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ちょっとだけスピリチュアルな世界の旅日記や 文化、歴史のぷち・エッセイを書いています。他にも海外、国内のお気に入りのドラマのあらすじ&感想を勝手気ままに綴っています。

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大河ドラマ 八重の桜 第18回「尚之助との旅」  チャンネル銀河

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歴史ドラマ 八重の桜 第18回「尚之助との旅」

あの名作が帰ってきた!
10月8日~10月12日 朝8:00~午前9:00 深夜1:15~深夜2:15(月~金、毎日放送)
制作年 2013年
制作国・・・日本  ジャンル・・・歴史ドラマ
総話数・・・全50話
出演者・・・綾瀬はるか、西島秀俊、長谷川博己、オダギリジョー、綾野剛、玉山鉄二、市川実日子 ほか

限りなくハネムーンな偵察の旅へ出た八重と尚之助。睦まじい二人の旅が、いつまでも続いてほしい・・・
復興にむけて頑張る福島と東北に熱くエールを放つ大河ドラマ”八重の桜”、
共に楽しみつつ、愛の桜前線を拡げていきたいですね!

八重18話1
八重の桜OP、BGMにドゾhttp://www.youtube.com/watch?v=6tDZC6aTUxA

第18話あらすじ
会津の防衛に不安を抱いた尚之助(長谷川博己)は、八重(綾瀬はるか)を連れて周辺諸藩見聞の旅に出る。会津若松から白河に至る白河街道の山道を歩き、猪苗代側から登った背炙峠にさしかかったとき、尚之助は粗い息で足を止め、会津がもしもの際は、背炙り山に大砲の鋳造所を作る約束を覚馬としていたことを八重に話す。なるほど背炙山からは会津盆地が一望できる。尚之助はまた、その大砲を、船でどこまで運べるか算段していた。阿賀川に出て越後まで運べるか・・・長州攻めでは都から遥か遠い名もない村が戦場となっていたことから、尚之助はそれを教訓に 考え付く限りのシミュレーションをしていたのだ。会津で戦が起こるなど考えもつかない八重は、尚之助の言葉に不安を抱く。
 二本松に立ち寄った八重たちは、ふいに轟いた射撃音に驚く。「木村砲兵塾」の門額を掲げた屋敷で、二人は 砲術師範をしている木村銃太郎のもと熱心に砲術教練に励む少年隊士たちに出会う。二本松藩では変事に備え、藩士は皆、鉄砲を学ぶようにとの通達が出されていたのだ。素性を明かし請われるままに師範の腕前を披露した八重はたちまち人気者に。 爆音を恐れて目をつむってしまう隊士に、八重は昔の自分の克服法を教える。しかし彼らの銃は旧式のゲベールや火縄銃で、いくら稽古をしても、敵がスナイデル銃のような最新式では太刀打ちできないと,銃太郎は小藩の限界を吐露する。
 
その頃京では、左遷されていた蝦夷地より呼び戻された秋月と オロシアから帰った大蔵が容保に挨拶をしていた。覚馬は二人に近々藩に導入するチュントナーデル銃を見せ、薩摩が長州に入り込んでご公儀の非を唱え 長州の罪を解こうとしていること、会津はいよいよ都から離れられなくなったことを明かす。じっさい薩摩は大阪に千人の兵を送り、ものものしい空気を煽っていた。それと呼応するように、「世間の世直し、ええじゃないか」と歌い踊る「おかげ騒動」が、江戸から四国まで広範囲で湧き起こり、騒動に巻き込まれた覚馬たちは、これも薩摩か長州の仕業ではと疑う。しかし居合わせた商人の大垣屋は、これは凶作と貧しさゆえのうっぷん晴らしだと告げるのだった。
 不穏な空気の中、倒幕の陰謀は薩摩の大久保利通を手先として 山口の桂小五郎(木戸孝允)、京の岩倉との間で着々と進められていた。とりわけ岩倉は慶喜を殺せとの詔書を出し、守護職の容保と所司代を討つ勅書も同時に出そう、と慶喜を揺さぶる過激な作戦に出る。

八重たちが会津に戻ると、尚之助の仕官が許され、八重も権八(松重豊)や佐久(風吹ジュン)と喜び合う。尚之助は早速、各地の見聞録や軍備増強策を提出するが、守護職就任以来かさみ続ける出費により、もはや藩には尚之助の献策を実現させる余力はなかった。
 慶応3年10月、容保と(所司代)定敬が慶喜(小泉孝太郎)の呼び出しを受け密かに登城するや、慶喜はなんと朝廷に大政を奉還すると言い出し・・・

・・・ということで、次回は第19話「慶喜の誤算」です。


※二本松少年隊とは・・・幕末の二本松藩において戊辰戦争に出陣した12歳から17歳の少年兵部隊のこと。 戦争への出陣は12歳や13歳では不可能なため、当時は隊名は無かったが、二本松藩には危急の際には年齢を2歳くりあげ出兵の許可を出す制度があり、最少年齢の隊士は実年齢12歳であった。戊辰戦争では三春藩、守山藩の裏切りにあい、主力部隊を白河城(口)に派遣していた二本松藩は板垣退助に留守をつかれてしまった。そのとき藩に残っていたのは老兵と少年だけであったが、死を賭して信義を守るは武士の本懐、として 徹底抗戦を続けた。少年兵は新式のスナイデル銃を巧みに使い、大いに西軍を困らせたという。 二本松少年隊は正確には藩内各地に出陣した62名を指すが、江戸で西洋流(高島流)砲術を習得した木村銃太郎指揮下の25名が特に有名で、八重の桜18話で登場した岡山篤次郎(14才)と成田才次郎(13才)も銃太郎指揮の下、激戦区の大壇口で戦ったが、隊士の半数が命を失った。白虎隊の悲劇と同じく、これらの出来事は、戊辰戦争における悲劇のひとつとして知られている。




第18話ぷち・ギャラリー

<限りなくハネムーンな偵察旅行?>

っや、八重さん、ちょっと待ってくださいよ (ヘタレ尚之助)
八重1802
もうくたびっちゃったのがし? 急がねぇとすぐ昼になっから。
背炙峠・・・ ここは覚馬さんと約束した場所なんです。
八重1803
いざというときは背炙山に大砲の鋳造所を造ると

白河
「おひとついかが?めでたいよ眉は鶴、髭は亀、顎鬚は松、びん髭は梅、顔の下に竹だ」
八重1806
八重にひとつ買ってやる尚之助

二本松 
ズダダダァァーン!!  二本松の少年隊士たちにお手本を示す八重
八重1807
命中! すっごい!! 八重は一躍人気者に・・・
才次郎「八重様は、銃撃つとき眼をとじる癖、なじょして直したのですか?教えて下っしょ」
八重1826
弾の行方だけ追えばいいんだし。ダルマみたぐ目開けでられるよう、これに願かけてみらんしょ

<倒幕のたくらみ>

大山巌(弥助)登場
土佐の容堂公が、慶喜に政権をば返上さすっちゅうから薩摩にも兵をば引けっちゅう言うてきた
八重1808
大山「先手を打たねば・・・期限は神戸が開港する12月7日!やはり朝廷に動いていただかねば。

薩摩と長州
木戸孝允「慶喜が容堂公の献策を受け入れて政権を返上したらどねえします?挙兵の大義が失われる」
八重1813
大久保「こっちも土佐より早く算段をつけねばなりません。朝廷のお力を借ります。」

岩倉の権謀術数
慶喜を殺せとの詔書や。これぐらい激しくあおらんと誰も本気でやらへんやろ。
八重1822

見えなくなっていく覚馬、「おかげ騒動」の人混みで危機一髪

西郷!にしは何を企んでいる!
八重1809
・・・・。
八重1810
ビシィィーン あぶないっ!
八重1811
遠山の金さん!・・・じゃなくて大垣屋がすんでのところで覚馬を助ける 

<尚之助、遂に会津藩お召かかえに>

だんな様、お城からのお呼び出しなじょなぁお話でしたか?
八重1814
日新館砲術師範十三人扶持でお召し抱えと決まりました・・・!!
八重1815

ニコニコ義父「そうか!働き次第では御加増もあんべぇ。忠勤に励むように!」
八重1816
尚之助「承知しました!」          家政婦ミタ?

八重「ありがとなし・・・居候のままでいいど言っでくれで
八重1819
あんつぁまと三郎の居ない家を守るためだべ。お父っつぁまも、ほっとしでだ
会津に来てもう十年です・・・
八重1818
ここは私にとっても住み慣れた我が家なのですよ
八重1817
はい
八重1820
こんなに睦まじいふたりなのに・・・

<慶喜、今日のヤルヤル詐欺>

慶喜「大政を奉還するぞ。政権を握っているから倒される・・返してしまえば討たれる事もない」
八重1823

「なれど、そのために幕府を失ってはどうにもならぬではありませんか
八重1823b

すぐにやらねばならぬ・・・薩摩が動き出す前に!のるかそるか、ここが勝負どころよ!!
八重1824a
ますます危なげな慶喜の決断に、容保、会津は・・・



八重の桜、こんなところが好き!感想&雑記

「ご公儀も会津も、今のままの世が良いとは思っちゃいねえ。
それは薩摩も長州も同じこと・・・だけんじょ、目指す先が違いすぎる。」

覚馬のこの台詞に凝縮される、崩れた幕府の屋台骨と、対立の一途を辿る 共和政治組と幕政組のせきららさ。

岩倉具視の、踊る権謀術数。
「どこにあるって?あほなことを。作るのや。」
朝敵に対し掲げる錦旗作戦に、日月紋と菊花紋でデザインまで考えていたとは。
こなきじじいに可愛いベレー帽をかぶせたようなお茶目な外見と裏腹に
岩倉、おそるべし。

その岩倉をして知恵者と言わしめた慶喜、そのつどそのつどのひらめいた選択をとる刹那的なギャンブラー、薩摩が将軍打倒の勅書を以て動き出す前に大政奉還を願い出るとは・・・!
朝廷には、政を行う人材も、戦をする兵もないから、政権を返されたとて何もできまい・・・その間に、幕府の巻き返しを図ろうと練る、痛いばかりの孤高の策士、慶喜。
でも、このとき慶喜にあった選択肢はそれしかなかったとも思う。

今度ばかりは本気の慶喜、伸るかそるか、人生最大のヤルヤル詐欺に身を投じる姿を見て慄然とする容保・・・いつも、いっぱい食わされ、利用された挙句 梯子を外されたこともあるこの将軍のために、一体どう仕えていくのか。

けれど、悪いことばかりではない。 容保のために
帰ってきた濃いメン、大蔵に秋月・・・京の顔ぶれも若く頼もしくなりました。
上司に持ちたいNO1,の秋月はん、
左遷された地の果て蝦夷・斜里でも 決して腐らず、海産物の交易で利を得る道を模索していたとは。
交易が莫大な富を生むのを目の当たりにし、会津に海がないかと本気で悩む覚馬にせよ、
骨の髄まで会津藩士なんですね。

大蔵の口から出た、プロイセン、フランス、オロシヤ・・・幕末当時を思わせる国名の響き。考えてみたら、産業革命後の西欧列強のぶつかり合いと国内外に抱えた問題は どこも日本と変わりなく、みな新しい国家への生みの苦しみにあえいでいた時代でした。

「日本が劣っているとは思えない・・・ようは志です」
「しかし、情けねえのは公儀の役人。国の役に立つ人材が入用なとき、肩書にこだわる隠遁姑息さが、公儀を内側から腐らせている」
頼もしい大蔵の言と反対に幕府のダメダメぶりが窺えるエピソード。

そんな、腐りきった幕府でも、ご家訓により最後まで運命を共にせねばならないやるせなさ・・・こんなにも有望な星を抱えていながら、つくづく運のない会津。

世を覆す時代の賭けに翻弄されているとも知らず、二本松の鉄砲少年隊士たちにからかわれる八重と 釈迦に説法のようなやりとりは、見ていてホッコリするひとこまでした。

眼をつむってしまう鉄砲の少年隊士に八重がアドバイスした言葉・・・
「秘訣は、目の事は忘れて、弾の行方だけ追えばいい」

どこかで聞いたと思えば。遠い昔、八重が尚之助から教わったこと・・・
めおと善哉、三つ指をつく姿も板についた八重、本当によい夫婦になりましたね。

また、いまこそ有用な周辺見聞記と反射炉増築の建白書を却下されても 決してめげず、金がなくても出来ることを探し、会津のために次の手を打とうと必死の尚之助。
思えば、この”打たれ強さ”みたいなものこそ、この人の最大の切り札のような。

尚之助の心に残る、あのプロポーズの言葉を思い出します。
「私はここで生きたい。八重さんと共に会津で生きたいのです!」

言葉通り、ずっとずっと睦まじくあってほしい。

連理の枝のように・・・
比翼の鳥のように・・・

嵐の前の静けさのなか、この小鳥のような夫婦を、
安全な巣の中に移してやりたいと思ってやまない、18話でした。




  八重の桜かると 白虎隊の悲劇の真相とは

戊申・会津戦争の犠牲となった、あまりにも有名な白虎隊士の悲劇。
舞台は飯盛山。鶴ヶ城の北東に位置する小高い山です。 新政府軍が城下に侵入してきた慶応4年(1868年)、16~17歳の藩士の少年たちで組織された白虎隊士たちのうち19名が、城下に火の手が上がるのを見て、もはやこれまで、と武士として潔く自刃した。
・・・・と、定説では伝えられてきましたが、
最近になって新たにより詳しい真相や、事実があきらかになってきています。
その事実は、白虎隊士であった飯沼定吉(雄)により明かされました。


飯盛山で自刃したが、一人だけ蘇生し、天寿を全うした飯沼定吉の墓
飯沼定吉の墓


白虎隊慰霊フェスタで偶然お知り合いになった、会津猪苗代の”偉人を考える会”会長及び山岳会会長の江花俊和氏からうかがった、貴重なお話を、この紙面を使って紹介させていただきます。

白虎隊士中2番隊で生き残ったのは飯沼貞吉、西郷頼母の妻・千恵子の甥にあたります。
喉を突き損じて急所を外して人事不省だったのを援けられたました。しかし敵に見つかると危険なので、今の喜多方市の山村に開場の2,3日後ぐらいまで隠れていたようです。
その後藩に戻って謹慎、明治5年に工部省の電信建築技士になり、日清戦争に出征、最後は仙台通信管理局の初代工務部長を務めました。
彼は、ずっーと黙して語るつもりはなかったと言われますが「会津戊辰戦争」の著者・平石弁蔵との手紙で答えていたやりとりから、白虎隊のことが明るみになったようです。

白虎隊士は飯盛山からお城を眺めて落城したと錯覚して「もはやこれまで」と自刃したと伝えれていますが、真相は、「城に向かう敵に斬り込むか」「お城に入るか」を激論の結果、いずれにしても敵に捕まって捕虜になっては武士として恥じであり、主君や先祖に対して面目ない、潔く自刃して武士の本分を・・・17人が自刃したが飯沼貞吉だけが蘇生した。途中で戦死した3人が加わって19人の墓となった・・・ということです。
 飯沼貞吉は、武士の本分を遂げられなかったこと、自分だけ生き残ったことを恥じ、黙して語ろうとしなかったと思われます。それは、会津が朝敵・賊軍の謂われなき立場になっても一言も弁解せずに武士道・義を貫いた松平容保公と通じるものだと思います。
飯沼貞吉は、開城後は「貞雄」を名を変えたようです。
     
遺詠 往時如夢 「すきし世は夢か現か白雲の 空にうかへるこゝちこそすれ」
                                 
江花俊和氏より


松平容保(かたもり)公弔歌の碑
容保が、白虎隊士のいさおしを歌にした弔問歌
戊辰戦役当時、自刃した白虎隊士の殉難忠節に対し、九代藩主松平容保公が次の弔歌を詠んだのを、
現加東町八田野の篤志家八田宗吉氏がこの碑に刻み建てたもの。


幾人の涙は石にそそぐとも
   その名は世々に朽ちとぞ思う・・  源 容保 
  
 
あれから140年の年月が流れた今も、若き19人の尊い いさおしは
より深く人々の心に刻み込まれている白虎隊士たちです。

白虎隊慰霊フェスタの記事
http://yonipo.blog13.fc2.com/blog-entry-985.html




美雨のぷち・八重の桜紀行その⑧
       会津最後の名君・容保の風景をたずねて


旅の初め、まずは会津磐梯の氏神さま、磐椅(いわはし)神社にお参り。
大好きないわはし神社にて
以前、ここの宮司様から教えていただいた、九軒町のバス停から、諏訪神社経由で丘を登ってきました


この磐椅神社は昔から会津の人々が畏れ敬ってきた磐梯山、その山頂に祀られた磐梯明神を遷宮した会津で最も古い神社のひとつです。会津藩祖・保科正之公は、亡くなる年にこの社に参拝し「我れ、磐椅神社の末社となってここに埋まろう」と決心し、壽蔵地を自ら定め、その遺言によって土津神社が建立されて祀られました。
鶴ヶ城の鬼門の方角にあたり、ここから会津を護ろうとされたのです。
八重ブームもあって、土津神社だけで満足してしまう観光客も多いですが、土津公の愛し敬った、磐梯で最も古いこの磐椅神社にこそ、足を運びたいものです。^^

磐椅神社では、また、とてつもない歴史的(?)付加価値も・・・
なんと、1000年の歴史をもつ桜が拝めるのです。その名も、大鹿桜。

いわはし神社の大鹿桜 会津五大桜のひとつ 奈良時代に朝廷から献上もたらされたもの

会津五大桜のひとつ。 社伝によると、平安時代(九四七~九五七)に村上天皇の勅使が磐椅神社の参拝の折に京都から移植したものと伝えられています。ソメイヨシノより濃い色の花が咲き、花弁の数が70以上という珍しい古代種。最初は白、ピンク、そして最後は鹿毛色に変化するという、不思議な桜・・・いにしえの京貴族もこの桜をながめていたのでしょうね。会津・猪苗代の歴史をずっと見続けてきた生き証人のようなこの桜、これからもずっとずっと大切にされて欲しいですね。

ズーム! 今までに見たことない色とボリューミーな美しさ・・・みごとでしょう
花弁の数が70以上という古代種。いにしえの京貴族もこの桜をながめて・・・


磐椅神社の参拝後、川沿いの土津神社へ。近道もあるんですよ。
土津神社では、「保科正之公の史跡を訪ねて(江花俊和氏著)」という素晴らしいガイドマップを
是非いただいてください。


第一代目、保科正之公の墓碑(正之公のみ猪苗代、土津神社に祀られています)
第一代目、保科正之公の墓碑(正之公のみ猪苗代、土津神社に祀られています)
神道式のお墓って初めて・・・亀のような礎は、玄武?さすがは初代、大き~い!

今回、八重と尚之助も二本松からの帰路見ただろう 神体山からの猪苗代湖の眺め

土津公(保科正之)がなぜここを墓所に定めたのか、解る気がします


「八重の桜」第一話でも、死して神あがりされた土津(はにつ)公、とあった土津(はにつ)神社。
初日に氏神さまのいわはし神社にご挨拶、旅の安全祈願に土津公(保科公・一代目)の宮と墓所へ。
お優しかった磐椅神社の宮司さま。ひそやかにときめいていく、湖の夕暮れ空。峻厳な気。
ここでも、思わぬプレゼントをたくさんいただきました。
目に見えるもの、目に見えないもの・・・そのすべてが宝のお土産のようでした。
やはり、会津磐梯山は宝の山なのですね。

さて、一代目(土津(はにつ)公の墓所は猪苗代、磐梯山のふもとにあります。德川一代目、日光東照宮を参拝した方なら気付くと思いますが、宮と墓所の配置が、東照宮とよく似ていますね。壽蔵地を自ら定め、その遺言によって墓所を山頂に配置し、建立された土津神社ですが、戊辰戦争で焼失するまでは、社は煌びやかなプチ・東照宮だったとか。でも、私には、四神相応の地を意識した家康公の風水理論を忠実に倣っている正之公の思いが痛いほどに伝わってきて、”德川宗家命!”の代名詞ともいえる会津藩のご家訓をも彷彿とさせるものがありました。

正之公は、鶴ヶ城の鬼門の方角猪苗代から、いまも会津を護っています。



容保も訪れた松平家別荘東山温泉&名湯、容保の墓所を訪ねてきました❤

会津若松駅。どこも、八重さんがいっぱい!
会津若松駅。どこも、八重さんがいっぱい!
循環バス、あかべえに乗り、約20分。会津藩の奥座敷、東山温泉へ

八重の桜でもおなじみ、東山温泉。渓流沿いに湧く温泉の宿は情緒たっぷりです
新滝
代々会津藩主松平家の別荘であった『新滝』。竹久夢二や与謝野晶子の愛した宿です
第7話でご紹介した容保公の孫娘で皇室に嫁いだ勢津子妃も、毎年のように訪れていました
http://yonipo.blog13.fc2.com/blog-entry-941.html

150年前にワープし、容保のトノに会いたくて、今回、この別館に泊まりました。
八重の桜 でも、覚馬や八重たちが訪れていましたね
容保も入浴した「新滝」の自噴泉で、歴史遺産(右)。底の岩盤から湯がボコボコ

戊辰戦争では、傷を負った土方歳三も湯治に訪れ、岩風呂から川に飛びこんだ逸話も。
東山温泉、新滝別館にて 会津郷土料理、最高でした♪会津塗(漆器)がうれしい
会津郷土料理、最高でした♪黑と赤の会津塗り(漆器)がうれしい

おみやげコーナーで真っ先に買いたかった会津絵ロウソク
パラフィンでなく、漆科の実から作った手作りの会津ロウソク。絵付が素敵。
蝋はパラフィンでなく、漆科の実から作った手作りの会津ロウソク。手描き絵付が素敵。



最終日はやっぱり容保公の墓所へ
容保の偉業を掘った、松平家神道式の墓標。いめいは 正面は墓

容保の墓標。最近造られたのかピカピカでした。
容保の墓標。最近造られたのかピカピカでした。しかし、第一代と比べると・・・
一代目サン(5つ上に記載)と比べると、こじんまりとしてしまいますね・・・

容保の神式の諱号は忠誠(まさね)霊神。
。和らくも・・・で松の根のように睦まじくと孝明天皇に歌われたごとく、やはり松に囲まれた廟でした
和らくも・・・で松の根のように睦まじくと孝明天皇に歌われたごとく、やはり松に囲まれた廟でした


二代目からは、(保科家から改名した)松平家の墓所は会津若松へ。東山温泉の入り口、石山に会津のもうひとつの聖域、会津松平家廟はあります。山ひとつ呑みこんだ広さ約15万平方メートルという広大な墓域、全国の大名家でも珍しいそうで、会津藩の威容がうかがえるというものです。

代が下るごと、尻すぼみに墓碑と亀さんが小さくなっていくのが面白く、戊辰戦争の朝敵扱い等も影響しているのかと思うと胸いたむ思いでした。最後の藩主容保は明治26年(1893年)に逝去しましたが、晴れてこの地に移葬されたのは24年後の大正6年だそうです。

思った通り、容保の墓所はどこより若松が青々と美しく茂っていました。
思い出します・・・孝明天皇が容保に贈った、和(やわ)らくもの御製。
帝は信頼のあかしに容保に"和らくも武き心も相生の松の落ち葉のあらず栄えん”と歌ったのでしたね。
「穏やかで勇猛であるそなたの心は実は相生の松の様に根はひとつで余と繋がっている・・・この深い絆は松が落ち葉することなくいつまでも緑なのと同じ」・・・自分と根をおなじくする容保よ、と讃えたのでした。
「松」は松平容保の松にもかけているでしょう。

松平9代、墓碑に刻まれた容保の諱号(亡くなっての神号)は忠誠霊神。
まさしく 幕府に、德川宗家に、そして帝につくした、忠誠の人でしたね。

会津若松、という名は若き容保の生き姿そのもののように感じます。



美雨


「八重の桜」各話あらすじ&感想
http://yonipo.blog13.fc2.com/blog-category-81.html


会津によく来らったなし 芦ノ牧温泉も来てくニャンしょ 
猫のばす駅長、おめざめ待ちでした♪
会津鉄道の有名猫のばす駅長、おめざめ待ちでした♪


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大河ドラマ 八重の桜 第17回「長崎からの贈り物」  ちゃんねる銀河で放送!

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歴史ドラマ 八重の桜 第17回「長崎からの贈り物」

あの名作が帰ってきた!
10月8日~10月12日 朝8:00~午前9:00 深夜1:15~深夜2:15(月~金、毎日放送)
制作年 2013年
制作国・・・日本  ジャンル・・・歴史ドラマ
総話数・・・全50話
出演者・・・綾瀬はるか、西島秀俊、長谷川博己、オダギリジョー、綾野剛、玉山鉄二、市川実日子 ほか

夢の国長崎で、世界の風を感じながら遊学時代のアカデミズムに浸る覚馬。
だが闇はそこまで迫って・・・

チャンネル銀河八重の桜HP https://www.ch-ginga.jp/feature/yaenosakura/
八重17話
八重の桜OP、BGMにドゾhttp://www.youtube.com/watch?v=6tDZC6aTUxA

第17話あらすじ
孝明天皇の突然の崩御により、会津への帰国の機会を失った容保(綾野剛)ら会津藩士たち。そのころ、覚馬(西島秀俊)は長崎の医学所「精得館」でオランダ人医師による眼の診察を受けていた。そこでも近く失明することを告げられぼう然とする覚馬。精得館の図書館には洋書がずらりと並び、最先端の西洋医術と器具、舎密術(化学)のラボラトリーが揃い、そのアカデミックな世界に覚馬は江戸遊学時代の象山塾の空気を思い出さずにいられない。
しかし自由な解放感が快い反面、公儀の取り締まりが及ばぬ長崎で、禁を犯し薩摩が長州に名義を貸して武器を横流ししていることを突き止める。長崎で最大手の外国商会のグラバー亭はもはや薩摩藩の根城で、じっさいに武器商人グラバーが長州の伊藤博文と薩摩の村田新八と親しげに談笑するのを見てしまったのだ。
折から長崎にも天皇崩御の知らせが届き、覚馬は急ぎ新式洋銃の買い付けに奔走しなければならなかった。失明のときが迫っているのだ。グラバー商会に割り込めない会津藩としては、新参の外国商人から薩長のものより優れた銃を買いつけなければならないのだが、プロイセンの商人レーマンにいきなり旧式の銃をふっかけられ喧嘩になってしまう。
一方、会津では 洋式調練修行を願い出た八重の弟・三郎(工藤阿須加)が江戸の修行生に選ばれ、山本家は久々に明るい笑いで沸き立つ。難が転じるまじないに三郎の着物に南天の刺繍を施しながら、いつの間にか広く大きくなった弟の背中に愛おしさがこみあげる。そして三郎は八重の心づくしの着物をまとい、笑顔で旅立っていくのだった。

失明のときを畏れて 焦りばかりが募り、交渉をぶち壊してしまった覚馬に、神保修理(斉藤工)は 眼だけでなく五体を全てをかけて殿と藩に尽くせること、銃を知るその手と魂を会津の為に使って欲しいと告げる。心に響く修理の言葉に目が醒めた覚馬は、レーマンに先だっての非礼をわび、レーマンの故郷プロイセンから、薩長のミニエー銃よりはるかに優れた新式のライフル・チュントナーデルを千挺買い付けることに成功する。
無骨だが実直で勤勉な会津藩士たちは精得館でも信頼を得、長崎を去る日 医師ボードウィンからはエールを贈られ、レーマンからは覚馬に友情の証のスペンサー銃が贈られた。
 
秋風の吹く頃、京に戻った覚馬から会津の山本家に、長崎のみやげの荷が届く。父にはワイン、うらとみねにはビードロや色とりどりのリボン、そして八重夫婦に宛てられた小さな木箱には、レーマンからのスペンサー銃が入っていた。軽く小さな銃にも拘わらず七連発でき、その確かな性能に八重(綾瀬はるか)は感動するが、尚之助(長谷川博己)はどこかうかない顔だ。これだけの性能の銃を西国諸藩が大量に買い入れているなら、戦の火種はもはや長州だけではない・・・覚馬が帰れないのも頷ける。尚之助はまた、三郎が江戸に発つ前の日に「小田山から城がよく見えた」という言葉が気になっていたのだ。つまりは、敵からも丸見えという事だ。尚之助は地図を広げ白河関を指差した。冬が近づいてからでは遅い。守りを固めなければ・・・こうして次の日、尚之助は八重と共に 前途十八里の旅路につくのであった。

・・・ということで、次回は第18話「尚之助との旅」です。


第17話ぷち・ギャラリー

チュントナーデル銃、これを1000丁整えてくれ!
八重1704
レーマン「何を馬鹿なことを!プロイセン軍が第一線で使う銃ですよ?」
もうじき見えなくなる・・・せめてその前に薩摩、長州に劣らぬ銃を買いてぇ
八重1705
そうでなければ、俺はただの足手まといだ!
たとえ目だけ失ったとしても、覚馬さんには、銃を知るこの手がある
八重1706
学んだ知識や身に浸み込んだ魂を会津のために使えばいい・・覚馬さん、しっかりしっせい!

<三郎の門出>

難が転じるようナンテンの刺繍を三郎の着物に縫い付ける八重
八重1709
行ってまいりやす
八重1712
ナンテンの刺繍を・・・
八重1711
行ってきなんしょ。気ぃつけてな・・・!
八重1713

<半年間多くを学んだ長崎をあとにする覚馬>

会津への信頼の証、銃のことよく知っている人に使ってもらいたい
八重1715
レーマンより個人的にスペンサー銃をプレゼントされた覚馬


<慶喜、今日のヤルヤル詐欺>

容保がやっと一年間だけ国許に帰れる約束をとりつけたもつかの間、また二心殿の病気が・・・

慶喜「容保、よき跡取りができたな」
八重1717
容保「ハイ、これでそれがしの名代として京都の守護を預けられまする」(ちょっとやな予感)

なあ・・そこなんだが容保・・・ 先の帝の志はどうなる?(ネチッとにじりよる慶喜)
八重1718
われらを厚くご信任されたご先帝に対しあまりに不忠ではないか?やっぱここにいろよナ「・・・!!」

<藩士同志のなさけ>

覚馬さん、こんな時だけんじょ、一度国元に帰ってはどうでしょう。
八重1719
娘御に会っておいでなさい、それができるうちに・・!
俺も、この目で会津が見てぇ。赤ん坊の時に生き別れた娘の顔も。そう思っていたけんじょ
八重1720
殿もお帰りにならないのに俺ひとりだけ都から離れるわけにはいかねぇ。今は会津のために働く時だ

<覚馬から届いた、長崎からの贈り物>

こういった銃はじめて見る
八重1721

ズガァァーン!! 早速スペンサー銃を試し撃ちし・・・
八重1723
まごどに良い銃だなし・・撃ちやすぐて、よぐ当たる

<尚之助の予感>

三郎さんが、良い眺めだと言っていましたが、つまり敵からも城が丸見えだということです
八重1723a
冬が近づいてからでは峠越えは難しい・・・いますぐ発たねば

心の中;まさか本当についてくるとは・・「白河まで一緒に行く気ですか?」
八重1724a
山道なんてへっちゃらだし
険しい峠をいくつも越えるんですよ?本当に知りませんよ
八重1725
尚之助さまこそ♪


八重の桜、こんなところが好き!感想&雑記

今日は覚馬劇場ではないかと思えるほど「歴史ドラマ」よりもヒューマンな ストーリーが光っていました。
こんな回もいいですね。

会津のメインだけでも若松、京、長崎と舞台が分かれて散漫しがちなのに、薩長や土佐の動き、岩倉のせまりくる陰謀なども織り込みつつ みかど崩御が各藩・各人に何を意味するかをテーマに繋げて展開していくところなど本当に見事な脚本でした。
グラバー邸の伊藤俊輔・村田新八の遠景、西郷の口から、名前だけの中岡・・・坂本竜馬はてこでも出さないようです(笑)が、板垣はしっかり登場させる。この辺の人物の線引き&登場プランがきちんとあることを感じさせてくれるところも、山本むつみさん脚本 グッジョブです。

また、実は長かった覚馬と修理の長崎留学(兼武器取引)期間も、あれだけの分数で留学の充実ぶり凝縮して表すなど、並みの脚本構成では至難の業です。最近のNHK大河=陳腐か突飛でつまらない、と決めつけていた分・・・あのルイーズちゃんのポッペンでポン!と頭をはじかれた気が・・・反省です。
ポッペンもそうですが、照姫の松酒や八重の南天刺繍のような小道具を効かせて心情を映し出す、女性脚本家らしい、細やかな手法もオツですね!

夢のくに長崎のまぶしき日々。
手作りの麦酒や洋装の試着など、異国情緒あふれる長崎での体験が、近く 光を失う覚馬の最後の輝く光景となって瞼に残っていくだろう伏線が、修理の心に響く言葉と共に哀しくエコーします。
グラバーと薩長の親密さを目の当たりにして、彼らとのいくさがより具体的になってきたのも、今後のドラマの展開として、遠近両方の伏線が巧みに張られていました。

ボードウィンと言えば大村益次郎を手術した蘭医で有名ですが、覚馬は あのボードウィンから眼の治療を受けていたのですね。そんなエピソードが幕末を彷彿とさせます。

覚馬の総髪と、手紙の文字の乱れにになったことから日常生活に差し障ってきていることが見て取れ 切ないところですが、八重たち家族もそれに気付かないのがもっと悲しい・・・スペンサー銃を八重に送ったことで、図らずも尚之助に今の情勢を悟らせましたが、鉄砲マニアの兄がどうしてこんな最新式銃をポンと八重によこしたか、そこまでは勘の鋭い八重でも読み取れなかったのでしょうか。

武器商人レーマンの娘ルイーズを、みねに重ねて可愛がる覚馬・・・親子の想いは世界共通なのですね。彼女も覚馬になついて、レーマンとの距離をぐんと縮めてくれた。今日の立役者はルイーズちゃんでしたね。

そして、藩士同士の情けと、支え合い。
修理に諭され、目が醒めた思いでレーマンに頭をさげた覚馬を見て、一緒に低頭する春英と修理。
国禁を犯して神戸でレーマン銃の商談事に加わった家老土佐がコンプライアンス違反を殿に懺悔したときも、一緒に平身低頭する梶原平馬たち。

理不尽なことだらけの京勤めも、こんな頼もしい仲間がいればこそ、耐えてゆけたのだ・・・
「眼だけしか、ないのですか?私は五体で殿にお仕えしております」
会津の侍らしい、修理の熱い言葉・・・覚馬と同じく、泣けました。

五体といえば、そう、慶喜は、これから八面六臂の大活躍をしていくんですね。
これでもかと慶喜に振りまわされる、会津・容保。
ここまで来ると、もうボケとツッコミの かけあい漫才的な様相を呈してきましたね。
次はどんなヤルヤル詐欺をかますんだ慶喜?となかば楽しみになってきたり・・・(苦笑)
容保の殿にはお気の毒ですが・・・

しかし、以前、真木和泉や三条実美らの謀議の際かかっていた怪しげなライトモティーフ(BGM)が、ついに慶喜のテーマmusicになったときは、家族で思わず爆笑しました。
ついにダーク・キャラに転身?
慶喜は司馬遼太郎に言わせると、賢いゆえにいろんなことが見え過ぎるというけれど、あとさき考えずにその場その場でとる選択は、コロコロと手のひらを返したとしか、他には映らない。朝令暮改は現代の時計の針でこそ通用するけど、この時代は「義をつらぬく士」の長に思えない。ここが会津との違い。皮肉だが、維新 と近代国家にとって
「最後の将軍」は、確かにこの人にしか勤まらなかったかも?と思う回でした。

さて、われらが八重さん、最近ぐんと奥さまらしさが香って、艶が増してきましたね。
男勝りは変わらずとも、南天の刺繍に込めた想いも女性らしい細やかさが会津女性を偲ばせます。  照姫さまの言ではないけど、「会津のおなごらしく、優しく、いさましくありましょうぞ」を絵に描いたような八重・・・強さとしなやかさが同居する、竹のような八重をみていると、大蔵が「あなたは会津そのものだから」とありったけの愛をこめた言葉を思い出します。娘時代と差別化し、たおやかさがにじむ「人妻として」の八重を演じ切るはるかさん、さすがです。

こんな笑顔が、ずっと続いてほしい・・・会津のみなが平和に暮らして欲しい・・・

けれど、もう帝はいない。
孝明天皇崩御は会津にとってとどめのようなクライシス。
永遠に遠ざかる背中。
加えて、肝心な時に秋月がいない・・・覚馬が見えない。
激突するパラダイム変化と近代化にいやおうなく 飲み込まれて行く日本。

都のかなめ石が外れ、鎮めていたものが湧き出てくる・・・暗雲せまる18回でした。




       八重の桜かると 
          ”会津七口”と小田山の大砲戦について



「万が一の話ですが、会津は奥州への入り口・・・守りを固めるに越したことはない。
白河、越後、日光、米沢、二本松、大きな街道が五つ。一番の要所は・・・」

尚の助の言葉が、未来への伏線のように痛みを伴って耳に響いてきた今回のエピソード、”万一”が”万一”でなくなってしまうとき、会津に悲劇が訪れたのですね。

そこで、調べてみたくなりました。


尚之助「ウナギ犬くん?会津七口をちゃんと おさらいするんですよ」                    八重1727a
                               尚サマのお手々↑
                              

1868(慶応4年)8月、新政府軍が迫る中、会津藩は早い時期から国境に部隊を派遣し守りを固めていましたが、「会津七口」といわれるほど会津に入る道は多く、そのうち最重要ととされた白河口を通過されてしまいます。8月21日、母成峠から侵攻した新政府軍はついに守備を破り、会津城下に迫りました。
ちなみに、「会津七口」とは北から時計回りに 檜原口、中山口、太平口、白河口、日光口、叶津口、津川口のようです。
難攻不落と言われた堅固な城ですが、立地的にも不利なロケーションにあり、また、今回、三郎の言葉からピンときた尚之助が案じたように鶴ヶ城がまる見えの小山が有り、会津藩の内通者が、西軍(新政府軍)に、城を攻めるのに地形上優れている場所を漏らしてしまいます。


13042801.jpg


小田山の西軍砲陣跡、登ってきました
灯台下暗しで、見慣れた景色の町に住んでる会津っ子よりは、よそ者だからこそ鼻のきく尚之助、三郎の「小田山からよく城が見えた」の言葉に不吉な予感を覚えたことが、現実となってしまう皮肉・・・
その激戦の舞台、小田山に登ってきました。


鶴ヶ城、天守閣から見た小田山 たしかこのあたりが会津を攻めた西軍砲台跡
小田山城



戦国時代、蒲生氏の城があった小田山 市街の見晴しは最高。城もよく見えます
戦国以前、蘆名氏の城があった小田山 市街の見晴しは最高。城もよく見えます


新政府軍は現地の内通者の情報をもとに、鶴ヶ城を眼下に望む絶景の砲撃ポイント・小田山に砲陣を設け、8台の砲台を設置しました。組立式で、分解して運ばれたこれらの大砲は、どれも鶴ヶ城の天守閣の方向を標的にしていました。 大砲の射程距離は1500m、天守閣までは1360mありましたが、十分城内に届いたのです。なかでも佐賀藩の所有したアームストロング砲はこの戦争において最も威力を発揮したと言われています。それでも当初は天守閣まで届きませんでしたが、薩摩藩の大山弥助(巌)が放射角を調整して命中するようになったといいます。(国土地理院の地形図から測定だと1600m)
皮肉なことに、のちに大山夫人となる幼い山川捨松は、城中で大山が指揮する西軍の砲撃に怯えていたわけです。このとき籠城戦に加わっていた八重は、夫の川崎尚之助と共に城南にある豊岡神社の砲台から小田山の砲陣へ反撃し、敵に打撃を与えています。八重はまた、北の丸から銃で大山弥助を狙撃し、その弾は右股を貫通したと言われていますが、このドラマではどのように描かれるのか、楽しみのひとつでもありますね。


(今度は逆に)小田山・砲台跡から撮影。雨で視界がかすんでもお城はよく見渡せます
鶴ヶ城01
この日は雨で曇っててごめんなんしょm(__)m

                     お城ズーム!
            ちょっとズーム! レンズに水滴ついてます


150年前、この場所から西軍がこんなふうにお城に照準を定めて大砲をボンボコ打ち込んだと思うと、胸がずきんと痛む思いでした。でも実は西軍はヘタっぴいで、こんないいロケーションに8/25日に設置して以来、何日も放射角ズレズレ、なかなか天守閣まで届かなかったんですよネ。反して八重は、薩摩・鍋島・土佐はじめ6藩以上の砲陣を相手にお城からこの西軍砲台めがけて旧式の四斤砲で百発百中、さすがは砲術指南の娘!一時はこの小田山西軍を撤退させ、9/16まで凛と持ちこたえます。
おりしも美雨の登山中に涙のような雨・・・山の頂上につくと大砲のような遠雷が轟き、まるで時空を超えて150年前のこの日この時にワープしたような天の演出に、しばし感無量でした。けれど、さらに慶山・舘、城下外郭に16門もの大砲を続々と持ち込まれ立て続けに一斉砲撃された落城前の三日間は、この雷鳴の比ではなかったでしょう。この日、明け渡された鶴ヶ城の涙のような雨が、まるで私達に語りかけるように、さめざめと降り続けたのでした。(涙)





美雨のぷち・八重の桜紀行その⑦
              八重の故郷、会津若松


鶴ヶ城と飯盛山 つわものどもが夢のあと

満開の桜・・・鶴ヶ城が一年で一番美しい日に訪ねることができました
^^今年、鶴ヶ城が一番美しい日に訪れることができました

梅と桜が同時に咲く会津・・・ああ、東北なんだなぁ、と実感
梅と桜が同時に咲く会津・・・ああ、東北なんだなぁと実感。
去年、赤瓦にリニューアル。150年前当時の色そのままにお化粧直しして、再デビュー

<飯盛山で毎年同じ日に行われる白虎隊士の慰霊祭>

どうしても見たかった・・・間に合いました!

白虎隊と同世代の、会津高校剣部会の生徒による白虎隊の舞い 一糸乱れず、見事な舞いでした
白虎隊と同世代の、会津高校剣部会の生徒による白虎隊の舞い 一糸乱れず、見事な舞いでした

主将の謡いに合わせ、みごとな剣舞を披露する、現代の白虎隊士19人
主将の謡いに合わせ、みごとな剣舞を披露する、現代の白虎隊士19人


後ろ中央に見える円柱は85年前ローマ市から寄贈されたもの。白虎隊士の精神に深い感銘を受けたローマ市が、ポンベイの遺跡から出土した宮殿の柱に「白虎隊士の遺烈に敬意を表し、古代ローマの権威を表すファシスタ塔章の鉞(まさかり)を飾り、永遠偉大の証たる先年の古石柱を送る」と刻み、武士道の精神に贈ったもの。
戦前、ヒトラーと共に権力を振ったファシスタ党の権力者ムッソリーニの時代だからこそ出来たことだそう。今ではとんでもない貴重な世界遺産の円柱をよく惜しげもなく・・・すごいことです。これも時代の遺産ですね。
この日は、TV局はじめ沢山の報道陣が撮影にきていました。


戊辰戦争のさなか、この水洞窟をくぐって飯盛山へたどりついた白虎隊士たち
この水洞窟をくぐって飯盛山へたどりついた白虎隊士たち
清冽だがあまりの水の冷たさに、隊士達の苦労と勇気を思います(涙)

中央の墓は、八重の桜でもおなじみ、伊東悌次郎。八重の鉄砲の教え子でもあった
中央の墓は、八重の桜でもおなじみ、伊藤悌次郎。八重の鉄砲の教え子でもあった
白虎隊の悲劇に関しては、またいずれ・・・


<会津のピサ斜塔といわれるさざえ堂>  

この向かいの寺にも白虎隊士達の霊が祀られています

世界に一つしかない構造  江戸時代の建築
会津のピサ斜塔といわれるさざえ堂。入口と出口が違う・・同じところを通らない不思議の構造 必死でささえてる人が・・・(笑)
入口と出口が違う・・同じところを通らない不思議。右下に必死でささえてる人が(^o^)

「八重の桜」オープニングで映る、会津の五桜のひとつ、名物の石部桜  
会津の五桜のひとつ、名物の石部桜 から飯盛山を臨む 山裾にはさざえ堂が
飯盛山を臨んで 山裾にはさざえ堂が



<白虎隊慰霊フェスタでお知り合いになった猪苗代藩士たち>

慰霊祭は十時半からだったのですが、白虎隊士の登場を待つ間、たまたまお隣でご一緒した会津の人達に、会津の貴重なお話を聞くことが出来ました。歴史に造詣が深く、大変な物知りでいらっしゃり、八重の桜に関する事だけでなく、幕末の歴史を、会津の視点からお話しいただいたのが印象的でした。
また、リアル会津の人でないと知りえない(?笑)、容保公のご子孫の楽しいエピソードなど(^o^)・・・会津のお殿様と藩の人々の温かいふれあいは、いまも時代を越えて生きているのですね。

会津によく来らったなし 猪苗代も是非訪ねてくなんしょ 
猪苗代の名士さんたち
現代の玄武隊士、知的で優しい会津イケメンでした❤(許可を得て撮影・掲載)


お話ししていて、大変知的で、どこかやんごとなき風情を感じていたのですが、郷土史理事や山岳会の会長、野口英世記念館の学芸員の方達でいらっしゃり、観光客が真っ先に訪ねる土津神社(会津公の始祖・保科正之の祀られる神社)でいただく「保科正之公の史跡を訪ねて」というガイドマップを書かれた方々でした。
県の認定するツーリズムガイドでもあられるので、ブログをご覧になっている皆様、ふくしまにお出かけになる際はぜひ、お問い合わせされてはいかがでしょうか。^^
猪苗代名士の方々なのに、飾らない気さくなお人柄に、会津の優しさを感じました。


いただいた言葉
会津藩は婦女子にいたるまで一丸となって武士道・義を
貫いた最後の藩だと思います。

歴史を考える」敗者の風景で
司馬遼太郎氏は「日本の幕府の崩壊期に会津藩という存在がなければ
日本人なんて信用できませんね、会津藩があったればこそ、
われわれ同民族をちょっと信用できる、という感じがあるんです。」と
言っています。 
       猪苗代の偉人を考える会・会長江花さまより



会津には「三度泣き」という言葉があるそうですが、旅のなかでふとその言葉を思い出しました。
最初は 会津の頑固さに泣き、次にその人情の深さに泣き、最後は会津を去り難くて泣く、という言葉です。
芦ノ牧、猪苗代、若松、東山・・・多くの現地の方達とふれあうことが出来、心に沁みる言葉をいただきました。「がんばろう東北、頑張ろう福島」という声はむしろ、応援者の私達に向かって、優しく逞しい福島の方々から「がんばろう日本」と響き返された気がします。

うつくしま、ふくしま。 素晴らしい旅でした。



美雨


八重さんの結婚式で出された、あこがれの”こづゆ”(メチャ美味しい!)
八重さんの結婚式で出された、あこがれの”こづゆ”
今日も最後まで読んでくれてありがとう^^


「八重の桜」1話~17話あらすじ&レビュー
http://yonipo.blog13.fc2.com/blog-category-81.html


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大河ドラマ 八重の桜 第16回「遠ざかる背中」  チャンネル銀河

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歴史ドラマ 八重の桜 第16回「遠ざかる背中」

あの名作が帰ってきた!
10月8日~10月12日 朝8:00~午前9:00 深夜1:15~深夜2:15(月~金、毎日放送)
制作年 2013年
制作国・・・日本  ジャンル・・・歴史ドラマ
総話数・・・全50話
出演者・・・綾瀬はるか、西島秀俊、長谷川博己、オダギリジョー、綾野剛、玉山鉄二、市川実日子 ほか

べらぼうめ!幕府は長州に負けるんじゃねえ。己の内側から崩れていくんだ!勝に“カツ”を入れられてしまった覚馬。その言葉は大蔵の胸にも楔のように突き刺さり・・・、

チャンネル銀河八重の桜HP https://www.ch-ginga.jp/feature/yaenosakura/
八重1604
八重の桜OP、BGMにドゾhttp://www.youtube.com/watch?v=6tDZC6aTUxA

第16話あらすじ
会津の大火のさなか、行方不明になっていたみね(豊嶋花)を尚之助と三郎(工藤阿須加)が見つけ出した。そして、みねを捜しに火元近くをさまよっていたうら(長谷川京子)を、尚之助(長谷川博己)が救い出す。みねの無事を確認し、涙するうらの姿を見た八重(綾瀬はるか)は、うらがどうしてみねを厳しく叱るようになったのか本当の理由を知る。うらは、覚馬が不在の間に甘やかして弱い子に育てたら、覚馬に申し訳ないと思い、自分の弱気を鞭打つために厳しい言葉をみねと己に言い聞かせていたのだった。 しかし、火事の修羅のなか大八車に轢かれそうな八重を庇おうと飛び出て行った尚之助は足にけがを負ってしまう。八重は尚之助を手当てしながら、たったひとりの大事な旦那様の存在を深く実感する。八重の涙に妻の想いを知った尚之助もまた、愛おしさがこみあげ、八重をしっかと抱きしめる。 

その頃、慶喜の長州征伐の出陣中止を受け、度重なる慶喜の二枚舌に会津本陣は揺れ動いていた。容保は藩士の動揺を鎮めるため、覚馬と大蔵を慶喜の居る二条城に遣わすが、そこには先客として勝海舟がいた。松平春嶽の推挙で、勝を使者に立て、長州と和議を結ぼうとする慶喜に、勝は、将軍不在の今、勅命を以て諸侯を集めてほしいと条件を出す。「勅命」の言葉に神経をとがらせる慶喜に 春嶽は「幕政政治はもはや限界、諸藩と共に政を行うべき」と進言し、慶喜はしぶしぶ承諾する。勝は直ちに長州説得に向かうが、去り際に城内で会った覚馬と大蔵にカツを入れる。約束を反故にした幕府にいきりたつ二人に勝は、幕府の屋台骨が劣化しているいま内乱を起こせば欧州列強の思うつぼで、全く世のためにならぬこと、德川一家の繁栄と日本国の存亡のどちらが重要か秤にかけてみろ!と覚馬に目を醒まさせる。だが、それでは都と幕府を守るために会津がやってきたことは何だったのかと思い悩む覚馬。

案の定、慶喜は今回も勝と春嶽を たばかり、将軍の喪に服すためという名分で、秘密裏に動き 長州に一方的に撤兵を命じる勅を朝廷に出させていた。諸侯を集め幕政を一新するという条件を蹴るための裏工作を知った春嶽と勝は、出し抜かれたことに大きな怒りを覚える。慶喜の真意を質そうとする容保に、慶喜は太平の世にあぐらをかいた幕府など一度つぶれた方がよい、と言い出し、将軍職を継ぎ、幕府を立て直す決意をしたから、将軍宣旨が下るまで京に留まり都を守って欲しいと容保に助けを求める始末。慶喜の言が本心かどうか眉をしかめる容保であった。
一方、会津の黒河内道場では、江戸屋敷でその才と美貌で評判だった中野竹子があらわれ、次々と国許の名うての女子を薙刀で倒していた。最後に対戦した八重も負けてしまい、才色兼備の上 薙刀まで強いことに驚く。八重が鉄砲を撃つことを知った竹子は、鉄砲はただの道具で、剣や薙刀こそ武士の魂がこもったものだと言い放つ。鉄砲を見下したように言われた八重は、このとき何も言い返せなかった事を悔しがり、竹子にライバル意識を抱くのだった。
 都では、ついに慶喜が将軍職を継ぐことが決まり、4年に及ぶ容保の京都守護職が解かれようとしていた。ようやく願いがかない安堵する容保。ところがその直後、喜びを打ち砕くように みかど崩御の悲報がもたらされる。

・・・ということで、次回は第17話「長崎からの贈り物」です。



第16話ぷち・ギャラリー
よがった~!!無事でいてくれて
八重1601
尚之助の活躍で、無事見つかったみねとうら
助けるつもりが、かえって厄介をかけることになってすみません
八重1602
良かった・・このままもどってこねぇような気がして、わだす、心細ぐなって・・・
だんな様だもの・・・たったひとりの、わだすのだんな様だもの!
八重1603
あれ?どうして泣くんですか? 
八重1604
(野暮なことを聞く尚之助)

<勝にカツを入れられる覚馬と大蔵>

いいか覚馬!日本は小せぇ国だ・・世界に目を向けてみろ!
いいか覚馬!世界に目を向けてみろ!内乱なんぞ起こしてたら日本みたいな小さな国は西欧列強に食いつぶされる!
内乱なんぞ起こしてたら、たちまち西欧列強に食いつぶされる!
勝「德川一家の繁栄と、日本国の存亡・・・秤にかけてどっちが重いかよく考えてみろ!」
・・・!! 目がさめる思いの覚馬
・・・!!   目がさめる思いの覚馬

<ライバル登場>

江戸屋敷で育った竹子と八重のナギナタ試合 
八重1610

八重をも負かし圧倒的に強い竹子
八重1611

鉄砲なんてただの道具!剣やナギナタとは違います!
 鉄砲なんてただの道具!剣やナギナタとは違います!

<暗いニュースばかりの京の会津藩士にも、慶び事が・・・>

梶原と二葉夫婦に男の子が生まれ・・・
八重1612
覚馬「赤子は饅頭の匂いがする・・・(笑)いや、命の匂いがする」

<らぶらぶだった帝と容保、さいごの邂逅>

「中将、近う」「はっ」  人払いをし、やっと容保と二人きりになれた孝明天皇
八重1613
もう、引きとめる訳にはいかぬな・・・
重い荷を背負った者同士、その苦しさを まことに分かち合えたのは、そなた一人であった
八重1614
会津から教わった・・・武士(もののふ)の誠は義の重きにつくことであると。
長い間誠を尽くしてくれてありがとう。
八重1615
・・・・!! お・・上・・・ 
第15代征夷大将軍に任命される慶喜だが
八重1616
そのわずか20日後

届いた突然の帝の崩御の知らせに、容保は・・・ 
八重1617



八重の桜、こんなところが好き!感想&雑記

幕府は年を取りすぎた。
見た目は立派な大木だが、中身はすかすかの洞(うろ)だらけ。
長州に負けるんじゃなく、内側から腐り、くずれていく老木・・・

的を得た海舟の諷示に、脳裏のどこか冴えた一点でしっかり受け止めながら、理性が認めるをよしとしない覚馬と大蔵。何百年と続いた幕府の体制が崩れる?
そんなこと「ならぬものは、ならぬ!」
刷り込まれた教えと価値観ーーいわば、自分の血に流れる会津のアイデンティティーを捨てることは、自身の命を絶つより辛いこと。少なくとも、それが武士であり、藩士の矜持であったように思う。

しかしながら、自己欺瞞と戦うことほど苦しく虚しいことは、そう無い。
覚馬はじめ会津藩士の一番の苦しみは、何と闘っているのかもよくわからぬまま、自分達のお役目に義を見出さねばならないという矛盾との葛藤だろう。

欺瞞といえば、歩く二枚舌のような慶喜、今回もヤルヤル詐欺全開。
”余はもうそなたに担がれる神輿でない”の言葉通り、担ぎ屋の春嶽をも担ぎいでしまう老獪さ・・・
ラ・フォンテーヌの寓話集にある、「詐欺師を詐欺にかけることほど愉快なことは無い」という名言よろしく、華麗な裏工作が踊る、踊る。
単にきまぐれな暗愚の殿だったのか、孤高の権謀術策士なのか・・・おそるべし松平慶喜!

そんな慶喜の幕府のために、今後会津は命をも捧げて守るのだろうか。

守るのだろう、たぶん。 それが会津の忠誠心。

そしてもうひとつの忠誠心・・・孝明天皇と容保の最後の対面となった別れのシーンは、今回の一番の見せ場のように思う。
司馬遼太郎の作品にあった、『朕の會津藩』という帝の”愛”にも近い信頼が、ここでもひしと伝わるこの言葉。

我らは、重い荷を背負うた者同士。その思い、その苦しさを、まことに分かち合えたのは、そなた一人であった。
・・・会津に教わった。もののふの誠は義の重きにつくことにある、と。

朝廷のため、幕府のため、尽くせば尽くすほど泥沼に嵌っていくやるせなさも、
慶喜にさんざん振り回された挙句、いつも裏切られてばかりの憤懣やるかたない思いも、
みかどのこの ひと声で全て償われたような、かたじけなさに涙こぼれる容保。

しかし、この言葉が、今生の別れになってしまうとは・・・
容保にとって、眩しくキラキラ光る存在であるみかどは太陽、そして容保はその光で輝く月のような存在であったかに思える。守護職という立場で自分が守護したてまつっているように見えて この4年、幕府でも将軍でもなく、実に孝明天皇あってこそ容保・会津は輝き、守られてきた。

その太陽が沈んでしまったとき、月たる容保は・・・
翳りゆく時代の暗雲のなかを、手さぐりで、何を頼りに、どこに向かって進んでゆくのか・・・羅針盤をなくした船のような会津の心細さが暗にしのばれるシーン。

見事な演出だった。

しかし、それでも時代は動いている。
つきる命もあれば、生まれくる命も。

先込め式銃だ、元込め式ライフルだと新しい武器に無我夢中になって人々が殺し合いに明け暮れている間にも、新しい命は 生まれてくるのだ。

生まれてきた二葉の赤ん坊・・・見えない覚馬の目に、鋭くなった嗅覚が心の目を醒まさせる。
赤ん坊は、まんじゅうの匂いがする。

いや、いのちの匂いが、する・・・

進む眼病に、異国にはもう渡れないと悟った覚馬。闇が迫っている。
でも、もっと恐ろしい闇が、歴史の歯車を押しやりながら、会津を呑み込もうと そこまでやってきているのを、このとき覚馬は気付いていただろうか。

今では遺訓となってしまったみかどの ”壊すことよりも、守り続けることのほうが難しい”その苦しさを,これから心底あじわうことになる会津。

慶びと昂ぶりと悲劇の予兆が、歌うように交互する 16話だった。




  八重の桜かると  ~ 八重の桜 当時の武器について ~


     弘法大師      ならぬことは、ならぬ!のシャア

                  ”腕と人海戦術で勝てんべ”神保内蔵介
                  くらのすけのオサーン
                      ご家老、古すぎっ



「長州の武器は、このミニエー銃にごぜいやす。ゲベール銃どは格段の差がありやす」

こんなとき、過去においては”弘法筆を選ばず!”と諭され、未来に於いては赤い彗星が「モビルスーツの性能の違いが、戦力の決定的差でないということを教えてやる!」と叱咤するのだろうが、武器性能や殺傷レベルの違いがそのまま勝敗を分けてしまうのは、悔しいが当然の結果。
鳥羽伏見の戦いや戊辰戦争でも、武器(主として鉄砲)の性能の差が勝敗を分けたと言われている。

15話で覚馬の手紙にもあったように、第二次長州征伐では、長州側の銃はことごとく命中、幕府軍の弾は敵に届きもしないありさま・・・やはり武器の性能の違いがこれほどまでに露骨に勝敗を分けた時代は日本になかったように思う。薩摩など とうに軍制改革に着手していた十年前ですら、武士の戦は弓、槍、刀だと固執していた会津、すべてが出遅れていた。
 
そこで、幕末の彼らはどんな武器を使って戦ったのか、どんな武器が時代の勝敗を分けたのか、
知りたくなった。


戊辰戦争で使われた、おもな銃の種類
主な銃の種類
上よりゲベール、国産ゲベール、エンフィールド、スナイドル、スペンサー銃


戊辰戦争で使用されたおもな銃の種類

・火縄銃(前装式滑腔式、戦国時代以来の銃)
・ゲベール(前装滑腔式、命中精度が低い)
・ヤーゲル(前装施条式、白虎隊が装備)
・ミニエー(前装施条式、椎実型弾、主流)
・スプリングフィールド(ミニエーの一種)
・エンフィールド(ミニエーの一種)
・スナイドル(エンフィールドを後装式に)
・スペンサー(後装式連発銃、八重が使用)
・シャスポー(後装施条式、伝習隊が装備)

ドラマのナレーションでも語られたように、アメリカ南北戦争の終結で、不要となった様々な兵器が、欧州の武器商人を通じアメリカから大量に戊辰戦争前後日本にもたらされていた。性能の変遷としては、内側ツルツルの「滑腔式」からライフル(らせん状の溝)を刻んだ「施状式」へ、また銃口から弾丸を押しこめる「前装式」から後方に弾を装填する「後装式」へと銃は進歩していった。
第二次長州征討戦争で、勝敗を決定づけたのは、幕府のゲベール銃の3倍の飛距離があるミニエーだったが、16話で覚馬がそれに勝る銃として、求めたがっていたのは ライフルを刻んだ、元込め式のスナイデル銃だった。


                         右)八重の七連発スペンサー銃。射程:700~820m 
下はその派生銃        八重たんスペンサー銃
ミニエーから派生した銃                スゴイ!!ミニエーより飛ぶんだなし!!
(上)1863年式スプリングフィールド銃
(下)1861年式エンフィールド騎兵銃


幕末に導入されたおもな大砲
幕末には、大砲も積極的に導入された。しかし、当時の野戦砲は、ほとんどが前装施条式で、絶えず発射するためには最低8門の砲を必要とし、その点、佐賀藩が有した後装施条式である「アームストロング砲」の機能は、群を抜いて優れていて、上野戦争や会津戦争で威力を見せつけたという。
そのほか薩英戦争で薩摩藩が使用した前装滑腔式の「カノン砲」、長岡藩家老の河井継之助が使用した機関銃の前身「ガトリング砲」などが、幕末の大砲として知られている。



アームストロング砲             対          八重の四斤砲
アームストロング砲 佐賀藩が所有し、会津戦争でも威力を発揮。群を抜いて優れていた 壊れた四斤砲
佐賀藩が所有し、会津戦争でも威力を発揮。群を抜いて優れていた


四斤山砲とその砲弾                戊辰戦争で実際使われている弾
四斤山砲とその砲弾


鶴ヶ城の攻防戦に於いて、つい先々週の4/14日、ロケが行われたという大手門(北出丸)最新鋭の七連発スペンサー銃を持って戦った八重。会津の精鋭部隊は国境の警備に遠征していたため、城内には老人の玄武隊、少年の白虎隊のほか婦女子だけ、しかも武器は火縄銃などの旧式のものばかり。
しかし八重は進撃してきた土佐藩の隊長を次々と狙い撃ちして、次に砲車を引いてきた薩摩の二番砲隊頭の大山弥助(のちの陸軍卿で、山川大蔵の妹を娶ることになる大山巌)の足を貫通させたという。
さらに八重は城内にある四斤砲を運ばせて瞰射しはじめ、会津軍の精鋭部隊が帰城するまで持ちこたえさせ、新政府軍を城郭まで後退させた。最大の危機を救った八重の活躍は、当時の近代兵器である銃や大砲を最大限に活用できた手腕によるものといえよう。



洋式調練
銃器の性能が戦場の勝敗を決するようになり、それに伴い、個人の技量ではなく訓練による歩兵の組織的な動きが重要視され、銃の操作だけでなく、洋式調練は必須であった。
第二次長州征討の敗戦後、慶応2年(1866年)8月以降、将軍徳川慶喜の下で再び大規模な軍制改革が行われる。当初はオランダ陸軍を模した教育も、次第に海軍がイギリス式、最終的にフランス軍事顧問団による教育が行われることになり、1866年に伝習隊の編成が行われた。フランス人教官の不足から、伝習隊の一部は日本人教官による指導を受けていた。ロシア留学を経て攘夷の非を悟った大蔵は、フランス式調練法も学び取り会津に帰り指導する。

しかしながら、銃器の性能が戦場の勝敗を決するようになり、武士の存在意義もまた、失われていった。銃は、武士の時代の終焉の象徴といえるのかもしれない。


幕府のフランス式調練 
幕府のフランス式調練 大蔵が会津に持ち帰り指導
大蔵も会津に持ち帰り指導

会津のガオレンジャー、伝説の会津彼岸獅子すがたで入城する山川大蔵
会津彼岸獅子  玉鉄大蔵
今回16話でオロシアに旅立つ山川大蔵。プロシア、フランスと、沢山見聞をひろめてきてくなんしょ



「八重の桜」各話あらすじ&感想
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大河ドラマ 八重の桜 第15回「薩長の密約」

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歴史ドラマ 八重の桜 第15回「薩長の密約」

あの名作が帰ってきた!
10月5日~10月10日 朝8:00~午前9:00 深夜1:15~深夜2:15(月~金、毎日放送)
制作年 2013年
制作国・・・日本  ジャンル・・・歴史ドラマ
総話数・・・全50話
出演者・・・綾瀬はるか、西島秀俊、長谷川博己、オダギリジョー、綾野剛、玉山鉄二、市川実日子 ほか

とうとう新世界アメリカへたどりついた新島襄!漕ぎ出した船は対岸につくまでもう戻れない(襄の言葉)・・・復興にむけて頑張る福島と東北に熱くエールを放つ大河ドラマ”八重の桜”、共に楽しみつつ、愛の桜前線を拡げていきたいですね!

チャンネル銀河八重の桜HP https://www.ch-ginga.jp/movie-detail/index.php?film_id=16839
八重15話a
八重の桜OP、BGMにドゾhttp://www.youtube.com/watch?v=6tDZC6aTUxA

第15話あらすじ
1865(慶応元)年、函館から密航を企てた新島七五三太(オダギリジョー)がボストン港に降り立った。一年余りの航海の間にジョーと呼ばれるようになっていた彼が到着したアメリカは、南北戦争の終結から三か月が経ち、国家再建のただ中にあった。
一方、日本では 長州征伐と巡って出兵を阻止しようとする薩摩の大久保一蔵(利通)と、出陣を訴える慶喜がそれぞれ政治工作を図っていた。結局慶喜が朝廷に働きかけ、その年の9月、第二次長州征伐の勅が下った。
しかし、征伐の勅が下ったにもかかわらず、長州への出陣は実行されずにいた。緊張の糸の切れた幕府の兵のていたらくぶりに、覚馬ら会津藩士と新選組はいら立ちを見せる。
そんな中、京では、それまで対立していた薩摩と長州が、坂本龍馬の暗躍により急接近を図っていた。 德川だけに国を任せられないと考えるようになっていた西郷は、力づくでも共和政治を始めなければならないと思っていたのだ。そのために組むべき相手は固い掟がある会津ではなく、長州だったのだ。西郷の本気を見てとった長州の桂小五郎は薩摩の申し出を了承し、こうして結ばれた薩長の密約は、この後会津の運命を大きく変えていく。

覚馬不在のまま4年目の正月を迎えた会津では、山本家と新婚の八重と尚之助夫婦が新春を祝っていた。長州との戦が済めば今度こそ覚馬も帰ってくると期待を寄せる家族だったが、それもつかの間、新式銃の力の差により敗戦続きの幕府方は劣勢に立たされているとの文が京より届き、父権八は覚馬の帰郷がまた遠ざかる見通しを示す。
覚馬の文の通り、第二次長州征伐の戦端が開かれてより幕府勢は次第に追い込まれ、それと合わせるように、覚馬(西島秀俊)の目も悪化の一途をたどっていた。弱り目に祟り目、不運に拍車をかけるように、脚気(かっけ)を患っていた将軍家茂が 崩御し、都での会津の立場はますます危うくなってゆく。
 守護職を請け負った藩の莫大な出費に加え長雨で不作続きの会津は、次第に暗い雰囲気が漂い、覚馬の妻・うら(長谷川京子)も、一人娘のみね(豊嶋花)を厳しく叱るようになっていた。覚馬が送ってよこした ぽっくりを履いて「母がいつもにこにこしていてくれるように」と神社で祈るみねの後ろ姿を見て八重(綾瀬はるか)は不憫に思う。
そんなある日、会津で大火事が起こり、みねが行方不明になってしまう。

・・・ということで、次回は第16話「遠ざかる背中」です。

脚気(かっけ)とは・・・ビタミンB1(チアミン)の欠乏によって、心不全と末梢神経障害をきたす疾患。江戸時代、精米した白米を食べる習慣が広まり、将軍をはじめとする上層武士達に脚気が続出した。



第15話ぷち・ギャラリー

 ごらんジョー!君の新世界だ
Joe, take a look!
"Joe, take a look!It's your new world. ”
アメリカ・・・!!
八重1501
アメリカだぁ~!!
八重1502
パン☆パン☆夫婦で新年の御祈願 
八重1503
かしわでも揃って良い夫婦に・・・
権八「明日の年始参りは一緒に回んべ」「承知しました。お供します」
正月膳を囲む八重
わしの供でねぇ。八重と所帯構えだ川崎家の主として挨拶に回んだ「あっ・・そうでしたハイッ」
バシュッツ!  騒ぎを起こした幕府の歩兵の丁髷を一瞬で切る斉藤一
八重1505

<薩長の密約>

もはや幕府だけに国を任せてはおられん。その思いは薩摩も同じでごはんで。
八重1506
そのために組む相手は会津じゃなか。桂さん、手をば組みもうす!
桔梗紋が光る!竜馬だ♪と思いきや・・・
桔梗紋が光る!竜馬だ♪と思いきや・・・振り向きませんですた
振り向きませんですた
佐川「強ぇなぁ、人を斬った剣は・・!」 
八重1507
・・・あなた様もご同様かと!
ウエーン みね!何べんも言って聞かせてんべ!勝手に角場に入ったらなんねぇ!
八重1508
ならぬものはならぬ!「あ・・あねさま・・・」八重ハラハラ
覚馬!眼病のごど、なじょして黙っていた!にしの目は会津にはなくてはならんのだぞ
八重1509
いま長崎に春英がいる・・新式銃の買い付けにいくとき、眼病をしっかり治してこい 「はいっ」

徳川宗家将軍職、何卒お引き受け下さりまするよう!「フン・・・春嶽、昔よう似た話があったな」
八重1510
公武一和のためと請われて奥州の一大名が守護職になった話さ・・・あの時の説得も貴公だったな

嫌がってるように見えて、いきなりハッスルハッスルの慶喜

長州征伐をみかどに任された慶喜 「徳川宗家が出馬するからは勝負が決するまで一歩も引かぬ!」
八重1511
みかどに節刀を賜り、自己陶酔ふかす慶喜  覚馬と大蔵「・・・シラー
大火にみまわれる会津
八重1513
カンカンカン西風に煽られ、八重宅の近くまで迫る火

(またまた慶喜のヤルヤル詐欺に揺さぶられ・・)っな・・ご宗家が出陣を取り消しただと!?
八重1514
ばかな!(慶喜公は)お上から節刀を携わってまだ幾日も経っていないのに、どういうことだ?

みね~っ!あねさま~!
八重1515
また母親に叱られたみねが火の近くの神社に祈りに行ってしまったと見当をつけた八重は・・・



八重の桜、こんなところが好き!感想&雑記

来るところまできました。
「薩長同盟」ときけば、幕末の日本偉人伝などで、「維新へのあゆみ」などのサブタイトルがついて、輝かしい、少なくとも好感持てる言葉でありました。

しかし、こうして会津側から見ると、というか会津ファンから見ると不快感120%な忌避的ワードですね。不思議な感覚です。

さて、ドラマ見るまでは今回メインテーマである「薩長同盟」、坂本龍馬や小松帯刀の登場を楽しみにしていたのですが、顔を映さなかったのは意外でした。
桔梗紋が見えたときは「お!」と思ったのですが・・・

西郷隆盛「坂本さぁから聞き申したぁー」
土佐の脱藩浪人の助力を経て薩摩と長州が極秘会談、どまりでしたね。

でも、よくよく考えると、これで正解かもしれません。
思うに、龍馬伝でも会津と接点なかったですし、有名人だからと無理やりドラマに絡めた演出は、ふろしき拡げすぎと、またまた かまびすしいマスコミ(ゴミ?)の重箱つつきを煽るだけだったかも。
維新三傑揃い踏みだけでも十分豪華。むしろ演出ナイスです。

しかし、剛情公なのに二枚舌、二心殿と2のつく(笑)德川慶喜が、まあよく会津を、振り回してくれること・・・。
将軍家の為とごり押しして春嶽が会津を守護職に引きずり出しておきながら、さっさとイチ抜けたと身を引いてしまったのを暗になじりながら、自分も会津を捨て駒にする慶喜、本当に気分屋のジコチューぶりがよく描けていると思います。
以前篤姫がなぜ慶喜を毛嫌いしていたのかも、わかる気がしますね。

その分、愚直なまでの容保の誠が光ります。
損な役回りもいいとこなのに、こんなぶきっちょな容保と会津が、美雨は大好きです。

誠と言えば新選組ですが、中でも一言語録みたいに切れの良さを放つ斉藤一。
池田屋で覚馬に(あんたも)「隙だらけだ」
そして今回も「味方は、斬らん」
う~mm、ナイスフォロー。
マゲだけを斬るというのも、今後の伏線を張っているようですね。

しかし、ドラゴンアッシュの降谷斉藤一さん、小柄なのに凄味があって、何故かとても大きく見えます。青春群像みたいな「八重の桜」ですから、斉藤と時尾のロマンスや、斉藤自身の心の成長なんかも描いてくれると嬉しいです。

さて、われらが八重さん。
結婚してどことなく、しとやかな所作になった八重、会津武家の奥様らしくすこし太縞になった会津ちりめんの着物もしっくり似合っていましたが、元旦に正装していた萌葱色の会津小紋も素敵でした。
はねっかえりのお転婆八重が、姪のみねと自分の昔の姿を重ねて優しく庇う姿は、緊張高まる幕府の戦況下にあって、ほっと こころ和ませるひとときです。
娘時代ときちんと演じ分けているのも、さすが綾瀬さんですね。

雪景色に立つ川崎夫婦がふんわりと爽やかに佇む姿・・・・ああ、身も心も夫婦になったんだなぁ、と・・・。お似合いでした。

新島襄の生き方に感銘を覚える人は少なくないと思う。自分を含め。
ドラマのタイトルを知った頃は八重さんよりむしろ襄(Joe)をメインに描いてくれないものかと勝手なことすら考えていたものです。

けれど、やはり幼い時分の八重から見続けていると、情がわいてしまっていけません。
まったく人物像すらよく知られていない尚之助という男ですら、もうすっかり山本(むつみ)ワールドの愛すべき住人として許容してしまったからには、襄の登場は、どこかうとましくさえ思えてしまう哀しさ。

八重と尚之助…小鳥のような二人を見ていると、まるで生木を裂くようで実に切ない。
憎み合って別れたわけではあるまい・・・戦争がそうさせたのだ、互いを思いやるがあまり、別れることになったと こじつけたい自分がいたりします。

作家の作業って、繋げては切り、切っては繋げていく、この繰り返しのように思う。

敗者側の歴史の常で、尚之助のことは八重と4年間結婚生活を送ったのち離別したこと位しか詳しくわかっていないのなら、ある意味、山本むつみワールドで思うがまま想像の翼を拡げて描いてよいということなのではないでしょうか。

リズム感があり、緩急が上手いむつみさんの青春群像的な八重の桜、大河に新しい風を感じています。時代考証や伝統を重んじながらも、新しい文献を探求し物語に織り込むのは、勇気のあることであり、むしろ草分け的な歴史ドラマだと、思っています。

視聴率とか、やらせっぽい悪口掲示板の批評など全く気にせず、思いっきり好きに描いてほしいですね。
評価は、現時点だけでなく、何年後、何十年後、何百年後と大きな時間の軸で変化していくもの・・・ 

そう、この会津のもののふたちのように・・!




  八重の桜かると  ~ 新島襄のこと ~

祖母が住んでいた、高崎の観音山のふもとで生まれた美雨は、襄先生(と、上毛の人は呼ぶ)のお話をそれはよく聞かされたものです。高崎からそう程遠くない安中(あんなか)。群馬県で親しまれている上毛カルタやでもおなじみの新島襄は「平和の使徒(つかい)と詠まれています。
今日は、新島襄”先生”の生涯を、安中サイドで紹介してみたいと思います。


初めてアメリカを見る襄


新島襄は、天保14年(1843)安中藩士新島民治の長男として安中藩士江戸上屋敷で生まれました。襄の幼名は、八重の桜第二話でもおなじみ、七五三太(しめた)といいますが、命名の由来は、四姉妹に続く待望の男子だったから祖父が「しめた!」と叫んだから とか、襄の生まれた1月14日が七五三縄(しめなわ)を外す日だからとも言われています。
 襄は秀才の誉れ高く、若干13歳で藩主に蘭学修行を命じられ、この蘭学修行中に 漢訳の聖書によって神の存在を知った襄は、元治元年(1865)国禁を破り国外脱出、アメリカに渡り10年間学問とキリスト教を修めます。
この間に日本は、明治維新という大きな変革を経て近代国家に生まれ変わろうとしており、西洋の学問を身につけた襄の存在を知った岩倉(具視)使節団と明治政府は、襄に役人となり国家建設に協力するよう求めます。

しかし襄は、役人となることを拒絶しました。それは、襄が日本人にキリスト教精神に基づく大学を設立するという大志を抱いていたからであり、彼の理想とする自由な教育は、国家の管理の下では不可能だと考えたからでした。
明治7年に日本に帰国した襄は、すぐさま両親の待つ懐かしい安中へ向かいました。そして両親と10年ぶりの再会を果たすのですが、安中には3週間程滞在しただけで、すぐに任地である神戸へ向かわざるを得ませんでした。襄にはまた、副牧師として布教という使命があったのです。
八重と婚後、何度か安中を訪ねていますが、キリスト教精神に基づく大学の設立と布教という2大目的に襄は東奔西走し、その端緒として同志社英学校(現在の同志社大学)を京都に設立します。しかし、志半ばで病に倒れ、46歳でその生涯を終えたのでした。


ワイルド・ローヴァー号で新世界、アメリカを目指すジョー
ワイルド・ローヴァー号で新世界、アメリカを目指すジョー
襄、メリケンへ


さて、第10話で脱国を果たした襄ですが、いきなりアメリカへ渡れたわけではありません。アメリカ商船ベルリン号で上海まで行き、この頃全く英語が話せなかった襄は雑用などの仕事を引き受けながら、アメリカ行きの商船、ワイルド・ローヴァ―号に乗り換えます。この船の船長H・Sテイラーは襄を”Joe;ジョー”と呼び弟のように可愛がってくれたことから、新島自身、襄と名乗って生きることになったのです。
襄は乗船の礼として、武士の魂である自分の大刀をテイラーに贈り、また小刀を譲って漢訳の聖書を買うのです。

このとき、襄は自分の中の日本人を捨て、アメリカ人の魂と入れ替えたような・・・新天地を生きるために、自分でおのれの洗礼をしたように思えてなりません。


襄が上海から乗り込んだ、ワイルド・ローヴァ―号
13041405.jpg
上海を発つ前に 脱国のほう助をしてくれた友に暗号か「753ta(しめた)」の名で文を送っている

夢にまで見たアメリカ(ボストン)に到着したのは、襄が日本の箱崎を発って一年後のことでした。
アメリカでは南北戦争が終結し、リンカーン大統領が暗殺されるという事件が起こります。
ボストンでは襄の身元引受人がなかなか見つからず、襄は乗船生活をしながら、愛読書ロビンソン・クルーソーの原書をひたすら眺めていたといいます。しかし、ワイルド・ローヴァ―号の持ち主で資産家であったA・ハーディーとの幸運な出会いが彼の人生を大きく変えることになります。襄のキリスト教への向学心をみてとったハーディーは襄をジョゼフ・ハーディーとして家族に迎え入れ、以後、襄の「アメリカの父」として襄に惜しみない愛と援助を与えるのです。


襄のアメリカの父 ハーディー夫妻
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京都・新島会館にて      続きはまたいずれどこかの回で。^^





美雨のぷち・八重の桜紀行その⑥
    新島襄の故郷、美しき安中(あんなか)をたずねて


襄の風景をもとめて、群馬県は安中(あんなか)を訪ねてきました❤

新島家族のルーツの町は、襄にとっての日本最初の伝道の地

かかあ殿下とからっ風、赤城おろしの冷たい上州、今年はさらなる厳冬のせいか、梅と桜が同時に咲き、襄も見上げた妙義山をピンクで染めていました。

群馬県の西部に位置し、中山道の宿場町として栄えた安中は、新島家の故郷であり、新島家ゆかりの史跡も多く残っています。脱国から10年後の帰国の際には三週間の安中滞在中に、多くの人が新島の話を聞きに集まり、キリスト教に関心を寄せる人も多かったそうです。上毛カルタで神の使徒と謳われている”新島襄先生”は上州の誇りであり、県内初のキリスト教会や名門新島学園は今も昔もキリスト教に根差した新島精神を受け継いでいます。

新島襄旧宅

アメリカから帰国した襄が、両親と再会した住居が遺されていました。今は資料館となっています


新島襄の歴史風景を辿る、その名も襄・城・ヒストリート(ガイドマップ)
13041402.jpg
高崎駅や前橋駅、観光案内所でもらえます

安中駅。 
安中駅 のどかです。正面の浅間山がきれい。駅員さん親切
のどかです  正面の浅間山がきれい。駅員さんが親切

旧碓氷郡役所(きゅううすいこおりぶぎょうしょ) 
旧碓氷郡役所 ここからスタート!特別展示がされています。パンフレット等ここでそろえて回ります
ここからスタート!特別展示がされています。パンフレット等ここでそろえて回ります

古い木造の懐かしい香りのする建物です
旧碓氷郡役所 ここからスタート!特別展示がされています。パンフレット等ここでそろえて回る
学芸員(ガイドのおじさんたち)がとても親切です

内部展示室。  襄の生涯がパノラマ式に理解できます
展示室。前期と後期にわけて展示。襄の生涯がパノラマ式に理解できます
前期と後期にわけて展示。6月からは襄の人生後半部分を展示

襄直筆の絵   煙にうつる謎のものは何?
襄直筆の絵 煙にうつる謎のものは何?
2話で豚の絵を描いて西郷どんをうならせた七五三太(しめた)クンの絵筆ぶりを思い出します

安中教会
安中教会
郷士の湯浅治郎ら地元民30名が新島襄から洗礼を受け設立した県内初のキリスト教会

武家長屋 郡(こおり)奉行役宅と道を挟んで、武家屋敷が復元されています 
安中武家長屋。安中藩士の一般的な居宅
敷地内には井戸もあり、往時の暮らしぶりを偲ぶことができます。

有田屋 便覧舎址
古い木造の懐かしい香りのする建物ですいまも醤油を引き継いで・・・
安中を訪ねた新島夫妻が宿泊した、由緒ある醤油屋 襄ブランドの醤油も。

龍昌寺
襄が帰国後初めて説教をした寺。参道108の梵鐘が並んでいるとても素敵なお寺でした
新島襄が帰国後初めて説教をした寺。参道に108の鐘楼が並んでいます。

なんてユニークな真言(祈り言葉)でしょう
これ、まさしく襄の言葉ですね!

不思議な伝説のあるあずまやの柱 こちらも素敵な言葉です
新島襄の言葉にも似て・・・
目をつむり三回まわって、手をくぐらせることが出来たら極楽へいけるという
  

~安中を旅して~

春の赤城おろしならぬ妙義のそよ風が気持ちいい上州安中、駆け足でしたが素敵な旅でした。
一日でまわれる、まとまり具合も嬉しいですね。^^
学芸員のガイドのおじさんは物知りで優しくて、ツーといえばカーと答えてくれ、知りたかったことにプラス20%上乗せして、素敵なインフォメーションを下さいます。
襄の教会は、三週間前の予約がないと入れないので、門塀と外側から撮影しましたが、飾り気がなくとてもすがすがしい、品性溢れるたたずまいで、虚飾を好まない襄精神が窺えました。

そう、”新島襄精神”という言葉が、安中や、新島ファンの間には、あるのです。
安中ではこの”襄精神”を示すものや言葉、また おもてなしに沢山出会った気がします。

とりわけ、さいごに回った龍昌寺・・・ふらっとついでに立ち寄りしたお寺だったのに、お金では買えない、魂のプレゼントをもらった気がしました。
この寺では誰一人として、出会わなかったのに。(笑)

門戸が広いという言葉がありますが、このお寺さん、仏教でありながらキリスト教を説く襄さんの説法(というか説教?)を帰国後初めて許した、太っ腹なお寺です。襄の生涯は、命懸けで一切のごまかしなく道を求めたという点にあります。そういう求道者たちには宗教や教義を超えて響きあうものがあったのでしょう。

その証といってはなんですが、可愛い例をみつけました。

すぐ上の画像・・・オンニコニコ ハラタテマイゾ ソワカ

もう、襄が昇天して100年以上経っているのに、この石標をみただけで、いまもこの寺の住職様のお人柄というかお寺のコンセプトが受け継がれているのがわかるような・・・どんな有難い真言や難しい読経を1000べん唱えて下さるより、解りやすくて、あたたかい・・・

襄の語録で”文をしるすとき、誰にでもわかる文を記しなさい”を思い出しました。

そして、すぐ上の画像の柱に書かれた言葉・・・
有難いことに、目をつむり三度回っ手がなんとか穴に入りましたが(笑)
この門柱の言葉は胸に沁みました。

「えらいひとになるより、感謝される人になろう」

これは、まさしく新島襄精神そのものですね。
子供の視線で書かれているのが、また、いいです。

襄は、人生の幸福についての章で、
「人生の幸いは己自ら幸福を得るにあらず。位台を究むるにあらず。
富、巨万を量らむにあらず。真道に歩み、真道に委ね、真道を以て他人に益するにあり」
と説いていました。

どういうことかと言うと、人生の幸せは高い地位を得たり富を得ることでなく、自分の歩む道の中で 他の人々の役に立つことが幸せにつながるのだ、という摂理です。

まったく期待して訪問した場所ではないのに・・・(ごめんなさい)してやられました。

忘れがちな大切な一厘を、時空を超えて、襄さんが私に下さったような・・・
素敵なことの葉をいただいた、安中の襄ヒストリートでした。



美雨




学芸員兼ガイドをして下さってる安中のイケメン藩士(許可を得て撮影・掲載)
学芸員兼ガイドをして下さってる安中のイケメン藩士(許可済)
上州良いとこ一度はおいで 美雨サンも案内したんさ 気がねしやっといいがね(←上州弁なんさ)



八重の桜 各話レビュー
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大河ドラマ 八重の桜 第14回「新しい日々へ」

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NHK大河ドラマ 八重の桜 第14回「新しい日々へ」

あの名作が帰ってきた!
10月5日~10月10日 朝8:00~午前9:00 深夜1:15~深夜2:15(月~金、毎日放送)
制作年 2013年
制作国・・・日本  ジャンル・・・歴史ドラマ
総話数・・・全50話
出演者・・・綾瀬はるか、西島秀俊、長谷川博己、オダギリジョー、綾野剛、玉山鉄二、市川実日子 ほか

帰ろう!会津へ・・磐梯山の見守る、われらが故郷へ!容保の痛切な叫びに、家臣だけでなく視聴者も感極まって思わず涙が・・・復興にむけて頑張る福島と東北に熱くエールを放つ大河ドラマ”八重の桜”、共に楽しみつつ、愛の桜前線を拡げていきたいですね!

チャンネル銀河八重の桜HP https://www.ch-ginga.jp/movie-detail/index.php?film_id=16839
新婚さん
八重の桜OP、BGMにドゾhttp://www.youtube.com/watch?v=6tDZC6aTUxA


第14話あらすじ

1865元治元(年)春。秋月(北村有起哉)に連れられて白無垢に身を包んだ八重(綾瀬はるか)が、尚之助(長谷川博己)の待つ山本家の門をくぐった。八重の見違えるような美しさに目を奪われる尚之助。宴が盛り上がるにつれ、八重の酔った伯父達が まだ士官出来ない尚之助を浪人の身ではと非難しだすと、八重の父権八は助け舟を出し伯父達に飲み比べを挑み、尚之助までが加勢に入る。しかし酒に弱い尚之助は酔いつぶれ、八重が米俵を担ぐように婿を新居に運び込む姿を見て、母佐久とうらは笑ってしまう。はなれの新居部屋には、京から覚馬(西島秀俊)が送った紅が届いていた。目を覚ました尚之助は自ら指に紅を取り、そっと八重の唇に置いては新妻の美しさを愛で、幾久しく連れ添うことを誓う。

 そのころ京では、覚馬が目の異変に気づき、広沢(岡田義徳)と共に医者を訪ねていた。そこで失明率の高い“白そこひ”(白内障)と診断され、いずれ鉄砲を撃つことも書を書くことも出来なくなることを思うと覚馬はがく然とする。
 その年の春、アメリカでは4年間続いた南北戦争が北軍の勝利で終結、国を二分した戦いの戦死者は62万人にも及び、終戦を迎えて不要となった武器は海を渡って日本にもたらされる。
同じころ、西郷隆盛は越前の松平春嶽を訪ねていた。春嶽はアメリカの南北戦争を引き合いに出し、内乱は不毛だと西郷に意見する。それを受け西郷は国に戻って出兵をしないよう周旋すると言い出す。長年の敵だった薩摩が長州の赦免に向け動くことに春嶽は驚きを見せるが、西郷はかつて勝海舟も言った「政は公論を以て行わねばならない」とする、共和政治を目指していた。それは、春嶽が亡き斉彬公と目指した、新しい国の形でもあった。庭には、取り寄せて接ぎ木した西洋りんごの花が咲き、西洋の良いものを取り入れ国内の物産を育てるのが肝要であるとの春嶽の言葉に、西郷は亡き殿 斉彬公も同じ政策を挙げていたことを告げる。春嶽は斉彬公が薩摩に良い接ぎ木を遺したことを喜ぶ。
翌月、薩摩の大久保一蔵(利通)の元に岩倉具視からの上申書※「叢裡鳴蟲」が届き、岩倉は今幕府が勝っても長州が勝っても得なことは何もなく、薩長が結んで朝権の確立を目指すべしと大久保に説く。
 
一方の長州では桂小五郎によって洋式銃が取り入れられ、藩の軍備を整えていた。
薩摩や長州が見識ある諸侯の意見をもとに新しい国の体制を求めて進み出す一方で、幕府はいっこうに旧態依然とした強硬な姿勢を崩さなかった。ばかりか、会津が朝廷と結託し公議をも揺るがすと懸念し、守護職の会津藩はじめ慶喜、桑名公の役料も差し止める。家老の神保内蔵助は、容保に心ない仕打ちを受けてまで京に留まる理由はない、と意見するが、容保は、帝から受けた恩を忘れ、未だ不穏な世に帝を残して都を去るわけにいかないとそれを退ける。今度こそ将軍家に上洛してもらい、禁裏に発砲した長州に将軍が裁きを下してこそ、帝の信頼も深まり、真の公武一和がなるだろう、と容保は考えていた。そしてもうしばらくの辛抱だと藩士を慰める。「これを成し遂げたら、今度こそ会津に帰ろう!磐梯山の見守る、故郷へ」と。
 そんな折、会津では国許に戻った横山主税が病に倒れ、会津の行く末を案じながら息をひきとる。後ろ盾を失った秋月にほどなく※蝦夷地出向が言い渡され、無念の思いで送りだす八重と尚之助だが、秋月は新天地で働くことに意欲をのぞかせる。気付けば雨はあがり、空には見事な虹がかかっていた。

・・・ということで、次回は第15話「薩長の密約」です。

※叢裡鳴虫(蟲):そうりめいちゅうとは・・・京の岩倉村に幽居していた岩倉具視が、薩摩藩士の小松帯刀や大久保一蔵に宛てた書状。幕府を見限り、薩摩が雄藩を糾合して朝政補佐の指導権を勧めたもので、その雄藩には長州は絶対に外してはならないことが力説されていた。この書状が薩摩藩を討幕派に動員する誘因となった。
※蝦夷地出向;斜里の代官・・・ロシアの南下対策のひとつとして安政6年に会津始め6藩に分譲して与え、警備、開発にあたらせた。会津藩は東蝦夷地(いまの別海町)から西蝦夷地(いまの雄武町)に至るまで本営を西別に、分営を斜里と紋別に設置した。京で公用方として活躍した秋月は保守派に妬まれ、蝦夷へ左遷されたと言われる。




第14話ぷち・ギャラリー
花婿の待つ席へ
八重1401
秋月の歌  高砂や~♪ このうら船に~ 帆をあげて~♪
八重1402
目出度い 祝言
八重1403
しかし、祝宴に出される旨そうな ”こづゆ”を見てしまった八重は・・・  
八重1404
尚之助「いまなら誰も見ていませんから食べれますよ」「だべか?朝から何も食べてねえがらし」

しかし、お邪魔虫な伯父達が祝辞にあらわれ、結局山本家の飲み比べ大会に・・・

衆寡敵せず!ご加勢つかまつる!
八重1405
勇ましく名乗り出たものの・・・
ぐでんぐでんに酔っ払った権八と、尚之助 「父上!奥へ参りましょう」「じじさま~!」←孫の声 
八重1406
尚之助さまも、起きてくなんしょ!

仕方ねぇ・・えいっ!  花婿を米俵のように背負う八重
八重1407
ぎ、逆でしょ・・
覚馬から届いた京都の紅の贈り物、京紅
八重1408
美しいごど・・・
パカッ
八重1409
何故かいいタイミングでおきる尚之助
都の紅・・さしてみてください
八重1410
ツツー
八重1411
「幾、久しく」
八重1412

見えなくなるのか、俺の目は。
八重1413
失明の可能性が高い白そこひ(白内障)と診断された覚馬
皆、もうしばらくの辛抱じゃ!これを成し遂げたら、皆で会津へ帰ろう!磐梯山が見守る、故郷へ・・!
八重1414

初めての夫婦喧嘩

こっちへ来なさい!こんなつまらぬことで、一時でも鉄砲を手放すなんてどういう了見です?
八重1415
私は鉄砲を撃つおなごをめとった!世間並の奥方なんて初めから望んでいない。
んだら、わだすでは世間並の奥方になれねえど言うのですか?
八重1416
そうです! (ひっ、ひど
世間並になんぞならなくて結構。あなたはあなたであればよい!さ、これを
八重1417
私の妻は、他の誰でもない・・鉄砲の名人、八重さんだ
つ・・妻?
八重1418
すぐに機嫌を直す八重(ちょっと嬉しい女ごころ)
初登場、薩摩の大久保一蔵(利通)のもとに、岩倉具視から書状(叢裡鳴虫)が届き
八重1419
幽居中の岩倉具視に意見書の代金を払う大久保(しっかり受け取る岩倉)
八重1420
長州の「逃げの小五郎」を蔑む大久保
なんか、カッコよくなった桂小五郎
八重1421
岩倉が言うとおり、長州は武器を洋式銃に替え、洋式調練を行っていた

天国へ旅立つ、名家老 横山の遺言

これ以上、長州に深入りしてはならぬ 殿の気持ちはわかるが
八重1422
帝からご宸翰を賜ったときの嬉しさが、今は会津を都に縛り付ける鎖となってしもうたか・・

横山の死後、秋月もまた、蝦夷地出向が命ぜられる(左遷)

なんと非常な処遇・・・秋月どのは会津になくてはならぬお方ではありませんか!
八重1423
いくべ・・蝦夷がわしの 新天地じゃ
あっ!見なんしょ・・虹が!
あっ!見なんしょ・・虹が!
会津を頼むぞ八重どの、川崎どの。
いくべ 蝦夷地がわしの 新天地じゃ
新しい力は二人のように古い秩序に縛られぬものの中から生まれるとわしは信ずる!


八重の桜、こんなところが好き!感想&雑記

パイプオルガンの荘厳なひびきと美しいチェロのしらべに載って、朗々と高砂が謡われる美しいイントロダクション・・・きよらかな白無垢につつまれた花嫁しずしずと祝言の席に向かう姿に、思わず目がしらが熱くなった第14回。
とっても良かったです。(涙)

そして14回は、古い秩序に縛られないものの中から生まれる新しい力、がテーマでしたね。
そのテーマとも相まって、若い二人が、旧体制の会津にありながらも新しい未来のちからとなっていこうと 祝言の日ですら鉄砲砲術書に夢中になる姿が、ほほえましくうつりました。
今でいえば技術者であり、教育者でもある二人・・・鉄砲ヲタクなカップルですが、尚之助と八重も新しい時代に向かって新芽のように光をもとめてやまないのですね。

究極、タイトルロールである「八重の桜」のテーマとは、どんな苦境にあっても乗り越えられる「生きる力」のように思います。

作者の山本むつみさん語るに、今の時点から歴史を振り返れば、とうに勝負は決まっている。でも、その時代を実際に生きている人々には、明日どうなるかはわからない・・・負けるつもりで戦ってはいないし、八重さんたちも、見えない明日がより良いものであることを願って、その時その瞬間を一生懸命に生きているのだ、と。

覚馬が八重の婚礼に向けて贈った言葉「紅のごとくあかあかと生きるべし」のように、あかあかと、その瞬間瞬間、生きるエネルギーを燃焼させて明日につなげていくことが また 自分という歴史を作っていくことに他ならないのだというメッセージを、八重からまたひとつ貰った気がします。

「私には 何もできねえす」と言う八重を 秋月が諭したように、新しい力は八重夫婦二人のように古い秩序に縛られないものの中から生まれてくる、という言葉は、会津が滅びたあとも、京の新天地で再出発した際も、羅針盤のように 八重のゆく道を明るく指し示していくことでしょう。

そして、八重だけでなく、斉彬公が遺した良い接ぎ木も、古い秩序をつき破るように、未来に向かって大きく枝を伸ばしていました。

晩秋の柿の如く熟れ過ぎてつぶれる直前の幕府・・・旧体制の逼塞した空気の中で、長州薩摩、会津もまた対岸まで泳ぎきろうと必死であがいている感じがよく出ていましたが、新たな光を見出した西郷や桂を先達に、はっきり行きつくべき岸が見えている薩摩や長州と違って、何処に向かって泳ぐのかもわからず水中でもがいている会津は、沈みゆく巨大な戦艦のようにも見えます。

いきなり登場した謎の人物、岩倉具視の存在感たるや・・・ふわっと軽そうに見えて、尊王倒幕の黒幕だったりするから怖い。坂本龍馬が殺されなかったら歴史は変わっていたと言われていますが、もし岩倉具視がいなかったら・・・歴史はもっと変わっていたように思う。

王政復古の大号令がなく、徳川慶喜の大君制になっていただろうし、きっと明治天皇を江戸東京に移せなかった。
また、京都の衰退、京都御所の荒廃化を心配するひともいなかったでしょう。
そして、このドラマでも重要な、八重の二度目の夫新島襄にも深く関わる遣欧使節団特命全権大使でもある大人物の岩倉具視・・・日本国になって最初に国葬にされた人物ですが、懐かしい500円札のキャラでもありました。

こんな人が敵に回っては、さしもの容保も誠実さと気合いだけでは太刀打ちできません。

勝海舟にせよ、岩倉にせよ、ひとの動かし上手の人は歴史を動かす人物なのでしょう。そして、動かされ上手と言ってはなんですが聞く耳持った行動派の西郷や大久保利通と、とうとう出会ってしまった。
予告編の小五郎と隆盛の会談シーン、薩長ががん首揃えてまみえる姿は、会津ファンにとっては処刑台に昇る前日に至った境地でした。幕府のため、朝廷のため、尽くせば尽くすほど泥沼に嵌っていく会津・・・なぜ?どうして?といくら分析しても、アンシャン・レジーム(旧体制)は必ずや滅びるのだという歴史の大原則に飲み込まれていったとしか答えが出ない。

会津の突破口を探して―― 光をもとめてやまないのに、光を失っていく覚馬。
けれど、目が見えていたときには見えなかったものが、盲になって見えてくることがある。
それこそが真実の目なのでしょう。
覚馬の真実の目に、そのとき写ったものは何なのか・・・

幕政や藩という小さな枠組みを越えて、象山先生や松陰、塾の門人達と夢見た日本のあるべき姿、
明治維新後 若者達の精神を支えてゆく雛形ともなった「管見」に掲げた理想に、投影されていく気がします。

それは また、今日八重が見た美しい虹のように、七色に輝いて 会津の精神をもう一度照らし出してくれるのでしょうね。


美雨



      八重の桜かると


八重の桜にも影響を及ぼした、アメリカ南北戦争について

1861~1865にかけて、アメリカ合衆国の北部諸州と南部諸州とのあいだに起こった内乱。
商工業を主とする北部諸州が奴隷解放を主張したのに対し、農業を中心とする南部諸州が反駁。リンカーン大統領の当選とともに南部諸州がアメリカ合衆国から離脱、独立を宣言し、南北戦争となった。北軍の勝利によって合衆国の統一が維持され、奴隷解放も達成された。


13040801.jpg


八重の桜第一話の冒頭でも映し出されたアメリカ南北戦争のシーン、今回も出てきましたね。
「八重の桜」での南北戦争のロケ地はラトビアで、スピルバーグ監督の「リンカーン」の撮影に使用した場所らしいですが、本当に、映画を見ているようでした。民放ではここまでのスケールと迫力ハ・・・さすがはNHK!と唸るばかり。
南北戦争といえば、「風と共に去りぬ」を思い出す人も少なくないと思いますが、ちょうどこの時期、アメリカでも国を二分する大きな戦いが繰り広げられていたのですね。
4年間で死者62万人という膨大な死者数を出したメリケンの南北戦争、佐久間象山も引き合いに出しては内乱の愚かさを説いていた内戦です。
 第1話の冒頭で描かれたとき、イントロダクションの南北戦争62万の犠牲の上の和解と米国繁栄の解説から、これから日本で起こる戊辰戦争や西南戦争を経て、日本国やいまある繁栄を顧みさせるオマージュのようにも感じられたのは自分だけでしょうか?



会津の工芸品・絵ロウソク

気付いた方も多いと思いますが、嫁入りのシーンで灯っていたロウソク。また、前回13話の初め、尚之助が佐久間象山先生の死を悼んでいるとき、八重がそっと運んできたロウソク、会津の工芸品の絵蝋燭ではなかったでしょうか。
「華燭の典」の語源ともなった、最高級の絵付けロウソクは、主に冠婚葬祭で使われていたそうですが、象山先生の遺品になってしまった葉巻タバコを見つめて涙する尚之助のために、この特別な絵ロウソクを灯してきた八重の思いやりが偲ばれました。

八重が持ってきた絵ろうそく                          ズーム!


お城のイベントでも使われた    漆の実で作った蜜蝋に美しく絵つけを施した会津ロウソク
会津ろうそく4     会津ろうそく3

会津 絵ロウソクの由来
室町時代に、会津を治めていた領主・芦名盛信公が漆樹(うるし)の栽培を勧め、漆塗りとともにその実から採れる蝋(ろう)でろうそくを作らせたことが始まりといわれています。この伝統は戦国の世の中で絶えることなく続き、江戸時代になると、会津の絵ろうそくは最高級品のろうそくとして参勤交代の度に献上されていました。
特に、「南天と福寿草(難を転じて福となす)」が描かれた絵ろうそくを献上したところ、時の将軍綱吉公に喜ばれ、日本中に広く知られることになったそうです。
毎年2月には、鶴ヶ城や御薬園をはじめ市内各所にて約7,000本のろうそくを灯す「会津絵ろうそくまつり」を開催しているようです(下画像)。会津の人々の心を豊かに暖かく照らし続けた絵ロウソク・・・会津の人々が絵ロウソク寄せる想いは、八重の時代もいまもずっと変わらないのでしょうね。



今日も読んでくれはっておおきに♪
会津戦争後、八重が移り住んだ京の家(現在同志社大 新島会館) 京都の八重たんより
会津戦争後、八重が移り住んだ京の家(現在同志社大 新島会館)にて


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MIUMIU 美雨

Author:MIUMIU 美雨
旅、歴史、長編ドラマ(短編も)のレビューやエッセイを書いています。
文化系の記事が多いですが、歴史ドラマ(大河ドラマ:八重の桜)や、韓ドラレビューも書きます。中でもソン・イルグクさんの作品が大好きです。
更新はマイペースで続けていきますのでどうぞよろしくお願い致します。

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