、市川実日子 ほか

慶喜公のお命だけは奪いもはん・・さて、そげんなれば振り上げた拳をば、どげ下すかじゃな・・・西郷の笑みが意味する、次なる矛先は!?

チャンネル銀河・八重の桜HP https://www.ch-ginga.jp/feature/yaenosakura/
八重22話表紙
八重の桜OP、BGMにドゾ http://www.youtube.com/watch?v=6tDZC6aTUxA


第22話あらすじ
1868(慶応4)年、新政権に降伏した徳川慶喜は、会津を江戸から追い払った。同年2月、わずかな供回りだけで国許に戻ることになった容保は、家臣たちに江戸引き上げのことを託すと、皆を置いて大阪を出たことを詫びる。
ほどなくして藩士たちも江戸から会津に戻って行く。八重とうらは覚馬と三郎の帰りを待ちわびていたが、戻ってきたのは尚之助だけであった。尚之助は、家老頼母の指示を受け、最新の戦術を学ぶため江戸に遣わされていたのだった。山本家に戻った尚之助は家族の前で三郎の遺品を広げて話し出す。三郎は鳥羽伏見の初陣で勇敢に戦い命を落としたこと、覚馬は御所の戦で目を患い参戦していなかったが、開戦の日、薩摩兵に捕えられ四条河原で処刑されたこと。そんなのは嘘だ、三郎とは人違いだと言い張っていた八重も、縫い付けてやったお守り代わりの南天刺繍をみとめ愕然とする。激しく動揺する八重を父・権八は一喝し 三郎も覚馬も山本家の男として恥ずるところはない、と言い、二人の最期を確認した尚之助に頭を下げ礼を言うのだった。うらが台所に駆けこんで母と泣く一方で、八重は泣いているときではないと自身に言い聞かせ、三郎の仇を討つために尚之助に洋式調練を教えて欲しいと願い出る。
 
朝廷の錦旗を掲げる新政府軍に いっせいに恭順を示した西国諸藩と違って、関東は依然徳川方の巣窟のままだったことから、新政府軍は早々に江戸城を落とし、幕府の残党狩りに出ようとしていた。その場で甲州攻めを言いつけられた乾退助は、岩倉具視のすすめで 敵を平定する策として、先祖の板垣駿河守にあやかり、以降 板垣姓を名乗ることになる。
同じころ覚馬は、同じく薩摩藩士に捕らえられた弟子の野沢と獄中にいた。大垣屋と共に覚馬を訪ねた時栄は、腰を打たれ足も動かなくなった覚馬に茫然となる。視力を失いながらも、それでも魂の叫びのように何度も会津救済を願い出る覚馬。その覚馬の執念ともいうべき嘆願書は、いずれ西郷の目の届くところとなる。※万国公法についての言及が、目にとまったからだ。

会津に戦雲が迫る中、鶴ヶ城では、恭順派の頼母と抗戦派の佐川が、容保の前で激論を繰り広げていたが、鳥羽伏見の戦で負け戦の責めを一身に背負わされて自刃した神保修理の父・内蔵助が、いわれなき朝敵の汚名を被ったまま恭順しては武士の一分、会津の面目が立たないと言上し、容保の気持ちを固めさせる。修理を死なせてしまったことを悔い、容保は養子喜徳に家督を譲り、御薬園で自身を責めながら蟄居のような暮らしをしていた。今では、修理に敗戦の非は無かったことは誰もが知っている。朝廷を重んじ恭順を貫くことを決定し、容保は、それでもなお攻められたときは全藩挙げて戦うことを表明する。
その後会津は天明以来の長沼流軍学を捨て、尚之助や大蔵の指揮のもと、フランス式の軍学、体練にいそしむことになる。部隊は年齢別に「玄武隊(老人)」「青龍隊(中年)」「朱雀隊(青年)」「白虎隊(17才以下少年)」に分けられ、砲兵隊、遊撃隊を加えて3000人の正規軍が結成された。
一方、京では左大臣・九条道孝を総督に据え、奥羽鎮撫使が出陣しようとしていた。九条は錦旗を背にしょっただけのいわば傀儡であったが、薩摩、長州にとっては新政府の威信を示し何としてでも会津を討つための、必要不可欠の旗印であった。奥羽鎮撫使とは名ばかりで、実態は全くの討伐軍にほかならない。
 軍制改革が始まると、白虎隊士の伊藤悌次郎や山川健次郎、時尾の弟・盛之助などが熱心に銃の訓練に八重のもとに通い始めた。兄と弟の訃報を聞いた後 気丈にふるまっていた八重だったが、悌次郎に鉄砲を教えながら、思わず「三郎」と呼んでしまい、いきなり角場を飛び出していく。

その頃、江戸の薩摩藩邸にいた西郷を、幕府方総裁の勝海舟が兵を連れずに訪ねていた。勝は、6つの講和条約を書いた嘆願書を読み上げると江戸城総攻撃の取りやめを願い出る。対して西郷がそんな条件では退けんと答えると「立場が逆だったら、主君の首を差し出せるのか」と問い、※万国公法では、恭順した敗者に死罪を命じないことを説き、一身に変えてでも江戸城は無事に引き渡すことを約束する。以前より勝を尊敬し信頼していた西郷は、征討総督達に伝令を送り、翌日の江戸城総攻め取りやめを命じる。
だが一方で、西郷は、薩長の怒りの矛先ーー振り上げた拳をどこのおろしたらよいのか、という謎かけを冷ややかな笑いと共にこぼすのであった。

・・・ということで、次回は第23話「会津を救え」です。

※無血開城を約束し勝海舟が提示した6つの講和条件とは
1.徳川慶喜は故郷の水戸で謹慎する
2.慶喜を助けた諸侯は寛典に処して、命に関わる処分者は出さない
3.武器・軍艦はまとめておき、寛典の処分が下された後に差し出す
4.城内居住の者は、場外に移って謹慎する
5.江戸城明渡しの手続きを終えた後は即刻田安家へ返却を願う
6.暴発の土民鎮定の件は可能な限り努力する

※万国公法とは・・・国際社会が遵守すべき法規と、理念として世界中の国家が平等である権利を有することを説いたもので、幕末から中国から伝わり、有識者が競って読み、あたかも経典のような権威があった。




第22話ぷち・ギャラリー

届いた三郎の軍服
八重2201
死ぬはずがねぇ。尚之助さまは、なじょしてそんな嘘を言うんだべ!?
八重2203
八重ッ!! 尚之助殿、息子たちの最期確かめてくれてありがとうごぜえました。
八重2204
両名とも山本家の男として恥ずるところはねぇと存ずる・・・
母・佐久と妻・うらの悲しみ 
八重2205
お・・おっかさま~ う・・うう~っ うっう
父の悲しみ  三郎が毎日火を入れていた作業場のかまどに蹲り・・・
八重2207
三・・・郎 ううぅ
三郎のかたきは、わだすが討づ!!
八重22話 かたきは、わだすが討づ!!

<八重の悲しみ>

「三郎!まだ筒先がブレてるがし!」白虎隊の悌次郎を亡き三郎と思い込んでしまう八重
八重22話 白虎隊の悌次郎「お八重さま・・?俺は、三郎ではねえがえらし・・?」
「お八重さま・・? 俺は、三郎様ではねえがえがし・・?」
ダダダーッ
八重22話 思わず銃を奪い取り、走り出す八重
 どすっ    訪ねてきた大蔵にぶつかり・・・ 
台2話 訪ねてきた大蔵にぶつかり や、八重さん!?
や、八重さん!?
八重さんっ!!銃を持っでどごに!?
八重22話 八重さんっ!!銃を持っでどごに!?
三郎のかたきを討つんだし!

そこに夫登場

 「行っちゃ駄目だ!」「三郎~ッ!!」
八重22話 八重の嘆き 三郎~ッ!!
誰を撃つというのです!?八重さんっ!しっかりしなさい!
ひし!   妻を抱きかかえる尚之助
八重2216
う・・ううっ ううう~っ 堰をきったように溢れ出る涙
・・・・   
フクザツな気持ちの大蔵
                                     大蔵カワイソ

なんかヘンテコリンな新政府軍の制服
八重22話 なんかヘンテコリンな制服
新政府の威信を示すため、なんであろうと会津をば討つ!
阿修羅のような形相の世良修蔵   顔面凶器・・こ、こわいっ
八重2215
降伏の条件は、容保の首を差し出すこと!ただそれのみ!
逃げの小五郎が、攻めの小五郎に 「いよいよ新政府の力を満天下に示すときじゃ!」
八重2208
西郷らを参謀とする総督府は錦の御旗を押し立て東国へ進軍
容保の決断 会津はあくまで恭順を貫く・・・元より朝廷に刃向う心はない。
八重2210
ただし、攻めてくるなら全藩をもってこれと戦う・・!
三の丸の練兵場 フランス式教練で朱雀隊に号令する尚之助
八重2219
次~、後ろ向きかけあーし!

<江戸城と徳川慶喜の処遇をめぐり、新政府軍と旧幕府軍の大将顔合わせ>
西郷さん、くどくは言わん・・ただ、立場を替えて考えてみてもらいたい
八重22話 江戸城の処遇
もし薩摩が破れていたら、あんたはご主君の首を討って差し出せるか?
あの屋根のひとつひとつの下には人間が住んでいるんだ・・我々とは関わりのない無辜の民だ!
八重2217
あんたが造ろうとしている新国家は、そんな人達から家や命を奪うのか?
それがあんたの目指す国造りか?    「・・・」
八重2218
さて、そげんなれば、振り上げた拳をばどげ降ろすかじゃな

覚馬の書いた嘆願書「時勢之儀ニ付拙見申上候書付」を読み、牢にやってきた西郷

さ、西郷か? 討つな!会津を滅ぼすな!
八重2220
俺の首を斬れ!俺を斬って会津を助けてくれ!西郷~~!!




八重の桜、こんなところが好き!感想&雑記

先週が悲しみのピークだったので、今回は少し冷静に観れました。

それでも、三郎や覚馬の死が家族に伝えられ、弟の名を呼んで飛び出していく八重の行動を止める尚之助を見るのが切ない・・・その三郎の指揮官だった大蔵は、愛する八重の悲しみを目の当たりにしてもっと切なかった筈。
八重のふくれあがる復讐への思いを見ることも・・・。
いつだって、戦争で親兄弟をなくした女たちの思いは、こんなふうなのでしょう。女ばかりではない、声を殺して泣く父の慟哭も・・・権八役の松重さん、名優ですね。

悲報だらけの山本家。会津の人が続々と帰国してきていますが、山本家や神保家にもたらされるのは涙ばかり。
それでも、神保内蔵助の声なき涙は美しかった。
負け戦の責めを一身に背負って腹切った息子の修理同様、父の内蔵助も繰り言を一切もらさなかった。その内蔵助が声を振り絞って言った「武士の一分」「会津の面目」という言葉は輝いていました。言葉が光の様に、同胞たちの胸に差し込んでいく・・・
そしてそれは、容保の胸にも、ずしんと響いた筈。
ついに、恭順という名の元に、全藩あげて戦う決意を固める容保のうるんだ目もまた、美しかった。

恭順か抗戦かーーどちらの立場も辛いもの。
今回は何と言っても世紀の会談といってもよい、無血開城の顔合わせ。

征討軍参謀で江戸城総攻撃の指揮官西郷に対し、旧幕府の重臣・勝もまた江戸城を守る実質的な指揮官。
いわば、相手本陣に敵方の大将がひとり丸腰でやってきた訳ですね。

学問二流、はったり一流、胆力超一流の勝先生。
あんないい加減なのに、 あんなに正しく人を見ることができて、気難しいのに社交性がある。
そんな彼が日本の行く末を担ったことは日本の幸運ですね。

勝海舟の時代を見る目と同じくスピーディな江戸っ子べらんめい口調が、またいい。
海舟役の生瀬さんは、22話の 世紀の会談に臨むあたり、どういうテンションでやろうかと考えたときに、西郷という怪物を治めるためにいちばん大事なのは“パワーとスピード”かな、と感じたというから凄い。
勝という人物は、ブレーキをかけてから何キロも進んじゃうタンカーみたいな人だと思うので、それを最大限に出していければと思って挑んだそうです。

坂本龍馬も、『海舟座談』の巌本善治も、 最初は勝海舟を敵視して対面したのに、 いつの間にか虜にされてしまったという エピソードを聞いただけでも、その魅力が 伝わってきます。そんな勝先生の説得だからこそ、西郷も一も二もなく徳川に振り下ろす矛を収めたので 、江戸に住む無辜の民たちが戦火からまぬがれた。
でなければ、壮絶な内戦の末に、今の北朝鮮と韓国のごとく日本が東西に分裂していたかもしれない。また、そこまで行かずとも日清・日露の戦役を乗り切るほどの国力が残っていたかどうか・・・結果としては、日本にとって大きな意味が有ります。
また、江戸の街が残ったことで、 東京への移行も簡単だった。

それを考えると、勝先生の功績は評価してもし足りないところがありますね。
また、これは、西郷の大英断だったと言えます。
勝も、聞く耳持って矛をおさめてくれた西郷をとても買っていて、維新後、地に落ちてしまった西郷の名誉回復につとめ、洗足池には「南州(西郷隆盛)をたたえる碑」がありました。

板垣退助の苗字の件は、ドラマで初めて知りました。なるほどこんな理由で・・・と、そのとおりですが、岩倉の発案だったとは。やはり彼は怪物ですね。
しかし、500円札が100円札に姓を替えろ、と命じる・・・可笑しいですね。
岩倉が乾(板垣)に助言したことが、後世の私達にも影響があるなんて、歴史の洒落たいたずらみたいなものを感じます。

ブレーキをかけてから何キロも進んじゃうタンカーというのはむしろ西郷のように思いますが、その西郷を黙らせたのが「万国公法」。これは魔法の言葉ですね。
勝も覚馬も「万国公法」を引き合いにだし、江戸は救われましたが、われらが会津は・・・

西郷どんが江戸攻めをやめて「振り上げたこぶしをば、どけぇおろすかじゃな」と言ったとき、
「自分の頭におろしなんしょ!」と叫んでしまったのは、私だけでしょうか。





キャスティング今日のフィーチャー

出番少ないけど、超濃いインパクトだった、土佐、長州のキーマンをフォーカス!

土佐のキーマン、加藤雅也さん演じる板垣退助
いつも出番は少ないのに、ものすごい濃い陰影を醸し出すカトマサ/板垣、もとい乾退助。
甲斐地方を平定させるために、先祖の七光りを利用するよう、「板垣」姓に改名をすすめる岩倉具視の言うとおり、板垣退助で新政府デビュー。
対旧幕府軍の戦では新政府軍として一歩出遅れた土佐の命運をかけて、甲州平定に向かう。先祖の七光りというのは、板垣駿河守:いたがきするがもり(1489~1548)のことで、武田信玄とその父信虎二代仕えた名将をさしたもの。武田四天王、および武田二十四将と謳われ勲功をあげたが上田原の戦いで戦死。板垣駿河守の孫が山内家の重臣・乾家の養子になったと言われ、明治時代の自由民権運動家の板垣退助は、駿河守直系の子孫と称し、板垣に改名した。

乾退助時代                       板垣退助誕生
乾退助    板垣退助 加藤雅也
その退助演じる加藤雅也さん、板垣が前面に出てくる作品が少なく、見る人の固定観念が無い分、演じやすさを感じていると言います。「会津戦争は、板垣が自由民権運動を推進するきっかけとなった戦です。新政府軍は、身分の低い者から情報を売ってもらって、戦で勝利を収めることができたと言われています。そのときに板垣は、いくら攻めても下から情報が漏れてしまっては勝てないと悟ったのです。身分の差が戦のあしかせになっていると感じ、維新後に訪れた外国での経験を通して、身分制度の廃止を訴えるようになり、自由民権運動へとつながるターニングポイントだった」と、述べています。 100円札にも描かれ「板垣死すとも自由は死せず」という言葉を残した民権運動の父を育んだ経験は、会津にあったのですね!由緒正しく華々しい先祖を持ちながら、下々の言葉に耳を傾け、いま私たちが生きるデモクラシーの基盤を築いてくれた板垣を颯爽と演じる加藤雅也さんです。


長州のキーマン、世良修蔵
一度見たら忘れられない、阿修羅のような形相、この眼光・・・顔面凶器と謳われた小沢仁志さん
ハマリ役ですね!そうです、やはり戦のきっかけとなった人物です(^^;)

か、顔がこわいんだよね

世良修蔵;幕末の長州藩士。騎兵隊の書記・軍監に就任。戊辰戦争では奥羽鎮撫総督府の下参謀となり、仙台藩に会津藩攻撃を命ずる強硬論を説いた。福島に滞在中、会津藩に対する寛典(寛大な処置)を請う仙台藩よりの使者が送られたが、これを拒否。恨みを受け、旅宿で捕えられ斬殺される。世良の死をきっかけに、新政府軍と奥羽越列藩同盟軍の戦争が始まってしまう。




  八重の桜かると 尚之助と八重の、愛のゆくえ

八重と尚之助


ハッキリ言って、いま八重の桜を見ている女性達の関心事って、八重と尚之助の行く末だと思いますが、皆さんいかがでしょう。八重は京都で新島襄と再婚するので、尚之助とは別れてしまうのはわかりきっているのですが、身も心も会津の人となり、こんなにも会津に尽くし、山本家に尽くし、八重を愛し支えた夫の尚之助がどうして離婚という道を辿ったのか、美雨も気にならずにいられませんでした。
しかし最近になって、戊辰戦争あとの八重の消息や尚之助のあらたな足取りや書簡記録が(八重の桜効果でしょうか?)あちこちから見つかって、本当の別れの理由、その愛の深さを思い知る記録が、脚本の山本むつみさんの手元に続々と届いているといいます。 さすがは近代、負け戦の常で焼失してしまった筈の記録が残っていて、こうして善意ある人々から届くと言うのも、ふたりの愛の真実の力かもしれませんね。
そこで、尚之助の行く末に関する、とれとれの山本むつみさんの報告とシナリオの方向性を、美雨ブログでも紹介してみます。

尚之助は、資料が殆ど見当たらなかった人の筆頭です。以前は籠城戦のあと会津を捨てトンズラしたという俗説までありましたが、そんなはずはありません。ドラマをご覧になっている方はお解りだと思いますが、八重と庄之助は互いに尊敬しあう、実に仲睦まじい夫婦であったと思います。演じているお二人の初々しい夫婦らしさが、私も大好きなんです。お似合いの二人が別れてしまうなんて可哀そうという声を、しばしばいただくのですが、二人がどんな形で別れを決断したとしても、すべてはお互いを思いやる気持ちからのことです。
by 山本むつみ 脚本家が語る『八重の桜」より抜粋 



                           八重の米沢への出稼ぎ判明を報じる新聞
尚之助新郎姿    ふたりのその後
                            豊岡市にある尚之助の供養碑


今まで殆ど知られなかった川崎夫婦の戦後の足取りが、少しずつ詳しく解り始めているなか、尚之助&八重伝説エピソードの内容を、解説本からダイジェストしてみました。中には、会津戦争後、離れ離れになった八重と尚之助が4年後に東京で再会を果たしている、という夢のような(?)エピソードも。実話でないかもしれせんが、二人の間には、男女の壁を超えて互いを敬い合う、同志のような思い遣りがあった気がします。(産経新聞出版NIKKO MOOK八重の桜)

         <八重のおもしろエピソード集より>

会津戦争で自宅を失った八重は、戊辰戦争前に尚之助に師事し砲術修行しいていた内藤新一郎の助けで、一時、彼の米沢宅に寄宿し、出稼ぎをしていました。尚之助はこんなふうに八重が生きるための人脈のパイプを残してくれていたのですね。尚之助自身は、他の会津藩士同様、猪苗代を経て、東京で謹慎、放免された後は、会津藩士たちが移住させられた斗南藩におもむき、困窮する会津の移住者のための米の調達に尽力します。しかし、尚之助は仲介業者の詐欺に遭い、罪もないのにその責任を一身に背負います。そのため外国商人から訴えられ、東京に送られてしまいます。いっさい「会津藩は無関係」とし、罪をかぶろうと覚悟していた尚之助のもとに、何も知らずに八重と覚馬が訪ねてきたエピソードが残されています。このときの尚之助は見るも無残に痩せこけ、会津戦争で大砲隊を指揮していた面影はありませんでした。そんな尚之助に、覚馬は「京都の復興に力を貸してほしい」と頼み、八重も「京都で暮らしましょう」と頼みます。しかし、裁判があるため東京を離れられない尚之助は、「塾で勉強を教えている子供達を置いていけないから」とうそぶき、裁判のことはおくびにも出さずに、八重たちの申し出を断ってしまいます。じっさいの尚之助は、斗南藩から給料を貰っておらず、裁判所から支給されるわずかな金で生活をしていたため、医者にもかかれず、食事にも困る生活をしていました。その二年後、尚之助は心労から肺炎を患い、病死します。奇しくも八重が新島襄と婚約した年でした。
まるで、会津ゆくすえと八重の未来のしあわせを見守るように、身一つ犠牲にすればいいことじゃないか、とばかりの潔い男の人生・・・最後に八重を見送った尚之助の眼には、一点の曇りもなかったことでしょう。

愛しているからこその別れ・・・
人間であればこそ、そんな別れもまた、あるのでしょうか。






尚之助に関するレビューはこちらを参照
30話クリックhttp://yonipo.blog13.fc2.com/blog-entry-1055.html
31話クリックhttp://yonipo.blog13.fc2.com/blog-entry-1060.html
33話クリックhttp://yonipo.blog13.fc2.com/blog-entry-1069.html



    美雨のぷち・八重の桜紀行その⑪
    桜の傘咲く「八重の桜」オープニング・バックの地をたずねて


美雨の大好きな磐梯山、天鏡台を訪ねてきました❤

オープニング 磐梯山にて400人の小学生・・・


やんごとなき稀びとに、天を写すこと鏡の如し・・・と歌われた、磐梯猪苗代、天鏡台。
360度美しく、迦陵頻伽のように鳥たちが合唱し、どこかダヴィンチの描く絵の背景のように神々しい、不思議な空間・・・そこが天鏡台です。でも、ここはリゾート地として整備されいるので、撮影にはふさわしくありません。そこで、すぐ隣の何もない牧場の一部で、370人の現地児童を集めて撮影したようです。
・・・と、猪苗代リゾートサンピアのスタッフさんにお聞きしました。^^ なんと、撮影の日にはレストハウス(冬はスキー場)でカレーを400食サービスしたそうです。


天鏡台1
'13年春、携帯で撮影

370人の着物と傘、動員したスタッフや先生、親御さん等さぞ大変でしたでしょうね。
おかげで、磐梯山を彩るように桜色に咲くあの無数の傘帽子を楽しめるわけですが、偶然の様にそこを知ったときは、感無量でした。
京都の職人の手による370もの和傘を次々と開き、緑の大地を桜色に染めていくシーンに、未来を切り開く子供たちが福島に”希望の花”を咲かせるメッセージが、聞こえてきますね。


美雨

「八重の桜」各話あらすじ&感想
http://yonipo.blog13.fc2.com/blog-category-81.html


❤今日もありがとう❤
今日もありがとう 天鏡台
山桜と磐梯 天鏡台にて



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大河ドラマ 八重の桜 第21回「敗戦の責任」

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歴史ドラマ 八重の桜 第21回「敗戦の責任」

あの名作が帰ってきた!
平日 朝8:00~午前9:00 深夜1:15~深夜2:15(月~金、毎日放送)
制作年 2013年
制作国・・・日本  ジャンル・・・歴史ドラマ
総話数・・・全50話
出演者・・・綾瀬はるか、西島秀俊、長谷川博己、オダギリジョー、綾野剛、玉山鉄二、市川実日子 ほか

滂沱、というか滂沱レスにとめどなく涙する21話・・・兄・覚馬の代わりに会津の戦力として敵の戦陣に攻め入る三郎、敗戦の責任を一身に背負う覚悟の修理と容保の涙の別れ・・・!

チャンネル銀河・八重の桜HP https://www.ch-ginga.jp/feature/yaenosakura/
敗戦の責任
八重の桜OP、BGMにドゾ http://www.youtube.com/watch?v=6tDZC6aTUxA

第20話あらすじ
1868(慶応4)年1月に始まった「鳥羽・伏見の戦い」で会津藩は 新式の武器で攻めてくる薩摩・長州に苦戦を強いられていた。初陣の三郎も佐川官兵衛率いる別撰組に合流、鳥羽・富ノ森の街道で薩摩の銃隊と対峙する。
そのころ八重(綾瀬はるか)は、幟旗を奉納した諏訪神社に姪みねと共に訪れ、そこで神保修理(斎藤工)の妻・雪(芦名星)に会う。雪の髪に積もった白いものと、その取った手の冷たさに、彼女の深い思いを知る八重。雪は夫・修理の上洛前に八重たちと願掛けで占った鳥居の石投げが外れたことを悔い、神を試した罰があたるなら、夫でなく自分にと、風が吹くなか一心不乱に祈っていたのだ。みねもまた、6年も会えず顔さえ判らぬ父の無事を祈る。「おとっつぁまを、お殿様をお守りくなんしょ」
しかし、その後も戦況は好転しない。八重の縫ったお守り代わりの南天刺繍を握りしめ、山本家の男として 目の見えぬ兄・覚馬の変わりとして立派に働きたいと前線に臨む覚悟の三郎の心意気を、大蔵は汲み取り 最前線に立つことを許可、しかし ひとり矢面に立つように突進していった三郎は、敵の銃弾を一身に浴び、壮絶な死を遂げる。
 徳川の援軍は幾度要請しても来ず、その間にも犠牲者の数は増えていく。兵数で勝っていてもろくな戦略もなく大群で押し寄せるだけの幕府軍の戦いぶりに、このまま伏見で戦いを続けていても不毛なのは明らかである。そこへ持ってきて、西郷がついに錦の御旗をあげる。朝敵征伐のしるしであり、官軍を表わす錦旗が揚がったことで、幕府軍は戦意喪失、淀城へと撤退していく。ニセの錦旗でも恐れおののき薩摩に寝返る他藩が増えていくのも時間の問題であった。
ついに恐れていたことが現実となる。伏見を治める淀藩が錦の御旗を見て薩摩に寝返り、共に戦っていた藤堂藩も、薩摩に くみしたのだ。藤堂藩は、山崎の関所を薩摩から守る筈が、逆に会津に大砲を撃ち込む始末。そして現役の老中であった淀藩主までが幕府を見限ったのだ。

錦旗を揚げた敵の作戦は 偽勅と同じ手を用いた岩倉具視の策略だと見抜いた慶喜は各藩の将を集め、「大義は自分達にある、大阪で討死するとも、江戸に残った者たちが後を継いで戦い続けるであろう」と士気をあげて各藩に戦い抜くことを誓わせる。しかし、慶喜が気勢をあげる時こそいつも裏があり信用ならないことを何度も思い知らされている容保は、慶喜がまた危うい策をとろうとしているのではないかと危ぶむ。
容保の心配は的中し、開戦四日目、慶喜は舌の根も乾かぬうちに全軍撤退命令を出す。一勝も上げることなく大阪城に引き上げたのだ。あまっさえ慶喜はひそかに軍艦海陽丸で江戸へ逃げるから、家臣を置きざりにして容保に共をせよと言う。兵をおいて将だけが逃げることなど出来ないと断る容保に、慶喜は「容保がここにいるかぎり会津兵はいつまでも戦をやめず、家臣たちが朝敵の汚名を着て死ぬばかりだと脅し、会津の御家訓まで引き合いに出す始末…。しかもこの策は、容保の最も信頼する家臣、神保修理の進言だという。かねて修理は 無駄に味方の命を失うより 戦略を立て直すべく、兵達を率いていったん江戸へ戻るべきとの意見を言上していたが、慶喜は”兵を率いて”の部分は勝手に割愛し、舌先三寸で ついには容保を道連れに江戸に去っていく。

置き去りにされた会津兵・幕府兵は主君の逃亡を知り騒然となり、当然その怒りの矛先は修理に向かうこととなる。慶喜が撤退命令を出したのも、江戸に戻る事を耳打ちしたのも修理の差し金とされ、鳥羽伏見の戦いで惨敗を招いた張本人として、修理は会津のみならず他藩からも憎悪の的となる。
主君を追って江戸に引き上げた会津兵たちに、さらなる試練が襲いかかる。江戸城の慶喜から、会津は今後いっさいの登城が禁じられ、会津はじめ徳川についた諸藩に江戸からの立ち退きが命じられる。それは、新政権に対する全面的な降伏であった。とかげのしっぽ切り同様、会津は慶喜に使い捨てにされたのである。
本来、容保に向けられるすべての非難を一身に受け負うのを喜びとするかのように、修理は一言の弁明もせず、腹を切る。享年31歳であった。

・・・ということで、次回は第22話「弟のかたき」です。



第20話ぷち・ギャラリー

三郎の初陣
八重2101
八重にいつも聞かされた”よく狙ってうちなんしょ”の言葉をリフレインしつつ・・・
フランス式調練帰りの大蔵、砲兵隊長の林なきあと大砲隊長として指揮を執り・・・
八重2104
佐川「なんだ、その恰好は?」 大蔵「大砲での戦ではこれが動きやすいんです(笑)」

夫・修理の無事を祈る雪
八重2102
お守りくなんしょ、あんつぁまを、会津の皆様を  八重もまた、諏訪神社で祈りを・・・
八重2103

ついに揚がった偽の錦旗の御旗
八重2105

<慶喜、今日のヤルヤル詐欺>

大阪が焦土と化し、われら全員討死するとも、戦い続けるぞ!
八重2106
大義は我らにある!最後の一騎となるまで戦い抜くぞ!  「ははーっ!!」

しかし、ひそかに修理を呼び出し トクになりそうな意見を聞いてみるテストな慶喜(呆

わが軍勢、兵の数こそ勝っておりますれど、軍略に乏しく、このまま戦を続けては兵を失うばかり・・
八重2107
兵たちを率いて一旦江戸に戻り、戦略を立て直すべきかと存じまする

江戸に戻る?(指ぱっちん☆彡) なるほどのぅ~♪
八重2108
               サ、サイテー
慶喜「ワシは江戸に戻る!ついてまいれ」容保「なんと!最後の一騎まで戦い抜くと仰せになったでは!」
八重2113
慶喜「あれは動揺を鎮める方便よ。兵たちはおいていく・・・我らが城を出ることは家臣たちに口外無用だ」
容保「兵たちを見捨てて?行くなら、全軍を率いて、戻るべきにございまする・・!」
八重2114
慶喜「ばかを申すな!それでは江戸に着くまでにまた戦となる。そなたがひとりで余と共にくるのじゃ」
「いいえ、それがしは藩士とともに残りまする」   今日こそはキッパリ
八重2115
慶喜「ならぬ、そなたがここにいては会津がいつまでたっても戦を止めぬ!
   兵を引かねば徳川は朝敵となるのだぞ。会津の家訓に徳川を朝敵にせよとの一条があるのか?」
容保「・・・・・!!」

<三郎の最期>

兄の眼のごど、聞きやした・・・山本家の男として、兄に代わって働きとうごぜぃやす!
八重2109
三郎の意をくんでやる大蔵
姉のナンテンのお守りを握りしめ・・・
八重2110

大蔵「三郎っ!伏せろ!!」 ズガガガガーン!! うぉぉおーーッ
八重2111
一身に銃弾を浴びせられ・・・
もう目が見えない三郎「あんつぁま?」 大蔵「ああ、ここにいんぞ!よく戦ったな!!」
八重2112
ハイ・・あんつぁま・・・  あね・・うえ・・・    こと切れる三郎

<会津の山本家では>

尚之助「賊軍にならぬため、一旦恭順すべきではないかと」
八重2116
権八「にしゃ、腰抜けかぁ・・・!?ならぬことはならぬ!!」

<京の獄に繋がれた覚馬は>

生きていた覚馬 「西郷に会わせてくれ!頼む!!」
八重2117
見張り兵「ッハ!総大将に会いたいだと?お前に待ってるのは打ち首だけだ!」

<敗戦の責任 修理の最期>

容保「そなたをこのような境遇に落とし、詫びる言葉も見つからぬ・・・」
八重2119
会津は都を追われ、今また江戸を追われる。その憤りがそなたの身ひとつに向かってしまった。
修理との別れ
どうやっても、どうやってもそなたの名誉を取り戻すことができぬ。(涙)
切腹・・・ありがたく、承ります  
八重2120
殿はすべてをわかっていて下さる。それで十分ではないか
修理の最期
八重2122
雪よ・・・              (最後に妻の名を

辞世の句・・・
帰り来ん 時よと親の おもうふころ はかなき便り きくべかりけり

神保修理 享年三十一才



八重の桜、こんなところが好き!感想&雑記

若い命が、ひとつ、またひとつと散っていく。
先週、満開を迎えた北の大地ではこれから桜吹雪だそうですが
八重の桜と歩調を合わせるように、散華のときを思わせます。

昨日まで一緒にいた仲間が消えていく・・・
難が転ずる南天の刺繍を握りしめ、姉の名を呼びこときれた三郎。
ふっくらした頬にあどけなさを残した、若すぎる死に、
与謝野晶子の「ああおとうとよ・・・君死にたもうこと無かれ」が胸に浮かびました。

ひとは、最後の最期の瞬間、一番愛する人の名を呼ぶと言うのは本当ですね。
大戦時、ゼロ戦に乗った神風特攻隊の少年兵たちが、敵機に体当たりし命つきる瞬間に「お母さぁ~ん!」と叫んで死んでいった話を、思い出しました。
この話を聞くたび、「お国のために」と我が身に言い聞かせつつも、やはり最後は一番やさしい人の名を呼ぶのだなぁ、と子供心に思ったものですが、修理は愛妻の雪の名を呼び、三郎は”あねうえ”を想いましたね。まだ恋する相手さえいない年若い三郎にとって、姉が 世界で一番優しい異性であったのだ・・そう思うと、余計に切ない・・・

戦により理不尽に命を落とす切なさ虚しさはいつの時代も同じとわかっていても
二人の一点の曇りもない魂に、滂沱と涙がこぼれます。

・・・に比べて、またまた期待を裏切らず、ヤルヤル詐欺満開な、最後の将軍さま。
体制を立て直す、と言いながら会津に一言の弁明もなく、さっさと全面降伏する忸怩なき変わり身の早さに、武家の棟梁としての矜持などまるで感じられない。

持ち上げてくれるのは司馬遼太郎先生とその信者だけで、慶喜の軌跡を見る限り、じっさいは単に怖いだけなんじゃ?と思える腹立たしい逃避劇の数々・・・恐怖心が大政奉還と無血開城という偉業を成し遂げたのでは?と言いたくなる。

以前、孫子の兵法を引き合いに出して第二次長州征伐に終止符を打った、百戦錬磨の西郷どんも実は慶喜公の性向もよく見抜いていて、諸葛孔明よろしく頭脳派の慶喜を曹操にするように逆手にとって、”策士、策に溺れる”よう掌の上で弄んでいたようにも思えます。
というか、慶喜は策士というほどのこともなく、結局はなんの策略もなかったのではないかと個人的に思えるこの頃。

しかし、理不尽なのは神保修理です。敗戦の責任は、この慶喜にではなく、もちろん容保でもなく、すべて修理に課せられたのだから。
国家、トップを生かすためには生贄を必要とすることもわかるし、結果責任はこの時代の常なんでしょうが、鳥羽伏見の不利を挽回するためには、修理の「いったん江戸に引いて体制を立て直す」のはどう見ても道理にかなっていた筈。
修理は、洋の東西の動向に通じていて、佐幕派、倒幕派、攘夷論などの党派を超えて、各藩の賢人たちとネットワークを結んでいた人物。きっと戦後の会津の展望、ビジョンも持っていたでしょう。
その彼にして死を選ばざるを得ない会津士道の過酷さは、今回、恭順論を唱えた尚之助を一喝した権八パパの「ならぬものはならぬ!」に凝縮されているように見えました。
「切腹を申し付ける」という容保の言葉に「はい」と爽やかに返事をする修理には、何か既に下界の営みを超越したような清らかさ、神々しささえ感じられました。

今回は女性が演出担当でしたが、最後の最後に修理の切腹を持って番組は終わる
・・・これは見事でした。
何の変哲もないように見えて、いままでで一番こころに残るラスト。

でもまだこれは
会津の悲劇の序章に過ぎない。

そして戦雲は東へ、さらに東へと流れていくんですね。


美雨




    八重の桜かると ~神保修理という人物~


官兵衛と修理2
現在の日新館の資料より            右が、残された修理の写真


ここでもう一度、修理についての人となり、また立場についてふれてみたい。
神保首里は、会津家老神保内蔵助の長男に生まれた若手俊才。
会津藩公用方(藩の外務省に相当)として活躍、とりわけ洋式小銃の輸入や知識導入のために長崎に赴き、西洋文明に触れることが出来たのは、修理にとって多きな収穫でした。その人脈も幅広く、特に西国諸藩には多くの友人がありました。特記すべきは、勝海舟とも親交があったこと。そのつてで大政奉還直前に坂本竜馬とも会って、意見交換しているのです。まさに、会津藩を代表する志士であったのです。けれど、それが仇となる時がきます。鳥羽伏見の戦い直前、既に官軍となりつつある薩長の動きを察知した修理は、慶喜や容保に対して恭順を勧めます。そして鳥羽伏見の戦で負けるや、幕府軍敗北の責任は、慶喜や容保を迷わせた修理の責任として糾弾され、敗北の責任を一身に背負って、自刃せざるを得なくなるのです。
秋月悌次郎はじめ、山本覚馬、山川大蔵など、会津の逸材たちの多くは西洋文明を肌で感じる機会を得て、かつ、外交面においても多くの交際をもち、西国諸藩の志士達とも情報交換できる土壌を持っていました。彼らもまた、時代の流れを敏感に感じ取り、それを会津藩政に反映させようと試みていますが、なぜか会津藩は彼らの意見を入れず、逆に詰め腹を斬らせてしまったり、左遷したりしています。困った時の会津頼み、と言われるほど力もあり義理堅い会津ですが、反面、頑固な隠遁姑息さが、会津戦争のような悲劇を招いてしまったとも言えなくはありません。

その神保修理を演じた斉藤工(たくみ)さん、インタビューでこんなことを述べています


しゅりたん
斉藤工(たくみ)インタビュー


神保修理の最期って…本当に悲しすぎますよね。そういう悲惨な最期を迎えることは撮影当初からわかっていましたが、だからといって修理の生き方を最期のシーンに集約するのではなく、とにかく死を意識しないように心がけました。結果的に悲劇になってしまっただけで、修理はその先の人生を思い描いていたと思うんです。だから、僕も感情のまま臨もう!と。今まで修理として過ごした時間と、周りにいる仲間を信頼して、変にプランを立てずに撮影に挑みました。
実際に、切腹する前のシーンでは、本番前に行うリハーサルから僕も容保役の綾野も、力の弱め方がわからずに感情があふれてしまって…。容保との間には、多くの会話がなくとも“見えない信頼”みたいなものがありましたから。とにかくあの瞬間は“生もの”でしたね。修理を演じるのではなく、生きていました。

修理は、ほぼ今の僕と同じ年齢で人生に幕を閉じているのですが、同じ時間の長さを生きているとはいえ修理の人生はとても濃いものだったと思います。覚馬と一緒に長崎へ銃の買い付けに行ったり、外部との接点も多く持っていた人物なので、いろいろなものに触れることができただろうし。
僕自身も10代のときにバックパッカーをしてたくさんの文化に触れてきましたが、今の自分の国は思想が自由だけれども、それと同時に選択肢がありすぎる不自由さがあるのかもしれないというのを感じて…。だから、修理の生き方を見て、自分や家族より優先するものがあったり、すべきことがはっきり決まっている人生を送ることは、ある意味幸せなんじゃないかなとも思えました。


左の洋装の紳士が修理  長崎にて
洋装の修理 長崎にて


斉藤さんと同じ時間の長さを生きているのに、修理の人生はとても濃いものだった・・・そして、修理の生き方を見て、自分や家族より優先するものがあったり、すべきことがはっきり決まっている人生を送ることは、ある意味幸せなことではないか、と感じた斉藤さん。それを聞いて、修理の人生は決して悲劇的でなく、むしろ、この人の為なら死ねる!このことの為なら命を賭けれる!というものがあった彼の人生は、むしろ輝かしかったように感じました。
斉藤工さん、お疲れ様でした!




Q.さて、この二人、八重の桜では、どこのカップルでしょう?

っな、なんて怪しげな・・・いかにも危なげなヒトたちですが・・・なんか、お似合いな気も^^;
満&楓

             
               かいとうは ↓↓↓ こちら


っな、なんて爽やかな・・・
八重701
清楚な神保修理夫婦。 


信長のシェフを見ていて、あのカッコイイくのいち楓、どこかで見た顔・・・とずっと悩んでいたのですが、OPのテロップで芦名星さんの名を見て、歯はさまったものがやっととれました。神保修理さんの奥様だったのですね。
八重も羨む夫婦仲の神保雪さん、東山温泉で 鳥居に願掛け石を投げて、失敗してしまったら「必ず戻るから運試しなど無用だ」とアツアツの旦那様に慰められていた雪さん・・・会津戦争・涙橋のヒロインでした。
しかし、変われば変わるものですね。いかにも危なげなカラマーゾフ長男の満さんも大変身ですが、くのいちの雪さんには面喰いました。(*_*;)
でも、そんなところもお似合い❤八重の桜には、素敵なカップルが多いですね!



「八重の桜」各話あらすじ&感想
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歴史ドラマ 八重の桜 第20回 「開戦!鳥羽伏見」

あの名作が帰ってきた!
10月8日~10月12日 朝8:00~午前9:00 深夜1:15~深夜2:15(月~金、毎日放送)
制作年 2013年
制作国・・・日本  ジャンル・・・歴史ドラマ
総話数・・・全50話
出演者・・・綾瀬はるか、西島秀俊、長谷川博己、オダギリジョー、綾野剛、玉山鉄二、市川実日子 ほか

薩摩の策略にまんまと乗った慶喜。戊辰戦争の引き金になった鳥羽伏見の戦いがついに始まる…!

開戦!鳥羽伏見 
八重の桜OP、BGMにドゾhttp://www.youtube.com/watch?v=6tDZC6aTUxA

第20話あらすじ
慶応三(1867)年三月、都では王政復古が宣言され 長きにわたった徳川の治世は一日で覆り、慶喜は二条城を出ることを決意した。逃げるように大坂へ下ろうとする慶喜(小泉孝太郎)を林権助(風間杜夫)や佐川官兵衛(中村獅童)らが必死に引き留める。薩長の術中におち、これまでの忠義のすべてが無に帰したのだ。「秘策があるから」と逃げの一手の慶喜を、もはや会津の誰もが信用せず 義憤で腹を煮えたぎらせるなか、神保修理(斎藤工)が諌めに入る。修理は、四年前の8月の政変で長州が朝敵に回されたことを引き合いに出し、同じ轍を殿に踏ませるかと官兵衛を一喝する。こうして、二条城の裏門を出てひそかに大阪へと落ち延びる慶喜につき従う容保を見送る覚馬たちは、まるで都落ちのようだと、敗北感をかみしめるのであった。 都へ出兵するも慶喜討伐の口実を失った薩摩と長州は、西郷吉之助(吉川晃司)の発案により、江戸で争乱を起こす。

その頃会津では、慶喜や容保(綾野剛)らの都落ちを知った八重(綾瀬はるか)が、藩の女性たちと共に、神社に納める戦勝祈願の幟旗(のぼりばた)を縫っていた。そこに、大蔵の祖父で隠居したはずの山川兵衛のしわがれた声が響き渡り、照姫の来訪を告げる。姫も手ずから縫った幟を届けに来たのだ。皆が皆、藩のためを思い 出来うる限りことをしようとする。竹子が遅参したことから、照姫の機転で社殿はいつしか歌会となり、竹子は見事な歌を詠むが、それは辞世の句とも思える、わが薙刀に込める もののふの心得を歌ったものであった。続いて八重も鉄砲に託した会津のもののふの心を即興で読み、皆の心を和ませる。いつしか、心通い合うようになった八重と竹子は、山本家の角場で、手に取る武器は違えど 流れる思いは同じであることを認め合うのであった。

明けて慶応四(1868)年元旦、慶喜はついに薩摩討伐を宣言、いま薩摩を討たねば、幕臣・民衆の怒りは、主君たる自分に向かってくる、という理由であった。長崎で注文した最新式のプロイセン銃を受け取るため一人京に残った覚馬は「旧式の銃で戦っても勝ち目のない戦の行きつく先は地獄だ」と、盲目同然で容保に停戦を願い出るために大阪へ飛び出していくが、薩摩の兵に取り囲まれ倒される。
鳥羽伏見の最前線で 会津・新選組連合と新政府軍がにらみ合いを続けているところに、江戸からかけつけた八重の弟三郎も参戦、いよいよ初陣の三郎に、林権助と官兵衛は「会津武士らしく立派に働け」と鼓舞、ついに砲弾の発射音が響き渡る。銃の力で劣勢を強いられる林の隊だが、約束した筈の徳川の援軍は臆して来ず、会津は見殺し状態に。それでも一歩もひかぬ会津兵を、さらなる長州の遊撃隊が襲い掛かる。陣をひいた伏見奉行所も炎につつまれ、この戦で林権助は壮絶な死を遂げる。
惨憺たる敗北を喫した旧幕府軍を高台から冷ややかに見下ろす四つの目があった。
「勝ったな」と西郷。「日和見主義の諸藩も一斉に味方につきもんそ」と大久保。
戊辰戦争へ続く戦いの火ぶたが、切って落とされたのである。

・・・ということで、次回は第21話「敗戦の責任」です。



第20話ぷち・ギャラリー

<慶喜、今日のヤルヤル詐欺 薩摩を撃つが、時期を待つため大阪に退くと・・・>
官兵衛「こごで逃げでは都落ちですぞ!」 「これ、官兵衛!控えよ」←殿の声
八重2000a
慶喜「か、考えがあってのこと、これは薩摩を討つための策じゃ・・ひ、秘策ゆえ今は語れぬ」

<会津の鶴ヶ城では>
権八「わがんねぇ・・・なじょして会津が都を追われねばなんねぇんだ」
八重2001
「おそらく薩摩の策略ですよ」←すっかり会津藩士らしくなった尚之助「んだら、いよいよ戦か」

<諏訪神社 照姫の御前で、歌を詠む女たち>
竹子の歌「もののふの猛き心にくらぶれば、数にも入らぬ我が身ながらも」
八重2003
照姫「見事じゃ。さすがは江戸で知られた中野竹子じゃ」

八重の歌「父兄の をしえたまひし筒弓に 会津心の 弾や込めなん」 思わず鉄砲の歌を・・・
八重2005
姫「そなた、鉄砲を撃つそうですね。頼もしく思います」「ありがとうごぜえやす」一同(笑)

<いつのまにかダークなBGMをしょって立つようになった西郷ら>
260年の眠りから国を揺り起こすにはよほどのことをばせなならん・・・
八重2006
国をは更地(さらち)に戻すには血も流さなならん

<後悔する海舟、梶原に本音を吐露しながらも戦はならんと警告>
会津の強さが戦の火種を大きくする・・そうなって、もし敗れたときは徳川は根絶やしにされるぞ!
八重2007
俺は幕臣だ・・徳川は滅ばせねぇ!西郷という化け物に火をつけちまったのは俺の失策だが

<慶喜、元旦からヤルヤル詐欺な発願>
薩摩を討たねばこの怒りはワシに向かってくる・・主君のワシが殺される!もはや戦うしかない!!
八重2008

<鉄砲を見下していた竹子、ついに八重の角場に>
ズガーン!!   
八重2009
「八重さま、お見事です・・・スペンサー銃ですね?確か七連発」「竹子さま、ご存じがし!?」
竹子様とわだす、使う道具は違うけんじょ、思いはひとつですね
八重2010
フフッ・・・でも、八重さまの歌は、あまりお上手とはいえねぇなし?ですね
んま!竹子さまこそ、会津言葉はへだくそだなし!
八重2011
あんつぁま・・・わだすとよく似たおなごが、会津にもうひとりいっから・・・

<出陣の杯>
いざ・・・!えぃ えぃッ おうっ!
八重2013
カッコイイ(*゚∀゚*)━━!!!!

<鳥羽伏見、三郎の初陣>
佐川「いよいよ初陣だな・・・三郎、おっかねぇか?」
八重2014
三郎「何も恐ろしぐは・・ねぇです」 (といいつつ武者震い)
ッフ・・この戦、あてになるのは会津のみだ!  さりげない斉藤の一言集グッ
八重2015

<京に残った覚馬、危うし・・・>
いかん・・大阪に戦を止めにいく!殿に停戦を願わねば・・この戦の行きつく先は地獄だぞ!!
八重2016
どけぇ!邪魔すんな!どかぬと斬るッ!!   (しかし、逆に薩摩にボコられる覚馬であった

<開戦!鳥羽伏見>
伏見ではついに砲撃戦が開始され・・・
八重2017
伝令「幕府軍の隊長がおりません!兵は下知(げち;命令)がねえと参戦を渋っておりやす」
八重2018
林権助「おのれ・・臆したな!この上は一歩も引かぬぞ・・死しても会津の名を汚すな!!」
薩摩軍に突進する会津軍
八重2019
槍入れ~ッ!!
林さま!退却命令が出ました!ここに居ては危のうごぜいやす、早く!!
八重2021
「林・・・さま?」    眼をかっと見開き こときれていた 林権助


八重の桜、こんなところが好き!感想&雑記

恐ろしげな不協和音が地響きのように何度もこだました、第20回。

「人は、変わることを恐れるもんじゃ。
どんな悪い世でも、知らぬ世界よりは良かと思いたがる。」

では西郷が心に思い描いていた未来はどんな世界だったのだろう。
結局、260年の眠りから国を揺り起こすために採った策は、いくさを起こすこと。平和な新しき世の夜明けを作るために、血を流すいくさを選ぶというこの矛盾を、当の西郷はこのとき解っていただろうか。
「西郷という化け物に、火をつけちまったのは失策だった」と悔いる海舟の言葉通り、時代の趨勢を呑み込んでは巨大化していったモンスターを、いまや止める手立てはないようだ。
Cross the Rubicon,彼もルビコン河を越えてしまったのだから。

届かないプロイセンの銃。
薩摩も相当ダークだけれど、人の感情にも戸は立てられない。
待てない官兵衛、待てない慶喜、待てない江戸の人々。

あの修羅の地獄の中、覚馬の焦りはいかばかりであったろう。
この戦でもまざまざと見せつけられた、武器の性能の違いがそのまま勝敗を分けてしまうという不条理さ。
思えば、ひと昔前、覚馬が何度も藩に訴え、兵器と軍制改革を解いていた時代、頑なに耳を貸そうとしなかった家老達の、今の反応は何だろう。ひとは、羹(アツモノ)に懲りないかぎり、膾(ナマス)をふいてくれない、という世の常なのかな。
とりわけ、会津の頭は硬すぎた。ガチガチ。

それに、比べて海を支配し他国と接触の機会も多く、何世紀も交易をしてきた薩摩は、ものを見る目とやわらかな頭を持っていた。
当然、武器の性能が露骨に勝敗を分けることも、とっくに知っていた筈。
先見性という意味においても会津は既に劣っていたのだ。
悔しいけれど、会津の敗北は、もうその時点で見えていた。

それでも、負け組の会津にこんなにも心惹かれるのは何故だろう、何故かしら?
合理的に生きるのに対極と言ってよい、弓・槍・刀に籠もる武士道的メンタリティーを、愛してやまないからだ゙・・・理屈でなく、魂レベルで。

竹子が八重と出会ったときの台詞を思い出す。
女ながらに、飛び道具の鉄砲は文字通りただの小手先道具、比べて武士(もののふ)の魂が籠るも剣や槍が強くなくてなんの強さか、という竹子の武士道精神こそが「会津魂」であったように思う。
けれど、その会津武士魂の強さが逆に手かせ足かせとなって、魂など必要としない、性能の高さだけで敵を倒す近代兵器を見下していたのも盲点となったのは確か。

しかしながら、機械じかけの兵器頼りを潔しとせず、さいごまで武士が武士らしさを貫いた、愚直なまでの会津魂を、むしろ讃えずにいられない。
林権助の死が、こんなにも哀しいということは、この先、いくつ袖を濡らす日曜日が待ち受けているのかと、正直臆病になる・・・けれど、この”会津魂”を人々が忘れない限り、これからもさまざまなドラマ、小説、映画と、会津を舞台に感動をもって描かれていくのでしょうね。

そうだ、あらためて、風間杜夫さん、いぶし銀のようないい役者ですね。
壮絶な林権助の死・・・史実と少し隔たりがあり、思いもよらぬ展開だったので、いまだにショックです。
強く父のように包み込む温かさで誰より山本家を後押ししてくれた、林権助は、もういない。
味のある、風間・権助隊長の会津弁が聞けなくなるなると思うと、涙がこぼれます。
思えば、少女のころ「松本!お前は亀だ”だが日本一のスチュワーデスに、いや、世界一のCAになれ!」と励ます清廉なあの声に惹かれて、いつしか羽田整備場に試験を受けに行ったもの。
多少クサい芝居ではあったけど、キャビンでミールサービスするチーフのパーサーコートがとても似合って、ルートインフォメーションのPA(アナウンス)が、なかなか板についていた風間杜夫さん・・・むかしもいまも、いい役者は輝いてるんですね。

・・・とと、もとい、いつもヤルヤル詐欺だった最後の将軍さん、
戦いを延ばし、力を貯めようとした慶喜の作戦は半ば成功していたのですね。
見下げたものではありません。
でも、挑発した西郷の方が一枚上手。
開戦になれば、大義名分ができて、勅書をもらって 薩長は官軍となる。
いや、「官軍だから勝つ」の状況になりつつあるのか。

目的の為には手段を選ばぬ西郷の老獪さ、岩倉をも凌ぐダークさが光る、光る。
あとで、大きなことを成せば英雄なんですね。

勝てば華、負けて落ちれば泥・・・
勝てば官軍、負ければ賊軍・・・

人の世の常なのでしょうが、なんと理不尽なことだろう。

覚馬が注文した銃が来るまで開戦が遅れてくれてたら、
会津にも勝機があったかもしれない・・・・失恋したメソメソ女みたいに、歴史に「たら、れば」をあてはめずにいられない、哀しき20話でした。



キャスティング❤今日のフィーチャー

史実では、確か戊辰戦争で被弾し江戸行の船で亡くなる林権助どのですが、勇ましく殉死した、頼もしい覚馬の上司であることに変わりはありません。思えばお嫁さんまで選んできて仲人してくれたり、山本家とは家族同然の付き合いの林さま、あの板についた会津弁を聞けなくなる思うと妙に寂しいです。

<大砲奉行・林さま、お疲れ様でした!>

スチュワーデス物語でブレイクした風間杜夫教官、いまはこんな味あるヲヤジさまに・・・
風間杜夫1  スチュワーデス物語01
蒲田行進曲が大ヒットし、続けてスチュワーデス物語の堀ちえみの相方として、チーフパーサーを演じた風間杜夫さん、ハンサムな教官でしたね!八重の桜のオファーは、八重の脚本家、山本むつみさんの前作「ゲゲゲの女房」に風間さんが魅力的な役で出演したことがきっかけだとか。「今回も、面白くて魅力的な藩士役がありますから」と、持ちかけられたそうですが、まさしく林権助鉄砲隊長は、そんなキャラでしたね。熱くて、ちょっと強引で男臭くて、なによりsense of humorのある林さま、美雨も大好きでした。お役目、お疲れ様でした。(;_:)



  八重の桜かると  八重の桜 戊申戦争までの道程

武力倒幕派の機先を精して、德川慶喜が大政奉還をした同日、薩長両藩に倒幕の密勅が下されます。
御所警護中の会津・桑名藩兵を追い払い、岩倉具視の企てによる「王政復古の大号令」を発表、なんとか慶喜を新政権から排除しようとします。また、開戦の口実づくりのため、西郷隆盛は江戸をゲリラ戦で混乱させ、幕府側から武力行使をするよう仕向けたのです。
鳥羽・伏見の戦いから 函館五稜郭開城までの約一年半を、その年の干支にちなんで戊申戦争と呼びます。

鳥羽伏見の戦い図
鳥羽伏見の戦い 戊申戦争勃発 岩倉具視のたくらみで掲げられた官軍の象徴、錦旗1
             右は岩倉具視のたくらみで掲げられた官軍の象徴”錦旗"

鳥羽・伏見の戦いは、旧幕府軍の方が三倍近い兵力だったにも拘わらず敗戦。その一因は洋式軍備と新式銃を配した新政府の軍事力にありました。さらに慶喜を朝敵とみなすよう新政府軍が朝廷(官軍)の錦旗を掲げたことで、慶喜は意気消沈し、大阪から江戸に逃亡してしまいました。(この作戦は、会津戦争の折の対・容保の心理戦としても功を奏しました)そして謹慎した慶喜から後事を託された勝海舟と、新政府軍の西郷隆盛が会談し、ついに慶喜は江戸城を明け渡します。
江戸城の無血開城のあと、本来ならここで戦闘は幕をひく筈であったのに、あまりにも敵を多く作りすぎた会津藩は徹底的に叩かれるまで 戦いから逃れる術をもちませんでした。長州の私怨を受けることは会津も覚悟しており、恭順を示す一方で軍制改革を行うなど、着々と戦闘準備を進めていました。しかし藩としてあくまで朝廷に弓をひくのでなく天皇の名を騙る「君側の奸」というべき薩長への備えを意図していたのです。
そうして、越後六藩、さらに会津と庄内が加入して33藩から成る「奥羽越列藩同盟」が成立、新政府軍と対立することになります。その後2か月に及ぶ戦いが繰り広げられたが奥羽越列藩同盟の各藩は新政府軍に押され、実質的には仙台、米沢、庄内、会津を残すのみとなってしまうのです。

※それ以降、会津七口(母成峠含む)への防備のようすはこちらのレビューを参照
http://yonipo.blog13.fc2.com/blog-entry-985.html




美雨のぷち・八重の桜紀行その⑩ 
         ~こころに響く 会津女性たちの歌を訪ねて~


都にいる男たちの無事を祈りながら、幟(のぼり)を縫う八重たちに、歌を詠ませた照姫・・・たとえ緊急時にあっても、みやびな心とたおやかさを忘れない、会津女性たちの心意気に胸うたれた第20話。

会津の歴史散策には、こころに響く女性たちの歌が欠かせないと ひとは言います。
140年ほど前、こんな勇敢な女性もののふ達が日本にいたなんて・・・哀しいことだけれど、誇らしくもあり、彼女たちの歌と生きざまは、いまを本気で生きることの大切さを教えてくれます。
そんな会津女性達の辞世の句(短歌)を、いくつかここに紹介したいと思います。


  <会津藩家老、西郷頼母の妻、千重の場合>

家老西郷頼母さんのお屋敷を模したという 会津武家屋敷を訪ねました
会津武家屋敷 名家老西郷頼母さんのお屋敷を模したという(東山のふもとにあります)
東山温泉のふもとにあります   梅と桜が同時に咲く、美しい里でした

会津藩家老・西郷頼母の屋敷跡石碑。頼母は、藩主・容保が京都守護職就任を打診された時、家老の立場でありながら「会津が政争に巻き込まれる」と勇気を以て反対を唱えた人物。しかし、容保への忠誠は変わりなく、会津・戊辰戦争で籠城戦が決定したときは、従容として長男と共に城に入ります。
それを見送った頼母の夫人千重は、藩の足手まといにならないよう、一族女性、娘、老人合わせて21人とともに自害して果てました。

千重の辞世の句
なよ竹の 風にまかする 身ながらも たわまぬ節の ありとこそ聞け


西郷頼母の屋敷を再現した武家屋敷
西郷頼母の屋敷を再現した武家屋敷 隣室に自刃の間がありました(悲しくて載せられない・・・涙)
隣室に自刃の間がありました(悲しくて載せられない・・・涙)

西郷頼母の家屋敷址 じっさいの屋敷跡は、お城北の丸向かい、お堀のすぐ近くにありました
西郷頼母の家屋敷址



  <美人の薙刀師範・中野竹子の場合>

中野竹子 辞世の句
もののふの 猛きこころに比ぶれば 数に入らぬ 我が身なれども


美人戦士と謳われた中野竹子の像。彼女が戦死した戦いを「柳橋(涙橋)の戦い」と呼ぶ。
中野竹子像      黒木メイサさんの竹子さん
碑には、出陣の際ナギナタに結びつけていた辞世の句が記されています

家老に願い出て、戦列に加わった竹子たちは、娘子軍(じょうしぐん)と呼ばれました。奮戦の末、銃弾に倒れた竹子は 敵の手に渡る前に母と妹の優子に自分自身の首をはねろと言い、涙ながらに指示にしたがった母と妹・優子。享年23歳。墓は坂下町にあるが、市内にはその殉節碑と像がひっそりとたっている。

中野竹子について こちらに詳細を記載
http://yonipo.blog13.fc2.com/blog-entry-981.html



  <スペンサー銃を担いで最前線で戦った八重の場合>

兄と弟の敵を討つために、一人でも多くの敵を倒そうと、城から飛び出て行った八重。彼女が幾度も往復した北出丸や西出丸、歌を刻んだ地を訪ねてきました。

八重が敵の長官を次々と撃ちとり撃退させた北出丸
八重も見たであろう風景 敵将を次々と撃ちとり撃退させた北出丸

「荒城の月」のモデルともなった辞世の歌を、かんざしで城壁に刻んだ落城前夜

籠城戦争で鶴ヶ城に入城後、八重は断髪します。場内で砲撃の指揮を執っただけでなく自ら銃を担いで参戦し、ときには夜襲戦にも参加。その際2発の銃弾を受けたといいます。会津藩は絶体絶命の状態でしたが、絶対屈しない!という意思を示す”あかんべえ”姿の唐人凧を揚げて応戦しました。そして開城前夜、八重は決別の句を雑物庫の白壁に刻みます。

八重25歳の夏
「明日の夜は 何国(いずこ)の誰か 眺むらん 慣れし御城に 残す月影」



見張りをした月見櫓あと。辞世の歌を刻んだ雑物蔵は堀ふたつ挟んで東に(写真左方向)
八重が、辞世の歌を刻んだ城壁のあたり 

2013年再現された千飯櫓と廊下 天守閣から撮影
2013年再現された千飯櫓と廊下 天守閣から撮影 この西の先に八重の住む武家屋敷が
この画像の丁度左先(←)に八重の住む武家屋敷が

天守閣から見た会津磐梯山
天守閣から見た会津磐梯山。150年前、容保の目に写った磐梯山もこんなふうだったのですね
容保や八重の目に写った磐梯山もこんなふうだったのですね

八重の激戦の舞台 

八重がかけのぼった、北出丸の土豪への階段
八重がかけのぼった、北の丸の土豪の階段 あっかんべーな唐人凧を揚げて、屈しないぞ!の意思を
             城内部からあっかんべーな唐人凧を揚げて、最後まで屈しないぞ!の意思を


敵側から見た、鶴ヶ城の北出丸正面 
逆側(西軍側)から臨んだ鶴ヶ城 だが正面には銃を構えた八重たち精鋭部隊が待ち受けていた
八重たちが待ち伏せているとも知らず、城だ!となだれこんだ最初の敵軍にとってここ北出丸が正面だった

城の八重側からみた、北出丸大通り(桜に隠れて、真ん中に大通りが見えますか)
八重たちが待ち伏せているとも知らず、西軍がどっとなだれ込んだ北の丸大通り
銃を構えた八重たち精鋭部隊が待ち受けていた北出丸

この日、鶴ヶ城のボランティアガイドの方に、大変お世話になりました。 
ユニフォーム?な八重ジャケットが素敵でした。^^
鶴ヶ城ボランティアガイドの大場さん、お世話になりました 八重ジャケットが素敵!許可を得てパチリ


戊辰戦争以前そのままに、赤瓦に葺き替えられ、千飯櫓と長廊下も再現された鶴ヶ城。
桜が今を盛りと咲き誇り、往時の栄華をを偲ばせます。
つい140年前 この美しい城が激戦の舞台であったことがまるで嘘のよう。
美しければ美しいほどに切なさと哀しみがこみ上げてきます。

つわものどもが夢のあと
お堀の水だけがすべてを知っていて、ただ静かに桜の花びらをみなもに浮かべていました。



美雨


「八重の桜」各話あらすじ&感想
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ソメイヨシノ、八重桜、枝垂桜、溜息が出るほど綺麗でした
ソメイヨシノ、八重桜、枝垂桜、みんな綺麗でした 最後までありがとう
❤今日も最後まで読んでくれてありがとう❤


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歴史ドラマ 八重の桜 第19回「慶喜の誤算」


あの名作が帰ってきた!
10月8日~10月12日 朝8:00~午前9:00 深夜1:15~深夜2:15(月~金、毎日放送)
制作年 2013年
制作国・・・日本  ジャンル・・・歴史ドラマ
総話数・・・全50話
出演者・・・綾瀬はるか、西島秀俊、長谷川博己、オダギリジョー、綾野剛、玉山鉄二、市川実日子 ほか

慶喜の処遇をめぐり、岩倉が見せる松平春嶽や土佐の容堂公との緊迫したせめぎ合い・・・そして容保ら会津藩士を待ち受ける運命は…。

八重19話表
八重の桜OP、BGMにドゾhttp://www.youtube.com/watch?v=6tDZC6aTUxA

第19話あらすじ
1867(慶応3)年、秋。薩摩の西郷らは岩倉具視と手を組み、幕府打倒に動き出した。
これに対し慶喜は朝廷の元に德川氏を含む諸藩の合議による連合政権を作るという公議政体論に基づき、大政を奉還することで、倒幕派の攻撃をかわし、德川家の生き残りを図ろうとしていた。
かねてより土佐の山内容堂(公)は武力による倒幕をよしとせず、藩論として幕府に大政奉還を建白していた。その一方で土佐の動きを薩摩は知っていたが、幕府は大政奉還をしないと踏んでいたため、武力倒幕あるのみと、薩摩藩は1000の兵を入京させていた。この経緯の中で慶喜は奉還を決意したのだった。
 
だが、徳川は、そして会津はどうなるのか・・・不安と怒りで大荒れに荒れる会津藩士達に 容保は、諸侯会議で徳川を最後まで優位につけるようお守りし、万一のときは家老一人を国許に残し、全藩あげて上洛できるように備えよ、ときっぱり告げるのであった。
 大政奉還の知らせは会津の八重(綾瀬はるか)たちにも伝わり、尚之助(長谷川博己)は一度は却下された背炙り山の反射炉建造等の軍備増強策を実現するよう藩から指示される。八重たちは、都にいる会津藩の動向がわからず、不安を募らせていく。そんな中、八重は近隣の少年悌次郎や盛之助に厳しく鉄砲を教えるが、つい弟に対するように熱を込めるあまり、悌次郎の髪を切ってしまい母に叱られる。薙刀の道場で、初めて剛腕の竹子に勝った八重は、一度自邸の角場に鉄砲を撃つのを見に来て欲しいと告げる。

その頃都では、息を吹き返した討幕派の藩士や浪士たちが、会津藩や新選組に嫌がらせを繰り返していた。覚馬(西島秀俊)にも討幕派の浪士が襲いかかり、視力を失いかけている覚馬は斬殺されそうになる。しかし、その危機を小田時栄(谷村美月)が救う。時栄は、大垣屋(松方弘樹)が覚馬の視力を心配して送り込んだ下女だった。
 一方、慶喜に政権を返上され、倒幕の大義を失った薩摩は岩倉と次なる手を画策、朝議で王政復古断行を説く。新政府の会議を欠席した慶喜の処遇を巡り容堂公・春嶽 対 岩倉・薩長公家で激しい議論が火花を散らすが、後ろで控えた西郷の気迫がついに容堂を抑え込み、結局 慶喜の官位一等を下げ、領地の半分お召上げが決まる。この決定により、徳川の政治は 一日にして覆り、親幕の公卿、佐幕雄藩も発言権を失うことになった。3年前、会津が死守した蛤御門および御所の警備は完全に薩摩藩等倒幕派に入れ替わるのを目の当たりにした覚馬たち。 忸怩たる思いが、全身を焦がすようにかけめぐる・・・故郷から遠く離れた地で、幕府・朝廷に粉骨砕身つとめたその一切が無に帰したのだ。
朝廷の威をかり今や決河の勢いの薩長と、爆発寸前の幕府側は一触即発の事態を迎える・・・

・・・ということで、次回は第20話「開戦!鳥羽伏見」です。


第19話ぷち・ギャラリー

的撃ちは遊びでねぇ。鉄砲は命のやり取りをする道具だ。
八重1901
形だけまねても腹ができてねぇと使いこなせねぇ!(少年隊士に銃の心得を叩き込む八重

<慶喜の賭け 最後のヤルヤル詐欺>

大政奉還を奏上する慶喜
八重1902

はん、また慶喜に先こされたわ!土佐の建白から、たった十日で政権投げ出すとは(呆
八重1904
大久保「偽勅でかまいもはん。この勅をばいただき薩摩に戻り倒幕の出陣の手筈をとります。

よし・・!薩摩が兵出せば慶喜も身動きとれんやろ・・その間、根回し進めるか!
八重1905
王政復古や!日本を神武創業の始めに戻す。2500年遡ればたかが300年の德川など吹っ飛ぶわ

憤り、慌てふためく藩士たちに、容保はある決断を・・・

大政は奉還された。もはや是非をとりざたする時ではない。
八重1906
万一には家老一人を国元に残し全藩あげて上洛できるよう備えよ!
万一の戦に備え、反射炉を設計する尚之助
八重1907
八重さん・・実は今日、家老の萱野様から呼び出しがありました
八重「ええっ!?ご家老さまから?」
八重1909
背炙山の反射炉のこと、今一度詳しく聞かせよとの仰せでした

小田時栄(ときえ)登場

小田時栄どす。大垣屋さんの親方から申しつかって・・身の回りのお世話をせよと
八重1910
そった話、俺は聞いてねえぞ?ここは若い者もいる・・女子の手はいらん、帰りなさい
乗り込んできた不逞浪士「いつまで都にいるつもりだ?会津の学問所なんてもういらねえよ!
八重1911
にしゃら、何の用だ!」「やめなはれ!近づいたら撃ちますっ!!」
覚馬「右の男を撃て。もう一人は俺が斬る」
八重1912
時栄「一発もはずしませんっ」 
ハハハ・・じつは弾は一発も入ってなかったんだ いい度胸だな
ハハハ・・弾は一発も入ってなかったんだ いい度胸だな 明日からこれんのか?
明日から来れんのか?


一方、会津の黒河内道場では・・・

黒河内先生「勝負ありっ!」
八重1914
「八重の勝ちっ!」 竹子に初めて勝てた八重
八重様、今日はお見事でした。 「竹子さま、一度うちの角場にこらんしょ。」
八重様、今日はお見事でした。 竹子さま、一度うちの角場にこらんしょ。鉄砲にも会津の魂がこもることをご覧にいれやす。 えっ??
鉄砲にも会津の魂がこもることをご覧いただきてぇのです。「えっ??」



ヤルヤル詐欺? ヤラナイ詐欺?

ワシは朝議を欠席する。守護職に急ぎ使いを送れ「病になれ、参内するな」と伝えろ
八重1915
急に病気になれと言われても・・・汗 (でも、しっかり病気になる容保なのでした。涙

次の日
ウジウジ・・・朝議は欠席すべきではなかったか・・ナ
八重1917
欠席裁判のように、摂政、関白、幕府(征夷大将軍)、守護職、所司代が廃止され

以後、政は総裁、議定、参与の三職で行われることになってしまった・・・

上さま!?
八重1918
朝議を欠席してしまったのは失策であった・・・
いや、だがまだ手はある・・・これからどう巻き返すかだ!キリッ 
八重1919
まだまだヤルヤル、ヤレルつもりの慶喜であったが・・・


八重の桜、こんなところが好き!感想&雑記

今日は、19回のテーマである最後の将軍・慶喜をメインに書いてみたい。
「ここが勝負どころよ!」と大見得切った大政奉還は果たして慶喜の誤算であったのか。


慶喜ほど、評価の分かれる人物はそういない。

司馬遼太郎氏でさえ『最後の将軍』で、人物像を総合分析していくと「生まれながらの貴公子、百才(才能)あっても野心無し、頭脳明晰で一度論じれば雄弁であり、神経が図太く、あきらめも早い」と極めて撞着的な所見を下しているほどである。

昔、父に連れて行ってもらった江戸城で、石垣や規模を見て、「最後の公方様はなぜ戦わなかったのだろう?長期籠城ができただろうに・・・」と子供心に思った。
むしろ幕府を維持できるポーテンシャルは全て揃っていたのに、なぜ、あえて鎧を解いてしまったのか。

德川慶喜。佐幕派の忠臣、家臣をも そシレッと嵌めるヤルヤル詐欺の二心殿。
友人や家臣としては一も二もなくお断りだが、後世の評価は絶対的に高い。こうした人物は歴史上少なくはないかもしれない。
誰しも、理屈のなかでは、「彼がいたからこそ内戦の犠牲を抑えられた、外国からの植民地からも免れた」・・・司馬遼太郎のみをバイブルとする崇拝者でなくても、近代日本にとっての大きな功績者であることは間違いなさそうである。
時代の趨勢と、盟朋には嫌われたが、近代国家―未来から愛された人物とも言えなくもない。

しかしながら、理想やこころざしでそうしたというよりは、
私は慶喜の出生がすでに彼の運命を決めていたような気がしてならない。
徳川御三家の水戸14代当主を父に持ち、宮家―有栖川宮家出身の母を持った、2つの王家の両方の血をひく存在。加えて水戸は勤王。養子に出された一橋の女当主とも言える系譜上の祖母も宮家出身であった。
これほどまでに「将軍家」と「天皇家」の両方の立場に近しい存在だった人物はこの時代他にいない。
そして本人の資質は"家康再来"と謳われたほどのもの。
そんな慶喜公だからこそ、江戸幕府を終わらす運命にあったのかも・・・思えば色々と感慨深いものがある。

個人的に、一寸見直したのは、彼が維新後に何も語らなかったこと。
言い訳など一切しなかったこと。これは尊敬の一言につきる。

そんな慶喜を、小泉孝太郎氏はインタビューで「自分でも驚くほどピッタリ」と語っているのが面白い。印象的だった部分を抜粋してみた。「八重の桜」HP 小泉孝太郎インタビュー

「慶喜を演じて、小泉家に生まれてよかったと素直に思いました。首相の息子だったことでトップの人間の考え方とか時間の使い方もなんとなくわかるーー”貴人に情なし”という言葉がありますよね。まさしく慶喜はそういう部分があった人だと思います。容保との掛け合いなどにしても、ドライで、薄情なところがありますからね。徳川幕府に対しても、非常にクール。もう十分自分は守ってきたと思っているから、徳川が自分で終わってしまっても、センチメンタルな気持ちはさほどないのでしょうね。そのあたりは本当に変人で、政治家っぽくない。僕の父親が変人って言われていましたけど、慶喜は父以上に変人だと思いますよ(笑)。上司にするなら、慶喜と容保、どちらか選べるんだったら、やっぱり容保のほうがいいですよ。」


さて、慶喜公は坂本竜馬の存在を維新後数年の後、新聞か何かで知ったそうだ。
薩長同盟、大政奉還建白書の裏に暗躍し、新政体、新政策構想の草案をしたためた坂本や岩倉の存在を知ったとき、慶喜公はいったい何を感じただろうか?

大政奉還成りの報を受けた坂本は涙を流して慶喜公の英断を称え、そんな坂本の存在を知った慶喜公は彼に対してどんな想いを馳せたのか?

二人は生涯、相見える事は無かったものの、時を隔て、慶喜公は坂本に対するある種の友情のような念を感じていたのではないだろうか?
ふと、そんな物思いがよぎるこの頃である。

余談であるが、日野の高幡不動尊で徳川慶喜の書を見た。
土方歳三や山岡鉄舟など素晴らしいなと眺めていて、最後にあったのが慶喜公。
気品高く澄んだ手蹟であった。





キャスティング今日のフィーチャー
見るほどに、キャスティングいいですね♪八重の桜。今回初登場、小田時栄。
未来の山本家のキーパーソンになる女性です。覚馬の弟子が”赤い鹿の子の似合う人”と呼んでいた通り、はっきりした顔立ちに日本髪の似合う、アクティブな女性。演じ手は谷村美月さん。小さい頃から写真モデルとして活動していただけあって、美月さん、どのアングルもどのつどピシッと決めますね。覚馬との絡みがこの先、楽しみです。

<ネタバレ紹介>

勇気と行動力があって、どこか八重とも似通う押しかけ女房型?の時栄さん、
八重HPからのネタバレ紹介です。

時栄さん
御所に出仕した丹波郷士・小田勝太郎の妹。激動の京都で、親子ほど年の離れた目の不自由な覚馬を献身的に支える。会津戦争後、八重たちが京都に来た1871(明治4)年、覚馬との間に娘・久栄が誕生。久栄は徳冨蘆花の自伝小説『黒い眼と茶色の目』のヒロインのモデルとなった。会津に残ったうらと離縁した覚馬と入籍、八重や佐久、先妻・うらの娘・みねとともに山本家の一員として生活しながら、目と足の不自由となった覚馬を支え続ける。後に、不祥事を起こした時栄を覚馬は許そうとしたが「ならぬものは、ならぬ」の八重は・・・




美雨のぷち・八重の桜紀行その⑨
      会津藩士の学び舎、日新館をたずねて



日新館入口 大きい!


旧・会津藩の名校、日新館
江戸時代、全国三百藩校の中でも規模、内容と共に随一と謳われたのが、会津の藩校「日新館」。
五代藩主松平容頌(かたのぶ)時代の名家老、田中玄宰が「教育は百年の計にして、会津藩の興隆は人材の育成にあり」との進言により計画され、五年の歳月をかけ1803(享和3)年に鶴ヶ城の西に完成。面積8千坪、建物は1500坪もの広さを誇る。1000人にのぼる藩士の子弟が学んだ。
日新館は元来 鶴ヶ城の西にあったのだが、現在は有志によって復元され、当時の姿を今に伝えている。給食や日本初のプール、天文台も備えた国内有数の藩校であった。山本覚馬もここで教鞭をとり、砲術や蘭学を教えている。白虎隊の少年たちもここで学び、「ならぬものはならぬ」の精神を学び、未来に夢を馳せていた日進館。儒教の影響を色濃く受けた会津武士道の原点にもなった学び舎である。

載せた画像はごく一部であるが、特に心に残ったものを紹介。


日新館、正面 

日進館 この日は雨で寒かったです
思ったよりずっと大きい!この日は雨で寒かった・・・桜も寒そうでした(笑)

儒教の祖、孔子が祀られた大成殿
儒教の祖、孔子が祀られた大成殿
TVでもおなじみ、容保就任の日に案内されていた要所ですネ

素読所 10歳になると入学してすぐ素読所で学ばされた児童
10歳になると入学してすぐす素読所で学ばされた児童
マネキンがやたらとリアルで怖かったっす(^^;)

水練場(プール)
なんと鎧兜を身につけたまま泳ぐ練習をしていたという(クラクラ
プール!

<弓道場>

なんと、西島のあんつぁまに遭遇! 「尚さんもやんべ」「ハイッ。承知しました」  ナンチテ
八重300 弓道
八重「だけんじょ、あんつぁま・・・おヘソがセクスィーすぎんべ」 命中っ!

教材 
本物の教科書。こういうの、涙出ますね
本物の教科書。こういうの、涙出ますね
ズーム! 中庸、大学、詩経、論語・・・やはり儒教が中心だったのですね
ズーム!中庸、大学、詩経、論語・・・やはり孔子が中心だったのですね。
西洋の技術を学んで、東洋の哲学で治める・・・の台詞を思い出します

こんな変わりダネの展示品も

戊辰戦争で大砲をボコボコに打ち込まれた落城寸前の鶴ヶ城。
こんな変わりダネの展示品も。戊辰戦争で大砲をボコボコに打ち込まれた落城寸前の鶴ヶ城。白虎隊で使われた模型
ドラマ「白虎隊」で使われた模型だそう。実にリアルで精巧
でも↑これ、大袈裟でも冗談でもありません。落城時、本物の写真を見らんしょ(涙)
冗談ではないんですよ。落城時、本物の写真。生々しい砲弾の傷跡が…(涙)城、ゆがんでますね(汗)
生々しい砲弾の傷跡が…城、ゆがんでますね(汗
実際はこんなに美しい城でした(当時そのままに赤瓦に葺き替えられ再現)
    実際はこんなに綺麗でした(当時そのままに赤瓦に葺き替えられ再現)
  晴れの日に撮った鶴ヶ城

籠城戦に入って一か月、ボロボロになっても、我々は決して屈しないぞとの意志をこめて
城から「あっかんべえ」の唐人凧を揚げつづけた会津の闘魂に、涙がこぼれますね・・・


日新館、じっさいの跡地

日新館は、本来は鶴ヶ城の西にありました(八重の家とも近くてビックリ)
日新館あと地 いま、「日新館スイミングプール」という水練場建ってます。笑
日新館あと地 いま、「日新館スイミングプール」という水練場建ってます。(笑)
八重さんのおうちは日進館から約5分のところに在りました
八重生誕生の地に碑が現在は民家が連なる
八重生誕生の地に碑が  現在は民家が連なる


旅のつれづれに

八重の人間形成期に最も大きな影響をもたらしたのは、実兄の覚馬であったと言われているが、なるほど覚馬は文武ともに秀でていただけでなく、時代を先取りしようとする進取の気性に溢れていたようだ。

江戸遊学を経て更に眼を広く世界に向け、会津戦争後視力を失っても心の眼と教養で、「管見」を通して新しき日本の青写真を描けたのは、玄宰の教えの真髄そのものではないだろうか。

教育というものが、かくも強い力となって困難をも突き抜け、時代を切り開き、どんな強い武器にも勝るという真理を具現してみせた覚馬の生きざまを見るにつけ、中興の名家老・田中玄宰の「教育は百年の計にして、会津藩の興隆は人材の育成にあり」を日新館の姿と共に思い出さずにおかない。

八重もまた、天才的な砲術師範でありながら、潔く鉄砲に別れを告げ、「知識」という新たな生きがいを得る。江戸、明治、大正、昭和と、激動の時代をエネルギッシュに生きた八重・・・彼女をつき動かす原点になっていたのは まさに会津で培われた日進館の精神だったと思えてならない。

「日新館を識らずして会津のもののふを語るなかれ」そんな声が館から聴こえた春の一日だった。



美雨


「八重の桜」各話あらすじ&感想
http://yonipo.blog13.fc2.com/blog-category-81.html


町中、いたる所に八重たんが出没・・・まさか道路工事現場にも表れるとわ!
町中、いたる所に八重たんが出没!まさか道路工事現場にも表れるとわ!  米俵かつぐ八重たん、まっ、参りますた!
まっ、参りますた!(街で一番よく働く八重たんに一番感動!涙)



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MIUMIU 美雨

Author:MIUMIU 美雨
旅、歴史、長編ドラマ(短編も)のレビューやエッセイを書いています。
文化系の記事が多いですが、歴史ドラマ(大河ドラマ:八重の桜)や、韓ドラレビューも書きます。中でもソン・イルグクさんの作品が大好きです。
更新はマイペースで続けていきますのでどうぞよろしくお願い致します。

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