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ちょっとだけスピリチュアルな世界の旅日記や 文化、歴史のぷち・エッセイを書いています。他にも海外、国内のお気に入りのドラマのあらすじ&感想を勝手気ままに綴っています。

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大河ドラマ 八重の桜 第36回「同志の誓い」

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大河ドラマ 八重の桜 第36回「同志の誓い」

あの名作が帰ってきた!
平日 朝8:00~午前9:00 深夜1:15~深夜2:15(月~金、毎日放送)
制作年 2013年
制作国・・・日本  ジャンル・・・歴史ドラマ
総話数・・・全50話
出演者・・・綾瀬はるか、西島秀俊、長谷川博己、オダギリジョー、綾野剛、玉山鉄二、市川実日子 ほか

第36話視聴率は15・4%。会津のもんは おとなしく恭順しねえのです・・お忘れですか?一本気な八重が選んだ道は、夫と考えを共にし こころに偽りなく生きること。同じ志を持つものとして、どのような時も、私と一緒に歩いてください、と襄。八重のドリームが襄とともに花開く明治編、大きく動き出しました。

チャンネル銀河・八重の桜HP https://www.ch-ginga.jp/feature/yaenosakura/
八重36話表
八重の桜OP、BGMにドゾhttp://www.youtube.com/watch?v=6tDZC6aTUxA

第36話あらすじ
襄(オダギリジョー)の求婚を受け入れた八重(綾瀬はるか)。襄と八重の仲人は槇村が快く引き受けた。
しかし、クリスチャンの襄との婚約がもらたしたのは喜びだけではなかった。八重の周囲に波紋がさまざまな形で広がり、生徒の中には八重と目を合わせず口をきかない者もあらわれた。耶蘇(クリスチャン)と結婚する八重を厭う親の指図だった。そしてある日、役人が女紅場に現れ、いきなり解雇を告げる。しかしこれは槇村の差し金で、キリスト教に入信しないことが雇用継続の条件と迫る。心の中で何を信じようと構わないから 本音と建前をわけて考え、外面だけ取り繕ってくれればええんじゃ、と言う。返答の期日は明日まで、という槇村に、八重が翌日出した結論とは・・・八重は教壇で生徒たちに向かい、夫の考えを認めて支えていくことを宣言。そして、教え子たちに自分を偽ることなく自分のドリームを持って人生を進んで欲しいと言い残す。八重と口をきかなかった女生徒が立ち上がり、Beautiful Dreamerを歌いだすと、みなが泣きながらに唱和し、八重は後ろ髪を引かれながら女紅場を後にする。 襄と志を共にしようと、八重が女紅場を辞めてきた事を知った襄は
感極まって「これからは苦しみも僕に打ち明けて欲しい」と強く八重を抱きしめる。

そのころ、、中央政界から離れた西郷(吉川晃司)は、薩摩に戻っていた。彼が地元で開いた学校には、職を失ったことで日本のありように不満を持つ士族たちが集うようになっていた。学校をかくれみのに政府に対し不穏な状況に進む西郷を憂えて東京から従兄弟の大山弥介(巌)が訪ねてくる。昨年、征韓論から袂を別つた政変で、やはり士族の反乱を起こし政府に鎮圧された佐賀の江藤を引き合いに出し、政府に戻れと力説する大山に、自分についてきた若い者を放り出せないと言い、お前は国のためにやらねばならぬことをしろ、と追い返す西郷であった。
 
一方で、襄の英学校設立もまた難航していた。大垣屋の紹介で仮校舎を確保したものの、耶蘇を嫌う京の住民から打ち壊しにあい 荒れ果てたさまを見て、教師デイヴィスは不安を漏らすが、襄は「大事なのはどこで学ぶかでない、何を学ぶかだ」と説く。襄の熱意を汲んだ大垣屋は、遷都以来廃れていくばかりの京都に、新しい風が吹くのを見てみませんか、と 京の町衆を納得させる。しかし、襄たちにはもうひとつ難題が残っていた。それは、学校のカリキュラムで聖書だけは教えてはならぬという槇村の命令であった。そこで妙案を思いついたと笑う覚馬。すんなりと受理され、学び舎につけた名前は「同志社」、新しい日本を作りたいという同志が集まる学校、の意が込められていた。
明治8年11月29日、ついに同志社英学校が開校。生徒はわずか8名であった。
しかし襄が聖書を教えていると早速 抜き打ち検査とばかりに槇村が怒鳴り込んでくる。聖書はならんという約束じゃったろ!と怒る槇村に、「これはリーダーの授業です」と答え、八重もすかさず「槇村さんは建前が大事と言った。いまここで聖書を奪えても学びたいという気持ちまでは奪えない」と聖書を取り戻す。屁理屈だと髪を逆立てる槇村に、駄目押しとばかりに覚馬は「生徒に西洋の文明を教えながら、それを作り上げたキリスト教の考えだけは教えないなんて土台無理な話、開かれた世では技術も思想もすべて入ってくる。その中から我々が学び取るのです」と説く。してやられたと悔しがり、これっきりだと言葉を吐き捨てていく槇村。
 その翌年1月、デイヴィス邸で洗礼を受け結婚式を挙げた八重と襄は、新しい生活へ第一歩を踏み出す。

・・・ということで、次回は第37話「過激な転校生」です。




第36話ぷち・ギャラリー

学校の仮校舎を下見に行くが、耶蘇に反対の商人たちに荒らされ・・・
八重3601
この京は戦で深く傷つきました。器を新しくてもらえ、えろうありがたいことです。そやけど、
八重3600
中身はなんでもかんでも放り込んだらいいってもんやない。この京には積み重ねがあります。
私はこの地で広く世に飛び出していくこれからの若者を大切に育てたいと思っています
八重3602
皆さんとともにここで歩ませていただくわけにはいきませんか?
みなさん、ここはこの大垣屋に任せてもらえしまへんやろか。
八重3603
廃れていくこの京に新しい風が吹くのを見てみませんか?

<女紅場教師か 襄との信条か、 八重の選択>

私は宣教師の男性と夫婦になる契を交わしました・・・自分の心に従い自分で決めました。
八重3604
後悔も何一つありません。私は妻として宣教師である夫の考えを認め支え続けようと思います。
この会津もんが!さっさと出て行け
八重3607
会津の者はおどなしく恭順しねぇのです。お忘れでしたか?
八重3608
八重先生・・・ ♪beautiful dreamer wake unto me~♪♪
八重3605
八重が教えた英語の歌を唱和する女生徒たち  八重「みんな・・・」

新島様、Good Newsです・・たった今、女紅場を辞めて参りました
八重3609
これからはあなたの行く道がわたしの行く道です。あなたと同じ志をもって生きていきたいんです。
八重さん・・・
八重3611
むぎゅー
あなたの苦しみは私の苦しみです・・!全てを打ち明けてください
八重3612

<ついに学校の名前が>

同・・志・・社!
八重3613
新しい日本を創りたいと願う同志が集まる学校だ。
 八重36話 同志の誓い
いい・・いい名前だ!同じ志を持つ者、ですね!
あなた方は私達の同志です。同志諸君ようこそ!
八重3615

<槇村の抜き打ち検査>

槇村「聖書はならんという約束じゃったろ!」襄「これ英語のリーダーの教材ですよ?」
八重3616
八重「槇村さんは建前が大事と言った・・!今聖書を奪えても学びたいという気持ちまでは奪えない

<襄の心情>

私の目には彼女はただただ生き方はハンサムな方です。私にはそれで十分です
八重3617
アメリカの祖父、ハーディ夫妻に報告を・・・

<母の心情>

他の人が思いつかないことをするのが八重だ、それを私は誇りに思ってる。
八重3618
私はずっと八重を見守ってっから・・・!おめでとう

<門出>

八重3621
前日、デイヴィス牧師から洗礼を受けた八重
八重3622
母の縫ったウエディングドレスをまとい
日本初のプロテスタントの挙式であった
八重3620
デイヴィス邸に集まった婚礼を祝う人々
富めるときも、貧しき時も、命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?
八重3623
「どんな時も私と一緒に歩いてください。同じ志を持つものとして」
八重3624
”My pleasure."





八重の桜、こんなところが好き!感想&雑記

襄の夢、ドリームの第一歩が始まりました。

そして、それは自分の夢でもあると言い切った八重。
世にもまれなる夫婦の新郎が、アメリカの両親と慕うハーディ夫妻に充てたあまりにも有名な手紙の一節。

八重が世に言う「ハンサムウーマン」との異名をとるきっかけとなった、
She is not handsome at all. She is a person who does handsome.
「妻は見た目は決して美人ではないが、生き方がハンサムなのです」
そういいつつも、八重は十二分に綺麗でした。

襄を裏切れず女紅場をクビになった八重、槇村の「ホンネとタテマエを巧く使い分けろ」を逆手にとって、聖書の授業で「倍返し」したときは、鼻のすく思いでした。
このウィットは、ギリシャ喜劇のアリストファネスの作品『蛙』で、論戦に負けたエウリピデスが不服を申し立てると、それに対し彼自身(エウリピデス)の作品(の名文句)を引用しぐうの音も出させなくする勝者アイスキュロスのウィットとよく似ています。いまの政治家たちの話術やディベート法にも少なからず影響を与えていますね。
また、”会津はたやすく恭順しない”は、かっこよかったです。

そんな八重を、「こうと決めたら何をも恐れない女性」と手紙で讃えていた襄ですが、彼がハンサムウーマンと見たてた強さは、彼女の賢さだったのかもしれません。
その彼女を、一緒に歩いてゆける人はこの人だけ、と一目で見抜いた襄の慧眼もすごい。

それにもまして、襄の理想は素晴らしいです。
神のようですね。
人としても素晴らしい。
だからこそ、次々と協力者が手をさしのべてくるのでしょう。

協力者といえば、松方弘樹さんの立ち位置いいですね。出番少ないのに、うまいから存在感があります。
戦争で傷つき、遷都で荒廃した京都、繁盛するなら何でも放り込めばいいという商人(あきんど)根性より、京都人としての矜持をアピールして皆の共感を得たあとに、「その位の覚悟でいいものを築いてくれるよう、目を光らせてますよ」と暗黙の圧力で迫るあたり、実に巧妙です。まさに立て板に水、京の町衆を不承不承でも頷かせる松方さん、そのまま遠山の金さん(笑)・・・もとい、同志社設立の実質的な立役者は、大垣屋はんですね。
物事が始まる歴史は、案外こうした市井の名もなき協力者が作っているのかもしれない・・・そう思わせるシーンでした。

大垣屋のいう、器を新しくしても、中身はなんでもいいと思わないのは覚馬も同じで、形だけ真似ても、西洋を追い越すことは出来ないと説き、西洋の文明を教えながら、その核であるキリスト教の本質を学ばないのはナンセンスと諭す覚馬、今まさに大洋に漕ぎ出すアルゴー船のイアソン・襄を助く賢者ケイロンのような存在ですね。
彼が今回発案していた「日本海から琵琶湖を繋ぐ運河」…これが実現していたら、インド洋と地中海を結んだ、スエズ運河の開通にも劣らない、日本海側からの国際水路として、どれほどの益を生んだことでしょう。ユーラシア大陸と京都を結んで北は間宮海峡、南は対馬から、あらゆる富が琵琶湖を通って日本海から京都へやってくる・・・その通行料による国家収入は京都、ひいては日本にとってドル箱といえる存在であった筈です。
盲目だからこそ見える発想かもしれませんが、実現したら覚馬は京都のレセップスといえますね。

先駆的な世にもまれなる山本兄妹を似ていると微笑む襄ですが、彼こそあの時代に自力でアメリカ渡航を果たし、(といえば聞こえはいいが)オダ襄さんも曰く「国を飛び出すことは国禁を犯す行為ですから、今でいうと勝手に火星に行くくらい無謀なこと」を、あの優しい顔でやってのけているのだから、タダ者ではありません。
この三つ巴の稀人たちが輪になって Roll on していく世界のさきには、何があるのでしょう。

正反対に、時代と逆行するように、新政府を敵に回し、凋落の一途をたどる西郷。
「枯葉が落ちねば、次の花は咲けんな」と言ってたのは、おそらくヨハネ福音書の「一粒の麦が地に落ちて死なねば、ただ一粒にすぎぬ。しかし死ねば、多くの実を結ぶ」・・・のように思いますが、クリスチャンでもない彼がこのようにいつも哲学的な言葉を発するのがまたいい。
おそらく西郷は近代化の邪魔になる不平士族をまとめて、わが身もろとも玉砕するつもりのようす。
銃の教練をしている西郷の私学校と、聖書を読んでいる私学校・同志社の対比が皮肉のように「ペンは剣よりも強し」という言葉を連想させますね。

私も出来れば、ドリームを見つけに『同志社』の同志になりたいと思いました。




 八重の桜かると 
         ~ドラマで流れる中島ノブユキ氏の音楽について~


舞台は会津から京都へ。
時代も幕末から明治へ、大きく変遷をとげるなか、覚馬や八重の生き方もぐんぐん進化しています。
そしてドラマ内の音楽もまた、明治時代を迎えて、明るく華やかに、進化していますね、八重の桜。

パイプオルガンの荘厳なしらべにのって、きよらかな白ウェディングドレスに身を包んだ花嫁が新郎の腕をとり、日本で初めてヴァージンロードを歩む姿に思わず目がしらを熱くした視聴者は多かったでしょう。
キリスト教に象徴される教会音楽の透明感あふれる響き、聖なる共鳴和音・・・まさしく八重の桜・京都編の真骨頂といえると思います。
それもそのはず、襄の故郷である安中・新島学園で学んだ中島ノブユキが手がけるこれらのBGM(OST)、教会音楽に親しんだ 中島さんにとって、作曲の原点は讃美歌だったといいます。
今日は、そんな中島さんの音楽(八重の桜・OST)について綴ってみます。


中島さんゆかりの安中は新島襄のもうひとつの故郷。襄の建てた安中教会
中島さんが育った安中・襄が初めて建てた安中教会


坂本龍一さんの壮大なスケールで展開されるドラマティックなオープニングも素晴らしいですが、ドラマ内で活躍する中島ノブユキさんの音楽が大好きです。

棒切れライフルを持った幼くはじける八重を思い出す懐かしいアコーディオンのしらべと、こころ弾むシンコペーション・・・あっ、この音楽はあのシーンでかかったなぁ、あの情景で流れたなぁと、心に浮かべつつ楽しんでいます。
アコーディオン、チェロ、オーボエ、フルート、(パイプ)オルガン・・・中島さんのOSTでは、さまざまな楽器が主旋律を奏でますが、ピアノがとりわけ美しく、イントロダクションから展開部まで導くピアノのフレーズが、私は大好きです。

特にお気に入りなのは、今日36話にもかかっていました「08.尊敬とあこがれ」慕情と秘めた情熱が、甘酸っぱく胸をゆさぶります。心に沁みる母の八重に贈ったはなむけの言葉の様に、魂にすうっと溶け込むようです。

「絵は聴くもの、音楽は見るもの」という言葉がありますが、ビジュアルと共に迫ってくる、魂を揺さぶるあのしらべに、いつもどこか賛美歌を聴いているような感覚をおぼえるのは、教会音楽に親しんだ 新島学園出身の中島さんならではの感性かもしれません。
天使の羽のプリズムのように、虹の和音がこころにすーっと入ってくるBGM、素敵です。


八重の桜OST




  八重の桜かるとⅡ 同志社大学設立までの道程

同志社英学校開校
山本覚馬は新島の学校設立に対する強い意志に惹かれて協力を申し出て、所有していた薩摩藩跡地を提出します。そして、新島とともに同志社を結社し、「私塾開業願」を京都府に提出。8月には政府から私塾開業許可を、9月には政府から宣教師雇用許可を得ることが出来ました。そしてついに11月29日に、「官許同志社英学校」を寺町通丸田町の高松邸を仮校舎とし開校させました。
開校当初の教師は、新島とデイヴィスのわずか二人。生徒は8人で、そのほとんどはデイヴィスが神戸から勧誘してきた生徒達でした。開校にあたっては、「校内で聖書は教えない」という誓約書を京都に提出していたため、襄は、校地に隣接する元豆腐屋だった家屋を個人で購入し、仮の神学館として利用したのでした。この建物は「三十番教室」または「イングランド」などと呼ばれていたといいます。なんだか、ミッションコードみたいですね!


「三十番教室」と呼ばれた聖書の教室
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同志社結社の本来の目論見である学びは、ここから始まったんですね

美を競う国指定重要文化財の華やかな洋館いならぶ基督系名門・同志社のキャンパスですが、その基盤を作るに至るまではドラマ以上の苦労があったようです。当時のいきさつを八重自身が綴った貴重な書簡(回想録)が残っているので、原文のまま載せてみます。

新島八重回想録・その三 
学校のはじまった時、ここは高松さんという華族の家で、洛陽教会よりまだ下から長屋で取り囲まれていて、その真中にありました。
この家は高松さんが、御所の火消の頭であった中井主人という人から借りていたのでありました。高松さんは大変貧乏な華族でありましたので、この家と長屋の一つを、月三十五円で貸してくれまして家賃は三ケ月分づつ払うことにして居りました。
槇村さんはこれを聞いて、高松さんを京都府庁へ呼び出し
「新島に家を貸すな」
と言いつげました。けれども高松さんの家賃がどうしても返せないので、止む得ず、そのまま放っておきました。それからも、三ケ月ごとに百円以上の金がはいるので、とうとう立退を要求されることなくしてすみました。百円と言えば、その頃ずいぶんな大金でありましたから。

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新島八重回想録・その四                     
同志社がはじまってから、暫く経ったある時のことーそれは十二月だったと思います。 府の学務課の役人が学校を見に来ました。その時、ドーンという教師が聖書を教えていたのが見つかって「学校で聖書を教えてはならないと言ってあったのに、何故聖書を教えるか」と偉い見幕でした。
その日、私は女紅場から帰りますと、兄が
「きょぅ、学務課から同志社に調べに来て、聖書を教えていたのが見つかって、大変怒って帰ったそうだから、新島さんは心配しているだろう。お前は私の代りに見舞に行ってくれ」
と言いつけましたので、夜分ではありましたが、姪を連れて、早速、新島の仮住居を訪れました。
そこは、今の府立第一女学校の東南角で、山口という人が持っていたかなり大きい家でありました。
私が行きました時、襄はちょうど机に伺って、何か勉強して居りましたが、私の見舞の言葉を聞いて
「いろいろご心配して下さってありがとう。しかし私は一向に気に止めて居りません。同志社は神の御手にあります。そのすべては神に任せてあります。どうぞお兄さんに、ご心配なさらないようによろしくお伝え下さい」
と申しました。
それから私達二人は襄に送られて帰りまして―言い忘れましたが、その頃私達は河原町通りの京都ホテルの前で、大黒屋書店の両隣に居りました・・・兄にその由を伝えますと、兄は飛び上って喜んで
「そうだ、同志社は神の御手にあるのだ。同志社は必ず栄えて行くに違いないのだ。それを忘れて、新島さんのところへ見舞にやったのは恥かしい。それにしても新島さんは只者ではない」
と感嘆して居りました。


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                   そ   し   て


               進化してゆくキャンパス

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大学内に美を競う国指定重要文化財

今出川通りを挟んで京都御所の北に位置するのが、同志社大学と同志社女子大学の今出川キャンパスです。
明治9(1876)年、山本覚馬の協力を得てこの地に同志社英学校が移されました。覚馬が進めた京都の近代化政策と歩調を合わせるよに、煉瓦づくりを中心とする近代建築による校舎や施設が次々と建てられていっ たのです。現在も校内には国指定重要文化財のクラーク記念館や礼拝堂など、歴史的建造物が美を競うように建っています。
また近くには新島襄と八重が暮らした私邸も現存し、応接間や茶室などが公開されています。


(左)同志社礼拝堂               (右)彰栄館
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襄が「同志社の精神です」と呼んだ美しい礼拝堂


(左)ハリス理化学館              (右)有終館
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つい数年前まで舎密術(せいみじゅつ=理化学)と呼ばれてた学科名も進化しましたね(笑)


日本の近代化をキリスト教の精神をもって推し進めた新島襄と山本覚馬。
ひとくちに同志社の創立ということが、容易ならぬ大事業であったこと、襄や覚馬、八重の苦労が並大抵でなかったことが、短い書簡からも痛いほどに伝わってきます。
そして今、130年の時を刻む同志社大学内の5つの校舎、京都市内に現存する最古のレンガ造りの建物として、いまも威風を湛え当時のそのままの姿を偲ばせています。重要文化財に指定された、これらのキャンパス建築群には、彼らの熱い思いが刻み込まれているんですね。



「八重の桜」各話あらすじ&感想
http://yonipo.blog13.fc2.com/blog-category-81.html


今日のおまけキャンパスを駆け抜ける八重さん
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左下のショボーンは覚馬?(今年の同志社パンフより)


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大河ドラマ 八重の桜 第35回「襄のプロポーズ」

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歴史ドラマ 八重の桜 第35回「襄のプロポーズ」

あの名作が帰ってきた!
平日 朝8:00~午前9:00 深夜1:15~深夜2:15(月~金、毎日放送)
制作年 2013年
制作国・・・日本  ジャンル・・・歴史ドラマ
総話数・・・全50話
出演者・・・綾瀬はるか、西島秀俊、長谷川博己、オダギリジョー、綾野剛、玉山鉄二、市川実日子 ほか

八重の桜35話の視聴率は14,2%。つらくとも受け入れなければ、心の戦は終わらない。語りかければ、亡くなった愛しい者たちが答えてくれる・・・土に手をあて森羅万象に問いかける不思議な男のプロポーズ。良いのです、それで!むしろ尚之助さんを忘れないでいて欲しい・・・私の伴侶となる人は、あなたひとりしかいない!

チャンネル銀河・八重の桜HP https://www.ch-ginga.jp/feature/yaenosakura/
35話 表
八重の桜OP、BGMにドゾhttp://www.youtube.com/watch?v=6tDZC6aTUxA

第35話あらすじ
明治8年の夏、京都に、キリスト教主義の学校を作ろうと決意した新島襄(オダギリジョー)は、覚馬(西島秀俊)に相談を持ちかけ、山本家の居候となった。初めて山本家で過ごした夜、庭で考え事をしていた襄を、みねと久栄がお化けと見間違えて大騒ぎになるが、襄は眠れない原因を悩ましげに答える。「実は八重さんにプロポーズしました」驚いて身動きがとれなくなった覚馬と家族に、襄は、つい勢いで求婚し、八重を怒らせてしまったかもしれないと打ち明ける。 
男子厨房に入るべからず、が当然だった時代、食べた皿を片付け、女性達と一緒に台所で洗う 明るく気取りのない襄に、母の佐久は肯定的で、覚馬も、悪い縁談ではないとうなずく。

そんな襄の憂いをよそに、八重(綾瀬はるか)は気丈に女紅場(公立女学校)で生徒達を指導していた。その姿を遠目に眺め、眼を赤くした女性がいた。「八重さん、変わってねえ」時尾(貫地谷しほり)であった。時尾は昨年秋に新選組の斉藤一(藤田五郎と改名)と結婚し、今は佐川官兵衛の紹介で警視庁に出仕している夫をあらためて紹介する。八重は再会を喜び、覚馬も2人が結婚したことに驚く。 祝言での仲人は大殿(容保;綾野剛)で、大蔵(浩と改名)と佐川官兵衛が全て取り計らってくれたと話す。容保を心配していた覚馬に、斉藤はなおも「大殿は散り散りになった藩士達の身の上を案じておられ、戦で亡くなった霊を毎日供養してまわっている・・・覚馬さん達の暮らしぶりを話したらどれほど喜ばれるか」と言葉を続ける。一同は思わず涙ぐみ、また、皆で辛い年月を生き抜いたことを感慨深く振り返る。 そこに襄がうかない顔をして戻ってくる。聞けば知事の槇村の態度が急変し、聖書を教えてはならぬ、宣教師を雇うなと、当初の約束を撤回したという。というのも京都の坊主たちがキリスト教反対を唱え、大勢で抗議しているというのだ。「とうとう始まったか」と溜息をつく覚馬。
いつしか夜も更け、襄と意気投合した斉藤は 飲み明かし「殺伐としていた京都時代の血なまぐさい日々、いいことは無かったのに、妙に懐かしく、近頃京都の夢ばかり見る」と話す。皆が命がけだった京都を一度妻に見せたくて連れてきたのだ、と。そんな斉藤から、襄は 人は過去からは逃れられず、受け入れるしかない事を察する。
時尾は時尾で、八重に、大切な人を辛い境遇に巻き込みたくないがため、何もかも一人で背負って、助けも拒んだ尚之助の気持を汲めば、自分を忘れてくれという彼の気持ちをわかってやれと諭す。
 それからしばらくして、八重のもとに東京にいた尚之助(長谷川博己)が肺病で死去したという知らせが届く。死ぬ前に、尚之助は会津が守護職を拝命してから何が起きたか、国許サイドから見た顛末書「会津戦記」を記し、最後まで自分にできることを必死で続けていたことを知った山本家家族。襄もまた、どん底にあっても力強い字を書いていた尚之助を脳裏に思い浮かべるのだった。

襄の学校設立は事態が好転しないまま秋を迎えていた。覚馬が槇村に直談判に乗り込むと、槇村は寺の反対が強いことと外国人宣教師が学校で教えるのは法令違反だと冷淡に答える。言いだしっぺの木戸(桂小五郎)の後押しがあるのだから政府に働きかけてもらえばよいという覚馬に、政府に睨まれたくないし、二年前の小野組事件で学習したから、時局を読まないと汚点になる、と言い放つ。覚馬は食い下がり、槇村が誰の為に政を行っているのか問う。京都のためか、ここでの成果を手土産に政府に取り入るためか。すると槇村は本音むき出しに「そんな事、会津もんに話しても仕方ない、あんたは所詮 日の目をみない側の人間じゃ」と吐き捨てる。
実際、耶蘇教に反対を唱える京の僧侶たちの説得に奔走する襄はいつも門前払いをくらい、路上に叩き付けられていた。
しかし、そんな襄は、悲しみに暮れる八重を強引に人力車に乗せ、弟・三郎(工藤阿須加)が戦死した場所へと連れて行く。八重は激しく動揺するが、襄がこの場所に連れてきた理由を聞いて、涙を流す。尚之助、父権八、三郎・・・
大切な人たちが亡くなったことをしっかり受け止めなければ、死んだ者達は安らかに眠れない――八重の心の中の戦も終らないこと。八重が幸せであるあるように誰より尚之助が願っていること。彼を忘れられなくてもかまわない――むしろ、忘れずにいてほしい。「尚之助さんに喜んでいただける夫婦になりたいのです・・・!」
八重に微笑みがもどったとき、静かに頷き答える。「あなたと一緒に、ホームを作ってみたくなりました」。

・・・ということで、次回は第36話「同志の誓い」です。



第35話ぷち・ギャラリー

八重さんにプロポーズしました。
八重3501
プ?ぷろぽ??
八重3502

<山本家にすぐなじむ襄>
みね「男の人が台所に入るものではありませんよ~?」
八重3503a
襄「そうですか?私は食いしん坊なんで台所が大好きですが・・♪」


<斉藤と時尾の祝言 藩主だった容保の殿が仲人を>

時尾と斉藤の祝言
八重3504

<容保の十何年ぶりの微笑み>
ようやく ひとつ、報いることが出来た・・・     容保ウルウル       
その後
最後まで会津に尽くした者たちにいつか報いたいと願っていた。しあわせに暮らせ・・・! 
ウンウン (かつて時尾が想っていた大蔵もニッコリ
八重35話 
「時尾どの、美しい嫁さまぶりだ・・・!」    時尾 胸キュン
八重さんが逆に尚之助様の立場だったら、忘れてくれと、いわねえべが?
八重35話 八重さんが逆に尚之助様の立場だったら、忘れてくれと、いわねえべが?

<その頃 尚之助は>

しっかりしろ尚之助!まだ・・書くことがある!
八重3506
会津は逆賊でないと国許から見てきた会津戦記を執筆していたが・・・  ゲホゲホッ
バターン  八重・・さん・・・
八重3507
せ、先生っ!?
ガターン!

<尚之助の訃報に、山本家は・・・>

何ひとつ報いてやれなかった。尚之助は病に倒れたんではねぇ。
八重3508
あの戦で死んだんだ・・・ゆくっくりと時をかけた戦死だ!
尚之助の記述を見た襄 「なんて力強い字だ・・・死を目前にした人のどこにこんな力が!?」
八重3509
最後の一文字まで気迫がこもっています・・・

<襄がピクニックに選んだ場所は>

三郎が散った鳥羽街道の戦地・富ノ森へ八重を連れ出し、森羅万象に問いかける襄

亡くなった人たちはもうどこにも行きません。あなたのそばにいてあなたを支えてくれます。
八重3510
あなたが幸せであるように、強くなるように。
尚之助の声が響いて・・・「あなたは新しい時を生きる人だ」
八重3511
「八重さん、お腹すきませんか?」「何ですか?これ」
八重3512
サンドイッチです。ゴードンさんのキッチンで、私が作ったんです
パフン
八重35サンドイッチを食べる八重
「おいしい・・・」 襄「でしょう?」

<槇村の変貌>

覚馬「槇村さん、あなたは誰のために政を行っているのですか?
京都のためですか?それともここでの成果を手土産に政府に取り入るためですか?」
八重3513
槇村「そげいなこと会津のもんに話しても仕方なかろう。あんたは所詮日の目を見ん側の人間じゃ!
坊主と宣教師のことが解決せんうちは学校設立は認められん。」

「何度きても、あかん!耶蘇の話など聞く耳もたんわ!帰れ!!」イタタタッ 
八重3514
今日も門前払い
八重さん、改めてお願いします・・私の妻になってください。
八重3515
わだすは・・尚之助様を忘れることはできねぇから・・・
八重3516
いいのです、それで。むしろ忘れないでいてほしい
私は川崎さんに喜んでいただけるような夫婦になりたいんです!
八重3517
私の伴侶となる人はあなたしかいない・・・あなたとならともに歩んでいける
素晴らしいホームを築ける・・八重さんどうかお願いします!!
八重3518
「はい」
エッ?今、はいと言いましたよ・・!
八重3519
新島様は、本当に面白い。わだす、あなたと一緒にホームをつくってみます
八重3520
ヤッタ~!ありがとう!!
八重3521
すぐに抱きつく困った癖のある襄であったが・・・


八重の桜、こんなところが好き!感想&雑記

久々に、笑顔の花がたくさん咲いた、35話。
戦争の悲しみをひきずりつつも、みながみなそれぞれに新しい希望に向かって歩む道を見つけた、喜びの涙と笑顔が画面にあふれていました。

特記すべきは、もう二度と見れないと思っていた容保の殿の笑顔がみれたこと・・・その殿が「仲人を会津に尽くしてくれた者に報いたかった・・・ようやく一つ、叶った」と涙を浮かべて寿ぐ言葉に、時尾達だけでなく会津の方達はどれほどの感動を覚えたことでしょう。

覚馬もひるみ、佐川も感じていた、殺意をふくんだ狂犬のようだったあの斉藤が、何故か惚れこんだ会津。
さんざんな目に遭った会津を最後まで見捨てなかった斎藤に、籠城戦でそっと顔の血をぬぐい、「今まで助けてくれてありがとなし」と礼を言っていた時尾。

いくさ場に咲いた小さなロマンス。

傷つきあったふたりの小さな心のふれあいが、いつのまにか実を結んだ、心が温かくなるシーンでした。
その斉藤の
「時尾、アメリカでは、女が男の前を歩くそうだ」
と、呆れて笑う台詞を、さらに笑ってしまう視聴者は多かったことでしょうね。

なぜなら、この物語のヒロインは、男の前を歩いてゆく女性。
それも決して八重自身が望んだわけでなく、世にもまれなる二人のパートナーが”男の前を歩く女性”、ひいては”時代の先をゆく女性”をつくりあげる過程がこのドラマの面白さであり、醍醐味でありますね。

八重というと“新島襄の妻”のイメージが一般には強いものの、振り返れば、会津時代の川崎夫婦もまた、新しいタイプの夫婦として描かれていました。
最初の夫を演じた長谷川博己さんもインタビューの中で、(新時代の夫婦像でさきがけだった八重について)
僕としては、その礎はもしかしたら尚之助がつくったのではないかと思っているんです(笑)。旦那様と呼ばなくていいとか、結婚しても敬語を使うとか、そういう新しい感じが面白いです。
・・・と語っていらしたのが印象的でした。
ハンサムウーマンの下地を作ったのは、ほかならぬ、尚之助の功績(?)かもしれませんね。

やや尚之助をひっぱりすぎていると思えた京都編ですが、八重のシナリオ作家、山本氏でさえ惜しむほど、「尚之助夫婦があまりに素敵に演じてくださった」ことと、視聴者の反響が大きかったことが偲ばれます。

川崎家子孫の現当主、川崎修さん曰く、2013年の大河ドラマに「八重の桜」が決定して以来、先祖がらみで尚之助にまつわる不思議な縁があちこちから繋がり、今まで知りえなかったことを経験したそうです。「まるで、若くして不幸な死を迎えた尚之助の霊が私の背中にいて”後悔なんかはしていない、ただ私の真実の姿をみなに解ってもらって欲しいだけだ”と言っているとしか思えない」と、綴られていました。

そして尚之助の遺志は、このドラマで、見事に具現し、ややもすればドラマ構成上メインの夫であった筈の新島襄以上に深く視聴者のこころに刻み込まれたことでしょう。
以前違うドラマで、チープな存在として描かれ あまりに「不名誉なレッテル」を貼られてしまった尚之助。
時空を超えて、
闇に葬り去られた彼の歴史が、今まさに既知の歴史に真実を以て刻まれていくさまを、こうして目の当たりにしている私達が、いる。
”逃げた夫から一途な男へ”素晴らしき復活を果たした尚さんに、声を大きくしてそう告げてあげたいですね。(涙)

飢餓に苦しむ旧会津藩の人々を救うために、自らを犠牲にした尚之助。
歴史研究により史実で明らかにされていますが、ドラマでも尚之助はつくづく但馬人の勤勉さ、真面目さ、正義感、静かなる勇気の持ち主であることをアピールしましたね。
八重の生涯は会津の人々に勇気を与えたように、尚之助の生涯は但馬の人々に勇気と霊感を与えたのではないでしょうか。

ちなみに、尚之助の戒名は川光院清嵜静友居士。
この戒名が示す通り、一途で清らかな勇気を友(会津)に捧げた尚之助の霊魂は、いまも静かに故郷の出石に眠っています。

出石に持ってった本
参照http://yonipo.blog13.fc2.com/blog-entry-1055.html
参照http://yonipo.blog13.fc2.com/blog-entry-1060.html
参照http://yonipo.blog13.fc2.com/blog-entry-1069.html


歴史家のあさくらゆうさんによれば、史実では猪苗代の離別後、八重と尚之助の邂逅は一度も無かった、といいますが、あえて二人を再会させ、ドラマにこのように何度も登場させるということは、このドラマに、ある強いメッセージが秘められているのでは、と感じるようになり、それが35話で確信に変わったときは、思わず涙しました。

私達日本人の中にある、新しい愛を迎えるにあたって、過去の人間に「けじめをつける」とか、「こころを切り替える」というモラルは、必ずしも必要ではない、という考え方。 切り捨てるよりはむしろ同化させ、悲しみも、喜びも、共に分け合っていこうという襄のプロポーズの中に、キリスト教独自の宗教観を感じたのです。”神の大愛”というものなのでしょうか。
ある意味、アメリカ的で、たいへん合理的なイデアではありますが、それは並みの人に出来ることでなく、襄だからこそ与えられるもの。

襄と結婚した八重が尚之助を忘れたことは決してなかった。しかし、それ以上に襄の愛情は深く、その溢れる愛情のために、襄の死後でさえ川崎尚之助を語ることはなかった、と伝記にはあります。プロテスタントに入信した八重にとってみれば、主に召されたときに話せばよいことと信じていたに違いありません。

尚之助と八重ーー、ともに昇華したふたりは、きっと天国で再会し、その互いの人生を語り合ったことでしょう。

しかし、まだまだ八重に残された課題は山積しています。
9月のOPバックに象徴される、めくるめく出会いと別れが交錯する運命の不思議なかたち。
人生は万華鏡のようです。

「あなたと一緒に、ホームを作ってみます」
彼女の旅立ちは、いつも明るいですね。

幕末のジャンヌ・ダルクからハンサムウーマンに・・・これから社会が大きく揺れ動く明治という時代の中を、八重と襄という、世にもまれな夫婦があるいていきます。





キャスティング今日のフィーチャー

<進化する斉藤一 名前いくつある?> 
戊辰戦争で散り散りになって解散した新撰組で、ひときわ殺気と異様を放つっていた斉藤一。
このドラマ、なじょして土方歳三でも近藤勇でもなくやたらと斉藤一が?と思った人も多いでしょうね。
それもその筈、会津が舞台の「八重の桜」では、会津サイドでキーパーソンと絡めていたんですもんね。
大蔵に失恋して泣いていた時尾・・・一生独身を貫くと八重に誓っていた幼いばかり時尾さんが本当の大人の恋を知り、選んだ男性は? しかも初恋の大蔵が実質的なキューピッドになるとは・・なんとも粋な演出!と思えば、これはれっきとした史実。事実は小説よりも奇なり?しかし、初恋の人とは結ばれないというけれど、結婚相手は全くタイプの違う人を選ぶのは女性の常なんですね。^^

会津に惚れ会津に殉じた新撰組の剣士、斉藤一を演じるのはDragon Ashの降谷建志さん

壬生浪士組から新撰組へ          維新後 西南戦争に従事する斉藤
進化する斉藤


ダンダラ模様の羽織を着て、ボサついた髪を大髷(おおたぶさ)に結った斉藤一は新撰組三番隊組長。剣の達人と言われ、組の中で剣術師範を務める。のちの会津戦争にも参加した斉藤一ら新撰組と会津藩の堅い絆は、25話の土方との会話でもよく描かれていました。
斉藤「私は会津に戻ります!今会津を捨てるのは義にあらず!」土方「惚れた女でも?」
斉藤「ええ、愚かなほどまっすぐな会津という国に・・・!」
「八重の桜」名ぜりふ百選にも選ばれそうな名句でした。

彼は維新後、藤田五郎と改名し、八重の親友時尾と結婚しますが、このヒト謎が多く、それこそ何度も改名したり変名を使ったりしてます。というのも、新選組に恨みを持つ人に命を狙われる可能性が高かったからとか。
ざっとあげて
山口一 → 斉藤一 →山口二郎(次郎)→ 一戸伝八 → 藤田五郎、といくつも改名し、様々な名を残したのも 新撰組幹部という前身を隠す為の処置であったという。戦争で生き残り、その後上京。警視局に警部補として就職、時尾と結婚後は、勉・剛・龍雄の3人の男子に恵まれました。明治24年4月、警部として警視局を退職。直ちに東京高等師範学校附属東京教育博物館看守となり、さらに退職後はお茶の水女子高等師範学校の書記となり、校内の見廻り警備を兼ねて勤務しました。享年71歳。新選組では最も長寿ではないでしょうか。


ふたりの出会い 戦場に咲いた小さなロマンス
斉藤のロマンス
新選組総長近藤勇を弔う斉藤と、八重の弟三郎の冥福を祈る時尾

こんな大人物の斉藤一へのオファーがあったとき、降谷さんは「なぜ俺なんだ?」と疑問を抱いたという。降谷さんは東北でロックライブをしては被災地を応援してきたこともあり、自分が出演することで1円でも東北への支援になるならと引き受け「ことあるごとに人を斬って汚れ仕事ばかりやるようなすさんだ男ですが、そんな闇の住人である斉藤にだんだん雲が割れて光が差し込んでくる未来が楽しみ」と語っています。
そうえば、結婚を経てどこか丸くなった(!?)斎藤の表情にも、進化がうかがえますね。

意外と知られていない斉藤一の素顔がみれたり、その成長を追っていけるドラマって、この「八重の桜」が初めてではないでしょうか。こんなところも楽しみですね!





 八重の桜かると 明治を駆け抜ける八重、はじめて物語

さきがけて咲く八重の生き方
会津戦争の戦火の中を生き抜き、京都で新たな生き方を模索した八重。
その生涯は戦いの日々であったと同時に、新時代を生きる女性の「さきがけ」となるものでした。
鳥羽・伏見の戦いで戦死した弟・三郎の形見の着物をまとい、大小の刀を差した”男装”で最新式のスペンサー銃を手に戦い、当時女性の力を借りるなど恥でしかない武士社会での因習をくつがえし、大砲による砲撃の指揮まで執った八重は、新しい時代の風穴をあける「さきがけ」に間違いありません。


    洋装の八重さん  八重が植字したパンフ
                 八重が活字を拾った京都ガイド。(国立国会図書館蔵)


時代は明治に進み、プロテスタントの結婚式で、日本で初めての新郎新婦となった八重と襄。
ちなみに八重は、いくつ さきがけだったんだろう?と思うくらい日本で”初めて”が多い女性ですね。
スペンサー銃を撃ったのも彼女が初めて、女紅場の教師として公務員の月給を受けたキャリアウーマンとしてもさきがけでした。
中でも、明治6年京都博覧会が開催されたとき京都府顧問であった覚馬が外国人向けに英文の観光ガイドブックを製作したとき、ドイツから取り寄せた最新式の活字印刷機を使用し、初めて英文活字を拾っのが八重だったことは語り継がれています。英語を真っ先に学んだ彼女の知識が生かされたんですね。

 左;明治38年撮影の看護婦姿の八重
    篤志看護婦時代  免許皆伝
          (右)八重が習得した裏千家の茶道許状「奥秘大圓傳法真双二段」


その他にも、第一回帝国議会開催直後の明治23年12月、6人の女性が初めて議会を傍聴したとき、その一人が八重でした。また、裏千家の女性茶人として初めて奥秘大圓傳法の茶道許状を受けた女性であり、日清・日露戦争で率先して看護にあたり皇族以外の勲七等宝冠章受賞者となるなど、(他にも)彼女の”初めて”は、いろいろあります。本当の草分けなんですね。いまでは当たり前のことでも、さきがけとなる人は決まって世のそしりを受けますし、迫害も受けます。
私達女性は、八重のような先人のおかげで、今の時代あたりまえのように女性の自由と権利を享受しているといって過言ではないと思います。 ハンサムウーマンとは、さきがけて咲く八重の生き方に象徴される言葉なんですね。





美雨のぷち・八重の桜紀行その⑭
 会津藩主松平家別荘・御薬園ををたずねて


容保の安住の地、会津・御薬園を訪ねてきました❤

もう二度とみれないと思っていた、容保の殿のほほえみ・・・
深い悲しみの中から必死で絞り出されたような笑顔が、痛々しいばかり・・・綾野さん上手ですね。
それでもやはり、とのの笑顔が見たい!と切望している容保ファンは多かったことでしょう。
容保が愛した御薬園。やっと笑顔を取り戻し始めた容保が会津を恋しく思い、晩年ここに戻り住んだそうです。
亡くなったのは東京ですが、容保にとって心安らぐついのすみかは御薬園だったのかもしれませんね。

八重の桜の撮影でも、養子として会津にやってきた容保が照姫に会うもみじのシーン、また、会津戦争敗北後、処分待ちで暫く蟄居していた時も、ここが使われていました。

回想シーン 2話より
八重tmp06
容保公と照姫の出会い
八重tmp01

御薬園の由来
領主蘆名直盛(あしななおもり)の時代に霊泉の湧くといわれる池に蘆名盛久(もりひさ)が別荘を建てたことにはじまるという。その後、会津松平家3代正容(まさかた)が近江より園匠を招き池泉回遊式大名型山水庭へ改造され、大名らしい風格の漂う庭園や、薬草によって疫病に苦しむ領民を救いたいという藩主の願いが詰まった薬草園と、さらには秩父宮妃殿下となられた容保公の孫・勢津子妃ゆかりの建物「重陽閣」など、会津の歴史が息づく心地よい安らぎの空間が広がっています。以後、歴代藩主の庭園といて重用されました。

御薬園1

御薬園全景 見取図

御薬園見取図

庭園の中央ひろがる心字(しんじ)の池のほとりに建つ御茶屋御殿から眺める庭園の景色は、この御楽園随一。
心字の池と、池の中島に建つ楽寿亭(らくじゅてい)、はるかに東山の借景が一望できます。

<茶屋御殿>

晩年、会津を恋しがり戻ってきた容保公が住んでいた棟で、茶屋御殿としていまもサービスを
御薬園3どこか霊感漂う、気の良いところ。木がすばらしい
御薬園は霊感漂う、気の良いところ。また木がすばらしい

茶席、書院、御慰所として用いられ、戊辰戦争では新政府軍に奪われ西軍の治療所にもなりました。
建物内部には、当時ついた刀傷が何か所か残されていて、戦の生々しさを物語っています。


刀傷の残る柱の場所を教えてくれた、茶屋御殿の会津美人スタッフさん
茶屋御殿の会津美人スタッフさん 八重の桜ファンで、建物から歴史の説明までしてくださいました
八重の桜ファンで、建物から歴史の説明までしてくださいました

容保目線 茶屋から見た心字池にうかぶ楽寿邸
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入場はお抹茶+手作り胡麻羊羹つきで500円でした。

お菓子つきで入場料500円。この景色を眺めながら、あの日あのときここで殿もお茶を嗜まれたと思うと感無量です
この景色を眺めながら、あの日あのときここで殿もお茶を嗜まれたと思うと感無量です

さらに、ここで素敵なものを発見!

美しい会津茶碗 「八重の桜」記念に特別に焼かれたもの
美しい会津茶碗 八重の桜記念に特別に焼かれたもの

<会津茶碗”八重の桜”記念茶碗>
会津保科正之公によって葺き替えられた鶴ヶ城の赤瓦の赤と、”日本の桜”をイメージした赤茶碗が製作されました。洒落ているのは、この赤茶碗、八重がクリスチャンであったことと、篤志看護婦として活躍し、日本赤十字社の社員であったことから高台(底の部分)が十字高台になっていること。
色が何とも言えずシックで、わび、さびを感じる風合い・・・手に取ってみましたが、カタログよりもずっと素敵でした。八重の桜イヤーである今年、特別記念ということでリーズナブルな価格で提供しているのも嬉しいサービス。美雨もひとつ欲しくなってしまいました。

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<会津藩主・容保の孫娘、勢津子妃殿下ゆかりの重陽閣>

この重陽閣は、勢津子妃殿下と生家の家族が会津を訪れた際に宿泊した東山温泉の新瀧(しんたき)旅館別館を移築したもの。勢津子妃殿下の誕生日が9月9日であることから、重陽の節句にちなみこの名がつけられたそう。1階には勢津子妃殿下の功績を後世に伝えるため、それを記念して「想ひ出の部屋」が開設され、当時の写真が展示されています。

重陽閣

秩父宮妃勢津子殿下
勢津子妃殿下は松平容保の孫にあたり、民間人からはじめて皇族に嫁した女性。昭和3年、先祖に婚約の報告をするべく会津若松を訪れた際には、この結婚によって維新で朝敵とされた会津の汚名がそそがれると、のべ40万人ものひとびとが希望に沸きかえった。

御皇室に嫁がれた、会津の姫君・勢津子さまの思い出の品々
御皇室に嫁がれた、会津の姫君・勢津子さまの思い出の品々
伝説の、銀のボンボニエールもここに・・・!目からウロコでした。

思ひ出の部屋

秩父宮勢津子さまが姫君の時代から晩年までの写真等を展示しているギャラリー
思ひ出の部屋
この奥にも部屋がギャラリーとなって連なっています

<重陽閣ティールーム>
重陽閣の2階には、勢津子妃殿下ゆかりのイングリッシュ・ティーを楽しみことができる優雅なカフェが、英国王室御用達の紅茶と、勢津子妃殿下が好んデザートを復元した季節のおデザートがいただけます。「季節のガレットランチ」も好評。
秩父宮妃殿下ゆかりのお部屋で、庭園を眺めながら季節を味わう紅茶とデザート・・・至福のひとときです
この日、偶然ですがこの窓越しから白無垢を着た花嫁さんを見ました。

秩父宮妃殿下ゆかりのお部屋で、庭園を眺めながら季節を味わう紅茶とデザートを楽しめます♪

プリンセス・チチブ
イギリス人J・ハークネスより勢津子妃殿下に贈られたバラ。年に数回、ピンク色の上品な花を咲かせる。
プリンセスチチブ

<御楽園の目玉、オタネニンジン(高麗人参)>

会津松平2代正経(まさつね)は、領民を疫病から救うため、この庭園で薬草の栽培をはじめました。現在も、当時の栽培地跡を薬用植物標本園として、会津産の薬草をはじめとする400種の薬草が育てられていますが、とりわけこの”オタネニンジン”は貴重で、守護職時代の経済をささえた高価な植物でした。

初めて花を見た、オタネニンジン(高麗人参)に感動。半径5mも香ってきます!薬草ってかんじ。
初めて見た、オタネニンジン(高麗人参)半径5mも香ってきます!薬草ってかんじ・・・守護職時代の経済をささえた高価な植物でした


みなさん、会津にこらんしょ。御薬園も是非訪ねてくなんしょ 
みなさん、会津にこらんしょ。御薬園にも是非きてくなんしょ 美雨の選んだ茶碗
美雨の選んだ茶碗を持つ美しいスタッフさんより


「八重の桜」各話あらすじ&感想
http://yonipo.blog13.fc2.com/blog-category-81.html

尚之助に関するレビューはこちらを参照
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31話クリックhttp://yonipo.blog13.fc2.com/blog-entry-1060.html
33話クリックhttp://yonipo.blog13.fc2.com/blog-entry-1069.html



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大河ドラマ 八重の桜 第34回「帰ってきた男」

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歴史ドラマ 八重の桜 第34回「帰ってきた男」

あの名作が帰ってきた!
平日 朝8:00~午前9:00 深夜1:15~深夜2:15(月~金、毎日放送)
制作年 2013年
制作国・・・日本  ジャンル・・・歴史ドラマ
総話数・・・全50話
出演者・・・綾瀬はるか、西島秀俊、長谷川博己、オダギリジョー、綾野剛、玉山鉄二、市川実日子 ほか

第34話の視聴率は13・4% 「耶蘇の神様は、国を追われたことがねぇお方なんだべ・・・」誰にも肩代わり出来ない八重の苦しみ。「すべての重荷を背負うもの、我に来たれ」と襄。風変わりな男女が、ついに京で出会う。復興にむけて頑張る福島と東北に熱くエールを放つ大河ドラマ”八重の桜”、共に見守りつつ八重の桜前線を拡げていきたいですね!

チャンネル銀河・八重の桜HP https://www.ch-ginga.jp/feature/yaenosakura/
八重34表
八重の桜OP、BGMにドゾhttp://www.youtube.com/watch?v=6tDZC6aTUxA

第34話あらすじ
明治6年、征韓論を巡って政府首脳は分裂、西郷、板垣、木戸らが政府を去った。弱体化した政府を立て直すため、木戸は大阪に招かれ、参議への復帰を求められていたが、そんな折、アメリカ使節団時代通訳だった新島襄(オダギリジョー)が木戸を訪ねてくる。襄を高く評価する木戸は政府で働かないかと持ちかけるが、襄はきっぱりと断り、自分が日本に戻ってきたのは、キリスト教の学校を作るためだと答える。キリスト教というだけで大阪府に設立を断られた襄は、何か手立てはないものかと木戸に助言を仰ぎにきたのだ。かねてから欧米に追い付くにはまずは教育を、と考えていた木戸は、襄の話に共感し、大阪でなく京都に行くよう勧める。「あの地には、君の力になりそうな者がおる」。しかし、大阪でも無理なものを、仏教の聖地である京都で?と襄は怪訝な表情を見せる。
 そのころ八重(綾瀬はるか)は、覚馬に促されて耶蘇教(キリスト教)の勉強を始めていた。ゴードンという宣教師の家でマタイ伝の講義を受けに熱心に通うが、聖書の教えは、会津で什の教えを学んだ八重には相いれないものであった。
「悪いものに刃向ってはならぬ」どころか「右の頬を打たれたら左の頬を出せ」という聖書の教えは、会津ならば子供にも通用しない。やられっぱなしでいるのは、卑怯者か臆病者だけだ。家屋敷を焼かれ、故郷の会津を奪われた自分達が、薩長を憎まずにいられるだろうか?ましてや敵の為に祈るなど、冗談ではない・・・「耶蘇の神様は、国を追われたことがねぇお方なんだべ・・・」八重のトラウマは深かった。

襄が木戸からの紹介状を持って向かった先は、覚馬(西島秀俊)の山本家であった。「なぜキリスト教なのか?」」という覚馬の問いに、襄は、戦争で覆った世に苦しむ人々が溢れ、傷ついたこの国を救うにはキリスト教が必要だ、と答える。キリスト教には真理があり、真理は人の心を自由にすること・・・そのために学校を作り、一国の良心となる青年たちを、この手で育てたい・・・その為なら苦も厭わない、という襄に※『天道遡源』の一節を見出した覚馬は共感し、かつて学んだ象山塾で幼い七五三太(しめた)=襄と出会っていた頃から、天の導きにより京に繋がっていた不思議なえにしを深く感じる。そして、西郷から譲り受けた薩摩藩邸だった土地を襄の学校建設のために生かそうと誓うのだった。
知事の槇村正直(髙嶋政宏)はキリスト教の学校と聞くと難色を示すが、ライバルの大阪府知事である渡辺昇が断ったことを知り、京都の器の大きさを示すためと、襄が伝道団体のアメリカンボードから設立資金を得ていることから、一転、申し出を快諾する。槇村はまた「結婚するなら日本的でない女性がいい」という襄に、嫌味をこめて「ぴったりの女性がいる」と八重を推薦するのだった。
そんな襄が、ある日、偶然八重と出会う。八重が「女紅場」で働いていることを知った襄は、見学がしたいと願い出る。いきなり押しかけてきた襄に戸惑う八重だが、英語の授業に飛び入りで参加したと思えば賛美歌で女学生達に英語を教える襄の 楽しげな授業を見て、不思議な魅力を覚える。襄は、八重が知っているどの男性とも違っていた。 

そしてもう一人、アメリカから帰ってきた男がいた。東京で、旧会津藩士の生活の面倒を見ていた山川浩(大蔵)邸に帰国の挨拶に来た、健次郎であった。佐川官兵衛もかけつけ、立派に学問を修めイエール大学の学士号を取得した健次郎を書生と祝う。そこで健次郎は兄・浩の手の異変に気付く。浩は前年、仇敵でもある佐賀の乱の鎮圧で名誉の負傷をし、陸軍中佐に昇進したという。実際、不穏な政情のなか、各地で士族の反乱が勃発していたのだ。

しばらくして、襄が山本家に引っ越してくる。キリスト教を嫌う人達が抗議に押しかけてくるのを懸念する襄に、八重は「それ位のこと、うちでは誰も驚かないし、兄も私も、昔から 人が反対する事ばかりやってきた・・・耶蘇(イエス)さまも初めは反対する周囲にひるむことなく、教えをひろめたのですから、私達も同じようにすればいいのです」とさらりと答える。そんな八重に向かって、襄は唐突にある言葉を口走る。「一つだけ・・お願いしたいことが・・・八重さん、私の妻になっていただけませんか」

・・・ということで、次回は第35話「襄のプロポーズ」です。

※天道遡源とは・・・漢文で書かれたキリスト教の入門書。明治八年(一八七五)四月に宣教師ゴードンから贈られたこの本は、覚馬がキリスト教の教えに感銘を受ける契機となった。



第34話ぷち・ギャラリー

<マタイ伝との格闘>

ゴードン神父の元でキリスト教を学び始めた八重「悲しむ人は幸いなり・・・」
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「えっ?逆ではないですか?」」

<襄のアンビション>

傷ついたこの国を救うために、私はキリスト教に根差した学校を創りたいのです
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どうか私に力を貸してください・・・!

<襄と八重の出会い>

ガラガラッ
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そこには、靴をみがく青年が・・・
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八重の心中”ゴードンのボーイ?”

<講義のあと、襄が宣教師だと知った八重>

何故靴を磨いてたかと?江戸の藩邸では襦袢1枚洗ったことなどない・・武士のすることではないと
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しかしアメリカに渡って考えが変わりました。体を動かして働くことは楽しいことです。

八重さん、私に女紅場を見せて下さい「困ります・・・あなたが来たら生徒達が たまげます!」
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僕はかまいませんよ♪「そっちはよくても、こっちが困んのだし!」

しかし・・・襄の押しに負け・・・

Jesus loves me♪This I know,For the Bible tells me so~♪
 オダ襄
そう、もっと大きな声で!学ぶと言うのは楽しいことなのですから!(しっかりうちとけてる襄


<もう一人の 帰ってきた男>

姉上!ただいま戻りました!
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健次郎、おかえんなんしょ
立派になって・・・
立派になって・・・この帽子、しばらく預からせてくんねえべが?
この帽子、しばらく預からせてもらえねえべが? 「は?はぁ・・」
ご苦労であった!よぐ、辛抱したな!  (しみじみ・・・
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うちは貧乏だぞ!覚悟しておけ。質屋がよいも、慣れだもんだ 
会津の若者を書生にして面倒をみていた浩(大蔵)と姉の二葉
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姉上・・それで質屋に・・・帽子は当分、戻ってこねえな 
姉上・・質屋に・・・帽子は当分、戻ってこねえな
大蔵 「ハハハ」」
エール大学の修了証書 佐川「これは、なんと書いであんだ?」
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浩(大蔵)「イエール大学で、文学士の学位を得たという証書です」
にしはこれからどこで働く?政府や軍じゃ会津もんは出世できん。
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私は官吏でも軍人でもなく学問を極めていきたいと思っています。
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<井戸の上で涼しげに裁縫をする八重を見た襄は>

覚馬さんの妹というのは八重さん・・!?
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お・・落ちたらどうするんですか?
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こうしてるのが、一番涼しいんです。大丈夫、平気ですよ、ほら(ユラユラ
ああーッ、あぶない! がしっ
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きゃっ
ちょ・・あのぅ・・・ 
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あッ、落ちるかと・・・ すみません、不躾でした・・・
ご婦人は守るべしと教えられてきたので・・・
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守る?私を?私は守られたいなどと思ったことはありません。わだすは会津の戦で鉄砲撃って
戦ったおなごです・・・わだすには、敵の為に祈れという耶蘇様の教えはわがんねえ

<山本家に引っ越してきた襄>

八重「部屋は片付けたし、これでよし・・他になにか御用はありますか?」
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ああ、ひとつだけ・・・八重さん、私の妻になっていただけませんか?

ハ・・ハァ!?
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八重の桜、こんなところが好き!感想&雑記

「なぜ、キリスト教なのですか?」

八重にキリスト教を学ばせていながら、覚馬自身もまた、もう一度襄に答えを問う理由がわかったことが、今回のツボでした。
「この本の中に、私は探していたものを見つけた」

会津戦争で傷ついてきた八重の心、
憎しみや恨みを抱えたままで生きるのは、辛すぎて、前に進めない。
覚馬はよく知っている。自分自身もそうだったからに違いない。
日本が進む道を間違えないために、政府の都合に左右されない良心を持った人間を育てること・・・光を失い、身体の自由を失ったあんつぁまに、「教育」という夢に向かって明るい光が見えてきました。

そして現実的には、襄のいう学校がキリスト教精神を核にしつつも、キリスト教を広めるだけが目的でなく、祖国の為に役に立つ人材を輩出するためであったこと。かつて覚馬が学んだ象山塾も、京に開いた洋学所も、そうであった筈。

その覚馬と、㐮は よくぞ出会ったもの。
思えば、覚馬と幼いときにつながっていたのですね。
今回のテーマは、佐久が言った「何ごとも巡り合わせだべ」に続く、「天の導き」であった気がします。
仏教で言えば、”因縁”でしょうか。

もう繋がっていた覚馬 、 襄、そして八重。安中出身と聞いて一瞬、覚馬の脳裏に蘇った映像は、一度見たものの、どこか胸の痛みを覚えます。
八重の夫ふたりと、維新時いっとき天下をとった西郷というスタメンが顔を揃えていて、2話の段階から京編に向けて、布石が打たれていたのですね。
しかし、時とは残酷なもの・・・
幼い襄(七五三太)に、蘭学所のコンセプトを語る尚之助の回想シーン・・・感慨深すぎるシーンです
現在の襄と同じで、これから夢が開けていく・・・という感じで尚さまの 声も 力強かったですね。
いまは夢やぶれ、次代の妻のパートナーに「八重をよろしく頼む」と、夢のバトンタッチをする声が、時空を超えて響いてくるような・・・
思えば、尚之助はどこか時空を超えて、自在に生き続けるような、そんな存在感がありますね。彼はその自在性ゆえに、よく ”とらえどころのない男”と、形容されていたような気がしてきました。
このときの尚之助の 姿はトレードマークの白羽織。
そして、そのあとに白スーツのジョーさん。
一寸アイロニーを含んだ、今回の演出・・・意図的かどうかはわからないけど、八重もドッキリ!な 心の鼓動 が、こちらにも伝わってくるよう。
八重にプロポーズする男性は”白”の男なんですね。

そして、七五三太クンを助けたくれた西郷さんはいま?
時代は江藤新平の乱が片付いていて、山川浩がその佐賀の乱で負傷し、襄と健次郎が帰国。冒頭で木戸さんが生きていると考えると(明治10;1877年年、5月26日死去)薩摩で乱を企てた西郷に、「いい加減にしろ、西郷!」と吐き捨てた木戸が亡くなるのは、奇しくも西南戦争が起こる1877年(明治10年)ですから、京都の生活も、はや3年過ぎてることになります。

かつて、会津を逆賊とし、官軍として会津を討った山口や九州の諸藩が、今度は新政府軍にたてつき反乱、佐賀の乱はじめ熊本・神風連の乱、福岡・秋月の乱、山口の乱とつづき、西郷を大将とした国内最大級の西南戦争で、こんどは立場が逆になった官軍・会津に薩摩は討たれることになるのですから、こちらも因果のめぐりあわせですね。
時の流れは悲喜こもごものつづら折りのようです。

ふりかえれば終生西郷とは犬猿の仲だったという木戸も、このとき政府を離れていたのですね。木戸はジョーと対面している時、頭痛がしていたようですが、襄といるとつい本音が出る、という感のある”苦笑”がほほえましかった。
その襄、Boys, be ambitiousを絵に描いたようなアグレッシブな行動力がありながら、どこか少年のような純粋な魅力があります。そんな無邪気さをオダ襄さん、実に自然体に演じていますね。
きっと八重はそんな部分に、恋したといっても過言ではないでしょう。

今回は運命の出会い。
のちに「ジョーのライフはマイライフ」」と公言する八重も、このときは未だマタイの教えと格闘していたようですね。

「人を裁くな。さすれば、自分も裁かれることはない。断罪するな。さすれば、自分も断罪されることはない。」
「では、司法省はなんのためにあるのです!?」

会津をひきずった、八重のカルチャーショックと、衝突する価値観のパラダイムは、隔たりを縮めていけるだろうか。
加えて、襄のアメリカ的思考と合理性についていけるでしょうか?

讃美歌「主、われを愛す」にその答えがあるような気が。
Jesus loves me,This I know,For the Bible tells me so.
・・・聖書に答えがある。

「学んでいけば、答えがきっとみつかる」という32話のラストをも想起させますね。
この聖歌は、粋な演出だと思いました。

しかし、耶蘇の宣教師という事で渋っつらだった槇村に即決を促した、学校設立予算はアメリカンボードで既に集まってる、というプロテスタントのパワーは凄い。
そのアメリカから、学校設立のため5000ドル支援を受けた襄、明治初期の一ドルは約一円、一円はいまの1,5万円に相当するそうですから、密入国した一介の日本人に7500万もの寄付を引き出したのは、たいしたものです。

軽そうに見えて気骨があり、勤勉でユーモアもあり、潔い。
日本人とアメリカ人の良い点を受け継いでいる。
尚之助にしてもそうですが、こんなジェントルマンに出会えた八重さんは、幸せな人ですね。
こんな運命の人に誰でも出会える訳じゃないですもんね。

襄と八重・・・視聴者にとってはいろんな思いはあるけれど、
尚之助が祝福するような、清々しい出会いでした。

最後に、山川家の面々と官兵衛ら、懐かしい会津の人々が見られたのが嬉しかった。
もう一人の「帰ってきた男」、山川健次郎がイェール大学留学から帰国した姿は、山川家と旧会津藩の者だけでなく、日本の希望でしたね。なんといっても後の東京大学の総長ですから、学問の分野で天下をとったと言えます。
会津 山川家は、後世に残る素晴らしい人材を輩出しましたね。
他にも教育界では、覚馬はじめ秋月さん、海老名リンなど一廉の人物が名を揃えています。
まだまだ会津編の余韻冷めやらぬ自分としては、戦争で生き残った会津人たちが、力強く新時代を駆け抜ける姿を見ていきたい・・・。

それを思わせる、新たなオープニングにもホッコリ。
時代が移り変わり、希望を感じさせるオープニングに変わりましたね!
散りゆく桜の花びらは、会津に散った会津の精霊たちを思わせ、同時に、うるおい再生していく緑の映像に未来をみた気がします。
希望のなかに、哀惜があり、
桜とはそうした不思議な仏性をそなえた木ですね・・・

いまさらながら「八重の桜」というタイトルは深いなぁ、と実感します。




キャスティング今日のフィーチャー

今日は活躍めざましかったですね!大蔵ブラザー、別名青びょうたんこと、山川健次郎。
将来、会津の正義を世にただし名誉回復をになうキーパーソン、健次郎を演じる勝地涼さん。
勝地涼(かつじりょう)、1986年生まれ。14才のときドラマ「千品、もう一度笑って」でデビュー。ドラマは「ハケンの品格」、NHK大河は「篤姫」にも出演。映画「亡国のイージス」では日本アカデミー賞新人賞受賞。

<山川健次郎・ちょっとネタバレ紹介>

国家老・山川兵衛の孫で、大蔵の弟。八重に鉄砲や砲術を習い、藩校・日新館では学問に励み新しい時代に備えてフランス語も学んだ秀才。白虎隊士となるが、落城後は苦難にあえぐ会津藩の未来を背負って謹慎所をを脱出、秋月の紹介で長州藩士の助力を得てアメリカの名門イエール大学に留学。その後は東京、九州、京都の各帝国大学の総長を歴任、「白虎隊総長」との異名をとった。


白虎隊士時
健次郎・勝地涼 kenjiro_20130826031617443.jpg
                          イエール大学卒業後

                東京大学総長の健次郎
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その山川健次郎に扮する勝地さん、この作品で、会津側からの歴史を見て、世の中には、正義も悪もない、と感じたそうです。ひとつの事柄も、視点を変えれば正義にも悪にもなりうる・・・決めつけてものを見ないてはいけないことを学んだし、世論というものは一瞬で変わってしまう、という恐ろしさも学んだという。
心は既に白虎隊士、そして会津もののふsideの、勝地涼さん、アカデミー賞新人賞受賞者の名に恥じない役者っぷりですね。




  八重の桜かるとⅠ  ~ 新島襄のこと ~

祖母が住んでいた、高崎の観音山のふもとで生まれた美雨は、襄先生(と、上毛の人は呼ぶ)のお話をそれはよく聞かされたものです。高崎からそう程遠くない安中(あんなか)。群馬県で親しまれている上毛カルタやでもおなじみの新島襄は「平和の使徒(つかい)と詠まれています。
今日は、新島襄”先生”の生涯を、安中サイドで紹介してみたいと思います。


初めてアメリカを見る襄


新島襄は、天保14年(1843)安中藩士新島民治の長男として安中藩士江戸上屋敷で生まれました。襄の幼名は、八重の桜第二話でもおなじみ、七五三太(しめた)といいますが、命名の由来は、四姉妹に続く待望の男子だったから祖父が「しめた!」と叫んだから とか、襄の生まれた1月14日が七五三縄(しめなわ)を外す日だからとも言われています。
 襄は秀才の誉れ高く、若干13歳で藩主に蘭学修行を命じられ、この蘭学修行中に 漢訳の聖書によって神の存在を知った襄は、元治元年(1865)国禁を破り国外脱出、アメリカに渡り10年間学問とキリスト教を修めます。
この間に日本は、明治維新という大きな変革を経て近代国家に生まれ変わろうとしており、西洋の学問を身につけた襄の存在を知った岩倉(具視)使節団と明治政府は、襄に役人となり国家建設に協力するよう求めます。

しかし襄は、役人となることを拒絶しました。それは、襄が日本人にキリスト教精神に基づく大学を設立するという大志を抱いていたからであり、彼の理想とする自由な教育は、国家の管理の下では不可能だと考えたからでした。
明治7年に日本に帰国した襄は、すぐさま両親の待つ懐かしい安中へ向かいました。そして両親と10年ぶりの再会を果たすのですが、安中には3週間程滞在しただけで、すぐに任地である神戸へ向かわざるを得ませんでした。襄にはまた、副牧師として布教という使命があったのです。
八重と婚後、何度か安中を訪ねていますが、キリスト教精神に基づく大学の設立と布教という2大目的に襄は東奔西走し、その端緒として同志社英学校(現在の同志社大学)を京都に設立します。しかし、志半ばで病に倒れ、46歳でその生涯を終えたのでした。


ワイルド・ローヴァー号で新世界、アメリカを目指すジョー
ワイルド・ローヴァー号で新世界、アメリカを目指すジョー
襄、メリケンへ


さて、第10話で脱国を果たした襄ですが、いきなりアメリカへ渡れたわけではありません。アメリカ商船ベルリン号で上海まで行き、この頃全く英語が話せなかった襄は雑用などの仕事を引き受けながら、アメリカ行きの商船、ワイルド・ローヴァ―号に乗り換えます。この船の船長H・Sテイラーは襄を”Joe;ジョー”と呼び弟のように可愛がってくれたことから、新島自身、襄と名乗って生きることになったのです。
襄は乗船の礼として、武士の魂である自分の大刀をテイラーに贈り、また小刀を譲って漢訳の聖書を買うのです。

それが、「天道遡源」。今回(34話)で 覚馬の口から出た天啓を得たという書ですね。

この聖書の入門書とも言える「天道遡源」が、襄と覚馬、そして八重を繋いでいったのは、本当に、偶然でない必然 ―― 天の意志のようなものを感じます。


襄が上海から乗り込んだ、ワイルド・ローヴァ―号
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上海を発つ前に 脱国のほう助をしてくれた友に暗号か「753ta(しめた)」の名で文を送っている

夢にまで見たアメリカ(ボストン)に到着したのは、襄が日本の箱崎を発って一年後のことでした。
アメリカでは南北戦争が終結し、リンカーン大統領が暗殺されるという事件が起こります。
ボストンでは襄の身元引受人がなかなか見つからず、襄は乗船生活をしながら、愛読書ロビンソン・クルーソーの原書をひたすら眺めていたといいます。しかし、ワイルド・ローヴァ―号の持ち主で資産家であったA・ハーディーとの幸運な出会いが彼の人生を大きく変えることになります。襄のキリスト教への向学心をみてとったハーディーは襄をジョゼフ・ハーディーとして家族に迎え入れ、以後、襄の「アメリカの父」として襄に惜しみない愛と援助を与えるのです。


襄のアメリカの父 ハーディー夫妻
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京都・新島会館にて      続きはまたいずれ。^^





  八重の桜かるとⅡ あらたな門出 八重&襄


八重34ウエディング予告


新たな門出によせて、こんな素敵なとれとれインタビューがアップされていたので、こちらでも。

綾瀬はるかさん
会津戦争を経て、苦しみや悲しみ、いろいろな困難を乗り越えて、八重は襄と出会いました。
実際のエピソードを通して描く2人の夫婦像が、これからの見どころになっていきます。
男尊女卑の時代に、平等で対等、男女関係なく良きパートナーとして歩いていく、ユニークで力強い夫婦の姿を楽しんで見ていただけたらと思います。

オダギリジョーさん
当時、キリスト教の学校をつくるという大きな夢を追いかけていた襄にとって、八重さんは同じ夢を歩いてくれるかけがえのない同志でした。少し頼りない一面もある襄が、男性よりも力強くて信頼できる八重さんに引っ張ってもらう、そういう夫婦像も悪くないかな、と思います。

制作統括・内藤愼介プロデューサー
襄の求める夫婦の条件は、"ベストパートナー"。お互いの本質的な心の美しさにひかれ、恋愛感情を超えて高めあう関係です。「ジョー」「八重さん」と呼び合い、2人は風変わりな夫婦として歩み始めますが、それは今の時代にこそ共感される理想的な男女の関係かもしれません。明治という時代のなか、新しい夫婦の形を存分にお見せいたします。

※物語は京都編へ突入し、次回の放送ではいよいよ、八重(綾瀬はるかさん)と襄(オダギリジョーさん)の出会いが描かれます。京都で出会い、次第に距離を縮めていく八重と襄。そして、親しい人たちに見守られ、神の前で結婚を誓います。2人の式は、当時、日本初のプロテスタントの挙式となりました。
結婚式は、第36回「同志の誓い」(9月8日放送)で描かれる予定。
http://www9.nhk.or.jp/yaenosakura/yaeblog/2013/08/23-wedding.html




<どうでもいいけど 気になる”この人”コーナー>


 20:45分に八重の桜が終わると 出てくるニュースキャスターのお兄さん  


実は、ある人と同人物では?という噂が・・(ボソッ すらぞうさま提供)


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    いいお名前ですね



                    


      さんじょー!!


                    



       赤影参上!



                    




ハッ八ッハッ 実はボクです!裏稼業の方もよろしく!
坂口祐三郎さん
知ってる人、いるのかなぁ~


このヒトらしい(汗)
クリック⇒ http://www.youtube.com/watch?v=kpgzduwEA7o




う・・・言われてみると、な・・なんとなく似ている ??(^_^;)
akakageoyako.jpg


「八重の桜」各話あらすじ&感想
http://yonipo.blog13.fc2.com/blog-category-81.html


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大河ドラマ 八重の桜 第33回「尚之助との再会」

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歴史ドラマ 八重の桜 第33回「尚之助との再会」

あの名作が帰ってきた!
平日 朝8:00~午前9:00 深夜1:15~深夜2:15(月~金、毎日放送)
制作年 2013年
制作国・・・日本  ジャンル・・・歴史ドラマ
総話数・・・全50話
出演者・・・綾瀬はるか、西島秀俊、長谷川博己、オダギリジョー、綾野剛、玉山鉄二、市川実日子 ほか

「八重の桜」33話視聴率は15・9%で、前回より2%アップ。 尚之助が斗南藩のために罪をかぶったことを知った八重。私の愛した妻は、夫の前を歩く、凛々しい妻です・・・あなたは、新時代の陽向をあるく人・・・!夫の変わらぬ愛に、とめどなく流れる涙。何があろうと、尚之助と八重の愛は永遠に不滅です。

チャンネル銀河・八重の桜HP https://www.ch-ginga.jp/feature/yaenosakura/
八重33話表
八重の桜OP、BGMにドゾhttp://www.youtube.com/watch?v=6tDZC6aTUxA

第33話あらすじ
明治6(1873)年、政府はこの年初め太陽暦を導入。千年の古都京都にも文明開化の波が押し寄せていた。
八重(綾瀬はるか)は、女紅場と呼ばれる官立の女学校で住み込みの舎監として働き、また学生として英語を学びながら、一年が過ぎていた。英国人女子教員ウエットンの英語授業は、英語を学ぶだけでなく、欧米の新しい考え方にも触れることが出来、刺激に満ちている。リンカーンのゲティスバーグ演説を取り上げたあと、それぞれのドリーム・・・抱いている夢は何かと尋ねるが、当時の因習で、婦女子の英語はただの芸事みたいなもので役にはたたないと誰も手をあげぬなか、八重は、まっさきに発表する。「私の夢は、学校をもっともっと大きく、もっと沢山学べること!」八重は、シンプルな表現でも思ったことを恥じずに答えようと皆を勇気付ける。”Don't be shy!"
出身も身分もさまざまなこの学校で、八重は機織と作法の教師としてだけでなく、心のカウンセラーとしても女学生たちの信頼を得ていった。

一方、荒廃しかけた京の再建を参事の槇村正直(髙嶋政宏)から任された覚馬(西島秀俊)は、そのための人材を育てるため、教育に力を注ぎ、次々と理想を実現させていた。八重の勤める日本初の公立女学校である女紅場はじめ、理化学、薬学の研究機関である舎密局、また病院建設の計画も立てていた。大阪の舎密局から、逸材の明石博高を抜擢した槇村が自慢げに覚馬に引き合わせるが、明石は、”会津守護職時代 京の洋学所でわけ隔てなく教育を施してくれた覚馬先生へ恩を返すため、京まで来た”という。苦虫をつぶしたような顔をして槇村は「金には糸目をつけず、いくらでも出す」と言い放つ。じっさい、京の近代化は、覚馬が発案、槇村が決裁、科学者明石が実行、という三つ巴のコラボで展開していく。

その頃、東京の新政府内では、朝鮮政策をめぐって、激しい対立が起きていた。日本の国交樹立を拒む朝鮮に対し、強硬派である土佐の板垣退助・佐賀の江藤新平 対 岩倉・大久保は反対派、その狭間に西郷がいた。西郷は、廃藩置県以来、新政府が奪った武士の力ーー士族の不満に報いるため、朝鮮派遣を任せてほしいと 薩摩の同胞である大久保を脅すが、使節団としてアメリカから岩倉と帰って以来、大久保は欧米への遅れを知り、国内の文明開化が急務と、ついには西郷と袂を別つことに。
そんな折、槇村が業務妨害の容疑で捕まり東京に拘留される事件が起こる。朝鮮政策がらみの権力闘争で長州の力をそごうとした、佐賀の江藤が槇村を拘留したのだ。江藤は初代の司法卿であった。覚馬は、槇村の後見人である木戸孝允(及川光博)にとりなしを頼むため、八重を連れて東京へ向かう。結局覚馬の申し出は聞き入れられなかったが、時を同じくして起きた朝鮮問題をめぐる政府内の分裂によって槇村は釈放される。八重も槇村に恩を売る形で、すべての女学生達に授業料を払わずにすむよう女紅場への出資を引き出す。学生の中には暮らしの厳しい者も多く、八重は彼女たちを守りたかった。

その後、勝海舟(生瀬勝久)から尚之助(長谷川博己)の居場所を聞いた八重は、尚之助が住む浅草へ行く。しかし、再会の場にいたのはやつれきってすっかり生気をなくした伴侶の姿だった。

・・・ということで、次回は第34話「帰ってきた男」です。



第33話ぷち・ギャラリー

<What is your dream?>

What I do here - my dream is I make this school biger and biger
to study, and learn more and more.
八重3301
ドリームを語る八重

征韓論でもめにもめる新政府
八重3302

<資金運営の危なくなってきた女紅場のため京都府庁に向かう八重>

いまからCastleへ言ってまいりやす! 長州という城へ!
八重3303

女紅場に下さるお金を増やしてくなんしょ
八重3304
ひ~っ なんとかならんかこの妹

<初めての蒸気機関車>

うぁ~、すごい、兄つぁま、海だし
八重3305
子供のようにはしゃぐ八重を笑う覚馬だが・・・

藩を自分達で壊しておきながら未だ長州だ、佐賀だとこだわれるとはいささか滑稽
八重33A
権力は政治を動かす道具に過ぎぬ・・・たかが道具に足をとられてまともな政ができますか?

覚馬「八重、岩倉さまは何を見ておられる?」
八重3307
八重「先ほどからずっと笑みを浮かべておいででごぜいやすが、
その目は何を見てんのかわだすにはわかりません」

<決裂した明治新政府>

ここにはもうおいのでくっこつぁなか、破裂じゃ、もはや止めがならん!
八重3308


<勝海舟に尚之助の消息を調べさせていた覚馬>

ええっ・・尚之助さまが裁判?
裁判!?
勝「イヤな時代だぜ・・・本来なら、国の中央にいてもおかしくない逸材なのに」

<尚之助との再開>

ボロボロの尚之助
八重33話ボロボロの尚之助

わだすをおそばにおいてくなんしょ、夫婦でなぐてかまわねぇ
おそばに

八重・・・ 
私をおそばにおいてくなんしょ!!

尚之助さまのお役に立ててくなんしょ、お願いしやす・・・
うっ、うっ、うう・・・
お願いしやす!尚之助さま・・・
ううぅ~
八重3310

がっかりさせないでください。あなたには京都で生徒達を助ける舎監の仕事があるでしょう
八重3311
わたしの妻は鉄砲を撃つ女子です。わたしの好きな妻は夫の前を歩く凛々しい妻です。
八重さんの夫になれたことが、わたしの人生の誇りです。
もう二度とここに来てはいけません。あなたは新しい時を生きる人だ・・行きなさい。


<襄のドリーム>

一方、アメリカ グレイス教会で日本の教育の支援のため演説する襄
八重3312
教育への夢を語り、八重と同じく資金を引き出す襄



八重の桜、こんなところが好き!感想&雑記

It is for us the living, rather to be dedicated here to the unfinished work ~
と始まる、あまりにも有名なリンカーンのゲティスバーグ演説。

ここで戦い、命を落とした者達が、これまで尊く前進させた仕事を受け継ぐのは、生きている私たちの使命・・・・

父・権八、弟・三郎、戦友の竹子、雪、師匠の黒河内、みずから鉄砲を教えた白虎隊士・・・命を落とした人々の顔が脳裏に浮かぶ。この演説の言葉に、故・同胞が成し遂げられなかったことを、生き残った自分が受け継いでいこうと改めて思っただろう八重。
兵器による復讐という形でなく、学問・教育というドリームに変えて、戦っていく八重、輝いてきましたね。

明治になり、京都で目を輝かせドリームを語る八重と、
一方で、東京で被告人として澱んだ生活を送る、ドリームをなくした尚之助。
二人の人生はあまりにも大きく違ってきました。

会津と斗南をひきずった、旧時代の骸のような尚之助と反対に蒸気機関車の走るお江戸のように、確実に明治という新時代にシフトしている八重。
シャボンやレモネードに大喜びし、俗物に見えた槇村にも、戦後の荒れ地に新しい国家をつくるというドリームがあると知りました。
覚馬の、権力は政治を動かす道具にすぎないという、アイロニーに満ちた格言も少なからず勝ち組の為政者達の政治姿勢に投影されていきそうですが、今回は、新政府の内紛よりは、八重と尚之助との再会がメインですね。

連理の枝のようだった睦まじい夫婦の、まさに生木を裂くような運命ですが、八重がさらに前進し、襄と筋の通った再婚をするためにも、協議離婚であったことが必要なので、今回の再会には重要な意味があると思います。

そして視聴者にとっては、愛ゆえに身を引いた夫の本心を八重が知り、二人の愛は何も変わっていないことを確信できた・・・
いろんな意味で、脚本のむつみさん、good jobですね。

思えば、
「訴えにある川崎どのの件は、わが藩の全くあずかり知らなかったこと!
裁判所にそう伝えよ」
尚之助の運命を決定づけたこのひとこと。

この一件のあと、尚之助ファンの中には、命を張って会津に尽くした尚之助を、他人事のように見捨てた大蔵を、あまりに冷たいと非難の声が多かったと知りました。
これも無理からぬこと・・・
時代が時代ですからね。藩に見捨てられた藩士は、もはや死を与えられたも同然。

「わが藩は、川崎殿の裁判の案件とは全く無関係と伝えろ」
一見冷酷な大蔵でしたが、これは正しい決断だったと言わざるをえません。

こちらに義があろうとなかろうと、人の上に立つ者、いざひとつ判断を誤ったらさいご、
藩民が全員、路頭に迷うことになる・・・このことは、藩主・容保の決断によって、会津が滅んだことを身をもって知る大蔵なら、苦い経験のなか痛いほど学んでいたこと。
同じわだちを二度と踏んではならない、と大蔵は知っていた筈。

また、これが「尚之助が本来きっすいの会津藩士であれば、大蔵の対応は違っていた」と言う声もありました。
けれども、尚之助がもと他藩の人間であった、無かったに関係なく、失策をおかしたのが旧会津藩士でも、大蔵は同じことをしたと私は思っています。
移り住んだ下北という酷寒の痩せた土地で、凍死者・餓死者を出していた貧しい斗南藩・・・負からスタートを切り、一国のトップとして藩のかじ取りをまかされた大蔵の苦渋の決断を、平和で豊かな時代に住む私達のものさしで測ってはいけません。

いざ尚之助を助けたところで、勝ち目のない裁判、三千両もの違約金をうけ負えば、間違いなく藩民全員がのたれ死んでしまうでしょう。
また、そのような助けは、とうてい尚之助の望むところでは無かったはず。
自分の失敗は自分の身ひとつでおぎなう・・・尚之助は、そういった男です。
むしろ、心を鬼にして切り捨ててくれた大蔵には「私の意を汲んで、よく決断してくれた」と
思ったかもしれない。
二万の藩民を道連れにするようなことになれば、尚之助は二度死んだことになってしまう。
そして大蔵は、二度会津を滅ぼすことになるのです。

けれど、二度別れることになった八重はどんなにつらかったろう・・・
八重の、やり場のない哀しみと、どうしようもなさが、時空を超えて、画面からあふれ出てくる・・・。

会津に生き 会津に散った男、尚之助。
ひとは彼を洒落た才気ある男、と評したという。
人生の最期にあっても、彼はこんなウィットあふれる狂歌を詠んでいました。

このころは 金のなる子の つな切れて ぶらりと暮らすとりこえの里

きょうはまだかてのくばりはなかりけり 貧すりゃドンの音はすれども


八重が訪れた浅草・鳥越を去って、いよいよ最期の地に向かう清貧な暮らしと、後の歌は貧と貪をかけたのか、ドンと鳴る明治4年に始まった午砲がときを告げるのに、食事にもこと欠くさまを自嘲したもの。


八重や会津を守るため、そのまま黙して死に突き進む覚悟をしていた尚之助・・・
当の会津から救いの手すらなく見捨てられても愚痴ひとつ言わず、わが身より愛するものたちを守るほうを潔しとした男の中の男。

神の国を口で説く襄が牧師なら、尚之助は重い十字架を背に肩代わりしてゴルゴダの道を歩む受難の生き聖者のよう。
陽のささない、いばらの道です。

けれど、八重は違う。  尚之助はそう思ったに違いない。
私の愛した妻は、時代に選ばれた女性(ひと)・・・!堂々と陽の光をあび、新しい時を誰より先に歩んでいくひとだ。
尚之助の叶わなかった夢―ー百年先の未来の方向性を正しく描き出し、 かじ取りをしていける世にも稀な女性・・・たとえこの身は朽ち果てようと、自分はその土壌となって、布石となって、共に夢をかなえていくのだ・・・
それが尚之助のドリームなのだ・・・

だから、決して不幸ではない。
短くとも、凝縮された愛の瞬間がある。彼女に愛された夫としての誇りがある。

彼は死後も八重の夢や思想の中に生き続けます。
八重の魂の一部となって、あらたな いのちを得る尚之助は、8月度OPバックの緑のように、
潤い再生するふくしまの森のようです。





キャスティング今日のフィーチャー

今日気づいたのですが、あまりに空気みたいで(軽くて?なじみ具合がいいという意味で。笑)ハセヒロさん自身の紹介をしていなかった気がして、あらためてフィーチャー。それほど、表裏一体のコインみたいな夫婦。ハセヒロさんはこの回で撮影クランク・アップ。八重役の綾瀬はるかさんは、撮影の後も、涙がとめどなく流れて止まらなかったそうです。本当の八重がのりうつったように。それほどにお似合いでした。

<長谷川博己・はせがわひろき あらためて紹介>
1977年生まれ、東京都出身。舞台を経て、テレビ、映画で活躍。
主な出演作に、舞台「海辺のカフカ」、映画「セカンドバージン」ドラマ「雲の階段」「運命の人」「家政婦のミタ」などがある。大河ドラマは初出演。
エネファームのコマーシャルではギターの弾き語りと電気ウナギイヌとのコラボで話題に。

舎み術でウナギ犬電気発電を教える尚サマ
舎密術でウナギ犬に電気発電を教える尚サマだが・・・

<会津篭城戦を共に戦い抜いた八重の夫>

但馬出石生まれ。蘭学と舎密術(理化学)を修めた洋学者。江戸の佐久間象山塾で知り合った覚馬に惚れ込み、会津にやってきた。山本家に居候しながら仕官をめざすがなかなか叶わなかったが、覚馬の薦めもあって八重と結婚、少しずつ夫婦らしい感情が芽生える。鶴ヶ城の篭城戦では八重と共に大砲隊の指揮を執って戦う。戊辰戦争後は他の会津藩士と共に謹慎後 斗南藩にいき,皆の困窮を救おうと奮闘するも米の取引で詐欺に遭い、その責めを一身に負い、裁判のため戻った東京で死去。


尚之助03


尚之助の”ひととなり”は、ドラマでもすっかりおなじみでしょうが、今回心に残った、演じ手長谷川博己さんは、「最後までまだ何かやれると行動した人物」と語っています。
居候の身だった尚之助は、最初こそ覚馬に頼まれて山本家に留まっていたけれど、いつしか尚之助自身に頑固な会津魂が芽生えてきたのでしょう。師である象山が亡くなったとき、覚悟をするのです。八重と共に会津のために生きよう、と。八重と過ごす会津での日々が尚之助を成長させていくのを、演じながらひしひしと感じたというハセヒロさん。
しかし、決意したとたん、会津は戦争に突入してしまう。また、学者として専門的な意見を何度献策しても、認められないもどかしさに誰より苦しんだ人。この戦いの勝敗を分けるのは銃の性能であるとわかっている・・・そんな歯がゆい思いと戦いながら、「最後までまだ何かやれる」と行動した尚之助、敗戦後も、斗南で藩の窮状を救うため奔走していました。尚之助ならおそらく、どんな状況になっても、まだ自分にやれることはないかと作戦を立てたことでしょう。その結果、自身が暗黒星雲に飲み込まれようとも、八重や斗南藩を守るため、責めを一身に負い、そのまま黙して昇華した、男の中の男。

歴史研究家のあさくら氏は、川崎尚之助の人生を語るとき、一にひたむきな努力が認められ、二にその素直な性格が会津に認められ、三に愛する八重に認められ、その思うがままに一途に尽くした人生だった、と語っています。





  八重の桜かると 美雨の選んだ名場面

理屈なんかいらない!
今日は尚さんスペシャルで、思い切り あのシーンあの名場面をしのびます(涙)



やっぱり白が似合う尚之助
13081604.jpg

<会津の純情・青春時代>

鉄砲バカのふたりの会話は見ていて楽しいが・・・(汗)
八重306

さわやかなふたり
八重308

<この頃からラブラインに突入>

八重さん・・勝手ながら私は少しほっとしています
ラブライン開始!
八重さんがいなければ新式銃を一緒に作る人がいなくなる

<初夜・花嫁に京の紅を紅をさすしてやる尚之助>

尚さま名場面2
この薬指が よかったですネ(涙)
尚さま名場面0

<ぷち・ハネムーン>

偵察のために近隣諸国を旅した尚之助、
尚サマさびしいな~
厳しい急ぎ旅ゆえ、遅れたら置いてきますよと言ってましたが・・・八重よりヘタレでしたw

鉄砲ヲタクのふたりはいつも一緒
鉄砲ヲタクのふたりはいつも一緒



尚之助は、資料が殆ど見当たらなかった人の筆頭です。以前は籠城戦のあと会津を捨てトンズラしたという俗説までありましたが、そんなはずはありません。ドラマをご覧になっている方はお解りだと思いますが、八重と庄之助は互いに尊敬しあう、実に仲睦まじい夫婦であったと思います。演じているお二人の初々しい夫婦らしさが、私も大好きなんです。お似合いの二人が別れてしまうなんて可哀そうという声を、しばしばいただくのですが、二人がどんな形で別れを決断したとしても、すべてはお互いを思いやる気持ちからのことです。
by 山本むつみ 脚本家が語る『八重の桜」より抜粋
 

猪苗代の別れのあと、邂逅はあったのか無かったのか・・・尚サマ&八重カップルファンはずっと気を揉んでいたことでしょう、自分もふくめ・・。思い切ってこんな素敵なシナリオを書いてくれた山本むつみさんに感謝状さしあげたいくらい。名台詞と共に、ふたりの残像が永遠にきざまれるような、粋な別れでした。

まるで、会津ゆくすえと八重の未来のしあわせを見守るように、身一つ犠牲にすればいいことじゃないか、とばかりの潔い男の人生・・・最後に八重を見送った尚之助の眼には、一点の曇りもなかったことでしょう。

愛しているからこその別れ・・・
人間であればこそ、そんな別れもまた、あるのでしょうね。







尚之助「会津も、君も、負け犬なんかじゃない!力強く生きていくんですよ」
負け犬になった電気犬
承知しました・・・うっうっうう (電気ウナギイヌはみた 



「八重の桜」各話あらすじ&感想
http://yonipo.blog13.fc2.com/blog-category-81.html

尚之助に関するレビューはこちらを参照
30話クリックhttp://yonipo.blog13.fc2.com/blog-entry-1055.html
31話クリックhttp://yonipo.blog13.fc2.com/blog-entry-1060.html


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大河ドラマ 八重の桜 第32回「兄の見取り図」

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歴史ドラマ 八重の桜 第32回「兄の見取り図」



 第32回の視聴率は13.9%。これは、俺の戦だ・・・国が破れ、滅び、灰になっても、その中から身ひとつで立ち上がれ!管見に込めた覚馬の思いが、京の都に、八重の心に熱くこだまする「京都編」いよいよ動き出しました!

チャンネル銀河・八重の桜HP https://www.ch-ginga.jp/feature/yaenosakura/
八重32話表
八重の桜OP、BGMにドゾhttp://www.youtube.com/watch?v=6tDZC6aTUxA

第32話あらすじ
京都の覚馬(西島秀俊)の家に暮らすようになった八重(綾瀬はるか)と佐久(風吹ジュン)、みね(池田沙弥花)。3人は同居後初めての朝を迎え、八重は台所を手伝おうとするが、覚馬の後妻・時栄(谷村美月)が朝餉も覚馬の支度もすでに整え、八重の入る隙は無かった。時栄はまた よく気が利いて、長旅の八重たちをいたわる思いやりがあふれていた。だが、時栄のために共に苦労を重ねてきたうらが身を引いたと思うと、八重はすんなりと素直にはなれない。みねも、母・うら(長谷川京子)のことが忘れられず納戸にこもってしまう。みねの後を追おうとした八重を、覚馬は厳しく制止し、みねのことは時栄に任せるよう言い放つ。
 その日覚馬は八重を伴って京都府の実権を握る権大参事(ごんのだいさんじ)、槇村正直に面会に行く。槇村は、八重にすれば傲慢な感じの男だが、覚馬のことは「先生」と呼んで頼りにしている様子だ。そこに 乱れた足音がしたと思えば、京の商人衆がものものしく駆けこんでくる。商人達は、槇村が企画する博覧会の為に、異国人に京を荒らされ、端午の節句まで潰されたら、人形商も織物屋も商売あがったりだと訴える。すると槇村は頭ごなしに「今更攘夷でもあるまい、旧弊な祭りなどやっていたら西洋列強になめられる」と商人達を追い出そうとする。そこで覚馬が口を開き、日本で売れる人形の数はたかが知れているが、買い手を世界中に広げたら、万両もの商いが何千万両と増える・・・博覧会に異国人を呼ぶのはそのためで、お前たちの利益が国を豊かにするのだ、と説く。「儲かる道は必ず作る!」覚馬の言葉に、必死な形相をしていた商人達もホクホク顔で頭を下げ、戻っていくのを、お見事!と拍手で称賛する槇村。
 
八重は、槇村が長州出身と知って驚くと同時に、こみ上げてくる怒りを抑えられない。会津が長州にどんな目に遭わされたか。それなのに兄の覚馬は、槇村にすり寄り、媚びているようにさえ見える。「兄つぁまは、人が変わっちまった」八重が堰をきったように戊辰戦争で会津が受けた理不尽な仕打ちをこぼす。 覚馬は八重を黒谷の金戒光明寺につれていき、静かに胸中を語って聞かせる。容保の京都守護職就任以来、会津が京で受けてきた扱いの理不尽さ、視力を失い捕らわれの身となったふがいなさ、戦乱が会津へ向かっていくのをただ見ているしかなかったもどかしさ・・・覚馬も京で辛酸をなめて生きてきたのだ。 そして、今、ただ一つ覚馬の心の支えとなっているのが、獄中で書き上げた管見だ。牢の中で見えたもの ―― それは新しい日本の姿であった。薩摩でも、長州でも、会津でもない、あるのは日本の未来。新しい国を作るためなら、相手が誰だろうとかまわない・・・それが俺の戦いだ。そう言って覚馬は八重に管見の「国家は人材によるものなれば、婦女子にも男子と同じく学ばせるべき」という一文を八重に読ませ、熱く言葉を続ける。「お前ならわかるはずだ・・知恵が、知識が一番の武器になることを、お前ほど身を持って知る女はいねえ。」「学べ。新しい知識を。世界の文明を。これからは、学問が、お前の武器だ!会津が命かけたこの場所で、俺と共に戦ってくれ。」
八重は、見えなくなった覚馬の目が昔と変わらずに前を向き輝いていることを知り、胸を熱くする。
母の佐久もまた、覚馬がうらの着物まで用意し迎える準備をしていたことを知り「覚馬は昔と何と変わっちゃいない」と涙をこぼす。みねも、少しずつ父と時栄にうちとけ、皆と揃って朝餉の席につくようになる。

そんなある日、覚馬のもとに、西郷が訪ねてくる。新政府の仕事で京を引き払うにあたり、広大な薩摩藩邸を、覚馬に託したいという。内部対立や、汚職にまみれた新政府の人間でなく、真に国づくりの志を持つ人間に託したいと、西郷は考えていたのだ。
時同じくして、岩倉をはじめとした使節団がアメリカを訪れていた。通訳を務めるのは新島襄で、使節団の一行の中には、日本初の女性留学生の一人となった山川咲(捨松)の姿もあった。咲は、母の艶に「一度捨てたつもりで帰る身を待つ(松)」という覚悟をこめて、捨松、と命名されたのだった。女子教育の必要性は、かねてから覚馬が訴えてきたことである。
「学ばねば、勝てねえな」八重もまた、覚馬の片腕となるべく、昼は女学生に機織りを教えながら自らも英語を学び、夜は寮に泊まり込み寄宿生を世話する女紅場での生活を決心する。そして翌春、八重は、桜吹雪のなか、輝く目をして 未来にむけ新しい一歩を踏み出すのであった。


・・・ということで、次回は第33話「尚之助との再会」です。





第32話ぷち・ギャラリー

 父上、三郎・・・9年ぶりに一緒にみなで暮らせることになりやした
八重3201
力を合わせて生きてまいりやす。ご安心ください
覚馬の手の平に新しい言葉(文字)を書いて教わる八重
八重3202
わがんねぇ・・・砲術のものとは勝手が違う
八重3203
・・・いかん!子供でもわかんだから、できねぇはずがねぇ!

<京都府庁に覚馬を背負っていく八重>
万国公法の宿題だ 八重、言ってみろ国の主権は何に使う?「国同士の和平、戦、交際・・・」
八重3204
「フン、賊軍が何の用じゃ」「会津もんが、偉そうに!」  聞こえてくる嘲り

<9年間の空白>

兄つぁまはわかってのんがし?あねさまがなじょな思い出みねと別れたか・・・
八重3205
兄つぁまは人が違ったみてぇだ・・・長州のもんと笑って話して、手下になっで・・・平気なのがし!?
赤い櫛を見つめ、母・うらを思うみね
八重3206
寂しいやろな・・おっかさんと離れて・・・私、どないしたらええんやろ
八重3207
みねさん、かんにん・・・かんにんえ

<これからの戦い>

女学・・・国家を治るは人材によるものなれば、今より以後男子と同じく学ばすべし??
八重3208
この一条を俺に書かせたのは、八重だ・・いつだって諦めず、立ち向かって学び続けた
にしならわかるはずだ・・知恵が、知識が一番の武器になることを
八重3209
にしほど身を以て知る女はいねぇ!
学べ! 新しい知識を、世界の文明を・・・これからは学問がおまえの武器だ!
八重3210
会津が命をかけたこの場所で、俺と戦ってくれ!

<通い合う思い>

みねに、うらの赤い櫛をさしてやる覚馬
八重3211
大切にもっていろ
八重3212
はい。

<訪ねてきた西郷>

「京都の来たとは薩摩藩邸を始末するためじゃ。おはん、買わんな?」
八重3213
覚馬「2年わだすがお世話んなったあの屋敷ですか?」「新しかこつを始めっとに場所もいるじゃろ」

八重「学ばねば・・・・勝てねぇな」
八重3215
覚馬「いってこい!」八重「おっかさまとみね、それか兄つぁまのことよろしくお願いすっから」
時栄「まかしておくれやす」「んだら、いってくっからなし」
八重3218
いってきなんしょ!     新しい未来へ向かって歩きはじめる八重

<アメリカで顔を合わせた咲と襄>

「捨松?変わった名前ですね。フフ、でも僕の名前も変わっていて・・・
八重の桜32 B
上に女ばかり4人いて5人目でやっと男の僕が生まれ 祖父がしめた!と叫んだので新島七五三太(しめた)。


<ちょっとだけ予告編 33話「尚之助との再会」 涙>

八重3220
こんなに愛し合ってるふたりなのに・・・
八重3219

ああ、もうダメぽ  泣いてしまふ・・・




八重の桜、こんなところが好き!感想

「あんつぁまは、薩摩や長州が、憎くはねぇのですか?
城に2千発の砲弾を撃ち込まれんのがなじょなもんか、あんつぁまはわかってねえ!
あのとき、お城にいなかったがら」

まだ会津を引きずっている八重と、明治にすでに切り変えている覚馬、今回はその距離感を縮める小さな戦いを描いていた気がします。

もちろん軍配は覚馬にあったわけですが ―― 彼も冷徹になりましたね。
生きるため、目的のために、無駄な部分は そぎ取ったというか・・・不条理への怒りとか、昔の熱血さは微塵も感じられません。
それでも「会津を捨石にした今の政府は間違っている」の、静かな怒気に背筋がぞくっとなりました。いわれのない侮辱に対して、いまの八重のように丸出しにしていた感情を、幾重にもオブラートにつつんで、発酵熟成させたその中身は、復讐なのか、希望なのか・・・いずれにせよ「俺の戦」であることは間違いなさそうです。
仇を討つならこの覚馬のやり方のほうが筋は通るし、効果的でしょう。

しかし、槇村の町衆への傲慢不遜な態度と下品さには閉口しました。
理路整然と鮮やかに説得をする覚馬をと対比させ、兄を誇りに思わせる戦略かもしれませんが、なんで槇村をああまで下品に描くのか・・・ひょっとして、これも、静かなる覚馬の戦いの未来への布石なのかも?なんて思ってしまう。
ある意味、昔よりずっと恐ろしさを含んでいる覚馬・・・
何故か心に引っ掛かるのは、覚馬が使った「捨て石」という言葉。
気持ちの良い語感ではないけれど、決して悪い意味ではないんですね。
囲碁用語から転じて「今は無駄なように見えるが、将来の利益を期待して行う投資や行為のこと」で、覚馬もまた、捨て石だったのかもしれない。
自分が捨て石になりきることで、岩倉や槇村の期待に応えながら、その実うまく利用しているような・・・すごく含蓄のある深い言葉選びに感動しました。

捨松、もそうですね。
捨てているのに待つ、だなんて、この愛のパラドックスは、日本人でなければ理解しえない一厘があるように思えます。

また今回は、あんつぁまの苦しみ、うらへの思い、きちんと描かれていました。
泣けました。
おばばさまが、一役買ったようにも思いますが、さすがはあの覚馬をして、「自分はとうてい母の聡明さには及ばない」と言わしめた賢母です。

「みねのことは時栄にまかせろ」
時栄を 家の女あるじとしてしっかり立場を確保してやりながら、八重のプライドをくすぐり、信頼感を示す。そして八重にしか出来ない役割を与える。
「お前ならわかるはずだ・・知識が一番の武器になることを、お前ほど身を持って知る女はいねえ。」
こんな殺し文句みたいな台詞を言われたら、誰だって逆らえない。
覚馬は知能犯ですね。(笑)
目が見えなくなった分、人の心を読む第三の目が開いてしまったような・・・
とりわけ、西郷どんとのやりとりは、覚馬の聡明さが伝わるシーンでした。
権力抗争を繰り広げている新政府の旧藩派閥でなく、
「おはんなら、あん土地、世のために役立ててくれっじゃろ」寛大すぎる西郷どんですが、
じっさい、覚馬が譲り受けたその広大な土地は、後に新島襄の同志社大学になるのですから「なにごとも巡り合わせだべ」という佐久のなにげない台詞が今回のもうひとつのテーマだった気がします。

そして、西郷の台詞や、米国での大久保、木戸との諍いから、勝ち組・薩長土佐の新政府も一枚岩ではないのがわかる会話でした。
まさしく、これからが覚馬・八重の出番ですね。

会津が命かけたこの場所から、違う武器で勝負をかける――新政府が見捨てた町に文明の町を作る・・・その見取り図が会津の人から出てきたのは本当に驚異です。

これから、学問を武器に、ハンサムウーマン八重が、明治をかけぬけます。





  八重の桜かるとⅠ 時代を先駆ける八重①

会津戦争でスペンサー銃を担ぎ鉄砲隊を率いて男顔負けに戦った八重。戦火の中を生き抜き、京都であらたな生き方を模索していきます。銃を捨て、ペンを持ち、学問という武器で生きて行く八重・・・しかし、ときは武家社会の因習を色濃く残した明治、男性社会の中で社会進出する女性のための風穴をあけようとする八重の生涯は「戦いの日々」であったと同時に、新時代を生きる女性の「さきがけ」となるものでした。


京都編八重の新イメージ


明治4(1871)年、京都に移り住んだ八重は翌年に兄の推挙で「新英学校女紅場(にょこうば)」の教師となりました。この学校は、英語を教える英学校と女性の手仕事や礼儀作法を教える女紅場の二部門に分かれていました。八重は学校の舎監を務める一方、女紅場(にょこうば)で機織りや裁縫、小笠原流礼法などを教えました。八重は、正規の学校教育は受けていなくとも、母や会津の地域社会を通して、これらを習得していたのがすごいです。さらにすごいことには、向学心の強い八重は、自身もこの学校で生徒として英語を学んだこと。八重の語学を吸収するスピードもすさまじく、ドラマでも語られていた明治4年の京都博覧会で配布する「京都案内記」も、彼女が翻訳を行い、覚馬が製作していますが、これも前代未聞のことでした。当時、日本で英語を教える学校は少なく、女紅場は時代の最先端をいく施設でした。そこで公務員として職を得て、月給を受け取っていた八重は、日本でも最初期のキャリアウーマンだったのです。
これらの経験が、のちに新島襄と結婚し、同志社女学校を設立する際に、大きな力になっていくのですね。


八重の同志社女学校
八重が創立に尽力した同志社女学校と直筆の英文の手紙




  八重の桜かるとⅡ 管見&進化し続ける覚馬


「鳥羽・伏見の戦い」で薩摩藩に捕えられ、幽閉中に新国家の青写真を描いた「管見」。新政府に建白されると岩倉具視や西郷隆盛に高く評価された覚馬。釈放後は、廃れかけていた京都の府政を指導し日本で最初の小学校や科学研究所の設立に貢献、新島襄に薩摩から譲られた敷地を譲渡し、同志社英学校設立を助け、京都の近代化に尽くしていきます。
目は完全に失明したというのに、水を得た魚のように自在に課題の答えを導き出していくその姿は、まさに「進化する覚馬」ですね。


西島・覚馬の思い


会津戦争では何も出来なかった筈の覚馬。驚嘆すべきは、獄中にあって彼の精神性はさらに高い次元にのぼっていた、ということ。それまで覚馬を覚馬たらしめていた壮健な体を失うことで、彼の新しい国づくりへの思いは、むしろ研ぎ澄まされていくかのように見えます。
覚馬は、会津から日本全体へと視野を広げ、薩摩や長州が倒幕を実現しうる力を備えていることも把握していました。「禁門の変」の経験から、戦によって犠牲になるのは民衆だということも知っています。だからこそ、戦火が会津に移るのを何とか防ぎたいと願っただろうし、そうなったときの結末を予測できたでしょう。
覚馬演じる西島秀俊さんは、台本を読んいて、胸が痛む事ばかりだった、と語っています。「何気ない会話も風景も、ドラマの半分から伏線がしかれていたんだ・・・」と、今になって気付くことがたくさんある、と。
覚馬のすごさは、そうしてすべてを予見しながら、絶望することなく新国家の見取り図となる『管見』をまとめたことです。つまり、すでに”再生”について考え始めていた。牢の中で・・・。これはすごいことですね。
そして、廃れつつあった京の産業振興や学校設立のため薩摩や長州の要人らとも協力をし合ったこと。かつて敵対関係にあった人にも、「この人材を生かさないのは惜しい」と思わせる魅力が必ずやあったのでしょうね。

女性関係に関しては最近何かと物議を醸している覚馬ですが、ここだけはブレない点。
「私」ではなく「公」の精神を持って遠い未来を見すえ、行動し、会津魂に根差した教育への情熱は誰より強かった覚馬。彼は、これからも進化し続けていくようですね。






キャスティング今日のフィーチャー 山川咲;水原希子さん

山川捨松(すてまつ)役の水原希子さんが、いよいよ今回から登場ですね。この間までおくるみに抱かれた赤ん坊だったのに、籠城戦では元気な少女になっていて、さらにはもう立派な”小さな淑女:Lady”になっていた咲(さき)。山川浩(大蔵)の妹であり、のちに意外な人の妻となる捨松。幼くして会津戦争を経験した彼女は、岩倉具視の使節団に加わりアメリカへ…。世界に飛び出した捨松が見たものとは何だったのでしょう。

母・艶に抱かれた末子の咲             
母の艶に抱かれた (小)
(右は兄・健次郎。維新後、共にアメリカに留学)


捨松を演じる、水原希子(みずはら きこ)さん
1990年生まれ。アメリカ合衆国出身。2003年ファッション誌でモデルデビュー。2010,映画「ノルウェイの森」で女優デビュー。他にも「ヘルタースケーター」「I'M FLASH」などの映画に出演。テレビドラマは今回が初めて。

咲 捨松   すてまつ

<山川咲;のちの大山捨松・ちょっとネタバレ紹介>
幼くして家族と共に籠城戦を経験。12歳のときに、のちに女性教育の先駆者となる津田梅子らと日本初の女子留学生として、岩倉使節団に加わり渡米。ことのき母の艶は、咲という幼名を「一度捨てたつもりで帰国を待つ(松)」という思いを込めて、「捨松」と改名するのです。帰国後、捨松は会津の仇敵である薩摩の陸軍軍人。大山巌と結婚し、何かと物議を醸したようです。美貌と知性をあわせ持ち、鹿鳴館時代の社交界で「鹿鳴館の華」と讃えられました。津田塾大学の前身・女子英学塾の支援など、女子教育や近代看護教育の普及に力を注ぎました。

可愛い末の娘を12才で海外に出す時、母の艶はどんな気持ちだったでしょう。名前も奇麗な「咲」から「捨松」に改名するなんて・・・娘の将来を思い 涙で決断した母の気持ちがつまった名前ですね。




時代のさきがけ・八重と覚馬を育てた母、佐久のこと

「八重の桜」ですっかりおなじみの山本家のお母さんですが、”会津の母”を思う時、偉大な佐久お母さんを語らずして、八重や覚馬を語れない気がして、今回あらためてフィーチャー。


    晩年の佐久  八重ママ


会津藩では、「忠孝」を重んじる儒教精神に根差した「日新館童子訓」を男子の教育の指針としていましたが、八重は女子でありながらこれを幼い頃に暗記し、晩年まで暗唱できたといいます。この童子訓を子守唄代わりに聞かせていたのが、母・佐久でした。
八重の兄・覚馬は、「自分はとうてい母の聡明さには及ばない」と語っています。ドラマでもご存じの通り、佐久は会津で天然痘が流行したときも、いち早く種痘の必要性を説くなど、先見の明の持ち主でした。後に同志社女学校の舎監として、八重を支えた佐久は、会津魂と進種の気性をあわせ持つ八重の人格形成に強い影響を与えたといえましょう。

ふりかえれば、会津には 凛として個性豊かな才女が沢山いましたね。八重、中野竹子、大山捨松、若松賤子、野口シカさん・・・と、枚挙にいとまがありません。

有能な人材が育つ会津の強さは、母の賢さ強さゆえではないかと、常々ドラマを見ながら感じてきました。
目が見えずとも、心の眼を見開き国家のあり方を示した覚馬を育てた山本家の佐久。山川家の母・艶に至っては7人の子供に男女へだてなく文武両の教育を授け、この時代に幼い子供たち数人を海外留学に出しているのですから、その判断力たるや、驚嘆せずにいられません。
賊軍と呼ばれた負け組の会津にあって、新時代の日本教育界を担う優秀な子供達をそのように育てたのもやはり母の力ですから、会津の母達は歌に出てくる”宝の山”のようですね。

この母達にしてこの子らあり・・・会津には、知と勇を持った女性が育つ土壌が確かにあったのでしょう。この母の力こそ磐梯力ではないかと、思わずにいられません。



「八重の桜」各話あらすじ&感想
http://yonipo.blog13.fc2.com/blog-category-81.html

※コメントはこちらにお願いします。(#^.^#)まとめてありますm(__)m
http://yonipo.blog13.fc2.com/blog-entry-1064.html#comments


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進化する八重たんより 最後まで読んでくれてありがとう(京都新島邸にて)♪
進化する八重たんより     同志社大・京都新島邸にて


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MIUMIU 美雨

Author:MIUMIU 美雨
旅、歴史、長編ドラマ(短編も)のレビューやエッセイを書いています。
文化系の記事が多いですが、歴史ドラマ(大河ドラマ:八重の桜)や、韓ドラレビューも書きます。中でもソン・イルグクさんの作品が大好きです。
更新はマイペースで続けていきますのでどうぞよろしくお願い致します。

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風の国
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風の国あれこれ
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人生画報
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善徳女王
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