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ちょっとだけスピリチュアルな世界の旅日記や 文化、歴史のぷち・エッセイを書いています。他にも海外、国内のお気に入りのドラマのあらすじ&感想を勝手気ままに綴っています。

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大河ドラマ 八重の桜 第47回「残された時間」 ~大学なんかいらねえ!襄が命を削るぐらいなら~

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歴史ドラマ 八重の桜 第47回「残された時間」

あの名作が帰ってきた!
平日 朝8:00~午前9:00 深夜1:15~深夜2:15(月~金、毎日放送)
制作年 2013年
制作国・・・日本  ジャンル・・・歴史ドラマ
総話数・・・全50話

八重の桜47回の視聴率は13.7%。耐えられない・・・!ここまで来て、大学ができるのを見届けられないなんて!初めて弱音を吐いた襄。大学なんかいらねえ!この世のどんなごども、ジョーの命と引き換えにはできねえ!と八重。初めて本音と本音をぶつけ合い、残されたかけがえのない時間に、ふたりが考え、決めたこと、それは・・・

チャンネル銀河・八重の桜HP https://www.ch-ginga.jp/feature/yaenosakura/
47話表紙
八重の桜OP、BGMにドゾhttp://www.youtube.com/watch?v=6tDZC6aTUxA

八重の桜 第47回 あらすじ
明治21(1888)年 1月、憲法発布を翌年に控え、伊藤博文を中心とした草案作りが大詰めを迎えていた。また、伊藤は、外務大臣として大隈重信を入閣させ、不平等条約改正の動きを本格化させる。
山本家では、覚馬が、みねの遺児・平馬を養子に迎えた。佐久は子育てに張りきり、久栄は立ち直り、平穏な暮らしを取り戻しつつある。 一方、襄は正月に心臓の発作を起こし、まだ安静が必要な体で仕事を続けている。いよいよ憲法が発布され、立憲国家が道を誤らないためには、それを支える人材を育てる大学を作らねば、と襄は考えていたのだ。

数日後、徳富蘇峰が『国民の友』の最新刊を手に、熊本バンドの同期生市原と連れだって襄を訪ねてきた。蘇峰はおもむろに自分が刊行した雑誌を開き、「新日本の二先生、福沢諭吉君と新島襄君」という見出しを見せる。それによると、物質的知識の教育は東の慶応・福沢に、精神的道徳の教育は西の同志社、新島に代表される、と書かれ、名声が高まれば大学設立に力を貸すものが増えると話す。雑誌社が成功し快進撃の蘇峰は、いまや外務大臣の大隈の知己をも得、記事に共感した大隈のサポートのもとで募金集会を行っては、と提案する。そして、襄の回復を待ってその年の夏、ふたりは上京する。 東京大学を視察し、八重は理学部教授となった山川健次郎との再会を喜ぶ。襄が、私立大学を創る目的のひとつは理学の専門学科を創設したいからだと力添えを頼むと、健次郎は快諾する。

大隈邸で開かれた募金集会には、井上馨、渋沢栄一、大蔵喜八郎といった財界のそうそうたる顔ぶれがそろい、八重や徳富蘇峰(猪一郎)がそのゆくえを固唾を飲んで見守るなか、襄は「大学設立の目的は一国の精神となり、柱となる人々を、育成することにある」と熱弁をふるう。大隈が率先し寄付を申し出ると、賛同者が次々に手をあげ、今でいう一億円以上の高額な寄付が集まった。集会は大成功であった。
しかしながら、宴の席で病み上がりの襄の体は限界で、襄は控室に運ばれ、倒れ込む。
翌日、勝海舟を訪ねた二人は、『同志社設立の旨意』を見せる。すると勝は政府のためでなく、人民の為に創る大学ならば、ひも付きの寄付でなく、その志を全国に訴え、広く公募を呼びかけたらどうかと言う。例えば、数万人の読者を持つ、蘇峰主催の国民の友に『同志社設立の旨意』を載せれば、数万人を相手に集会を開くのと同等の効果が得られる筈だと勝は熱心に勧めるのだった。勝はまた、顔色の悪い襄のために、鎌倉の静養所を紹介してくれた。
その夏、襄と八重は、ふたりだけでゆっくりと夏休みを過ごす。機嫌をよくして京に帰った二人だが、八重は主治医から襄の命が長くないことを告げられる。襄に残された時間はあとわずか――。医者にそう告げられた八重は、ただ言葉を失うばかり。そのことを悟られまいと、襄の前ではいつもどおりに明るく気丈に振る舞う。しかし、夫の襄はすべてお見通しであった。

ついに、襄の原稿に蘇峰が手を加えて完成した『同志社設立の旨意』は、『国民の友』はじめ全国の主要新聞に掲載され、大反響を呼ぶことに。 しかし、襄はますます仕事に駆り立てられ、ある夜、祈りをささげようとしてベッドから転げ落ちてしまう。襄は絶望に顔を曇らせ、「ここまで来て、大学が出来るのを見届けられないなんて・・・主はなぜもう少し時を与えて下さらないのだ!?」と初めて弱音を吐く。それでもまだ、支援を願う手紙を書こうとする襄を、八重は涙ながらにベッドに押し戻す。「この世のどんなことも、襄の命と引き換えにはできねえのだし!」「それでも、私がいなくなっても、あとに続く人たちが自由の砦を作り上げてくれる・・・そのためには、まず誰かが種をまかなければならない・・・」襄の命がけの説得に、八重は忘れていた大切なことを思いだす。西郷も会津の人達も、種をまこうとして戦った・・・これは襄の戦だった。「なら、負けるわけにはいがねえな・・・けど、勝つためには、まず体を強くしなければなりません!」笑い合う二人であった。

明治22(1889 )年2月,ついに大日本憲法が発布される。この年の10月、襄は病に伏した母・登美の看病を八重に頼み、関東で募金を集める為に旅立った。

・・・ということで、次回は第48話「グッバイ、また会わん」です。



八重の桜 第47回ぷち・ギャラリー

<仇敵・大隈重信先生に頭を下げる伊藤博文>
あんたに外務大臣をお願いしたい。
八重4701
今大日本には2つ問題があります。帝国憲法の作成と不平等条約の改正です。
あんたとは政策が違いますけん!(大隈センセ、若っ@@
八重4702
伊藤「条約改正の緊急性の比べればとるに足らんことでしょう!?」大隈重信先生「・・・。」

<『国民の友』の最新刊を手にやってきた徳富蘇峰>

この記事が評判を呼んどっとです
八重4703
東に慶応義塾の福沢あり、西に同志社の新島あり、と。

<大隈邸で開かれた募金集会>
財界の大物が居並ぶなか、襄、大緊張のスピーチ
47話A
大学設立の目的は一国の精神となり、柱となる人々を、育成することにあります!
新島先生のお話、大いに共感ばいたしました。1000円寄付させてもらいたか。
八重4704
「ワシは6000円寄付を」 「わしも・・・」 大隈重信先生の肝煎りで次々と募金が集まり、集会は大成功

<勝の提案>

せっかくの大学を、ヒモつきにするつもりかい?『国民の友』には数万の読者がいるのに
八重4705
これを載せて読んでもらえば数万人相手に集会を開くようなもんじゃないか

<静養のため訪れた鎌倉で、ふたりだけのフルムーン>
バーン!!  よしっ・・命中ッ!
八重4706
昔とったきねづか
景品いっぱいで八重ルンルン♪ 襄「次は、負けませんよ」 
八重4720
わだすに勝とうなんて10年早い・・!ふふっ

<訪ねてきた あの人>
やいやいやい!! な~んでわしを訪ねてこんかったんじゃい!!
八重4707
ワシはいわば同志社の生みの親じゃろ?真っ先にワシを頼ってくるんが筋じゃろが!?(よく言うw
ぼんっ 寄附金じゃいっ!生みの親じゃけーの! (ちゃんと包んできた槇村)
八重4721
ワシも、まだまだ日本のために働くつもりじゃい
ワシ 去年男爵に叙せられてな・・・帝国議会が発足すりゃー貴族院ができる
八重4723
今度は国会で、この剛腕を振るうちゃる~!!
くすっ 変わらねえなぁ、槇村さまは・・・
八重4719

<衝撃の告知>
今・・なんと? 襄が死ぬ?  明石医師「新島先生には知らせん方がいいでしょう」
八重4708
どないな精神修行を積んだ人かて、自分の死と向き合うのは難しいもんやから。

<隠し事は困ります>
怖いのは死ぬことではない・・・覚悟を決めず仕度もできぬままに突然命を奪われることです。
八重4709
命は主の御手に委ねてあります。恐れることはない。
八重4710
けれど、どうして主は、もう少し時を与えて下さらないのだ・・・
死が、私に追いついてしまう・・・!
八重4713
もういい、やめてくなんしょ、大学なんかいらねぇ、
襄の命が削られるくらいなら大学なんてできなくていい!わだすは襄を失いたくねえ!
八重4714
大学は、他の人でも作れる・・・ジョーでなくとも
襄「後に続く人たちが自由の砦を築いてくれるでしょう。その為には、誰かが種をまかなければ!」
八重4715
そうでした・・・これは襄の戦だった・・・戦なら怖気づいて逃げるわけにはいかないな
襄「最後の1日まで一緒に戦ってください」
八重4716
八重「はい・・・でも、勝つためにはまず、体を強くしなければなりません!」

<その年の秋、ふたたび関東に募金を集めに旅立つ襄>
どうしても、一緒に行ってはなりませんか?
八重4717
当方無事、と書いて葉書を送りますよ・・・行ってきます!




八重の桜 第47回、こんなところが好き!感想

何一つ、たやすく出来たことはない・・・邪魔され、罵られ・・・。
耐えられない・・・ここまで来て・・・・死が、私に追いついてしまう・・・!

初めて弱音を吐いた襄。

襄の心臓はいつ破れてもおかしくない。
医師の言うとおり、八重は、黙っているつもりでいた。
しかし襄は、「死が怖いのではない、覚悟をせずに死を迎えることだ」と言った。
そして、真実を告げられた。

言った八重も辛かったでしょう。
その八重を気遣う襄。
なんて美しい夫婦のかたち・・・胸がじいんとしっぱなし。

こんな天使のようなふたりにはなれないけれど、実は我が家でも約束していることと重なって、ちょっと嬉しかったシーン。

それは、どちらかが不治の病にかかったら、必ず開示し合うこと。
どのくらい進行してしまったか、あとどのくらい生きられるか。
何もわからないで死ぬより、いま、やれること、やっておくべきことを決められる幸せ。

一昔前は違った。昭和の時代は、隠し通すこと、最後まで死を知らせないで希望だけをつげるのが義務だったのに、時代によって、”死の尊厳”は形を変えるのでしょうか。
明治の時代の人なのに、襄の選択は、より現代の私達に近い気がする。
違うと言えば、生きた時間の凝縮率だけ。

残された時間の中で、無念を感じながらも「誰かが種をまかなければ」と、限りある命を、ひた走ったのでしょうね。
今私達が、自由に選択できる大学制度や安心して学べる学校の設立に命を削りながら奔走した先人たちを思うと「学生時代、もっと学んどくのだった」と後悔先に立たずながら、恥じ入る思いです。

さて こちら凡人と違い、倜儻不羈(てきとうふき)そのものの二人の若者、今回も大活躍でしたね。
振り返れば、東京帝大の研究室の原点は、会津の山本家の角場だったとは・・・同志社はこの時点でまだ、文系だったのですね。
蘇峰はジャーナリストて取材、編集に大活躍、このくまもんバンドの出世頭・民友社社長が繋ぎをつけてくれた大隈邸はそうそうたる顔ぶれでした。
ちらと覗いただけでも、渋沢氏と原六郎は銀行家、井上馨は三井物産、岩崎弥ノ助は三菱、大倉喜八郎 帝国ホテル・・・と、今も大企業として君臨する、その設立者、創設者の面々・・・

それを主催する大隈重信の大きさとオーラときたら・・・福沢諭吉の名前も言の葉にちらほら挙がりますが、早稲田と慶応の確執はこの時期からあったのですね(笑)。
けれど、どちらかと言えば、大隈氏は外務大臣としてではなく教育者としての立場が重要な感が否めません。不平等条約含め外交で凄いのはやはり陸奥宗光ではないでしょうか。
いずれにせよ、これら大者たちが財布のひもを緩めてくれて、万々歳でした。

みずからとんできたお金もありました。呼ばれてもないのに・・・そうです、あの方。
同志社や山本家と軋轢や確執、蜜月といろんな事がありましたが、鎌倉まで寄付金を包んで持参した槇村さん、表現は不器用でも、心ある人だったのだと感じました。
ベートーベンみたいな恐ろしげな髪が、いつの間にか寿老人のようにツルツルになってしまった槇村さん・・・思えば、なんだかんだいって、山本家にとって彼は福の神みたいな存在でしたよね。(笑)

終盤近くこんな嬉しいサプライズをくれた脚本には、舌をまきます。二人だけで過ごす、フルムーンな鎌倉バカンスも、人生は美しい、と思えるひとこま・・・
ふたたび手にした銃。射的の鉄砲とはいえ、笑って「命中!」と言う八重に、戦後20余年 呪縛のトラウマは溶けたのだ、襄が掃ってくれたのだ・・・と、こちらも胸をほっとなでおろせたシーンでした。鉄砲は八重に任せたほうが良さそうですが・・・昔とった杵柄?でも、景品が赤ベコ以外、古臭いですね。(笑)いっそ、くまもん人形とか ふなっしー、玄武岩の玄さんがマトだったら、ウケるのにな~、なんて・・NHKじゃムリですね。

冗談はさておき、あの超人みたいな勝海舟をして、恐ろしいと言わしめた二人とは西郷と横井小楠、というのも興味深いところ。これは勝海舟の談話「氷川清話」の中にも出てくる話ですが、ここまで人の本質を見抜く勝海舟という人間のほうが、よほど恐ろしい気がします。

思えば、西郷も、誰かのために種を蒔こうとして戦った。
そしていま、「誰かが種をまかなければ。私がやらなければならないのです。」
と襄が言う。

「これが襄の戦だった。戦なら、怖気づいて逃げるわけにはいかないな。」
と八重。

関東に募金を集めに出かける襄を見送る後ろ姿も、哀しみをそそります。
もしかすると、これが夫の最後の姿かも。
八重は、そう直感していたでしょう。

運命の日は、確実に近づいてきています。




  八重の桜 第47回 かると
            襄が頼みにした徳富蘇峰と『同志社設立の旨意』


ついに書きましたね!襄と蘇峰の最期のコラボレーション「同志社設立の旨意」。
学生の頃は、同志社の焼夷弾のような危なげな存在だった蘇峰(猪一郎)ですが、そんな問題児の蘇峰が、いまや襄と同志社の救いの手となって大活躍をしているのですから、良くも悪くもそうしたハンパないエネルギッシュな人物のほうが、世に出て大きな仕事をするものなのでしょうか。それを見抜いて、最後まで見捨てなかった恩師新島襄の目もまた炯眼といわざるを得ません。

<同志社大学設立の旨意>
1888(明治21)年、新島襄が20を超える新聞、雑誌に公表して
大学設立への協力を世間に呼びかけた、歴史的文書。
当時、大学は官立の東京大学のみでしたが、新島は私立大学を民間人の手によって設立することを考えました。
つまり、自発的結社という新しい組織原理によって大学を創ろうとしたのです。


13112401.jpg八重4718



新島襄の伝説のひとつに、彼は蘇峰のような人物を「倜儻不羈(てきとうふき)」な学生とし、非常に丁寧に扱ったという逸話があります。日本初の私立総合大学創立の夢を抱く襄の傍らにいたのは、日本初のジャーナリスト、蘇峰でした。同志社英学校に転入してきた生意気盛りの徳富青年は、襄に一目で惚れこみます。ジャーナリストとなった蘇峰は襄の右腕となり、『同志社大学設立の旨意』を執筆、全国の新聞に発表、ドラマの台詞通り、神よりも新島襄を崇拝していた蘇峰は生涯襄を尊敬し続け、同志社大学設立運動に尽力しました。

「倜儻不羈(てきとうふき)」これ、英語より難しい言葉ですね。襄さんらしい表現です。
倜儻不羈(てきとうふき)・・・才気がすぐれ、独立心が旺盛で、常軌では律しがたいことを意味する。
襄は特にこうした学生を大切にしたといいます。以来同志社では、新島校長のこの考えを引き継ぎ、学生の可能性を信じて個性を大切にし、自発的に行動し力を発揮できるような教育方針を基本としているとか。

しかし、いま「倜儻不羈(てきとうふき)」といえるような学生はなかなかいないのでは。
いたとしても、単なる”協調性ない変わり者”としてアウトサイダーな扱いを受けるだけのような・・・そのような学生でも伸ばして一廉の人間まで教育する・・・そのような教師もまた、なかなか見当たらない時代ではないでしょうか。
八重と同じく、蘇峰と襄もまた、神の名の下に結びつけられた、運命の師弟と言えるでしょうね。


      徳富役      徳富蘇峰
       蘇峰役・中村蒼            明治19(1886)年の徳富蘇峰


襄のいまわのきわに、遺言をうつし取ったのも蘇峰ですが、臨終の際、蘇峰は八重に過去の非礼を詫びてます。実際、襄の死後40年近く、八重との交流を続けます。蘇峰はまた、老後の八重の生活費まで面倒をみたと言われています。そして、八重が永眠した昭和7年、同志社墓地の襄の隣に葬むられた彼女の墓に墓碑銘を書いたのも、蘇峰でした。

この蘇峰を演じている中村蒼さんのとれとれのインタビューが、つい先ほど、NHKホームページに11/24日付けでアップされていますね!未来のことを考えて生きる蘇峰をカッコイイと思い、改めて「この人たちがいたから、今があるんだ」と感謝したという蒼さんも、とてもチャーミングですね!
中村蒼なりの徳富蘇峰 参照http://www9.nhk.or.jp/yaenosakura/special/interview26/




     美雨のぷち・八重の桜紀行その⑮
             同志社キャンパスを訪ねて


京都に行く用事があり、帰りがけに同志社キャンパスを訪問することができました。滑り込みセーフの短い時間でしたが、紅葉とライトアップが奇麗でした。生協委員会の学生さん達、学校の案内や詳細をありがとうございました。澄んだ目をした、ハートの暖かい同志社の学生さん達・・・飾らず真摯な受け答えに、この学校ならではのカラーを感じます。新島襄精神がいまも息づいているのですね。大変お世話になりました。次回は、京田辺キャンパスにも行ってみたいです。


同志社正門


美を競う国指定重要文化財の華やかな洋館いならぶ基督系名門・同志社のキャンパスですが、その基盤を作るに至るまではドラマ以上の苦労があったようです。今日47回では、大学にもうちょっとで手が届きそうなのに、自分はそれを見ることが出来ないと焦る襄の口から”彰栄館が出来た”とのタイムリーな言葉も聞こえました。実は今、彰栄館工事中でしたが、正門正面の顔であり、エレガントでアカデミックなレンガ校舎です。京都市内に現存する最古のレンガ造り建築物、というのも驚きです。聖書と帽子を小脇に挟んで、今にも襄がニッコリ現れそうな身近さ・・・いえ、きっと今もなお、襄の魂は同志社のキャンパスを彷徨っている気がします。


工事中でも美しい彰栄館
工


1890年当時(襄の昇天した翌年)の同志社キャンパス
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               進化してゆくキャンパス

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大学内に美を競う国指定重要文化財

今出川通りを挟んで京都御所の北に位置するのが、同志社大学と同志社女子大学の今出川キャンパスです。
明治9(1876)年、山本覚馬の協力を得てこの地に同志社英学校が移されました。覚馬が進めた京都の近代化政策と歩調を合わせるよに、煉瓦づくりを中心とする近代建築による校舎や施設が次々と建てられていっ たのです。現在も校内には国指定重要文化財のクラーク記念館や礼拝堂など、歴史的建造物が美を競うように建っています。
また近くには新島襄と八重が暮らした私邸も現存し、応接間や茶室などが公開されています。



(左)同志社礼拝堂               (右)彰栄館
13090503a.jpg
襄が「同志社の精神です」と呼んだ美しい礼拝堂


(左)ハリス理化学館              (右)有終館
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つい数年前まで舎密術(せいみじゅつ=理化学)と呼ばれてた学科名も進化しましたね(笑)


天使が飛び交っていそうなロマンティックなクラーク館
天使が飛び交っていそうなロマンティックなクラーク館 イルミネーションが綺麗
イルミネーションが綺麗でした



日本の近代化をキリスト教の精神をもって推し進めた新島襄と山本覚馬。
ひとくちに同志社の創立ということが、容易ならぬ大事業であったこと、襄や覚馬、八重の苦労が並大抵でなかったことが、ドラマや書簡から痛いほどに伝わってきます。
そして今、130年の時を刻む同志社大学内の5つの校舎、京都市内に現存する最古のレンガ造りの建物として、いまも威風を湛え当時のそのままの姿を偲ばせています。重要文化財に指定された、これらのキャンパス建築群には、彼らの熱い思いが刻み込まれているんですね。


「八重の桜」各話あらすじ&感想
http://yonipo.blog13.fc2.com/blog-category-81.html


守衛をすぎると、やっぱり・・・会えました八重さん♪
守衛さんをすぎると、やっぱり・・・いました八重さん♪
♥今日も最後まで読んでくれてありがとなし♥


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大河ドラマ 八重の桜 第46回「駆け落ち」  ~はじけ飛ぶ明治の青春~

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歴史ドラマ 八重の桜 第46回「駆け落ち」

あの名作が帰ってきた!
平日 朝8:00~午前9:00 深夜1:15~深夜2:15(月~金、毎日放送)
制作年 2013年
制作国・・・日本  ジャンル・・・歴史ドラマ
総話数・・・全50話

「八重の桜」第46回の視聴率は13・7%。久栄と徳富蘆花(健次郎)の駆け落ち騒動。兄・蘇峰にコンプレックスを抱く蘆花に、姉・みねと自分を比べ自嘲する、どこか似たもの同士の、はじけとぶ明治の青春。かくして、ふたりに訪れた結末は・・・?そして二人を見守る八重は? 復興にむけて頑張る福島と東北に熱くエールを放つ大河ドラマ”八重の桜”、共に見守りつつ、愛の桜前線を拡げていきたいですね!

チャンネル銀河・八重の桜HP https://www.ch-ginga.jp/feature/yaenosakura/
八重HP4601
八重の桜OP、BGMにドゾhttp://www.youtube.com/watch?v=6tDZC6aTUxA

八重の桜 第46回 あらすじ
母・時栄(谷村美月)が覚馬と離縁し、山本家を出ていって以来、ふさぎ込む久栄(門脇麦)。伊勢時雄が同志社の教師となり、みねが里帰りして平馬を出産し、皆が喜びを分かち合う中、久栄は孤独だった。八重(綾瀬はるか)は、母親代わりになろうと久栄を気遣うが、彼女はなかなか心を開こうとしない。
 そんななか、久栄がただひとり心を許したのが徳富猪一郎(中村蒼)の弟・健次郎(太賀)だった。優秀な兄といつも比較され肩身の狭い思いをしている健次郎と、山本家に居心地の悪さを感じている久栄。悩みを打ち明け合ううちに、ふたりはウマがあった。
健次郎は徳富猪一郎(蘇峰)の弟で、伊勢にはいとこにあたる。猪一郎と健次郎の兄弟は、どちらも活字に携わっていて、兄は民友社を設立し、日本初の総合雑誌で、のちの明治のジャーナリズムを牽引する『国民の友』を創刊し、一方の弟は『同志社文学雑誌』に小説を掲載していた。
 
平馬が生まれて間もないある日、体調が すぐれずにいたみねが急逝する。父である覚馬はさぞ悔しかったろうと呟き、祖母の佐久は何故神様は自分を連れてってくれないんだと嘆く。八重は、久栄に形見分けの万年筆を手渡す。「みねの分も幸せになんねえどな」つらい運命を背負った異母妹の久栄をくれぐれもたのむと、八重は みねから託されていたのだ。しかし久栄は「母を追い出した人に頼るわけにはいかへん」と八重に背を向ける。山本家の跡取り娘でありながら、不貞な母親の娘だと周囲の好奇の目にさらされていた久栄の苦悩を、健次郎は優しく包み込んだ。久栄の母を人間らしい人だ、と表現し、決して蔑まない健次郎に、久栄もまた心を寄せ、結婚を意識し合うようになっていた。
それからほどなくして、今度は風邪をこじらせていた民治が亡くなり、襄は父の形見のパイプを口に含んで深い悲しみに沈む。久栄のことで手を焼く八重もまた「子は親の思う通りにならんということを心しておきなさい」という民治の深い言葉を胸に刻むのだった。

同年、初夏の日差しが眩しい6月、同志社内に久栄と健次郎が交際しているという噂が広まる。八重が二人を問いただすと、久栄は噂でなく結婚を前提にしたまことの付き合いだという。しかし健次郎の返事は曖昧で、この軟弱な若者にとても久栄を任せるわけにはいかない。「明治の生まれか・・・」覚馬は苦笑いし、八重は「最近の若いもんは・・」と覚馬の若い頃に比べて情けないと溜息をつく。そんな八重を 佐久は、お前もいつの間にかそんなことを言う年になったかと笑うのだった。
その夏、八重は襄と北海道の函館に旅に出る。襄がアメリカに向け密航した港だ。函館にはまた、会津で姉妹のように過ごした日向ユキが暮らしていた。ユキは、幕末の動乱を命からがら逃げ延び、、札幌で薩摩出身の内藤兼備と出会い、一族の反対を押し切って夫婦になったという。ユキの息子はもう十代半ば、久栄と寸分変わらない。「どうしたら母親らしくなれんのか・・・」凹む八重に、ユキは「壁にぶつかっても自分の決めた道を行くのが八重姉さまだ・・・迷った時は、母親らしくではなくて、姉様らしくやってみたらどうだべ」と助言し、八重は涙まじりに笑うのだった。

秋の新学期が始まってまもなく、健次郎と久栄が忽然と姿を消した。八重ははたと思い当った。健次郎と久栄は、示し合わせて東京にいくつもりだ。ならば、出発の前に久栄はみねの墓に参るはず・・・果たして、久栄はそこに居た。駆け落ちの展開に,猛然と待ったをかける八重。小説で食べてゆく自信があんのかという八重に、健次郎は「食べるために小説書くとじゃなか、小説書くために食べると」と一気に本音を吐露し、そんな健次郎でも久栄はついていくという。八重は兜を脱いで、「わかった、苦労と不幸は違う・・・久栄を必ず幸せにしてくなんしょ」と二人の味方になると誓う。しかし、ほどなくして健次郎は久栄を京に残し一人で東京にたってしまう。手紙には、自分の身勝手さを恥じいる謝罪が綴られ、末尾に「徳富蘆花」とペンネームが書かれていた。
身勝手な人・・・だけど正直な人、と、久栄はひとしきり泣いて、部屋を出ていく。自分が傷つくより、ずっと辛い、という八重に、佐久は「母親はみんなそうだ。はねっかえりの娘を持つと苦労すんだ」と笑う。佐久の言葉が八重の胸に染みいった。

・・・ということで、次回は第47話「残された時間」です。



八重の桜 第46回 名シーン

<みねの里帰り 同志社の教師となった夫の伊勢>
みねと伊勢時雄の間に息子の平馬が誕生し・・・
八重4601

徳富猪一郎、快進撃 民友社を設立
八重4602

猪一郎、「国民の友」創刊
八重4603

あね様!
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<みねの急逝>
みね・・・悔しかったろう
八重4605

あのむごい戦を生き延びたというのに。平馬が生まれて、やっとこれからというときに・・・
八重4606
なじょして・・神様がいるなら私の命を持っていってくなんしょ・・・ああ

<久栄をくれぐれも頼むとの、みねの遺志を守ろうとする八重>

っは・・母を追い出した人に頼るわけにはいかへん
八重4607

久栄さんの母上は・・人間らしか人と思う
八重4608

うちも東京について行く!うち、おばさまが山本家から追い出した女子の娘や。
八重4609
厄介払いできてええやないの・・・うちも追い出してください

<その夏、襄と函館に旅した八重、二十年ぶりのユキとの再会>
ユキさん・・・
八重HP4602
八重さん、元気だった!?
八重4611
ゆきさんこそ・・・

<駆け落ちの現場にかけつけた八重>
これから二人で東京へ行きます
八重4612
八重「小説で食べていく自信があんのか?」
八重4614
食べるために小説ば書いてるんじゃなか・・小説ば書くために食べると!
久栄、お前が決めた道なら応援する。ただ駆け落ちはだめだ・・里帰りができなくなる。
八重4615
おばさま・・・

<一人、東京へと発った健次郎>
きっとこうなると思っていた。身勝手な人や・・・けど、誰よりも正直な人や。
八重4616

八重「自分が傷つくより、ずっとつれえ・・」
八重4617
母親はみんなそうだ・・わがったか?はねっかえりの娘を持つと苦労すんだ・・・



八重の桜、こんなところが好き!感想

「艱難の山、苦痛の谷、手をたずさえて渡らん、君が将来の夫より 我が未来の妻へ」

これが明治のラブレター。

久栄たちの恋は とてもプラトニックで、文学的・・・!
清少納言やトルストイを引用して愛や道徳を語るなんて、なんて古式ゆかしくアカデミックでしょう。

言われてみれば、小説ができたのはこの頃ですね。
今でこそ当たり前の小説、徳富や久栄が恋を語らっていたこの頃こそ、近代文学の夜明けだったのですね。

しかし、「不貞を働いた母の娘だと一生言われる」と気にしながら、
ズカズカ男子校に入って行って健次郎にトルストイの話をさせる、どこか空気が読めない久栄・・・
いえ、それほどにあの家を出たかったのかもしれない。

人になんと言われようと自分自身で考え、駆け落ちを決意し、
新しい人生を切り開こうとした一本気な久栄、どこか八重に似ています。
血でしょうか。度胸もあります。
彼女もまた、明治生まれのハンサムウーマンだったのかもしれません。

そんな古風なふたりでも、周りのひとは新人類のように目を丸くするのだから、
この平成の世の男女のありさまを見たら、心臓がとまってしまうかもですね。

「明治の生まれか・・・」
と笑う覚馬の笑いは「戦争を知らない 子供たちさ♪」
という歌を思い出させます。
もしくは
「平成生まれか・・・」と笑いながら
新入社員の恋愛相談を受けるオジサン上司のような感覚なのでしょうか。

また、「近頃の若いもんは」・・・という、言葉を口にしたらもう年寄り、と言われているのは、
明治も平成も変わらないのですね。思わず笑ってしまいました。
あのうざったい言葉を耳にするたび、あ~あ、トシは取りたくないもんだなぁと思っていた自分が、
いつしかあの言葉を口にしているこの頃、危ない、危ない・・・

しかし、賢さが服を着て歩いてるような、あの佐久母さんですら
「近頃の若いもんは」と言われた時代があるそうですから、
どんな時代も”世の中が変わり続けることが、変わらない”という摂理をひしと感じるシーンでした。

文明開化の象徴みたいな牛鍋を食べながら
「小説など、低俗な娯楽にうつつをにかすな!」と見下げるもうひとりの健次郎の真逆(まギャク)の
反応が洒落になっておかしかったですね。
いまや学問の世界でエリート昇進まっしぐらの東大教授・健次郎に古臭さを感じてしまうとは・・・
昭和の中ごろまで漫画(コミックス)に夢中になる若者を見下していた年配者のリアクションにも似て
どこか滑稽です。
今は、漫画は市民権を得、ひとつの文化として確立しているし
歴史でも小説でもコミック化されたのを覚えたほうが利口、なんていう大人も少なくない。

本当に、時代ってどんどん変わっていく。

それでも、未来永劫変わらないもある。
それは、母の愛…親子の愛ではないでしょうか。

いくつになっても、佐久にとっては八重は 可愛いはねっかえり娘に違いない。
また、愛があるからこそ、覚馬の台詞どおり、みねは父が「憎かったろう」し、
久栄はいまや母である八重に悪態をつけるわけで、
5000人の同志社の「子ども達」を育てた八重でも、たった一人の姪っ子に思い悩んでしまう。

テレビを見終わって、食事の後片付けをしながら、お風呂に入って、ずっと考えていました。
あのとき、八重が反対しなければ幸せになれたかもしれない・・・
当初、反対しに押しかけていったことで、結局二人を別れさせることになって、
久栄が恋煩いで亡くなってしまったら、八重が悪役になってしまう?

いや、違う。
あの羅刹のような環境から救い出してくれる王子様に恋してた久栄と、
机上の恋に恋していたような健次郎が、駆け落ちで幸せになれたかどうか、甚だ、疑問。
軟弱なのに、そんな人間の弱さを強く優しく肯定する健次郎の確信に満ちた言葉に、
「んだな、不幸と苦労は違う」と、悟りをみたような八重とのやりとりは、まさに禅問答のようで
いくさ以上に緊張しました。

そこでまた、ひっくり返る、あまのじゃくな美雨。
でも、たとえ破局がきても、何もしない人生より、自分で選び行動した結果としての破局なら
後悔は残らなかったはず・・・

私が八重だったら、あのときあの状況で、あの二人に何と言うだろう。

いまもまだ、答えは出ていません。




八重の桜 第46回 キャスティング今日のフィーチャー 
   ~ 久栄と徳富蘆花(健次郎)うたかたの恋2 ~


母・時栄が家を出てから、すっかり元気をなくした久栄。八重は母親代わりになろうと奮闘しますが、溝は深まるばかりでしたね。そんななか起こる久栄の駆け落ち騒動・・・久栄は、小説家をめざす徳富健次郎(徳冨蘆花)と共に内緒で東京に向かおうとしましたが、待っていたのは破局でした。それも、二度と会えない永(なが)の別れ・・・健次郎のなかで永遠の ”忘れえぬ人”となった時栄との うたかたの恋を、のちの蘆花は 告白のように 自伝的小説「黒い眼と茶色の目」で綴っています。
参照http://yonipo.blog13.fc2.com/blog-entry-1132.html

<徳富健次郎(蘆花)・ちょっとネタバレ紹介>

兄と同じ同志社学校に入学するも、山本久栄への失恋により中退。兄の経営する民友社に入り、翻訳などい従事した。「国民新聞」に連載した小説「不如帰」(ほととぎす)が好評を博し、文筆家としての名声を得る。のち、兄との不和により民友社と決別。エルサレム巡礼、トルストイ訪問を経て半農生活を開始。久栄との恋愛を描いた「黒い眼と茶色の目」など、数々の作品を残した。

八重HP4604

太賀(たいが)
1993年生まれ、東京出身。出演作に映画「桐島、部活やめるってよ」、ドラマ「黒の女教師」「潜入探偵トカゲ」、舞台「八犬伝」など。NHKでは、「あまちゃん」、大河ドラマ「風林火山」「天地人」「江」などに出演。

NHKのHPでも語られていますが、同志社に通うこの一見軟弱な学生、健次郎クン、後に、小説『不如帰(ほととぎす)』を執筆した有名な文豪・徳冨蘆花として名を馳せるのですから、こうして呼び捨てにしたり、女々しいの軟弱だのと話のタネにしていいのだろうかと、はたとボードを打つ手が止まってしまうことがあります。八重の桜では、こんなふうに あまりにさりげなく明治の大人物がポンポン出てくるので、つい友達のように呼び捨てにしてしまい反省。(笑)
以下、ホムペより
さて、この徳冨蘆花という名前には、彼のある思いが隠されているんです。
「徳冨蘆花」というのは、彼が小説を書くときのペンネーム。
この名前、よ~く見てみると...
徳富の「富」の字が、ワ冠の「冨」になっています。
これには諸説あり、一説には優秀な兄・猪一郎に劣等感をいただいていた健次郎が、兄と自分は違うということを示すためにあえて「冨」の字にしたといわれています。
また、「蘆花」という名前についても、故郷の熊本にある雄大な山・阿蘇山の「蘇」を付けたという兄とは対照的に、控えめに咲く「蘆(アシ)※の花」を名前にした健次郎。
※アシ...水辺に自生するイネ科の植物。夏から秋にかけ、穂に紫色の小花をたくさんつける
その由来は、清少納言の随筆にある「蘆の花は見どころとてもなく」という言葉からきており、健次郎は「蘆の花という見どころのない花だからこそ、自分は愛している」との意味合いを込めて「蘆花」という名を付けたといいます。
まさに、対立していた兄とは、対照的なネーミングです。

出来のいいお兄ちゃんに負けまいと、必死に小説家をめざす健次郎でした。




<山本久栄・ちょっとネタバレ紹介>

覚馬と時栄の娘。覚馬が東北より京都に呼び寄せた佐久、八重、みねと、幼いころからともに暮らし、かわいがられて育つ。母・時栄の不義の噂が原因で、両親は離縁。以後、時栄のいない山本家で育つ。学問に励む姿は父親ゆずりで、のちに同志社女学校に入学する。在学中に、同志社英学校に通っていた徳富健次郎(のちの徳富蘆花)と恋仲となるが、ふたりが結はれることはなかった。同志社女学校卒業後、神戸英和女学校に学ぶが、覚馬が亡くなった翌年にその短い生涯を終えた。

八重HP4603

門脇麦(かどわき むぎ)
1992年生まれ、東京都出身。CM出演で注目をあび、舞台「ストリッパー物語」などに出演。映画「愛の渦」が2014年に公開予定。NHKでは、ドラマ「第二楽章」など、大河ドラマは初出演。

※覚馬のふたりの娘 みねと久栄の数奇な生涯
http://yonipo.blog13.fc2.com/blog-entry-1137.html




        八重の桜 第46回 かると   
    ~ちょっと気になる健次郎(徳富蘆花)の小説「不如帰;ほととぎす」~



戦争が引き裂いた夫婦と、戦争が巡り合わせた夫婦の間に、それぞれ生まれ育った二人の娘。
この娘達の短い生涯を思うとき、戦争が父覚馬に起こした運命のいたずらと ふたりの姉妹の辿った数奇な一生を、深く考えさせずにおきません。
健次郎の言葉通り、弱さもふがいなさも全てひっくるめて、本当の人間らしさを紙面に綴ったことで世に出た山本家のスキャンダル・・・自分が自分であるために、そうせざるを得なかった健次郎が、近代文学の幕を開けた明治の大文豪として謳われているのに、この世の無情を感じてなりません。
そんな人間の本質を描きたかった蘆花の、ちょっと気になる小説『不如帰(ほととぎす)』。
明治30年代の大ヒット小説です。
不治の病にかかったヒロイン浪子が、息子を溺愛する姑にいじめられ、最後には仲を引き裂かれてしまうという、まるで昼ドラのようなこの物語に、実はモデルとなった一家があったのです。
その家とは・・・なんと、八重の桜でもおなじみ、山川大蔵・健次郎の妹、咲(捨松)の嫁いだ大山家だという不思議。徳富蘆花には、会津人の血を引く女性と何か確執があるのでしょうか・・・


不如帰01


『不如帰』の逸話  大山捨松のウィキペディアより

大山巌は先妻との間に娘が3人いた。長女の信子は結核のため20歳で早世したが、彼女をモデルとして徳冨蘆花が書いた小説が、「あああ、人間はなぜ死ぬのでしょう! 生きたいわ! 千年も万年も生きたいわ!」の名セリフが当時の流行語にまでなったベストセラー『不如歸』である。

小説の中で主人公の浪子は結核のため幸せな結婚生活を引き裂かれた挙げ句、実家に戻ると今度は非情冷徹な継母によって離れに押し込まれ、寂しくはかない生涯を終える。ところがこの小説に描かれた継母が捨松の実像と信じた読者の中には彼女に嫌悪感を抱く者が多く、誹謗中傷の言葉を連ねた匿名の投書を受け取ることすらあった。捨松は晩年までそうした風評に悩んでいたという。

実際は小説とはまったく逆で、信子の発病後、離縁を一方的に申し入れてきたのは夫の三島彌太郎とその母で、悩む捨松を見るに見かねた津田梅子は三島家に乗り込んで姑に猛抗議している。看護婦の資格を活かし親身になって信子の看護をしたのも捨松自身で、信子のためにわざわざ離れを建てさせたのも、信子が伝染病持ちであることに気兼ねせずに自宅で落ち着いて療養に専念できるようにとの思いやりからだった。巌が日清戦争の戦地から戻ると、信子の小康を見計らって親子3人水入らずで関西旅行までしている。捨松は巌の連れ子たちからも「ママちゃん」と呼ばれて慕われていた。家庭は円満で、実際には絵に描いたような良妻賢母だったという。

しかし蘆花からこの件に関して公に謝罪があったのは、『不如帰』上梓から19年を経た大正8年(1919年)、捨松が急逝する直前のことだった。雑誌『婦人世界』で盧花は「『不如歸』の小說は姑と繼母を惡者にしなければ、人の淚をそゝることが出來ぬから誇張して書いてある」と認めた上で、捨松に対しては「お氣の毒にたえない」と遅きに失した詫びを入れている。

 
          晩年の徳富兄弟


「八重の桜」各話あらすじ&感想
http://yonipo.blog13.fc2.com/blog-category-81.html


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大河ドラマ 八重の桜 45回 「不義の噂」   ~不倫 ならぬものはならぬ~

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歴史ドラマ 八重の桜 45回 「不義の噂」

あの名作が帰ってきた!
平日 朝8:00~午前9:00 深夜1:15~深夜2:15(月~金、毎日放送)
制作年 2013年
制作国・・・日本  ジャンル・・・歴史ドラマ
総話数・・・全50話

45話の視聴率12・8%。山本家に吹き荒れた不義密通騒動の嵐。そのとき時栄は?覚馬は?八重は・・・
相手の書生・青木栄二郎(永瀬匡)、仮面ライダービースト;その名の通り野獣と美女のような二人。拡がる波紋に 夫婦の問題であっても、不倫は「ならぬものはならぬ」と立ちはだかる八重だが・・・・

チャンネル銀河・八重の桜HP https://www.ch-ginga.jp/feature/yaenosakura/
八重45話表
八重の桜OP、BGMにドゾhttp://www.youtube.com/watch?v=6tDZC6aTUxA

第45話あらすじ
明治18(1885)年、ジャパンミッション(日本宣教団体)は突然、同志社英学校の廃校を決めた。
もと熊本バンドの卒業生でいまや同志社の教員である市原や金森は学校経営の資金が途絶えると青ざめるが、八重(綾瀬はるか)は、逆に闘志をみなぎらせる。「女学校を続けるには、当座の運営資金と経営を任せられる人間がいるな」覚馬(西島秀俊)は八重にそう助言し、自らが商工会議所長であるためその会員名簿を手渡す。女学校の運営資金を寄付してくれる人を当たるためだ。 そのとき、ふいに玄関のほうから久栄と時栄(谷村美月)、青木(永瀬匡)のもみあう声が聞こえ、青木が書斎に駆けこんでくる。「覚馬先生は、時栄さんをなんと思っておいでだべか!妻ですか!?それとも…」青木は、覚馬が時栄を下女のように扱い、忍従を強いていると非難した。「もう、やめとくれやす、お願いや」書斎の戸口で困り果てくずおれる時栄。 そのただならぬ様子に八重はすべてを察する。数日前、姪の久栄が、母と青木の関係を危惧し、相談にきていたのだ。 その夜、覚馬が時栄に「間違いがあったのか」と問いただすと、久栄は 何もない、慣れない環境で心細いだろうと親身に世話をしたのを、青木が勝手に勘違いしたためだ、と答える。覚馬は八重に、青木を大阪の私塾に移すから転校の手続きをしてほしいと頼む。
 
その数日後、京都の実業家達が女学校の授業を参観。その中に、会津藩ご用装元締めであった大垣屋清八と、その子善助の顔もあった。女生徒たちが生き生きと学ぶ姿に、実業家達は「これからは英語の時代だ」と言い、娘を入学させたいと言うものも出てきた。しかし、仏教徒であるために躊躇もたつ。すると「この学校はクリスチャンにならなくてもかまいまへんのや」と耳打ちする頼もしい大垣屋親子。覚馬の商工会議所会員リストをもとに授業参観をもちかけた八重の作戦は大当たりで、寄附も大いに期待でき、大垣屋親子の経営援助のもと、女学校の存続は大丈夫と思われた。それを見極めると、大垣屋は、時栄から相談された青木との一件を切り出し、二十年前薩摩藩邸に捕らわれていた覚馬のもとに、自分の口利きで送った時栄が、嫁にも行かずかいがいしく世話をしてきたことをあげ、いっぺんだけ目をつぶって許してやってほしいと頼む。
一からやり直そう、という覚馬の言葉に、時栄はうなずき、二人は新島家で洗礼を受ける。しかし八重が長年にわたる時栄の献身に感謝をあらわすと、なぜか時栄は「ずっと前妻のうらが妬ましかった、覚馬の記憶の中で歳をとらずに美しく生きているうらさんが」と、ずっと抱えてきた苦しみを吐露するのだった。

この年の12月、太政官が廃止され、内閣制度が発足。伊藤博文が初代内閣総理大臣に就任。それからほどなく、襄(オダギリジョー)がアメリカから5万ドルという巨額の資金援助をたずさえて、1年8か月ぶりに帰国する。八重は、襄との久しぶりの再会を喜ぶ。
 これで大学設立は順調に進むかと思えたが、時栄と青木の不倫関係がうわさ話となって町に知れわたる。青木がまた久栄の前にあらわれ、抱きすくめて繰り言をまくさまを、本屋の丁稚小僧がみとがめ、広めてしまったのだ。
同志社の宣教師たちからも不協和音が噴出する。更に騒動は、襄がアメリカンボードから集めた寄附の使い道まで飛び火してしまう。それでも八重は、時栄の不義など、つまらない噂だと庇い、もう一度「何事もなかったんだべ?」と問いただす。しかし、疲れ切った様子の時栄は「生身の人間や、きれいなままでは生きられん」と不倫を否定しなかった。「なんてこと、してくれたんだし!」命がけで戦っている襄の足を引っ張り、覚馬の名を汚した時栄の過ちは、許しがたい。「兄と、別れて下さい!」叫ぶ八重。覚馬もまた、事態収拾のため、商工会議所会長を辞職するが、責任の重さを悟った時栄は、みずから離縁してほしいと頼み込む。山本家との別れであった。覚馬は時栄の今後の暮らしの配慮をし、あとのことは大垣屋に一任する。母の裏切りをなじる久栄の前で、八重は一計を案じ、自分が悪者になることで、久栄の母への思慕を引き出す。母に抱きついて泣きじゃくる久栄に、しあわせに暮らすよう言い残し、時栄は去っていく。
「八重さん、おおきに」

・・・ということで、次回は第46話「駆け落ち」です。


第34話ぷち・ギャラリー     

<八重、あらたなる挑戦>
金森さん、市原さん、これはチャンスです。
八重4502
ミッションに頼り切っていた今までのやり方が間違っていた・・・この機会に学校を創り変えましょう
大学支援の賛同を得るために授業参観を開催
八重4505

<帰ってきた襄>
私が一番ゆっくり息がつける場所はやっぱりあなたの隣です。
八重4510
なんか、イチャイチャするふたり

<時栄の憂い>
うち、あの人嫌いや!あの人がいはったら母様は変わってしまう。
八重4501
母様は不道徳やわ

<青木の激情>
時栄さんは名士の妻などと言ってもまるで女中のような暮らしだ
八重4504
八重さんには自由であれと言って、時栄さんには忍従を強いてる・・・先生は偽善者だ!

<京都じゅうに広がる波紋>
もう、勉強どころじゃなかと!
もう、勉強どころじゃなかと!

時栄のこと、一辺だけ、目瞑って許してやっておくれやす。
八重4506

洗礼を受ける覚馬と時栄
八重4507
兄つぁまが生きてこれたのは時栄さんのおかげだ。
八重4508
みねのこともりっぱに育ててくれて本当にありがとなし。
うち、ずーっと妬んでましたんや。うらさんのこと。
八重4509
だんな様の中にずっとうらさんがおんのや。年もとらず綺麗なままで。

<帰ってきた青木>

どうしても未練が断ち切れねぇ。女々しいと思っても会いたくて苦しくなるんだ。
八重4511
時栄さん、一緒に逃げてくなんしょ。
戻ってきてしまう青木
そこに本屋お丁稚小僧が
まんざらでもなさそうな時栄
町中に飛び火する噂

<時栄の決心>
私は罪深いおなごや。洗礼受けたかて清められへん。
八重4512
なんてこと、してくれたんだし・・・!
八重4513
出て行ってくなんしょ!

覚馬の判断
覚馬の判断は
やめろ!時栄を責めんな!
うちを離縁してください。久栄をお願いします。
八重4514
久栄のこと頼み申しやす。

<母娘の別れ ふたたび・・・>
いやや!うちをおいていかんといて。
八重4517
久栄、かんにんや。母さんはもうここにはいられんのや・・・久栄、幸せにならんといかんえ。
おっかさま・・うっうっううう                   
八重45の1
涙の止まらぬ久栄





八重の桜、こんなところが好き!感想

「口を出すな! 何もない・・・何も、ながった」

何もないという覚馬の呻きが、余計に何かありましたと語っているようで痛々しい。

覚馬を「先生」と呼び、つき従っていた 日本女性の鏡のような時栄。
思えば、師弟愛から始まって、恋愛の期間がなく いきなり"介護婚"のような関係だった。
久栄はまだ、本当の女のしての恋を知る前に、妻になってしまったのではないか・・・めおとになった日の、あの赤い椿の花のように、可憐で、どこかはかなげだった時栄。

あのまんま、ただ覚馬を慕い、つき従っていさえすればよかったのに、やはり女としての自我が 芽生えてしまったのね。
さすがNHK、妊娠の事実は、伏せられましたが、ただ時栄を一方的に悪人にするのではなく、
彼女の心が描かれていて、見ているほうも救われました。

既成事実は、あったのか、なかったのか、そこが視聴者の一番の関心事でしょうが、多少心を許したとしても、昔の人ですから 、それをもって不義と考えたかもしれません。
ただ、洗礼もしっかりと受けて、「今日から新しく生まれ変わって、旦那様だけを見て、やり直すんや」と言った舌の根も乾かないうちに もうあのように、女の悦びやときめきを隠さず打ち明けてしまうそのさまは、まるで罪ぶかい女の色懺悔のようでした。

本当に、身も心も許したかもしれず、これは永遠の謎ですね。
謎は、謎のまま残して純文学の中にのみ留め置いていたほうが、良いのでしょう。

また、伝説ではいかにも八重が悪者になっていて、夫婦間で折り合いがついて もとのさやに収まった時栄を「臭い物には蓋をしてはならぬ」とどこまでも追求し、「ならぬものはならぬ」と追い出してしまった逸話も、これももうひとつの真実かもしれないし、噂かもしれない。
只、八重は悪くない。
兄を慕い、夫の悲願であるミッションスクールを留守中守りきろうとした彼女の立場は、至極もっともなこと。

八重というよりむしろ、これって、覚馬が生じさせた問題ではなかったか。
琵琶湖疏水も、殖産興業も女子教育も、あのとき牢で死んでしまったら叶わなかったし、いまの京の再興はなかった・・・それはわかる。
明治の生とひきかえに、会津の山本覚馬は死に、時栄と共に生きる新しい覚馬が生まれた・・・それもわかる。
けれど、矛盾も多い覚馬。

青木のいう事は極めてもっともで、「名士の妻などと言っても、まるで女中のような暮らし」をさせ、八重には自由であれと言っておきながら、「時栄にだけ肉体労働と忍従を強いる先生は偽善者だ!」と叫んだ青木に、思わず拍手パチパチしてしまったの、私だけ?

「母さまは、父さまを裏切ったのでしょうか?」と久栄はいう。
けれど、もともと父の覚馬は本来の妻うらを裏切って時栄を娶っているわけで、その意味では報いを受けたとも言えます。
しかし、覚馬は目が見えなくなるという報いは既に受けているわけで、ここは解釈が難しいです。また、他人に口を出すな!という覚馬の、あくまで妻を庇い通す姿は潔く、ここで覚馬が時栄を思う篤い気持ちに改めて気づかされます。
生涯をかけてきた大仕事を手放してもいいほど、そして本当に辞めてきてしまうほど、覚馬にとっては唯一無二の女性だったのだ、と・・・
ただ、どうして今までそれを伝えられなかったのか・・・行動で示してやれなかったのか。
そうしていたら、青木なんかに寝取られずにすんだものを。
やはり、年の差結婚というのは、現代でも昔でも問題ありなのでしょうか。

キリスト教というよりは、仏教的な「因果応報」を示すような結末でしたが、しかし、山本覚馬って、ある意味 家族にだけは恵まれない男性ですね。
覚馬の第三の人生は確かに信仰の時代にもなるでしょう。

国会が開設され内閣制度が発足、伊藤博文が・・・と歴史的事象も書くべきなのでしょうが、
不倫ーー今日はもう、思いっきりこの人間臭いテーマを語ってみたくなりました。
きれいごとばかりで人間生きられない。

どんな偉人も歴史を作った人も、ひとかわ向けば生身の人間。
そんな、清濁併せのむ部分があってこそ、ひとは、魅力的なのかもしれない。
皆、生身の人間である、ということ、そして「生きている」ということの証でもありますね。

つばきの香りが漂うたびに、覚馬は 去った幼な妻のことを胸の痛みと共に思い出すのでしょうか・・・。





※覚馬と時栄と青木について&徳冨蘆花の自伝小説「黒い眼と茶色の目」のことはこちらの記事を参照
http://yonipo.blog13.fc2.com/blog-entry-1060.html
ネタバレ駄目な人 ご遠慮下さい



  キャスティング今日のフィーチャー
           ~ 気になるカップル 青木と時栄 ~


気になるヒト...時栄の心をかき乱す青木栄二郎役の永瀬匡(たすく)さんは仮面ライダービースト

広沢が山本家に連れてきた書生・青木栄二郎。爽やかな笑顔のなかに憂いを帯びた表情を見せるこのステキな青年が、一家にひと騒動を起こす!?、時栄に送る視線がだんだん熱気を帯びているような・・・青木を演じるのは、若手俳優・永瀬匡(たすく)さん。

長瀬さん       青木    
        Oh!雰囲気全く変わりますね・・・@@八重の桜では、すごくオトナに見えますが(>_<)

<永瀬匡(たすく)さん紹介>
1993年生れ、鳥取県境港市出身の永瀬さんは20歳という若さ。研音に所属。同年9月にドラマ『桜蘭高校ホスト部』で俳優デビュー、10月にはドラマ『怪盗ロワイヤル』で連続ドラマ初レギュラー出演を果たした。2013年には『仮面ライダーウィザード』に出演し、知名度を高める。
舞台も踏んでおり、ウィズ〜オズの魔法使い〜にも出演し、研鑽を積んでいる正統派。これからの活躍が楽しみな若手俳優の一人ですね。

新ライダー(ビースト)に抜擢された永瀬匡(左)と仮面ライダーウィザード役の白石隼也と
新ライダーに抜擢された永瀬匡(左)と仮面ライダーウィザード役の白石隼也

その長瀬さん、今回のNHKのHPでとれとれのインタビューがあったので、拙ブログでも載せてみます。

「青木栄二郎役をやらせていただきました、永瀬匡です。
第44回「襄の遺言」に続き、第45回「不義の噂(うわさ)」にも出演させていただきます!
台本を読んだときは、青木はひどいやつだなと思いましたが、男として「ああ、わかるな」と共感できる部分もあったり...。でも、人のものは取ろうとしてはいけませんよね(笑)。
 撮影では、すばらしい共演者の方々から"現場でのあり方"を学ぶことができました。
途中参加ですが、皆さんが第1回から今まで築き上げてきたものを大事にしたかったので、現場でカメラが回っていないところでも、自分の"あり方"には気をつけました。
青木栄二郎という役を通して、男の弱さだったり、人間の弱さを伝えられたらと思います。
11月10日放送の第45回「不義の噂(うわさ)」もぜひ見てください。 よろしくお願いします!」


目鼻立ちのクッキリしたさわやか俳優の永瀬さん、普段は今風のおにーさん♪という感じなのに、八重ワールド(大河)になると格段に大人の艶が・・・何かをおこしそうな不安と期待を(?)抱かせる、気になる役者さんですね!




一方、気になる時栄は 谷村美月さん

本当にキャスティングいいですね♪八重の桜。19話から登場している(小田)時栄。
戊申前、洋学所時代に”赤い鹿の子の似合う少女”で、無鉄砲な勇気が可愛らしかった時栄も、いまではしっとりした女盛りに。山本家の一員として、落ち着いた若奥ぶりが好印象だった彼女も、たった一度も過ちで取り返しのつかない事態に・・・女であるだけで、とことん損ですね。(;O;)

  谷村さん グラビアでご活躍のイメージ強いですね~    時栄さん

女優、谷村美月さん。1990年生まれ。大阪出身の23才。NHK連続テレビ小説「まんてん」で女優デビュー。主な出演作に「14才の母」「医龍」「Woman」、映画「カナリア」「神様のパズル」。大河ドラマは初出演。小さい頃から写真モデルとして活動していただけあって、美月さん、どのアングルそのつどピシッと決めますね❤

<小田(山本)時栄)>
八重HPから紹介です。
御所に出仕した丹波郷士・小田勝太郎の妹。激動の京都で、親子ほど年の離れた目の不自由な覚馬を献身的に支える。会津戦争後、八重たちが京都に来た1871(明治4)年、覚馬との間に娘・久栄が誕生。久栄は徳冨蘆花の自伝小説『黒い眼と茶色の目』のヒロインのモデルとなった。会津に残ったうらと離縁した覚馬と入籍、八重や佐久、先妻・うらの娘・みねとともに山本家の一員として生活しながら、目と足の不自由となった覚馬を支え続ける。後に、不祥事を起こした時栄を覚馬は許そうとしたが「ならぬものは、ならぬ」の八重に「出てってくれ」と言われることに。

八重1912
覚馬とのなれそめ・・・昔はこんなシーンもあったと思うと寂しいばかり(;O;)

渦中の時栄を演じられてる谷村さん自身、八重にどのような気持ちを持っていたのか、インタビューでこんなことを語っておられました。
「京都にある新島襄さん、八重さん、覚馬さんのお墓にお参りしてきました。八重さんのお墓は大きいわけでもないのに、何か特別な迫力が感じられて、”ああ、この人の言うことには、みんなが従っていたんだろうなぁ”と思いましたね。目の不自由な覚馬に仕える”献身的な妻”への憧れは私自身にもあるんですよ。山本家の家風や雰囲気にも、時栄は良くも悪くもうすく染まるような存在じゃないか、という気がしています。自分で先にイメージを固めすぎないように気を付け、役に臨んでいます。」
グラビアでご活躍の印象が強いですが、大河「八重の桜」でこの複雑な役どころを経て、一回りも二回りも成長し、大きく脱皮された気がします。こんなに若くて立派に時栄役を演じ切った谷村さん、次はどんな素敵なヒロインを演じられるのか、ぜひ追っていきたいですね♪




        八重の桜かると  
    ~覚馬のふたりの娘 みねと久栄の数奇な生涯~


ご存じの通り、山本覚馬とうらの娘として1862年に誕生した純会津娘のみね。
藩主松平容保の京都守護職就任により、父覚馬は京都勤務となり会津を離れたため父の顔を知らずに育ったみねちゃん、7歳の時には会津戦争が始まり、祖父母や八重とともに苦しい鶴ヶ城籠城戦を経験します。戦後、鳥羽・伏見の戦いで死んだとされていた父覚馬が生きていたことがわかり、やっと父母三人で平和に暮らせると思いきや・・・父の愛人と異母妹・久栄の存在を知った時のショックは、いかばかりだったでしょう。
絶対に幸せになってほしいみねちゃんですが・・・・

長女のみね 写真右
長女のみね 写真右 かなりの美人ですね
みねちゃん、べっぴんさんです

ドラマの通り、実母のうらは会津に残ることを選び、母と娘は離れ離れとなってしまいます。
みねは、彼女の生い立ちをふびんに思った八重と祖母の佐久にうんと可愛がられたそうですが、やはり心の隙間にできた穴を埋めるのは難しかったようです。
そしてご存じのように同志社女学校在学中、運命の人横井時雄(よこいときお=伊勢時雄)と出会い、1881に電撃結婚!結婚。今で言う、短大を卒業後ティーンでお嫁入り、という感覚でしょうか。苦労した分、ナイトが姫君をお迎えにきたのでしょう、でも、みねちゃんは案外はやくに山本家を出たかったのかもしれない・・・資料がないので、推測の域をでませんが、イエス・キリストという神の名の元に互いに生涯一人の人を愛し、愛されることを追い求めたふしもあるし、早く家庭を持って、実母のうらを迎えに行きたかったかのもしれない。
夫婦仲はよく、1883年には長女悦子が生まれ、1887年には長男平馬を出産します。時雄の父横井小楠(元の名が平四郎)の「平」と山本覚馬の「馬」から平馬と名づけられました。
けれども みねは、長男を産んだあと体調が悪化し、1888年、27歳の若さで亡くなります。みねの遺児である平馬は、山本家の養嗣子になっています。
「跡継ぎだから、父のもとへ行って山本家を継がねばなんねえ」という、実母の想いを肩に背負って生きてきて、ようやく手枷足枷から解放され一人女性としてしあわせをつかんだのもつかの間、あまりにも早い天からのお迎え・・・。
思えば、嫁に行くとき「うちには久栄がいっから、おっかさま(うら)と同じように私を放り出すんだべ!」と、押し殺していた思いを吐露していたみねの、ずっと肩に背負っていたプレッシャーが、こんな形であっても実現し、彼女は 天国でほっとしていることでしょうか。


覚馬と前妻うらの娘・みね(長女)       覚馬と後妻時栄の娘・久栄(次女)             みねの写真 小田久栄  
美人姉妹ですね


久栄と徳富健次郎の うたかたの恋

「今年、数え年の十七になった寿代(久栄)さんは、木屋町時代よりも身長もずっと伸び、一体に肉づいて、小さな渦の入る顎、肩のあたり、ぽちゃぽちゃした手の甲まで軟らかなる円みを帯びて来た。その茶色の眼は睫の下にうっとりと眠るかと思えば、とろとろと人を溶かす媚を含み、またたちまち睫を蹴って、いなづまのように光った。淡褐色の頬に時々薔薇のような紅潮が上った」

滴るような恋の想いがこの熱い視線を文面に映し出されていますね。
久栄は 若くして亡くなったため、彼女に関する史料はあまり残っていませんが、徳富蘆花の小説「黒い眼と茶色の目」の中で、上の様に登場してきます。
明治19年(1886)9月、熊本バンドのひとりであった兄・徳富(猪一郎)蘇峰が自責の杖事件で同志社英学校を去りましたが、弟の健次郎(徳富蘆花)は同志社英学校で久栄と出会い、やがて恋仲になります。
久栄は健次郎より3歳年下の17歳、同志社女学校の学生でした。ところが、久栄には女学校で盗みをしたなど、よからぬ噂がつきまといます。 それでも 結婚を意識する健次郎は、手紙を久栄に送りますが、それを新島夫婦と従弟の伊勢時雄に見られてしまい、周囲全員の反対を受けてしまいます。


久栄の小説    久栄no

           晩年の徳富兄弟


やがて、学校中知れ渡ってしまった健次郎は同志社の退学を決意します。健次郎は久栄に別れを告げましたが、とまどう久栄は健次郎の本心を知ろうとします。京都を離れる前に一目顔を見ようと同志社女学校の門をたたきますが、そこに現れたのが八重、「襄と久栄と4人なら新島邸で会わせてもよい」と承諾します。けれど結局、久栄と言葉を交わすことなく京都を去りました。
この後、健次郎は東京の雑誌社に就職し、別の女性と結婚しますが、久栄は父・覚馬が亡くなった翌年明治26年(1893)、病気を患い23歳という若さで亡くなります。 逃げるように京を出た健次郎は、1894年27歳で愛子と結婚しますが、久栄との別れを生涯ひきずりながら生きていきます。
 20数年後の1914年、46歳のときに自伝的小説「黒い眼と茶色の目」を発表した健次郎は、それまで内秘めていた久栄への想いと後悔をこの小説で告白したのではないでしょうか。


・・・戦争が引き裂いた夫婦と、戦争が巡り合わせた夫婦の間に、それぞれ生まれ育った二人の娘。
この娘達の短い生涯を思うとき、戦争が父覚馬に起こした運命のいたずらと ふたりの姉妹の辿った数奇な一生を、深く考えさせずにおきません。
それでも、二十数年という生涯に、命を凝縮させて 思いっきり悔いなく生きた人生であるならば、二人は決して不幸ではなかった筈・・・そう思いたい。
次回の、はじけとぶ「明治の青春」から、目が離せません。



「八重の桜」各話あらすじ&感想
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久々に会津鉄道のにゃんこ駅長ばす登場
禁断の恋・・・にゃらぬものはにゃらんのデス!
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大河ドラマ 八重の桜 第44回「襄の遺言」

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歴史ドラマ 八重の桜 第44回「襄の遺言」

あの名作が帰ってきた!
平日 朝8:00~午前9:00 深夜1:15~深夜2:15(月~金、毎日放送)
制作年 2013年
制作国・・・日本  ジャンル・・・歴史ドラマ
総話数・・・全50話

44話の視聴率は10・0%.同志社を大学にしたい――その夢を実現するため、襄は単身海外へ。じわじわと体をむしばむ病魔と闘いつつ、残された時間がそう長くはないと悟った襄は、ある行動に出るが・・・。復興にむけて頑張る福島と東北に熱くエールを放つ大河ドラマ”八重の桜”、共に見守りつつ、虹の桜前線を拡げていきたいですね!

チャンネル銀河・八重の桜HP https://www.ch-ginga.jp/feature/yaenosakura/
八重44話 1
八重の桜OP、BGMにドゾhttp://www.youtube.com/watch?v=6tDZC6aTUxA

第44話あらすじ
明治17(1884)年、2月、襄(オダギリジョー)は東京に行き、岩倉使節団で顔見知りとなった津田梅子の口添えで伊藤博文に面会に行く。というのも、政府が軍備拡張のため徴兵を強化のため、官立学校のみ懲役猶予を残し、それ迄すべての学校に与えられていた徴兵免除の恩典を取りあげたからだ。また、私学は官学に比べ設備や学科数で劣るからこそ、同志社を英学校から大学にしたい事を強調する襄に、伊藤は、「国を背負う人物は国が作る。 そのために東京大学がある。自由自治を売り文句にしながらこんな時だけ官学と同列を願うのは虫が良い」と却下する。そして、徴兵くらいで恐慌をきたすのは魅力がない証拠、と、同じ私学の大隈重信の早稲田と比べ、襄の痛い所をつくのだった。
「このままでは同志社が潰れてしまう・・・!」襄は疲労困憊していた。
八重(綾瀬はるか)が心配するなか、襄は同志社英学校を大学にする資金集めのため、欧米に旅立つ。

一方、山川浩と健次郎兄弟は、容保公の供をして、戦後実家である旧飯野藩に戻った照姫の居る保科邸を訪ねていた。照は病に倒れ、床につく日が続いていたのだ。容保はおもむろに錦の袋に包まれた書を照の前に差し出す。それは、亡き孝明天皇から贈られた※御宸翰(ごしんかん)と御製(ぎょせい)であった。この御宸翰こそが会津が逆賊でないことの証、いずれ相応しいときが来たら世に出すという容保に「今も重い荷を背負った殿・・・」と倒れ込む照。
容保は照を抱き寄せ、残された時をせめて我が邸で共にすごそうと誘うが、照はただその言葉だけで十分だと礼を言う。それからほどなくして、照は世を去った。会津の人々を深い悲しみが包んだ。

その頃、襄に留守を任された八重は、女学校の運営方針をめぐってアメリカ人女性宣教師たちと口論になり、険悪な状態になっていた。すると、そこへスイスの襄から二通の文が郵送されてくる。先に届いた手紙には妙な文面が書かれている。「先に届く手紙は早合点した者が慌てて送った物で驚いたろうが、当方無事なので心配はいらない」と。次に届いた文は、遺書だった。「私の髪をひと房切り取り、この遺書と共に日本で待つ妻に届けてほしい。神の元に結ばれた私の愛しい妻に・・・」遺書は実際、スイスのホテルの一室で激しい胸の痛みに苦しみながら、残された力を振り絞って書いたものだった。しかし日付がこちらのほうが古い。覚馬は、何かの手違いで慌てて書いた無事を知らせる葉書のほうが先に届いてしまったのだろうと 解き、家族達はほっとする。八重は遺書を抱きしめ、「世界中が敵でもかまわねえ、私は一緒に戦う・・・ジョーのライフは私のライフだ!」と涙ながらに誓うのだった。
 勉強熱心がたたって男子校に物理学の見学に行ったため謹慎処分にされた女学生の処遇をめぐり、八重はまた米国人教師と対立しそうになるが、舎監の佐久(八重の母)が割って入り、舎監としての責任をとって学校を去ることで、事態をまるくおさめる。「一歩ひいてでも、学校を守るのが、お前の務めだ」と言う母に、八重も「攻めるばっかりが戦ではねえ・・ジョーが帰るまでは負けられねぇ」と頷く。
一方、覚馬(西島秀俊)のもとには、もと公用方の広沢の紹介で青森から青木栄二郎(永瀬匡)という書生がやってくる。彼は山本家に住み込み始めるが、次第に時栄(谷村美月)に好意を寄せるようになる。山本家に、嵐が起き始めていた・・・。

・・・ということで、次回は第45話「不義の噂」です。

※宸翰;しんかんとは天皇直筆の文書。
※御製;ぎょせいとは、天皇の詠んだ和歌、ここでは「和らくも」をさす。
和(やわ)らくもの御製・・・1863年に起きた8月政変のおり、会津の働きをねぎらい、礼として帝が容保に贈った歌。"和らくも武き心も相生の松の落ち葉のあらず栄えん”「穏やかで勇猛であるそなたの心は実は相生の松の様に根はひとつで余と繋がっている・・・この深い絆は松が落ち葉することなくいつまでも緑なのと同じ」と詠い、自分と根をおなじくする容保よ、と讃えたもの。



第44話 名場面

<旅へ出る襄>
毎日あなたの幸せを祈ります。八重さん・・・留守を預けられるのはあなたしかいない
八重4409
同志社を大学に・・・夢に向かって資金集めに世界を回る襄だが・・・
しかし、スイスのホテルでついに発作を
八重44話 スイスのホテルでついに発作を
ううっ・・・ここで死ぬのか・・や・・・八重さん
や、八重さん・・・!!
八重4413
スケッチブックに手を伸ばすが・・・

<「女の物思い」八重の場合>

この遺書は本物だ・・・命を削って襄が戦っている。
八重4414
「私の髪をひと房切り取り、この遺書と共に日本で待つ妻に届けてほしい。」
八重4415
「神の元に結ばれた私の愛しい妻に」
世界中が敵でも構わねぇ・・・わだすは一緒に戦う
八重4418
襄のライフは私のライフだ・・・!
通じ合う祈り
八重4419
私はまだ生かされている・・・!やらねば!

<「女の物思い」照姫の場合>

「お久しゅうございます」     重い病の照姫を迎えにきた容保  
八重44話 2
いつの日も、私を支えてくださったのは姉上の真心でした。

めくるめく 輝かしき日々
八重4403
懐かしく優しい思い出
容保がくれたもみじ葉にひそかに歌を詠んだあの日あの場所
八重4404
姉上、わが邸においでください
八重4405
容保の住んでいた松平家別邸(御薬園)参照http://yonipo.blog13.fc2.com/blog-entry-1081.html
残された時を せめて共に過ごしたいのです 
八重4406


<「女の物思い」時栄の場合>

書生としてこちらにおいていただけないでしょうか?
八重4408
ゆれる時栄
八重4421
冷とうて気持ちよさそうやな。
八重4412

<八重、新しい戦い>
難しい戦いだ。政府も世間も、時には身内の宣教師も敵に回る。
八重4417
(ていうか、身内があやういの、覚馬でfa?)

<目指すものの違いから聞く耳もたぬ宣教師女性教師と対立した女生徒達>
宣教師の先生方の横暴、もうがまんできんとです!うちらは学問ばしにきとっと。尼寺に入ったわけではなか!
八重44 波乱含みの同支社女学校
言い分はわがった!私から先生達に話すから、騒ぐのは待ってくなんしょ

<板挟みの八重>
あなたや同志社の日本人教師たちが口を出すから,生徒たちが私たちのやり方に 不満を持つのです!
八重44 板挟みの八重
八重「口を出すのは当たり前です。みな学校をよくしたいのですから」
舎監室は密告の場ですか?だいたい舎監も生徒達に甘すぎです
八重4411
八重「み・・密告だなんて」

<舎監・佐久登場>
生徒に間違いがあったなら、それは舎監の私の落ち度だ。娘たちから学問の場を奪わないでくなんしょ
八重4420
わだすが舎監を辞めっから、どうかそれで治めてくなんしょ。


いくつになっても母の知恵には かなわない八重であったが・・・




八重の桜、こんなところが好き!感想

「世界中が敵でもかまわねえ!私は、一緒に戦う」と、八重。
覚馬「難しい戦いだ…政府も政権も、身内も敵にまわる」

今日も名台詞満載でしたね。静かなる戦いと、それぞれの女の物思いが交錯する43話、良かったです。

同志社を大学に・・・そう、私立大学を作る!と息巻いていた襄。
私立なんて、今ではあたりまえのようなことだけれど、それは更なる苦難の道。
襄はいばらの道をいくつ 潜っただろうか。

急がなければ・・私たちの同志社がつぶれてしまう!
政府は容赦なく圧力をかけてくる。

けれど、同志社がつぶれるまえに、襄の心臓がつぶれてしまいそう・・・
政府や圧力だけでない、襄に迫る命の期限との戦いでもありますね。

襄は何故、そんなにも大学設立に情熱を燃やしたのでしょうか。

自由で自立した学び舎で、国家に縛られない 良心を、多彩な才能を。
教育は、国家百年の計・・・この言葉は、覚馬や大蔵が学んだ会津日新館のコンセプトとも重なりますね。
人を育てるのは、国を育てること・・・と大蔵も言った。

でも、凡夫の私には、あまりに漠然としすぎて、いまひとつ実感できません。
逆に、八重の「教師は、生徒に何かひとつでも良いものを伝えられればいいのではねえですか?」のほうがずっと心に響く・・・
などと言ったら叱られるでしょうか。(笑)

叱られる、といえば、
「己の不機嫌に任せて、怒りを映すは無礼のことなり」
女今川を馬鹿にした襄にぐうの音も言わせない八重、うまい引用をしたものです。

天下の悪妻と呼ばれようが、クリスチャンであろうが、女今川をそらんじている八重は、やっぱり会津の娘なのですね。
時代がどんどん過ぎていくのが悲しい位にわかりますが、会津の心を忘れないで、という制作者の気持ちがわかる演出が心憎いです。
11月度のオープニングの、会津絵ロウソクにも、その思いは籠められている気がします。
(絵ロウソクの紹介 参照http://yonipo.blog13.fc2.com/blog-entry-969.html

国会開設がいまや三年後に迫った今、宣教師を多く育てることより、一国の人材を育てることが急務であった襄にとって、留守を任された八重がアメリカ人教師達の言いなりにならず、”雇われ校長”の流れに甘んじなかったのは偉かったと思う。けれど、八重は確かに大学の運営に首を突っ込みすぎるし、互いに脅し合っているようにしか見えませんでした。 何より、お金を何億とつぎこんでくれてる伝道団体(アメリカンボード)も絡んでいるので、短気な八重に、この舵取りは至難の業。
「わが愛する妻へ」と命を振り絞って書いてくれた襄への愛に応えたい気持ちは涙ぐましいけれど。

そこは、やはり母の出番ですね。亀の甲より年の功?まだまだ八重はかないません。
攻めるばかりが戦ではない。一歩退いてでも学校を守るのが自分の務めであった・・・そう思い至った八重。
さすがは、覚馬をして「自分はとうてい母の聡明さには及ばない」といわしめた賢母です。

今夜は久々の容保公と照姫も出て、フラッシュバックでも殿のスマイルが見れ、綾野or 容保ファンには嬉しいサプライズでした。
殿はこの頃、会津の松平家別荘(御薬園;おやくえん)で余生を送られていたのですね。互いにほのかな恋心を抱くようになった、お二人の優しい出会いは、丁度いまのこんな季節、 あの紅葉の美しい別邸(御薬園)がなれそめ。
美雨も訪れましたが、冷泉の湧く地に、疫病に苦しむ領民を救いたいと薬草園を作った会津藩主の願いが詰まった御薬園は、癒しのパワーに溢れたところです。
参照http://yonipo.blog13.fc2.com/blog-entry-1081.html
本当に容保についてこれたら、照姫さまのお体もきっと良くなられたのでは・・・
いえ、いっそ添い遂げて欲しい位、お似合いのお二人。(涙)
弔い続けた日々の果てに、残された時を、共に過ごしたいという容保の想いは本物であったと思う。
そして、もう天は許したと思う。

けれど、やはり妹であり正妻の敏姫の遺した「”姉として”殿をよろしく」という呪に生涯縛られて、切ない生涯でした。それでも、殿の愛情を感じながら静かに天に昇った照姫は、女としてしあわせだったかもしれない。

今日はそんな女の「物思い」があちこちに散りばめられていました。

新しい書生くんは、仮面ライダー出身ということで、筋骨たくましい男丈夫。
時栄は、夫と同じイントネーションで話す青木の中に若かりし頃の覚馬を見ているのかも・・・女として彼女の視線にビビっとくるものがありました。
時栄役の谷村美月さん、上手いですね。あの艶は天性のもの?
うなじに光る汗が、ドッキリでした。
考えたら時栄はまだ三十代の女盛り。覚馬を背負って歩き、その他の肉体労働も全部自分、生活に疲れ切った時栄が、若く情熱的な男性に優しくされたら、こころが揺れてしまうのも無理からぬことかもしれません。
来週の波乱が心配でもあり、ちょっと楽しみでもあり・・・?

「今回のタイトルも、「遺言」だなんて、タイトルがショッキング過ぎですね。(笑)
襄の死を予感してしまった視聴者は多かったと思います。

天下の悪妻と、ちょっとたよりない校長。
誰よりも互いの強さを知る二人の、新たなる戦いが、いま又始まりました。




 八重の桜かると 
       宸翰・御製のゆくえと『京都守護職始末書』のこと


実在した宸翰・御製
宸翰・御製01

ついに、出てきましたね!
ひとつ間違えば、世をゆるがしかねない、新政府側にとっては、爆弾のような「しろもの」です。
あの戊申戦争のどさくさの中、容保が敵の目をかいくぐって持ち運んだのでしょう、いつも肌身離さず(お胸にでも入れて?汗)守っていたのか、その苦労が偲ばれますね、殿、Good Job!です。
会津側にとっては、逆賊などではないと証明できる切り札であり、最重要機密文書に匹敵する「御宸翰&御製(ごしんかん、ぎょせい」美雨もそのゆくえがとても気になっていました。
容保公は「いずれふさわしき時が来るまで、秘しておかなければ」と慎重にしていましたが、さすが聡明な殿の言う通りで、切り札は出すタイミングを間違えると敵に悪く利用されてしまうもの。
それが山川浩(大蔵)と健次郎兄弟に手渡されたのは、明治24年、おりしも覚馬が天に召された年でした。「会津がいかに誇り高く戦ったか訴え、死んでいった者達の名誉を回復してほしい」遺言ともいえる願いを託し、容保も又その2年後、昇天します。


明治になり弟の健次郎と会津の名誉回復運動を展開、「京都守護職始末」を執筆。
      山川大蔵    大蔵(山川浩)の著した京都守護職始末
           山川 浩


タイミング・・・遅すぎても早すぎてもいけない。それは”天の時”を見定めるのも同じ作業です。 山川浩の著した『京都守護職始末」』で、孝明天皇が松平容保に与えたご宸翰が明らかとなり、原稿の段階で明治政府は発行を見送らせたというから、なんとも理不尽な話。
力尽きて浩が逝き、この仕事は健次郎に引き継がれますが、もとを辿れば尚之助のライフワーク。客観的に幕末と戦の動向を視ることが出来た他藩人の尚之助だから書き得た、会津顛末記の雛型です。ここに一途な男たちの綴り重ねた”もうひとつの歴史の真実”を見ることが できますね。

尚之助の『会津戦記』は実在したものかどうかは別として、このモチベーションは最高の演出です。
尚之助の遺稿を覚馬に渡されたときから、恩を返せなかった負い目から 浩(大蔵)に残された命は、かの『京都守護職始末』執筆に注がれた、という胸熱くなる道筋です。
そのほかに、浩が急いだ理由があるとすれば、政府が作った『復古記』に対してでした。王朝復古史観が基調となっており、薩長の明治維新功労者を顕彰するため編纂されたもので、会津が逆賊として扱われていたからです。
 結局『京都守護職始末書』が世に出たのは没後13年経過した明治44年のことで、故人の意思を継いだ弟の健次郎が発行しています。

この本は幕末の会津藩が辿った義の道を後世に伝えてくれています。



容保が終生大切に保管していた 孝明天皇の御製;和らくも
宸翰・御製02






  八重の桜かるとⅠ 覚馬と時栄 
          ~徳冨蘆花の自伝小説「黒い眼と茶色の目」のこと~


※ネタバレ駄目な人遠慮下さい
『八重の桜』で、もうおなじみ、谷村美月さん演じる小田時栄。山本覚馬(西島秀俊)の後妻となる女性ですが、二人の間に生まれた娘が、後に徳冨蘆花が恋する久栄です。久栄は徳冨蘆花の自伝小説『黒い眼と茶色の目』のヒロインのモデルとなった女性。蘆花と久栄の恋は結局実らないのですが、そこには新島襄や八重が絡んでいたようです。
今年の春、熊本近代文学館でも特別展が開催されたという徳冨蘆花の『黒い眼と茶色の目』は、覚馬や八重の京都での後半生を、断片的にでも印象深く伝えているようです。


黒い眼と茶色の目


釈放後、山本覚馬は京都府の顧問に抜擢されます。幽閉中に書いた山本覚馬建白(管見)が認められたからですが、その後も覚馬は長州藩出身の槇村正直と荒廃した京都の産業復興に力を入れる事になります。八重たち家族が覚馬をたよって上洛した頃、覚馬は44才、時栄は18才になっていました。
覚馬は1年間にわたる幽閉中に完全に失明したうえ、脊髄を痛めて足を悪くしており、時栄は山本覚馬の目となり足となって、山本覚馬を支えていました。
『山本覚馬伝』でも、小田時栄は「かつて先生を危難からかくまい、木戸孝允の妻松女(木戸松子)と並び称させられた女で、常に先生の座臥身体を助けた」と評価されています。
このとき、妹の山本八重は26歳なので、覚馬は妹よりも若い愛人と暮らしていたことになりますね。1871(明治4年)、時栄は18歳で山本覚馬の娘となる小田久栄(おだ・ひさえ)を出産します。
そして、覚馬の妻、山本うらが身を引き会津に残ったため覚馬はうらと離婚し、正式に小田時栄と結婚することになりました。


覚馬と時栄の娘・久栄               母・時栄役の谷村美月さん
小田久栄    時栄さん


小田時栄の娘・小田久栄
この記述は新島襄の教え子であり徳富蘇峰の弟でもあった、後の小説家、徳富蘆花(健次郎)が小説に書き残したものであり事実だったかどうか確証はないものの、そのことが山本家のお家騒動へと発展することになります。
覚馬の再婚後10年余りが経過し覚馬50才後半、時栄30才のときでした。
 同志社英学校に在席した徳富健次郎(徳冨蘆花)の自伝的小説『黒い眼と茶色の目』によると、山本家では次のような事件が起きたといいます。

1885(明治18)年、妻の時栄の体調が悪いため、覚馬は医師ジョン・カッティング・ベリーに往診を頼みます。時栄の診察を終えた医師ジョン・カッティング・ベリーは、帰りがけに玄関から奥に向かって「おめでとう。もう5ヶ月です」と告げました。しかし、奥でこれを聞いた山本覚馬が「身に覚えが無い」と言い出したため、妻・山本時栄の不倫が発覚し、山本一族の間で騒ぎになりました。聞きただしたところどうも相手は山本家が将来養子にと思い会津から呼び寄せ同志社へ入学させ山本家にも出入りしていた青年でした。
しかし、覚馬にしてみればその頃失明に加え、足も不自由になっており、いわば不具者の身で時栄に対し負い目があり、クリスチャンとして洗礼も受けていたことから、時栄を許すことにしたのです。それで事は穏便に収まるかに見えたのですが、そこは八重のこと、「臭い物に蓋をしては行けない。全てを明らかにする」と妥協を許しません、時栄を問い詰めたあげく、「ならぬものはならぬ」で家から追い出し、明治19年には覚馬と離婚する事態となりました。
時栄の相手は、会津出身で同志社英学校に通っていた望月興三朗の弟だとされていますが、徳富健次郎の創作だという説もあり、この騒動は、後世も「山本家に起きた”一寸むつかしい事”として伝えられています。




  八重の桜かるとⅡ 
     ~襄の世界旅 H.ヘッセとも会っていた襄~


13110201.jpg

襄、2度目の欧米旅行
l884年4月、神戸港から船に乗り込んだ新島は、スエズ運河を経由し欧州へと向かいました。
イタリアでは避暑生活を送りますが、アルプスのサンゴタール峠に出掛けた際、襄は激しい心臓発作と呼吸困難におそわれ、死を覚悟するに至ります。幸いにも一命は取りとめましたが、このと襄はスケッチブックに遺書をしたためています。

ドイツのバーゼルでは、後に文豪となる少年時代のH・ヘッセと、彼の父親が館長を務めていたミッション・ハウスで偶然にも出会っています。
日本人にもおなじみ、『車輪の下』や『知と愛』の著者ヘッセもこのときはまだ7歳。
プロテスタントの宣教師で布教文書の執筆家でもあるヨハネス・ヘッセは「バーゼル伝道会」の教師としてバーゼルに赴任していたので、このとき幼いヘッセと襄は偶然出会ったのですね。 

アメリカに渡つた新島は、「アメリカの父母」であるハーディー夫妻やシーリー学長など、懐かしい恩人らと旧交を温めます。新渡戸稲造や内村鑑三といった「札幌バンド」のメンバーとの面会にも時間を割きました。
バーハーバーのハーディーの別荘での避暑は久しぶりの休養となり、「アメリカの父母」ハーディー夫妻のために自伝的手記『私の青春時代』を書き上げています。この手記は自伝のない新島にとっては、貴重な記録となっています。

帰国した襄は、欧米で集めてきた寄付金をもとに、以前からキリスト教の学校を、と夢見ていた東北の地(仙台)に、同志社分校である宮城英学校(のちの東華学校)を設立。また、希望であった医学部への布石として、京都御苑西に同志社病院と京都看護病院を設立します。

どちらも襄の死後、財政上の理由から閉鎖されてしまったものの、戊申の戦で傷ついた人たちが重荷をおろせる場所を、と 東北に向けた襄の想いと教育への熱意が伝わってきますね。
また、看護病院の夢は、のちに襄の理念を背負って、敵も味方も等しく助ける博愛精神に則った、赤十字篤志看護婦として日清戦争に赴いた八重に、立派に引き継がれていますね。


幼児時代のヘッセ
幼児期のヘッセ
襄はきっと握手したことでしょう^^



「八重の桜」各話あらすじ&感想
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大河ドラマ 八重の桜 第43回「鹿鳴館の華」

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歴史ドラマ 八重の桜 第43回「鹿鳴館の華」

あの名作が帰ってきた!
平日 朝8:00~午前9:00 深夜1:15~深夜2:15(月~金、毎日放送)
制作年 2013年
制作国・・・日本  ジャンル・・・歴史ドラマ
総話数・・・全50話

43回の視聴率は11・5%「お二人とも!理屈ばっかりで埒があかねえなし。腕相撲で決着をつけんべ!」かつて命がけで銃を撃ちあった大山と八重、捨松の結婚をかけた勝負の結果はいかに?復興にむけて頑張る福島と東北に熱くエールを放つ大河ドラマ”八重の桜”、共に見守りつつ、虹の桜前線を拡げていきたいですね!

チャンネル銀河・八重の桜HP https://www.ch-ginga.jp/feature/yaenosakura/
八重43表1
八重の桜OP、BGMにドゾhttp://www.youtube.com/watch?v=6tDZC6aTUxA

第43話あらすじ
明治16(1883)年、1月、山本家に山川浩(大蔵;玉山鉄二)が訪れた。覚馬(西島秀俊)とは15年前 戦が始まったとき京都で別れて以来の再会であった。若家老として会津の苦難を最後まで背負った大蔵の苦労を思うと会うのも恥じ入られたと詫びる覚馬に、大蔵は自分こそ戦に敗れあわせる顔もなかった、と、手をつき合い涙する。襄(オダギリジョー)と浩は初対面だ。ひと段落し、浩は妹の捨松を同志社女学校で教師として雇ってほしいと頼む。のちに津田塾大学を開くこととなる津田梅子と帰国した捨松だが、女というだけで国費で留学した自分らに仕事をさせない文部省への不満をを吐露する。当時はまだ女性が職を得てみを立てるのは難しく、姉の操もロシア留学から帰って就職に苦労していたのだ。 襄は、アメリカ時代に面識のあった捨松の十年間の研鑽を讃え、「日本の教育に生かさなければ日本の損失です」と、捨松を歓迎した。八重(綾瀬はるか)は幼馴染の浩(大蔵)を同志社女学校に案内し、昔話に花を咲かせる。浩は「会津の者は中央政府では日陰者だが、健次郎や姉上、そして八重さんのように教育こそが腕をふるえる道かもしれない」と話す。人を育てるのは国を育てることだ、と。「襄も同じことを言います」と頷く八重。帰りぎわ、覚馬は尚之助の遺稿となった「会津戦記」を手渡す。

ほどなく陸軍省人事局に栄転し、東京に戻った浩を、陸軍中将の大山巌(反町隆史)が訪ねてくる。あろうことか大山は、浩の妹、捨松(水原希子)を後妻に欲しいと願い出る。長く留学し西洋の流儀を身に着けた捨松が妻となれば、不平等条約の改正に役立つと説く大山に「妹を道具の様に言うな!」と激怒した浩は求婚を即座に断る。この場に同席していた健次郎は、東大の研究室に捨松を呼び、彼女の率直な気持ちを聞き出す。「日本の為に働けるなら、大山のアクセサリーになります。喜んで」捨松は割り切って考えていた。西洋式のパーティーでも、洋装姿を奇異の目で見られ、まるで外国人扱いで、心折れかけた捨松に、手を差し伸べたのは大山だった。何度かパ―ティーで会っているが、美しい捨松が忘れられない・・・だが、それを理由にしては男の沽券にかかわるのでもっともらしく条約改正を理由に求婚をもちかけたと正直に語る大山に、捨松は好意を抱いていた。しかし大山は仇敵の薩摩。母の艶もまたそのような結婚は藩士の皆様に顔向けできない、と娘を諭す。もと家老の兄のことも考えてやってくれ、と。書斎では浩が「会津戦記」を読んで泣いている。捨松もまた、やるせない思いに涙する。
 この頃譲と八重は東京にいた。襄は大学設立の陳情が目的だ。八重は健次郎と浩の手紙から山川家の窮地を救おうと息巻いての上京であった。まずは陳情をと、襄は勝海舟(生瀬勝久)のもとを訪ね、自立した人材を育てる私立大学の必要性を熱く語り、勝からの応援の約束をとりつける。 そして、2人はその帰りに山川家に立ち寄る。山川家には、いつもの如く大山巌が、捨松を嫁にほしいと日参していた。旧薩摩藩士との結婚に怒りを抑えきれない浩と、迷いを捨てきれない妹の捨松。その様子を見かねた八重は一計を案じる。理屈ばっかりで、らちがあかねえなし!腕相撲で決着をつけんべ!大川様、捨松さんを本当に好いてんなら、勝負して奪ってみらんしょ」大山は、会津戦争のおり八重の銃で被弾した右足をたたき、苦笑する。あたかも形を変えた会津と薩摩の戦いだ。今度こそ負けるわけにはいかねぇ――。あの会津戦争の汚名返上とばかりに、息巻く八重。浩と健次郎も応援に熱が入る。昔から力自慢の八重がぐいぐい押していくのを、「大山さま!」と声援を送ってしまう捨松。その声に全員が気をとられ、一瞬気の抜けた八重を、捨松の応援に力を得た大山が猛然と押し返し、八重は負けてしまう。「戦はおわったぞ、山川」「この屋根の下では兄上と呼んでもらおうか」浩が笑い、二人の結婚を認める。負け戦がこんなに嬉しいことは無い・・・八重も二人を祝福する。

同年8月、国会開設に向けヨーロッパを視察し各国の憲法を調査していた伊藤博文が帰国する。前年、大隈重信を政府から追い払った伊藤は、強力な国家に必要なのは官僚組織だとし、東京大学を有能な官僚の育成機関にすると主張する。そして12月、日本の文明開化を示すために開かれた鹿鳴館で、大山と捨松の盛大な結婚披露宴が執り行われた。

・・・ということで、次回は第44話「襄の遺言」です。クリック↓
http://yonipo.blog13.fc2.com/blog-entry-1132.html


第43話名場面

<文部省に女子の高等教育をかけあいに行くが相手にもされなかった捨松>

My ten years, they were waste time!
八重4301

<15年ぶりの再会、浩(大蔵)と覚馬>
御家老として会津の苦難を最後まで背負われた大蔵様のご苦労察するに・・・
八重4302
覚馬さん、おやめください!俺も戦に敗れて合わせる顔がなかったんです。
尚之助の遺稿「会津戦記」を渡された浩 
八重4302a
「川崎殿には何一つ恩返しできぬまま、悔やんでも悔やみきれません」

<おさななじみ 八重と什の掟を唱和する大蔵>
八重、大蔵「外で女と言葉を交してはなりませぬ、ならぬことはならぬものです。あはは・・・」
八重4303

<捨松を見初めた大山巌、断られてもせっせとプロポーズ通い>
山川殿の妹を、捨松さんをおいの嫁にいただきたくお願いに参った。
八重4304
決して不自由はさせんでお願い申し上げる。

<研究室に妹を呼び出し、彼女の気持ちを確かめる健次郎>
一度お会いして自分の目で見定めてみてはどうだ?
八重4305

<山川家の矛盾に、戸惑う襄>
山川様は捨松さんの就職をすぐに進めてますし、健次郎さんは保留にしてほしいと書いてきている・・
八重4305a
どういうことでしょう??

<大山、猛アタック!>
捨松「梅子、私たちアメリカでも日本でも、外国人扱いなんだわね
八重4306
Ladies, they are just stared by your beauty.
何度かパーティでお見かけしてかい、美しかおはんのことが忘れられんごつ
八重4307

ワインをこぼした捨松 フキフキ 「そげなこつはメイドにさせればよか!」「いえ」フキフキ
八重4308
・・・おはんは外国人などではありもはん。誇り高か会津女子でごわす。

<尚之助の「会津戦記」を泣いて読む大蔵を見てしまった捨松もまた・・・>
川崎先生・・・、登勢・・・会いてぇなぁ。
八重4309
くっ、うっ・・うううっ

<襄を試した勝>
わかった、応援しようじゃないか、同志社大学の設立を。
八重4309a
10年とでもいい加減なことを言ったら追い返すつもりだった。

<揺れる捨松>
八重さんは、どうして新島さんと結婚したんですか?
八重4310
それは、襄が言ってくれたから、共に歩んでいこうと・・・何が起きるかわからねぇ世の中だけんじょ、
八重4311
同じ時を生きてみてぇと思った。そしたら、いつのまにか襄の夢が私の夢になって・・・
捨松「二人のような結婚ならよかった・・・」

<この結婚、腕相撲で決着をつけんべ!>
大山さん、後悔するかもしれませんよ。
八重4312
妻より相手を心配する襄
八重優勢 「ああっ・・大山様~ッ!」 ついを大山応援してしまった捨松
八重4313
 気が抜けるみんな 八重「えっ・・!?」 ぐいっと押す大山
「あ、危なかとこじゃった・・・戦は終わったどん!山川」 
八重4314
「大の男が情げねえ!・・・じゃ、この屋根の下では兄上と呼んでもらおうか」
負け戦が嬉しいのは初めてです・・・
八重4315
八重もしんみり

<伊藤博文が帰国、官僚制への強化から徴兵令改正への暗雲がたちこめるが・・・>
先生方にはこの東京大学を有能な官僚の育成機関にしていただきたい
八重4316
お待ちください!学問は国家によって左右されるものであっては断じてなりません。
八重4317
大学は政治から独立した教育と研究の場です・・!「ふん、会津モンか」

<鹿鳴館で、捨松と大山の挙式が催される>
時が乗り越えさせてくれるものもある。だけんじょ、俺が忘れぬうちは相手も同じ
八重4317a
逆賊と呼ばれ続けんだろう・・・それでも100年後会津が日本の誉となる日がくっかもしんねぇ。
八重4318
なんか、もうノリノリの二人




八重の桜、こんなところが好き!感想

今週は捨松が主役でしたね。

ニューヨーク五番街にはエジソンが発明した電燈が昼のようにこうこうと闇を照らし、男女分け隔てなく学問を学んでいるアメリカから、学問の独立さえ計れていない日本に帰って、20年くらい遅れた逆カルチャーショックを覚え、捨松自身のスタンスというか、アイデンティティーさえ失ってしまった境地がわかりました。
襄は、200年、いや300年かかるだろうと言っていました。

思えば 伊藤博文も、まだ懲りていないですね。やはり、木戸、大久保、小松が消えて残った大物とはいえ、伊藤博文も俗物に見えます。このとき岩倉ももう他界していましたし。
強力な国家体制をスローガンに、官立の学生のみ免れる徴兵免役規定をつくり、人材を中央にのみ集める伊藤の作戦は、また襄の心臓に負担をかけそうです。
大隈という最大の敵が下野した今、これは軍国主義へのステップでも、ありますね。

八重の桜では、ちょいダークな伊藤の横顔に
「人民が愚かなままのほうが、政府は国を操りやすい」を連想してしまいます。

捨松に戻しますが、彼女は実際の写真を見ても、現代女性と変わりませんね。
スタイルもよく、確かに異人さんみたい。
明治時代という背景を考えると、相当ぶっ飛んだ女性であったと想像できます。
その当時の日本には、海外経験もある実力者で、捨松に合う男性は大山しかいなかったのではないかとも思えます。  捨松が大山とまだ知り合ったばかりの時に薩摩弁がわからず、英会話で親しくなったエピソードを、特番で見ましたが、そんな片鱗がドラマでもみてとれました。

客観的に言えば、免疫がないから捨松もころっといってしまったといえばそれまでかもしれません。
時代のスタンスとしては確かに道具・・・披露宴招待客から「利用できる女性」というヒソヒソ声が響いていそう。それでも彼女は自分が大山の「アクセサリー」となるのを潔しとし、自分が生かされるよう、逆に利用しているような・・・
そのシチュエーションはどこか、京都府政で覚馬が槇村や岩倉の捨て石になりきることで、彼らの期待に応えながら、その実うまく利用していたような、静かなる戦いを思わせました。
捨松もまた、時代を開く会津女性らしい、小さなハンサムウーマンなのでしょう。

会津らしさと言えば、そう、八重の桜ファンの訪問者様はもうお気づきですね。^^
捨松がワインをこぼした時、そんなことはメイドにさせればよい、という大山に「いいえ」とことわり、
きちんと最後まで自身でふきとる捨松。
開城した鶴ヶ城に足を踏み入れたときも、戦いに敗れた会津の女性達が敵に渡す城を、ちりひとつなく清めている姿を思い出した大山。会津びいきの身としてはちょっと胸のすいた思い。
「おはんは、外国人などではない、誇り高か会津ん女子でごあす」
と言わしめた捨松、
西洋人のように振る舞い、流暢な英語は話しても、まぎれもなく、会津女性のアイデンティティーを持った人。 彼女はそれに気づいているでしょうか。
アメリカ人の合理性とメンタリティーを、会津魂にのせて強く前進しようとする捨松は、どこか昔の八重の面影と被って頼もしい。

けれど、近代の先端を突き進んでいこうとする、捨松の未来志向と逆行するように、自分だけは忘れてはなんねえのだ、と会津をいまも一身に背負って生きようとする浩の使命感・・・動かなくなった左手にさらに重い手枷、足枷をはめるのを見るよう・・・。

尚之助の「会津戦記」を覚馬に渡され、その思いはもっと強くなりそうな。
思うに、尚之助に恩を返せなかった分、彼の熱い涙は、かの『京都守護職始末』1・2、全二巻執筆に注がれた気がします。
この仕事は、健次郎に引き継がれますが、もとを辿れば尚之助のライフワーク。客観的に幕末と戦の動向を視ることが出来た他藩人の尚之助だから書き得た、『京都守護職始末』の雛型です。ここに一途な男たちの綴り重ねた”もうひとつの歴史の真実”を見ることが できますね。


しかし、ファンタジーとはいえ、すっぺったこっぺった屁理屈ばかり飛ばしあう男たちを一喝、
腕相撲でひとの結婚を決めようとは・・・(笑)元祖ハンサムウーマンの八重にしか考え付かない「はなれ技」です。
あの懐かしい血沸き肉躍る戦のBGMに乗り、あたかも形を変えた会津と薩摩の戦いが始まってしまう。
「今度こそ負けるわけにはいかねぇ」
笑ってはいけないけど、この八重節(ぶし)に笑ってしまったの、私だけ?

「後悔しても知りませんよ」と相手の男性を心配する襄に、
「行けーーっ、八重さん」と本気で応援の健次郎、
「撃てーーっ、八重さん」と叫ぶ、妹よりむしろ八重いのちの大蔵(浩)。

重さのなかに、軽さあり、暗さのなかにも明るさのある八重の桜、もう最高です。

本日をもって、山川兄弟の会津戦争は終わった、と大山は言う。
時が乗り越えさせてくれるものもある・・・けれど忘れてはならないものもある。
その責があるかぎり、逆賊と呼ばれ続けるのは必定。
けれど、百年後、汚名を返上し、会津が誉れとなる時代が来るかもしれない――
次は若い者たちの使命だ・・・・これはドラマでなく、真実の声であったに違いない。

そして戦後を生きる捨松。「あなたは未来を生きる人だ」と尚之助のセリフが
鹿鳴館で華麗に踊るステップに重なって聴こえた、第43話でした。






 八重の桜かると 鹿鳴館とは

鹿鳴館01


明治政府は、政権発足以来、幕末が結んだ不平等条約の改正に取り組みました。その中心は、関税自主権の回復と、治外法権の撤廃でした。 鹿鳴館は、ときの外務卿(大臣)井上馨により建設された迎賓館でしたが、条約改正のためには、日本が欧米列国に劣らない文化を持つことを示し、社交を通して信頼関係を築くことが必要だと考え、公式の迎賓館の建設を推進したのです。
 鹿鳴館には、毎晩のように諸外国の外交官やその家族が招かれ、日本政府の高官や、華族(旧公家・旧大名)などが集められて、宴会や舞踏会、演奏会が催され、慈善バザーも行われました。
鹿鳴館は、イギリス人建築家のジョサイア・コンドルが設計した煉瓦づくり2階建ての建物で、明治16(1883)年、今の日比谷公園付近に建てられました。「鹿鳴」という名称は、古代中国の詩集「詩経」の「鹿鳴の詩」からつけられた名前で、「来客をもてなす」という意味があったのですね。
 しかし、条約改正の折衝は失敗続きで、明治20年、井上は外務卿を辞職、一方、鹿鳴館についても、軽薄な欧化政策の象徴で、国費の浪費であり、国民から乖離したもの、という批判が政府内外から寄せられ、同23年に宮内省へ、同27年に華族会館へ払い下げられました。建物は、昭和15(l940)年、老朽化により取り壊されます。
ちなみに条約改正は、治外法権の撤廃が明治27年までに、又、関税自主権の回復は同44年までに達成しています。


鹿鳴館05




 八重の桜かるとⅡ 
    ~ドラマで流れる中島ノブユキさんの音楽(OST)~


中島さんの音楽、ほんとに素敵!1


戊辰戦争から15年。舞台が会津から京都へ移り、13話を数えただけなのに、もう、はや15年経ちましたね。

時代も幕末から明治へ、大きく変遷をとげるなか、覚馬や八重の生き方もめまぐるしく進化しています。
そしてドラマ内の音楽もまた、明治時代を迎えて、明るく華やかに、進化していますね、八重の桜。

パイプオルガンの荘厳なしらべにのって、きよらかな白ウェディングドレスに身を包んだ花嫁が新郎の腕をとり、日本で初めてヴァージンロードを歩む姿に思わず目がしらを熱くした視聴者は多かったでしょう。
キリスト教に象徴される教会音楽の透明感あふれる響き、聖なる共鳴和音・・・まさしく八重の桜・京都編の真骨頂といえると思います。
それもそのはず、襄の故郷である安中・新島学園で学んだ中島ノブユキが手がけるこれらのBGM(OST)、教会音楽に親しんだ 中島さんにとって、作曲の原点は讃美歌だったといいます。

今回(43話)のNHKのHPで中島ノブユキさんと彼の音楽がフィーチャーされていたので、とても嬉しくなり、以前のレビューに加筆を加え、八重の桜・OSTについて綴ってみました。^^


中島さんの音楽、いいですよね~!
安中(あんなか)は新島襄のもうひとつの故郷。襄ゆかりの新島学園で中島さんは学んだ
中島さんが育った安中・襄が初めて建てた安中教会
襄の建てた安中教会

坂本龍一さんの壮大なスケールで展開されるドラマティックなオープニングも素晴らしいですが、ドラマ内で活躍する中島ノブユキさんの音楽が大好き!
棒切れライフルを持った幼くはじける八重を思い出す懐かしいアコーディオンのしらべと、こころ弾むシンコペーション・・・あっ、この音楽はあのシーンでかかったなぁ、あの情景で流れたなぁと、心に浮かべつつ楽しんでいます。
アコーディオン、チェロ、オーボエ、フルート、(パイプ)オルガン・・・中島さんのOSTでは、さまざまな楽器が主旋律を奏でますが、ピアノがとりわけ美しく、イントロダクションから展開部まで導くピアノのフレーズが、私は大好きです。
特にお気に入りなのは、八重の結婚式や、人生の晴れの門出で流れる「輝かしい未来へのエール」。
これ、うちでヴァイオリンで時々 弾いています。原曲はパイプオルガン、ドラマではしばしばチェロのバリエーションで奏でられていますが、ステンドグラスから天使の光がさしこんでくるような神聖な輝きにみちた曲ですね。

八重の人生を奏でる
43回八重の桜NHK/HPのインタビューで、中島さんが語った、心に響く言葉を、こちらにも。

一番好きな音楽のかたち・・・それは、明るい曲でも、解放的な中に悲しさや切なさがにじみ出るものが好きだし、きっと、八重の桜でうったえるべき事のひとつだと思う。辛さの中にも、さきに見える希望に向かって、人は動き出してゆくのでは―――八重たちの生き方がそのままフィードバックして、作曲できた気がします。
第一部(会津編)では、ロマン派的で重厚なところを魅力的に仕上げましたが、第三回目の録音(明治・京都編)では、近代、ことにフランス近代音楽の要素や明治時代の晴れがましさ、華やかさを盛り込んで、ビートの効いたものも引用したりしました。

フィーチャーリポートhttp://www9.nhk.or.jp/yaenosakura/special/mov/#mov17

「絵は聴くもの、音楽は見るもの」という言葉がありますが、ビジュアルと共に迫ってくる、魂を揺さぶるあのしらべに、いつもどこか賛美歌を聴いているような感覚をおぼえるのは、教会音楽に親しんだ 新島学園出身の中島さんならではの感性かもしれません。
天使の羽のプリズムのように、虹の和音がこころにすーっと入ってくるBGM、至福です。


八重3923





キャスティング今日のフィーチャー 金森通倫・ひ孫はアンパンマン

歴史ブログランキングのお仲間、月猫さまに教えていただきました。m(__)m

「八重の桜」熊本バンドの一人
金森通倫(みちとも)と、石破茂氏との関係、及び、演じ手の柄本時生さんファミリーについて。

ちょっと「クドカン」に似た眉毛太い人がやっでます。
ホントはこんな人です
      ↓
金森01    金森02
ホンモノ・金森通倫       金森通倫役、柄本時生

金森通倫(みちとも)
襄によって洗礼を受け伝道師にもなりましたが、協会から離れたり戻ったり、実業家になったり
救世軍に入ったり・・・と 千変万化な人生でした。

晩年ほ 湘南の嶺山で 自然派生活 ・・・
まるて穴居人のように洞窟で暮らして、「今仙人」と呼ばれる自由っぷりでした。

結局 亡くなったのほ福島・郡山でしだが、昭和2O年、終戦の年まで生きてたんですね!89才!
八重同様 江戸の安政から、明治・大正・昭和を生き抜いた猛者です。
「自然派」 ・‥・いいのかもしれない(?)
この人の長男・太郎氏の娘は、石破二朗氏と結婚し茂(後の防衛六臣)を産みます。
「アンパンマン」と親しまれた 石破茂氏は通情のひ孫にあたりますね。
ひいじいちやんが出てくる太河見てるでしょうか?


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<柄本家> 

柄本明                     角替和枝(妻)
柄本明 角替和枝
柄本祐(長男)               柄本時生(次男)
柄本祐01 柄本時生01
わ~!(≧∀≦)ソックリですね!!



石破氏vsアンパンマン

金森通倫の孫です!八重の桜よろしく  (こちらもソックリ!ご親戚!?
石破ンマン
        やなせたかしさん、ご冥福をお祈りしますm(__)m            
 
    アンパンマン01
今日も最後まで読んでくれてありがとう☆彡



「八重の桜」各話あらすじ&感想
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MIUMIU 美雨

Author:MIUMIU 美雨
旅、歴史、長編ドラマ(短編も)のレビューやエッセイを書いています。
文化系の記事が多いですが、歴史ドラマ(大河ドラマ:八重の桜)や、韓ドラレビューも書きます。中でもソン・イルグクさんの作品が大好きです。
更新はマイペースで続けていきますのでどうぞよろしくお願い致します。

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