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ちょっとだけスピリチュアルな世界の旅日記や 文化、歴史のぷち・エッセイを書いています。他にも海外、国内のお気に入りのドラマのあらすじ&感想を勝手気ままに綴っています。

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大河ドラマ 八重の桜 第26話「八重、決戦のとき」

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歴史ドラマ 八重の桜 第26話「八重、決戦のとき」

あの名作が帰ってきた!
平日 朝8:00~午前9:00 深夜1:15~深夜2:15(月~金、毎日放送)
制作年 2013年
制作国・・・日本  ジャンル・・・歴史ドラマ
総話数・・・全50話
出演者・・・綾瀬はるか、西島秀俊、長谷川博己、オダギリジョー、綾野剛、玉山鉄二、市川実日子 ほか

「八重の桜」26話の平均視聴率は14.0%。ついに幕末のジャンヌ・ダルク降臨!愛する故郷、愛する会津は私が守る!ならぬことはならぬものです・・・八重の腕が目を覚ます!共に見守りつつ、八重の桜前線を拡げていきたいですね!

チャンネル銀河・八重の桜HP https://www.ch-ginga.jp/feature/yaenosakura/
八重26表紙
しかし、城もボコボコに敵の大砲を打ち込まれ・・・
八重の桜OP、BGMにドゾhttp://www.youtube.com/watch?v=6tDZC6aTUxA

第26話あらすじ
1868(慶応4)年、8月23日。半鐘が鳴り響く城下を、八重(綾瀬はるか)は、佐久(風吹ジュン)らと急いで城に向かおうとしていた。隣に住む時尾の祖母の手をとり、同じく隣家のユキに声をかけるが、ユキの祖母が年寄りは穀つぶしになるから残ると ごねた為、八重たちに出遅れてしまう。本丸に入った八重の異装は入場した女達から奇異な目で見られるが、そこに照姫が現れ、八重の男装に勇ましい姿だと声をかける。八重が、この装束は弟の形見だと告げると、照姫は以前八重が詠んだ歌を引用し「では弟と共にその鉄砲に会津武士の魂を込めよ」と励まし、八重を勇気づけるのだった。

白虎隊が戻らない滝沢本陣の容保は、敵が迫っている敵を食い止めるため、外堀に陣を移すことを決断。藩士達にねぎらう一方で、弟・定敬には危険な会津を離れるよう言い渡す。そして官兵衛や内蔵助も城外の守備に向かおうとすると、それでは城の守りが手薄になると悟った八重が、自ら鉄砲隊の指揮を執ることを名乗り出る。すぐさま神保内蔵助(津嘉山正種)らに「女の出る幕ではない」といさめられるが、八重は食い下がり、自分は山本覚馬の妹、鉄砲の事なら誰にも負けないし、これは男も女もなく会津すべての戦いだと訴える。
 そんな中、出発が遅れたユキ(剛力彩芽)たちは閉門に間に合わず、敵弾飛び交う城下を逃げ惑っていた。土佐兵に襲われる寸前、道場の師範、黒河内がユキ達を救い、村に逃げるよう叫ぶ。不自由な足を引きずりながら槍で敵を倒す黒河内。一方、頼母(西田敏行)の登城のあと自邸に残った妻・千恵(宮崎美子)たちは自刃の道を選び、壮絶な最期を迎える。この日こうして自決した女性達は200人、その無言の抵抗は壮烈を極め、城を攻める新政府軍の士気を鈍らせた。

一方、八重の父・権八率いる鉄砲隊が守っていた甲賀町口は敵の激しい攻撃を受けていた。家老の土佐は権八に容保を護衛させて閣門の中に入らせる。やがて、共に各門を破られた土佐と内蔵助は、腹を切る覚悟を決める。死ぬ前に、さまざまな思いがひしめくなか、内蔵助は最後は幕府のためでなく、会津のための戦をしたのだから、藩士としてこれほど名誉なことはないと術懐する。それを受けた土佐は、内蔵助の息子・修理も、切腹したときはきっと同じ思いで本望だったのでは、と追慕の念を募らせる。そして若い藩士達に後事を託し、互いの腹に刀を突き立てるのだった。
時同じくして、悌次郎をはじめとした白虎隊の少年達は、飯盛山で城下が火に包まれているのを目の当たりにする。一矢むくいて討死にするか否かで議論になるが、城に戻るのはたやすい事でなく、敵に捕まるのは生き恥をさらすことになり 容保に面目が立たないと、自刃を決意、次々と命を絶つ白虎隊士であった。

その頃、京の養生所では、薩摩藩の獄舎で流行病にかかってしまった瀕死の覚馬が、大垣屋と時栄の手当てを受けていた。うわごとで会津の安否を気遣い八重の名を呼ぶ覚馬を横目に、時栄は、覚馬から託された『管見』を差し出す。覚馬が心血注いで書いたこの建白書が、上層部に無事渡ることを願う時栄に、大垣屋は命に代えても引き受けると誓う。
そして、夢うつつの中 覚馬が一縷の望みを託す八重はといえば、「ならぬことはならぬ」の言葉を胸に、城の土豪でスペンサー銃を撃っていた。怒涛の勢いで北出丸に押し寄せてくる敵の進軍を、正確な射撃で阻止し、老兵と少年兵を指揮しているのは八重だった。見事な指揮を執る八重の働きで、頼母が敵軍の間を縫って無事入城し、八重の弾は薩摩軍隊長・大山弥助(反町隆史)の右脚をも貫く。そして四斤山砲(大砲)を引いてやってきた尚之助と合流、大砲を撃つための城壁に穴を開ける。まるで、鳥羽伏見の戦で覚馬が思いついた戦術そのままに、覚馬と三郎の念が、彼女の細い肩にかかったように・・・。
 この夜、八重は、長い髪を切ろうと決意する。夜襲の兵に志願するためであった。「私は三郎だから、長い髪はもういらない」「髪は女の命・・・こんなに奇麗な髪なのに」親友の時尾は涙をこらえつつ、八重の髪に刀を当てる。

・・・ということで、次回は第27話「包囲網を突破せよ」です。



26話ぷち・ギャラリー

ついに籠城戦に突入した会津
ついに籠城戦に突入・・・!
梶原「城を離れたら、城の中の守りが薄くなりやす!老兵と子供ばかり・・誰が指揮を!?」
わだすが!わだすが鉄砲隊を指揮しやす!
わだすたちの大事なふるさと・・・大事な会津は、この手でまもる!!
男も女もねぇ!これは会津全ての戦いだ!わだすを戦に加えせぇ。会津はこの手で守る!
出陣する八重
八重2609
ズガガガーン 八重の指揮のもと、少年兵たちも立派な働きを
ズガガガーン 八重の指揮のもと、少年兵たちも・・・
命中!
八重2617
ズガァァアーン!!うわおお! 
ズガァァアーン!!うわおお! 腿を打ち砕かれる西軍司令官大山巌
腿を打ち砕かれる西軍司令官大山巌
薩摩の敵将をしとめたぞっ!!
薩摩の敵将をしとめたぞーッ!!
お城は渡せぬ! ならぬことはならぬのです!
八重2618


<妻を見つけた尚之助>

八重さん! やはり、来ましたね・・・?          (ちょっと嬉しそうな夫
やはり、来ましたね・・・?(ちょっと嬉しそうな夫)その恰好は・・三郎さんの?
その恰好は・・三郎さんの?「はい」
城にあった四斤砲を修理しましたが城壁が妨げとなって発射できない・・・外へ出ます
外に大砲持って出たらあぶねえ!いい場所がある!大砲で壁穴をつくんべ!薩摩の大砲隊をぶっとばしてやんべ!!
出門の外に出たら危ねえ!撃ち殺される!! ・・・いい場所が!(城の勝手知ったる八重
ここに大砲で穴を開けんべ!そしたら砲身がおしこめる
城壁が妨げとなって発射できない為、命の危険を顧みず外へ出ようとする尚之助ここに大砲で穴を開けんべ!そしたら砲身がおしこめる
これで薩摩の大砲隊をぶっとばしてやんべ!!
撃てーっ!放射っ!!
一方、尚之助は・・・放射っ!!
ズドドドォーン
会津の大砲、四斤山砲 ズドドドォーン尚之助の指揮する正確な砲車に敵も圧倒され

照姫の言葉が八重の耳に・・・「その鉄砲に、会津武士の魂をこめよ」
八重、走る!


会津びと、それぞれの決断

<容保の決断>

ならぬことはならぬ!わしは城と命運をともにする。そなたは連れて行けぬ、去れ!
八重2601
弟・定敬「兄上!!では、では、援軍を連れて必ず戻って参ります・・・!!」

<西郷家の女たちの決断>

「なよ竹の 風にまかする 身ながらも たわまぬ節は ありとこそきけ」
八重2607
非道な力には、死んでも屈しねえ・・・! 
みな、覚悟はいいか?
八重2608
頼母の妻・千恵の母、娘一族21人覚悟の自決を

<田中土佐、神保内蔵助・・・家老達の決断>

内蔵助「最後は幕府のためでなく会津のための戦をしたのだから、こんな名誉なことはねえ」
死出の別れをつげる家老、土佐
土佐「ああ・・!生まれ変わる時は、また 会津で・・・!」 腹刺し合う二人
八重2616

<飯盛山 白虎隊士たちの決断>

「城が・・城が焼け落ちた!?」 「いや、焼けたのは城下の街だ。城は無事か?」
八重2613
生き恥をさらしては殿に面目が立たぬ、腹を斬んべぇ!
八重2614
白虎隊士として誇りある死を選んだ悌次郎も
八重2615
ううっ・・!!

ギョッ 「こっ・・これは!?」  西郷頼母邸に入った板垣は
八重2611
あ・・なたは み・・かた?それとも敵?「味方だ!」 断末魔の娘 
八重2612
「母・・上は?」「ああ、みな立派なご最期やった・!」 思わずなさけをかけてしまう板垣


<その頃、京の覚馬は・・・>

や、八重・・・会津を・・会津を・・・
八重2619
病にうなされる覚馬
覚馬先生が心血注いで書いたものです (建白書:管見をたくす時栄
八重2620
この大垣屋、命に変えてお引き受けします

<髪を切り、男になる決意を・・・>

時尾「こんなに奇麗な髪を・・・おなごの命なのに」わだすは三郎だから・・長い髪はもういらねえ
八重2621
お城は守る・・・!わだすは・・あきらめねぇ!!




八重の桜、こんなところが好き!感想&雑記

いよいよ前半のクライマックスに突入しましたね!

戦い抜く者、名誉の死を選ぶ者、そして男になる女たち・・・
それぞれ決断を下す時がきたようです。
涙腺が崩壊するほど、涙がこばれてやまない6月の毎・日曜日でしたが、
洋装・断髪姿の八重がスペンサー銃を撃ちまくるシーン、久々に胸が高鳴りました。

戦場に散った弟、三郎の形見の軍服を着てスペンサー銃で次々と敵兵を倒し、仲間に適切な指令を下す八重、兄・覚馬の代わりに砲術師範の娘として面目躍如と大活躍でしたね。
悲壮な姿ではあるけれど、その的確な射撃で城を包囲する西軍に一矢報いる八重に感動を覚える視聴者は少なくなかったと思う。

いわれなき汚名、愛する人の死・・・数々の涙を経て八重の腕が目を醒まし、本領を発揮する悲しい運命のとき・・・
どうみても、勝ち目のない戦なのに、八重は、1パーセントの敗北も疑ってはいない。
「決して負けない・・・!」
負けなくても、勝利などない戦なのに。 
もとい、何が勝利で、何が負けなのかも永遠に見えない戦なのに。

圧倒的な戦力を誇る新政府軍の攻撃に、会津軍は三日で敗れるとみられていました。
しかし、一人のスナイパーがそれを阻んでいる。しかも、これは本当にあった話。
「八重 命を懸けた三十一日間」でも語られた、悲壮なまでに生々しい真実が、いま、これほどのスケールとリアルな臨場感を持って、TV画面から迫ってくる。

信じられない話だけれど、本当に彼女の力で食い止めている。
もちろん彼女は、生き延びようとは思っていない。
死をも恐れない彼女の勇気は、どこからもたらされたのか・・・・

4キロのスペンサー銃を手に、なりふり構わず爆撃の中を駆け抜ける八重。
演出の加藤さんは、そんな八重の立ち居振る舞い、戦い方すべてに“勝負する女性の美しさ”を感じたといいます。
何も怖いものはない――八重そのものの気迫を見せる綾瀬さんは、男女関係なく、見るものを空気みたいにその場に引きずり込む不思議な魔力を持っていますね。

特記すべきは、放送前から注目を集めていた鶴ヶ城攻撃の生々しいシーン。きっと後世まで「映画のよう!」と評価される有名なシーンになりそう。
スペクタクルで、まるで自分が城の中で戦いに参加しているようなヴィヴィッドな映像と臨場感。特に爆破のシーンでは、堀の水や敵の弾が本当に塀に飛んできているかの臨場感には、胸に大砲を撃ち込まれたような衝撃を覚えました。城という限られた空間の中で、八重と敵、2つの勢力の差・・・スケール感だけでなく、繊細微妙なリアル感が伝わってくる、美術チームのセット、小道具の渾身の工夫が偲ばれました。

幼い時から鉄砲に憧れ、ついには銃の鉄人になった八重。
いつか、こんな戦いの日がきて、その腕が生かされるのを予期していたみたいに・・・
こんな運命の皮肉が、世の中にはあるものなのでしょうか。

・・・思い返せば、2013年度の大河ドラマの主人公として八重がノミネートされたとき、「ふくしま応援がテーマなら、無名の『八重』でなく『保科正之』を描くべきだろう?」という数々の不満の声があったにも拘わらず、『八重の桜』を実現、貫徹してくれたNHKに、いまほど感激を覚える事はありません。

将軍の補弼役として最も優れた幕臣であり、藩主としても名君であった保科正之公。
いわば、彼は勝ち組。勿論、立派な人物であったからこそのサクセス・ストーリー。

でも、八重は・・・維新前の会津は負け組。
そんな八重と会津がどうして大河の主人公に?の疑問の答えが、会津が窮地に追い込まれてゆく過程に、見えてきたーーというか、最近これでもかとメッセージを投げてきますね。
3.11の震災で被害を受けた地域と被る、奥羽列藩の友情と絆もそうでした。

何より、皆の知らない話を素材として扱うことが、弱みでもあり、かつ最大の強みにもなったとの制作の言葉通り、いままでの大河ドラマと違って、今回、会津目線、奥羽列藩目線のドラマが出来たことは、非常に意味のあること。
ある東北の小さな国から物語が始まり、それが歴史の渦に巻き込まれ、「新しい日本を作るための正義」を掲げる勢力に、日本が分裂しかねない状態にまで追いこまれる。
変えるための正義もあれば、守るための正義もあるわけで、その正義とのぶつかり合いに敗れ、こんなにも痛ぶられて、いわば、闇に葬り去られた「未知の歴史」が、今まさに既知の歴史に刻まれていくさまを、涙と共感とともに追っていけるドラマなんて、かつてあっただろうか。
 
既知の歴史エピソードをなぞる、人気武将の似たり寄ったりのドラマは、どれも金太郎飴のようで、正直つまらない。だから近年のNHK大河は廃れてしまったんじゃないか、とさえ思う。

もとい、どうして『保科正之』でなく、『八重』だったのか・・・
最近出番の少なくなった覚馬の台詞になかに、その究極の鍵をみつけた気がします。
混乱の中、獄中の覚馬の回想に出てきた松陰の「身一つで立ち上がれ!」。
倒れても、ひとは何度でも 立ち上がれるのだーー時空を超えて響いたメッセージ。

一瞬、七転び八起きする会津のマスコット・小法師は、未来へのそんなメッセージをこめて作られていたのかも?なんて感じてしまった、26話でした。




キャスティング今日のフィーチャー

今日は活躍めざましかったですね!大蔵ブラザー、別名青びょうたんこと、山川健次郎。
将来、会津の正義を世にただし名誉回復をになうキーパーソン、健次郎を演じる勝地涼さん。
勝地涼(かつじりょう)、1986年生まれ。14才のときドラマ「千品、もう一度笑って」でデビュー。ドラマは「ハケンの品格」、NHK大河は「篤姫」にも出演。映画「亡国のイージス」では日本アカデミー賞新人賞受賞。

<山川健次郎・ちょっとネタバレ紹介>

国家老・山川兵衛の孫で、大蔵の弟。八重に鉄砲や砲術を習い、藩校・日新館では学問に励み新しい時代に備えてフランス語も学んだ秀才。白虎隊士となるが、落城後は苦難にあえぐ会津藩の未来を背負って謹慎所をを脱出、秋月の紹介で長州藩士の助力を得てアメリカの名門イエール大学に留学。その後は東京、九州、京都の各帝国大学の総長を歴任、「白虎隊総長」との異名をとった。

山川健次郎1

その山川健次郎に扮する勝地さん、この作品で、会津側からの歴史を見て、世の中には、正義も悪もない、と感じたそうです。ひとつの事柄も、視点を変えれば正義にも悪にもなりうる・・・決めつけてものを見ないてはいけないことを学んだし、世論というものは一瞬で変わってしまう、という恐ろしさも学んだという。
心は既に白虎隊士、そして会津sideの、勝地涼さん、アカデミー賞新人賞受賞者の名に恥じない武士っぷりですね。

参照 山川家の人々http://yonipo.blog13.fc2.com/blog-entry-941.html




美雨のぷち・八重の桜紀行その⑩ 
      ~こころに響く 会津女性たちの歌を訪ねて~


「会津は、罪もないのに罰を受け、無念を飲んで敵に恭順した。それでもまだ足りなくて、敵は会津を滅ぼしに来た・・・・そんな非道な力には、死んでも屈しねえ。このごど、命を捨てても示すのが西郷家の役目だ」

涙なくして見れない、西郷頼母の妻の千恵と一族20人の自刃した女性達。
しかし、そんな非常時にあっても、みやびな心とたおやかさを忘れない、会津女性たちの心意気。

会津の歴史探訪には、こころに響く女性たちの歌が欠かせないと ひとは言います。
140年ほど前、こんな勇敢な女性もののふ達が日本にいたなんて・・・哀しいことだけれど、誇らしくもあり、彼女たちの歌と生きざまは、いまを本気で生きることの大切さを教えてくれます。
そんな会津女性達の辞世の句(短歌)を、いくつかここに紹介したいと思います。


  <会津藩家老、西郷頼母の妻、千重の場合>

家老西郷頼母さんのお屋敷を模したという 会津武家屋敷を訪ねました
会津武家屋敷 名家老西郷頼母さんのお屋敷を模したという(東山のふもとにあります)
東山温泉のふもとにあります   梅と桜が同時に咲く、美しい里でした

会津藩家老・西郷頼母の屋敷跡石碑。頼母は、藩主・容保が京都守護職就任を打診された時、家老の立場でありながら「会津が政争に巻き込まれる」と勇気を以て反対を唱えた人物。しかし、容保への忠誠は変わりなく、会津・戊辰戦争で籠城戦が決定したときは、従容として長男と共に城に入ります。
それを見送った頼母の夫人千重は、藩の足手まといにならないよう、一族女性、娘、老人合わせて21人とともに自害して果てました。

千重の辞世の句
なよ竹の 風にまかする 身ながらも たわまぬ節の ありとこそ聞け


西郷頼母の屋敷を再現した武家屋敷
西郷頼母の屋敷を再現した武家屋敷 隣室に自刃の間がありました(悲しくて載せられない・・・涙)
隣室に自刃の間がありました(悲しくて載せられない・・・涙)

西郷頼母の家屋敷址 じっさいの屋敷跡は、お城北の丸向かい、お堀のすぐ近くにありました
西郷頼母の家屋敷址



  <美人の薙刀師範・中野竹子の場合>

中野竹子 辞世の句
もののふの 猛きこころに比ぶれば 数に入らぬ 我が身なれども


美人戦士と謳われた中野竹子の像。彼女が戦死した戦いを「柳橋(涙橋)の戦い」と呼ぶ。
竹子さん


家老に願い出て、戦列に加わった竹子たちは、娘子軍(じょうしぐん)と呼ばれました。奮戦の末、銃弾に倒れた竹子は 敵の手に渡る前に母と妹の優子に自分自身の首をはねろと言い、涙ながらに指示にしたがった母と妹・優子。享年23歳。墓は坂下町にあるが、市内にはその殉節碑と像がひっそりとたっている。

中野竹子について こちらに詳細を記載
http://yonipo.blog13.fc2.com/blog-entry-981.html



  <スペンサー銃を担いで最前線で戦った八重の場合>

兄と弟の敵を討つために、一人でも多くの敵を倒そうと、城から飛び出て行った八重。彼女が幾度も往復した北出丸や西出丸、歌を刻んだ地を訪ねてきました。

八重が敵の長官を次々と撃ちとり撃退させた北出丸
八重も見たであろう風景 敵将を次々と撃ちとり撃退させた北出丸

「荒城の月」のモデルともなった辞世の歌を、かんざしで城壁に刻んだ落城前夜

籠城戦争で鶴ヶ城に入城後、八重は断髪します。場内で砲撃の指揮を執っただけでなく自ら銃を担いで参戦し、ときには夜襲戦にも参加。その際2発の銃弾を受けたといいます。会津藩は絶体絶命の状態でしたが、絶対屈しない!という意思を示す”あかんべえ”姿の唐人凧を揚げて応戦しました。そして開城前夜、八重は決別の句を雑物庫の白壁に刻みます。

八重25歳の夏
「明日の夜は 何国(いずこ)の誰か 眺むらん 慣れし御城に 残す月影」



見張りをした月見櫓あと。辞世の歌を刻んだ雑物蔵は堀ふたつ挟んで東に(写真左方向)
八重が、辞世の歌を刻んだ城壁のあたり 

2013年再現された千飯櫓と廊下 天守閣から撮影
2013年再現された千飯櫓と廊下 天守閣から撮影 この西の先に八重の住む武家屋敷が
この画像の丁度左先(←)に八重の住む武家屋敷が

天守閣から見た会津磐梯山
天守閣から見た会津磐梯山。150年前、容保の目に写った磐梯山もこんなふうだったのですね
容保や八重の目に写った磐梯山もこんなふうだったのですね

八重の激戦の舞台 

八重がかけのぼった北出丸階段

敵側から見た、鶴ヶ城の北出丸正面 
逆側(西軍側)から臨んだ鶴ヶ城 だが正面には銃を構えた八重たち精鋭部隊が待ち受けていた
八重たちが待ち伏せているとも知らず、城だ!となだれこんだ最初の敵軍にとってここ北出丸が正面だった

城の八重側からみた、北出丸大通り(桜に隠れて、真ん中に大通りが見えますか)
八重たちが待ち伏せているとも知らず、西軍がどっとなだれ込んだ北の丸大通り
銃を構えた八重たち精鋭部隊が待ち受けていた北出丸

この日、鶴ヶ城のボランティアガイドの方に、大変お世話になりました。 
ユニフォーム?な八重ジャケットが素敵でした。^^
鶴ヶ城ボランティアガイドの大場さん、お世話になりました 八重ジャケットが素敵!許可を得てパチリ


戊辰戦争以前そのままに、赤瓦に葺き替えられ、千飯櫓と長廊下も再現された鶴ヶ城。
桜が今を盛りと咲き誇り、往時の栄華をを偲ばせます。
つい140年前 この美しい城が激戦の舞台であったことがまるで嘘のよう。
美しければ美しいほどに切なさと哀しみがこみ上げてきます。

つわものどもが夢のあと
お堀の水だけがすべてを知っていて、ただ静かに桜の花びらをみなもに浮かべていました。



美雨


「八重の桜」各話あらすじ&感想
http://yonipo.blog13.fc2.com/blog-category-81.html



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大河ドラマ 八重の桜 第25回「白虎隊出陣

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大河ドラマ 八重の桜 第25回「白虎隊出陣」

あの名作が帰ってきた!
平日 朝8:00~午前9:00 深夜1:15~深夜2:15(月~金、毎日放送)
制作年 2013年
制作国・・・日本  ジャンル・・・歴史ドラマ
総話数・・・全50話
出演者・・・綾瀬はるか、西島秀俊、長谷川博己、オダギリジョー、綾野剛、玉山鉄二、市川実日子 ほか

 八重の桜25回の視聴率は12.9%。土方に「愚かなほどまっすぐな会津に惚れた」と、残る決意を告げる斉藤。「今日からわだすが三郎だ・・・会津を滅ぼしにくるもんを、わだすは許さねえ!」と八重。そして若き白虎隊に出陣を命じる、容保の苦悩。ついに三郎となった八重に、出陣の日が訪れ・・・

チャンネル銀河・八重の桜HP https://www.ch-ginga.jp/feature/yaenosakura/
カナポリの決断
白虎隊出陣!
八重の桜OP、BGMにドゾ http://www.youtube.com/watch?v=6tDZC6aTUxA


第25話あらすじ
1868(慶応4)年8月、二本松を陥落させた新政府軍はついに会津領内へと陣を進めてきた。陰暦の8月中旬は現在の10月となっており、奥羽には寒さが忍び寄っていたため、寒さに弱い西国兵は使い物にならないと睨んだ佐川官兵衛は、雪まで持ちこたえれば、戦況も有利になると説く。鬼の官兵衛と敵に恐れられている官兵衛を、藩主容保は 日光口で奮戦する山川大蔵と共に家老に昇進させる。そして、万一敵に峠を破られたときの籠城戦の備えと、会津は自分達の手で力ひとつにして守らなければならないと語気を強めるのだった。
しかし、敵もさるもの 板垣退助・大山弥助ら新政府軍もまた、冬が来る前に会津を叩くべく、母成峠から会津に攻め入る策を思い立っていた。
 その頃、竹子(黒木メイサ)は戦に備え、女性たちによる薙刀隊(娘子隊)を編成する。女達から八重にも是非との声がかかるが八重はあっさり断り「いまお城を守れんのは、薙刀でねえ」とつぶやく。

8月21日、新政府軍が母成峠を攻撃、会津の手勢800人に対し猛然と攻め寄せる3000の軍勢の前に会津軍は猪苗代城への撤退を余儀なくされる。その日の早朝、15歳から60歳までの男子は全員城に入るよう家並みのお触れが出、山本家でも権八(松重豊)と尚之助(長谷川博己)の出陣祝いが行われる。そこで八重は父に、鉄砲も大砲も戦法も身に着けている自分を 戦いに連れて行って欲しいと頼み込むが、権八は娘を戦いになど出せぬと一蹴し、「三郎の仇は俺が討つ」と言い残し、去っていく。その権八の胸襟には、幼い八重が描いた鉄砲の絵がしたためられていた。山川家でも、祖父(兵衛)や母の艶ら家族が、健次郎を見送る。
戦況はますます悪化し、猪苗代城も落とされたという知らせを聞いた容保は滝沢本陣で自ら指揮を執る決意を表明。容保を城から送り出す照姫は、時尾はじめ城の女性達に介抱にあたるよう言いつける。会津軍は時間稼ぎの作戦として新政府軍の大砲や大量の武器を搬送させないよう、※母成峠ルートの十六橋を壊すはずであったが、怒涛の進軍を続ける敵に橋を奪われ、窮地に追い込まれる。その先の戸ノ口を奪われては一気に城下に踏み込まれるため、容保は本陣の兵を二手に分ける事を決意、苦渋に満ちた決断を下す。ついに予備隊であったはずの白虎隊士中二番隊に出陣を命じる容保。

八重は砲術を指南した弟のような伊藤悌次郎はじめ白虎隊士たちに最後の助言をして送り出す。隊士達のヤーゲル銃は敵の最新式の銃に遠く及ばない。「敵をよくひきつけてから撃ちなんしょ。まともに撃ちあって命を粗末にしてはなんねえ」と。 まもなく登城の触れがとうとう八重たちにも回ってきて涙ながらに徳三やお吉に別れの挨拶をする家族。「いままでありがとなし」
雷鳴轟く横殴りの雨の中、食料調達に出た隊長とはぐれ、孤立する白虎隊。そして、まだ明けきらない城下に激しい半鐘が響き渡ったころ、登城の支度をし終えた母の前に現れた八重の姿は・・・

・・・ということで、次回は第26話「八重、決戦のとき」です。

※母成峠とは・・・現在の郡山市と猪苗代町にまたがる峠。天然の要害な上、土方歳三の新選組と大鳥圭助が大砲を三段構えで配置していたため西軍も容易には落とせなかったが、村を焼かれて会津軍に恨みを持つ農民の手引きで会津陣の背後を狙う作戦が功を奏し、意表をつかれた会津軍は総崩れになり、ついに兵力に勝る板垣退助らの率いる新政府軍に壊滅的な敗北を喫した。


第25話ぷち・ギャラリー

怒涛の勢いで進軍する薩摩、土佐の新政府軍
強い!ズダダダダーン! 薩摩の最新式の銃を浴びせられ
会津藩は城下に至る道を全て封鎖する作戦を採る容保だが・・・
八重2502

<山本家の出陣式>

会津藩い伝わる出陣祝いだ。「勝って(勝ち栗)、まめで、来る身(胡桃)を待つ」
八重2507
祝いのさかずき
八重2508
ただ黙ってみているなんてできねえ!おとっつぁま・・わだすもお伴させてくなんしょ!
八重2509
ならぬ・・!三郎の仇は、わしが討つ!!
・・・・・・。
・・・・・。 思うことがありそうな尚之助 
思うことがありそうな尚之助


<それぞれの出陣と別れ>

母に和歌の短冊を受ける山川健次郎
八重2506
「天下 とどろく名をばあげずとも 遅れなとりそ もののふの道」

頼母の出陣支度を整える千恵・・・妻との別れ
八重2510

頼母は背炙山に布陣、萱野は大寺に、勘兵衛は強清水に、それぞれ部隊を率いて急行したが・・・
八重2511

斉藤「私は会津に戻りやす!今会津を捨てるのは義にあらず・・・!」土方「惚れた女でも?」
八重2512
ええ、愚かなほどまっすぐな会津という国に・・・!

<白虎隊の出陣命令>
みなのもの、武運を祈る!
武運を祈る・・!!
苦渋の決断を・・・

25話表
八重が銃を教えた伊藤悌次郎も出陣
八重が銃を教えた伊藤悌次郎も出陣
よーぐ引きづげで撃ぢなんしょ!遠間で撃ぢあわず、引きづけでがら!(叫ぶ八重
まともに撃ちあって、無駄に死んではなんねえ!!
悌次郎「こくん」

<ついに破られた十六橋  自ら前線へと向かう容保>
ザッザッザッ
八重2513

<牢獄内 流行り病で瀕死の覚馬>  

や、八重・・・八重・・・     八重に一縷の望みを
八重2504
西郷「死なすには惜しか・・医者にみせい」

<薙刀(娘子)隊を結成した竹子>

「私達が楯となって、照姫さまをお守りしましょう」「八重様がいてくれたらどんなに心強いか」
ナギナタ隊を作ることにした竹子たち「みなで、照姫さまをおまもりしましょう」 わだすは・・わだすはご一緒できねえから」えっ?」
八重「わだす・・わだすはご一緒できねえから」「えっ?」

<登城の日、八重は・・・>

や・・八重・・おまえ、その恰好は・・・?
八重2519

今からわだすが三郎だ・・・
八重2520
会津を滅ぼしに来る者たちをわだすは許さねぇ。わだすは戦う!



八重の桜、こんなところが好き!感想&雑記

「鉄砲を教えたことが、あだになんねえといいが・・・」
八重のいつかの言葉が、不吉にエコーした第25話。

もののふの心は、年長に劣らずとも、おしくらまんじゅうで暖をとるあどけない白虎隊士の笑顔に、胸の痛みを覚えずにいられない。

生きるのも必死。死ぬのも必死。
彼らの生きざまは、いつでも超本気なのですね。
こんな なまくらな現代に、適当に生きている自分の情けなさを感じます。

彼らだけでない、彼女らも。

「私達が楯となって照姫さまをお守りしましょう」
「いざとなったら、一戦交えて・・・」
と、竹子たち。
そして八重の
「会津を滅ぼしに来る者たちを私は許さない。私は戦う!」

会津は男だけでなく、間違いなく女も武士なのだと感じ入る一方、どんな危急にあっても歌の中に思いを綴れる、雅なこころを忘れない 知的で文化的な会津びとを感じさせました。

以前、会津のことを何も知らない京の貴族や長州の過激派が会津を田舎者扱いし嗤ってたことがありました。
しかし、少なくとも、ここに登場する会津の人達は、八重も覚馬も、家族をとりまく人々もみな知的で気高い人ばかりです。
というより、当時から会津は田舎者などでなく、武門の誇りと独自の精神文化をもった、立派な文化国であったことーーそんな国の人たちが京の都に行き戦いに巻き込まれ、ついに賊軍の汚名を着せられてしまう不条理さ。不器用なまでの義理堅さと知性が、悲劇を生んでしまったこと。
資料の野口信一氏も、藩祖保科正之公の徳川幕府への思いが凝縮したような「愚かなほど真っ直ぐな心、さらに頑迷固陋頑固で融通が利かないという精神性」が、裏工作や権謀術数とは無縁な彼らを、官・賊、順逆を逆転させてしまったと指摘していましたね。

不思議と、この「愚かなほどまっすぐな」会津に惚れこむ男も、またいるのですね。
今回の斉藤一の台詞のなかに、視聴者は少なからず共感を覚えたと思います。
もう死んでしまった価値観かもしれないけど、この会津の人々の心こそ日本という国の根であるような気がします。

この愚直さと、時代に逆行する頑迷さゆえに負のスパイラルに嵌っていった会津。
滅びの道を辿るのは必然の理だったのでしょう。

けれど、会津は滅びても、愛は死なない。
戦が命を奪っても、家族がいっとき引き裂かれても、絆までが引き裂かれることはない。

今日、八重ファンの友人から、ラジオでこんな嬉しい予告があったと聞きました。
(※ネタバレ駄目な人、注意)
戦が終わったあと藩士(男)は猪苗代で謹慎を命じられ、その時三郎として参戦していた八重も男として連行されるところを、いざ出発の時、尚之助が「ここに女がいるぞ!」と叫んで、八重を行かせないようにするシーンがあるそうです。史実とは違うかもしれないけれど、八重を危ない目にあわせたくない尚之助の気持ちに涙、涙・・・脚本の山本さんの素敵な機転に、乾杯ですね。

思えば山本むつみさんは、「脚本家が語る八重の桜」のなかで、
”八重と尚之助は互いに尊敬しあう、実に仲睦まじい夫婦であったと思います。ーーーふたりがどんな形で別れを決断したとしても、すべてはお互いを思いやる気持ちからのことです。”
・・・と語っておられましたが、史実とからめつつ、こんな演出をするなんて、八重でなくても涙が出るほど粋ですね。

とりわけ(自分を含め)尚之助&八重カップルを応援しているファンには、会津のはぐくんだ強い絆を信じ、この先どんな結果が待っていようとも、肯定的な気持ちで彼らを見守れることでしょう。




  八重の桜かると 白虎隊の母と息子の歌

今日は母たちの優れた名歌が織り込まれていました。
どちらも、白虎隊士の母の歌ですが、息子を戦場に送り出す母の心情が溢れ出ていましたね。
25話は歌をサブテーマとしていたことから、白虎隊に思いを馳せてみました。
母の血縁の従弟同士、同じ年に生まれ、数奇な運命を辿る白虎隊に入隊し、生き残った山川健次郎と飯沼定吉。八重25話でも、その母たちの歌が取り上げられたのも不思議なシンクロ。

「とどろく名をばあげずとも 遅れなとりそ もののふの道」

白虎隊の隊員となって戦地に赴く健次郎に母・艶が贈ったのは、決して門出を祝う歌とは思えぬ含蓄のある歌。
”名を挙げなくてもいいけれど、命を惜しんで遅れをとってはならない”
戦場で散るのが会津武士として正しいこととしながらも、無事に帰ってきて欲しい、という母の本音を、聡明な健次郎は魂のアンテナで理解していた気がします。
だからこそ生き残って、兄・大蔵に責められても、残されたものの使命をきちんと果たすべく出世して 東大総長にまでなり、会津の正義を世にただした。
同じ白虎隊士でも、死んで会津武士のいさおしを世に残した悌次郎とは違ったやり方でーー
人は 再び立ち上がることが出来る、というメッセージを発信した、もう一つの白虎隊士のありかた。
これも母の無言の祈りだったかもしれない。


飯盛山で自刃したが、一人だけ蘇生し、天寿を全うした飯沼定吉の墓
飯沼定吉の墓


そして、八重紀行で語られた、白虎隊士・飯沼貞吉の母のおくる歌。
「梓弓むかふ矢先はしげくとも ひきなかへしそ武士(もののふ)の道」。

”武士が戦場にのぞんだら、決して逃げ隠れをするでない”
さすがは、玉章(たまずさ)という雅号を持つ歌人だけあって、きりりとした句です。
一見、厳しい武士の心得書のような母の和歌を、定吉は襟に縫い込み、戦ったといいますね。
けれど、引き返すのは武士の恥と言いきかせながらも、じっさい、定吉の母の文子は、飯沼家の若党・藤太に頼んで、貞吉の行方を捜させていたのですね。ようやく親子が再会し、「何とも申し訳のない感じがして、暫く無言で居た」とは語りつつも、その無言のなかには、哀しみ以上に、あふれる情がこみあげていたのは、論を俟たぬこと。
 雨のように弾丸が降り注ぐなかを銃身が触れないほど熱くなるまで応戦し、勇敢に戦った白虎隊。その中で奇跡的に一人蘇生した彼は、飯盛山で自決した白虎隊士達の壮烈な最期を後世に伝える天命を受けたからこそ、唯一人この世に残されたのかもしれない。

八重もそうでしたが、
昭和まで生き、容保公の孫・勢津子姫が皇室に嫁ぐのを見届けた貞吉は
「よろこびをかわすことばにどよむらん いいもり山の苔の下にも」との歌を詠んでいます。
”飯盛山の苔の下にも”・・・喜ばしい筈の祝婚歌でありながら、やはり仲間の死を悼む気持ちが切々と・・・涙なしには読めない句です。
ちなみに、一度死んで、また生きることになった貞吉(維新後、貞雄)は、昭和六年まで生き、七十七歳という長寿を全うします。戒名は、白巖院殿 孤虎貞雄居士。

孤り(ひとり)残った白虎・・・
数奇な生涯を辿った、熾烈な彼の生きざまが いみ名に偲ばれる思いです。


※「白虎隊の悲劇の真相」は、こちらを参照してください
http://yonipo.blog13.fc2.com/blog-entry-989.html



美雨のぷち・八重の桜紀行その⑦
            白虎隊の舞台を訪ねて


※タイムリーなリクエストがあったので載せてみました。

       <鶴ヶ城と飯盛山 つわものどもが夢のあと>

4月末、満開の桜・・・鶴ヶ城が一年で一番美しい日に訪ねることができました
^^今年、鶴ヶ城が一番美しい日に訪れることができました

梅と桜が同時に咲く会津・・・ああ、東北なんだなぁ、と実感
梅と桜が同時に咲く会津・・・ああ、東北なんだなぁと実感。
去年、赤瓦にリニューアル。150年前当時の色そのままにお化粧直しして、再デビュー

<飯盛山で毎年同じ日に行われる白虎隊士の慰霊祭>

どうしても見たかった・・・間に合いました!

白虎隊と同世代の、会津高校剣部会の生徒による白虎隊の舞い 一糸乱れず、見事な舞いでした
白虎隊と同世代の、会津高校剣部会の生徒による白虎隊の舞い 一糸乱れず、見事な舞いでした

主将の謡いに合わせ、みごとな剣舞を披露する、現代の白虎隊士19人
主将の謡いに合わせ、みごとな剣舞を披露する、現代の白虎隊士19人


後ろ中央に見える円柱は85年前ローマ市から寄贈されたもの。白虎隊士の精神に深い感銘を受けたローマ市が、ポンベイの遺跡から出土した宮殿の柱に「白虎隊士の遺烈に敬意を表し、古代ローマの権威を表すファシスタ塔章の鉞(まさかり)を飾り、永遠偉大の証たる先年の古石柱を送る」と刻み、武士道の精神に贈ったもの。
戦前、ヒトラーと共に権力を振ったファシスタ党の権力者ムッソリーニの時代だからこそ出来たことだそう。今ではとんでもない貴重な世界遺産の円柱をよく惜しげもなく・・・すごいことです。これも時代の遺産ですね。
この日は、TV局はじめ沢山の報道陣が撮影にきていました。


鶴ヶ城を目指し、この弁天洞門(戸ノ口堰)をくぐって飯盛山へたどりついた白虎隊士たち
この水洞窟をくぐって飯盛山へたどりついた白虎隊士たち
清冽だがあまりの水の冷たさに、隊士達の労苦と勇気を思います(涙)

中央の墓は、八重の桜でもおなじみ、伊東悌次郎。八重の鉄砲の教え子でもあった
中央の墓は、八重の桜でもおなじみ、伊藤悌次郎。八重の鉄砲の教え子でもあった

<会津のピサ斜塔といわれるさざえ堂>  

この向かいの寺にも白虎隊士達の霊が祀られています

世界に一つしかない構造  江戸時代の建築
会津のピサ斜塔といわれるさざえ堂。入口と出口が違う・・同じところを通らない不思議の構造 必死でささえてる人が・・・(笑)
入口と出口が違う・・同じところを通らない不思議。

白虎隊士二番隊がまつられた堂
白虎隊士二番隊がまつられた堂
365日香の煙が絶えないそうです


「八重の桜」オープニングで映る、会津の五桜のひとつ、名物の石部桜  
会津の五桜のひとつ、名物の石部桜 から飯盛山を臨む 山裾にはさざえ堂が
飯盛山を臨んで 山裾にはさざえ堂が



<白虎隊慰霊フェスタでお知り合いになった猪苗代藩士たち>

慰霊祭は十時半からだったのですが、白虎隊士の登場を待つ間、たまたまお隣でご一緒した会津の人達に、会津の貴重なお話を聞くことが出来ました。歴史に造詣が深く、大変な物知りでいらっしゃり、八重の桜に関する事だけでなく、幕末の歴史を、会津の視点からお話しいただいたのが印象的でした。
また、リアル会津の人でないと知りえない(?笑)、容保公のご子孫の楽しいエピソードなど(^o^)・・・会津のお殿様と藩の人々の温かいふれあいは、いまも時代を越えて生きているのですね。

会津によく来らったなし 猪苗代も是非訪ねてくなんしょ 
猪苗代の名士さんたち
現代の玄武隊士、知的で優しい会津イケメンでした❤(許可を得て撮影・掲載)


お話ししていて、大変知的で、どこかやんごとなき風情を感じていたのですが、郷土史理事や山岳会の会長、野口英世記念館の学芸員の方達でいらっしゃり、観光客が真っ先に訪ねる土津神社(会津公の始祖・保科正之の祀られる神社)でいただく「保科正之公の史跡を訪ねて」というガイドマップを書かれた方々でした。
県の認定するツーリズムガイドでもあられるので、ブログをご覧になっている皆様、ふくしまにお出かけになる際はぜひ、お問い合わせされてはいかがでしょうか。^^
猪苗代名士の方々なのに、飾らない気さくなお人柄に、会津の優しさを感じました。


いただいた言葉
会津藩は婦女子にいたるまで一丸となって武士道・義を
貫いた最後の藩だと思います。

歴史を考える」敗者の風景で
司馬遼太郎氏は「日本の幕府の崩壊期に会津藩という存在がなければ
日本人なんて信用できませんね、会津藩があったればこそ、
われわれ同民族をちょっと信用できる、という感じがあるんです。」と
言っています。 
       猪苗代の偉人を考える会・会長江花さまより



会津には「三度泣き」という言葉があるそうですが、旅のなかでふとその言葉を思い出しました。
最初は 会津の頑固さに泣き、次にその人情の深さに泣き、最後は会津を去り難くて泣く、という言葉です。
芦ノ牧、猪苗代、若松、東山・・・多くの現地の方達とふれあうことが出来、心に沁みる言葉をいただきました。「がんばろう東北、頑張ろう福島」という声はむしろ、応援者の私達に向かって、優しく逞しい福島の方々から「がんばろう日本」と響き返された気がします。

うつくしま、ふくしま。 素晴らしい旅でした。


美雨


26話「八重、決戦のとき」 http://yonipo.blog13.fc2.com/blog-entry-1032.html へ続く

「八重の桜」各話あらすじ&感想
http://yonipo.blog13.fc2.com/blog-category-81.html


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大河ドラマ 八重の桜 第24回「二本松少年隊の悲劇」

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歴史ドラマ 八重の桜 第24回「二本松少年隊の悲劇」

あの名作が帰ってきた!
平日 朝8:00~午前9:00 深夜1:15~深夜2:15(月~金、毎日放送)
制作年 2013年
制作国・・・日本  ジャンル・・・歴史ドラマ
総話数・・・全50話
出演者・・・綾瀬はるか、西島秀俊、長谷川博己、オダギリジョー、綾野剛、玉山鉄二、市川実日子 ほか

第24話(6月16日)の視聴率14.8% 小さな体に大きな銃・・・仲間を、故郷を守るために敵に挑んでいく二本松の少年兵たち。しかし奮闘むなしく二本松は落城。八重のもとに息も絶え絶えに運ばれた少年の、お守りのダルマを見た八重は・・・。

チャンネル銀河・八重の桜HP https://www.ch-ginga.jp/feature/yaenosakura/
なっ・・なんで子供まで!!
八重の桜OP、BGMにドゾ http://www.youtube.com/watch?v=6tDZC6aTUxA


第24話あらすじ
旧幕臣の徹底抗戦派・彰義隊が上野戦争で敗れ、東征軍の狙いはいよいよ会津に絞られる。
その頃会津では、山川健次郎と伊藤悌次郎、高木盛之輔が八重のもとを訪ねていた。悌次郎は年が一つ若かったが、八重(綾瀬はるか)仕込みの鉄砲の腕を見込まれ白虎隊に入隊を許可され、盛之輔は容保(綾野剛)の護衛兵として城に上がることが決まる。学問ばかり特異で青びょうたんとからかわれた健次郎は二人に追いつこうと懸命に尚之助の元で銃、弾薬について学び、次々と妙案をひねりだす。 悌次郎が若殿の共としてこれから向かう福良は以前八重と尚之助が白河を訪ねたとき立ち寄り反射炉や銃の刷新について語った場所だった。あれから一年もたたぬうち白河は東征軍の手に落ち、戦の準備も間に合わないまま戦が始まったことに尚之助は危機感を募らせる。

 会津城下に戦火が迫るなか、京都では覚馬(西島秀俊)が自分にできることはないかと考え、新国家のあるべき姿ともいうべき意見書「管見」を書き始めていた。不穏な世に日本の未来を憂える志士は覚馬だけでなく、越前の松平春嶽もまた万機公論で決められる筈の政策が少数で行われている状況を批判する。その上、春嶽が何度も訴え出ていた討伐取りやめも却下され続けていた。「すべてはご叡慮」とお上をかさにきた岩倉具視に、春嶽は「太政官の中にはかつて御所に発砲した長州人もいる」と木戸孝允に皮肉を込め官軍と賊軍が入れ替わっただけの体制を痛烈に批判するのであった。

その頃白河小峰城では司令官大山巌のもとに板垣が300もの兵を連れて合流、列藩同盟の枝葉を切り取り本丸の会津を落とそうと考えていた。というのも、会津の大蔵が日光口で踏ん張りを見せ、戦巧者の板垣隊を大いに苦しめ、越後口でも官兵衛が連日奮闘していたのだ。
しかし、列藩同盟が何度挑んでも、白河城の奪還は果たせずにいた。鉄砲・大砲の威力の差を目の当たりにした頼母(西田敏行)はこれ以上の戦いは無益と判断し、鶴ヶ城の容保に停戦を協議するよう進言する。棚倉藩も落ち、奥州街道を封じられれば、会津への武器、援軍、兵糧の流れが断たれるのは目に見えていた。しかし他の家老達は今更恭順などと言い出すのは列藩同盟への信義に悖(もと)る、と強く反対する。それならば反射炉を、大砲を、新式銃をと訴え出る頼母を諌める家老達に、ついに頼母は「だからもっと早く京都から引き揚げていれば!」と言ってはならぬ言葉を口にし、白河総督の任を解かれてしまう。このことで頼母は、神保内蔵助はじめ重鎮の家老達とも溝を深めていくことに。
 そこへもって秋田藩が敵軍に降伏したとの知らせが入る。背後の秋田まで敵に回し、白河も奥州街道もますます兵力が手薄になるのは必定、そこに東征軍が北上したら・・・「二本松・・・あの子たちが危ない」鉄砲を教えた二本松の少年たちの身を案じてならない八重。
 その懸念は現実となり、八重がかつて尚之助(長谷川博己)と共に訪ねた二本松領内が、新政府軍によって侵攻されてしまう。八重を慕っていた二本松少年隊も出陣したが、多くの少年兵が新政府軍の激しい銃撃にさらされ、敗走する。深手を負った少年兵たちは八重が救護にあたる会津の日新館へと運ばれる。そのうちの一人、岡山篤二郎が 八重の腕の中で こときれるまぎわに、胸から 親友才次郎の形見を取り出す。それはかつて、銃を撃つ時恐怖で目をつむってしまう才次郎に、願掛けのおまもりとして彼に贈ったダルマの面であった。ダルマを渡すと安心したように息絶えた篤二郎を抱きしめ「こんな子供までが・・」と理不尽な戦いに憤る八重。その目からは涙がとめどなく流れていた。
 
・・・ということで、次回は第25話「白虎隊出陣」です。

管見とは・・・失明した山本覚馬が幽閉中に同牢の弟子・野沢鶏一に口述筆記させた建白書。「ちっぽけな一人の男の狭い見識」と謙称して名付けられた。三権分立および二院政の政治形態や殖産興業の重要性、学校建設の意義、女性教育の必要性、税の平等など、近代日本のあり方を明示したその内容に、西郷隆盛や岩倉具視らも脱帽したという。この「管見」が高く評価され、のちに覚馬は京都府の顧問に招かれた。




第24話ぷち・ギャラリー

<書きあがった、覚馬の建白書「管見」>

何度も書き直してよくやってくれた・・・ありがとなし!ちっぽけなひとりの男のせまい見識だ。
八重2412
だけんじょ、10年後、100年後のために考えに考え抜いた新しい国の見取り図だ。
管見
八重2413
時枝よ、これはにしが預かってくれ!いづか時がきたら然るべき人に渡してくれ、頼んだぞ・・・!
八重2414

<日光口を守る山川大蔵> 

八重2405
大蔵率いる会津兵の堅い守りに、板垣軍も撤退を余儀なくされ・・・
八重2406

<会津の同盟軍として、激戦区大壇口で戦う二本松少年隊を率い銃太郎> 

敵に寝返って生き延びるより、同盟への信義を貫く道を選んだのだ!みんな 誇りを持って戦え!
いいか、みんな!誇りを持って戦え!! 銃太郎自身若いのに・・・
撃戦でマンパワーとして立派に戦う二本松の少年隊
銃撃戦でマンパワーとして立派に戦う二本松の少年隊
ついに少年たちの盾になる隊長・銃太郎
少年たちの盾になる隊長・銃太郎
皆、撤退!逃げろ!会津に向かえ!!
ズギュウゥゥーン!!  打ち抜かれる銃太郎
ズダーン!! 背中を打ち抜かれる銃太郎
・・・!! 先生っ
あっ!!
大山巌の隊に出くわした才次郎は・・・
立派に戦う才次郎
先生の・・・かたき!!

恭順を説く頼母に、内蔵助のツルの一声

内蔵助「頼母殿、にしになにがわかる?。我らは京で、筆舌に尽くしがたい屈辱も味わった・・・」
八重2410
何も知らない にしゃぁ、は出過ぎた口をきくな!
頼母「イーッ!!」
内蔵助「何も知らぬにしゃ、出過ぎた口をきくな!」頼母「イーッ!!」
頼母の白河総督の任を解く!替わって内藤右衛門を新たに白河総督に任ずる!
孝明天皇からいただいた赤い布の陣羽織を来た容保

<的を射た春嶽の痛烈な批判に「ご叡慮」ですりぬける岩倉>

あなた方は踏み出した一歩からすでに歪んでいた・・・誰のための国づくりじゃ!?ダークすぎるぞ!
春嶽「誰のための国づくりじゃ!!」しれっとした岩倉
岩倉 しれっ「すべてはご叡慮・・」

<こんな形で八重と再会する二本松少年隊たち>

・・・!!あ・・あなたたちは  
八重24話表
「先生たち・・みな死んでしまいました」
さ、才次郎ので・・す   
八重2416
八重のあのダルマを震える手で手渡す篤二郎
っし、しっかりしんせい~!! こんなこどもを・・・なんでこどもまで・・・おお!
八重2417
こときれる篤二郎
いつしか燃える目に・・・
八重2418
・・・・・・・ ・・・・・・・!! 




八重の桜、こんなところが好き!感想

「会津討伐は、かつての長州討伐の裏返し。
官軍と賊軍はいつ入れ替わるかわからぬ」

今日は春嶽がいいコト言った!
「ご叡慮」という切り札を持ち出しては政権を私物化していく岩倉と薩長に、正鵠を得た皮肉で切り返す春嶽に、少しだけ胸のすく思い。
京の太政官で春嶽が岩倉・木戸に釘を指した日の前日、江戸は東京と改められていたのですね。一見、泳ぐのが上手そうな春嶽が、新政府の在り方に異議を申立て、内国事務総督の地位を捨てて越前に帰ってしまったとは。慶喜と共に会津を捨て駒にした張本人のように疎まれがちな春嶽も、一廉の人物だったのですね。

しかし、猫も杓子も「新政府」「新政府」と大合唱をする、いまや日本中が勝ち馬乗り心理の小汚さの中、わずか22歳の二本松少年隊隊長の「敵に寝返って生き延びるより、死すとも同盟への信義を貫く道を選んだ!誇りを持って戦え」
の叫びは、なんと熱く胸うつことか。

義をもって倒れるとも、不義をもって生きず・・・容保の信条でもありますが、東北にはまだ本物のもののふの心を持った武士たちが、武士道が、生きていたんだと確かに感じられる回でした。

史実通り、二本松少年隊の健闘ぶりは見事でしたが、大人と少年の差。
戦闘前夜は修学旅行みたいだったというナレーションが、胸に沁みました。
悲劇の少年たちの代名詞のような白虎隊士より、さらに若い武士たちが二本松にも立派に存在していたこと、
彼らの雄姿を目に焼き付けておかなければ。 (涙)

若さと反して白虎隊の気概の高さに感服する土方と斉藤の、会津への心の変化にも注目。
一見おニューっぽい新選組の名が、会津の古い隊名にちなんでいたとは・・・なんか感動です。
じきじきに命名したのは容保だったと記憶していますが、古くは武家伝奏などからの引用もあったかもしれない・・・見識のある殿の人柄が、こうして本物の同志を作り上げていくのですね!いずれにせよ、容保good jobです!

ところで、最近の八重の桜のOST(音楽)、素晴らしいと思いませんか?
尚之助が八重にプロポーズするあたりから、涙腺ウルウル刺激されっぱなしでした。
坂本龍一さんのOPも素晴らしいですが、美雨はむしろ、中島ノブユキさんの「八重の桜」の本質をえぐりだすような、カタルシスを誘う手法に、涙腺を奪われる秘密がある気がしています。

「絵は聴くもの、音楽はみるもの」という言葉がありますが、魂を揺さぶるあのしらべに、究極 画像見ずとも、歴史しらずとも 八重の心情やこれからの展開まで読み取れる、素晴らしい仕上がりとなっていますね。
また、ダークサイド登場の際にも含蓄をこめた不気味なライトモチーフ(BGM)を用いた手法など、 随所に小粋なエスプリが香っています。

その中島さん、なんと、八重の夫となる新島襄の故郷藩である安中・新島学園出身なのですね。クリスチャンかどうかはわかりませんが、教会音楽にも親しんだ 中島さんの曲は「賛美歌のようだ」との定評があります。

そういえば、尚之助のプロポーズシーンや八重の結婚式のシーン、長崎で荒ぶる覚馬を諭す修理の手のシーンなど、各々がどこかフォーレ・レクイエムのサンクトゥスを想わせるような、hollyな感覚・・・教会音楽を彷彿としてなりませんでした。

中島さんは「四つの限られた音を最大限活かして豊潤な響きを生み出す賛美歌は、自分にとってのルーツ。毎朝の礼拝でそれを耳にしていたというのは重要な経験だった」と答えていました。

やはり、心に染み入る中島さんの音楽は、賛美歌がルーツだったんですね。
天使の羽のプリズムのように、こころにすーっと入っていきますから・・・・
あの清らかな虹の和音に、これからも、涙腺を刺激されそうな予感。

涙と言えば、予告編で、ついに八重が三郎の形見の軍服を着て陣に加わる決意をするシーンがちらと映りました。いよいよ、来るべき時が来てしまった・・・この日が来るのを少しでも遅らせてと祈りつつ見守った視聴者は少なくない筈・・・
けれど、それ以上に、父・権八が「ならぬものはならぬ!」と八重を一喝する愛の怒号に不覚にも涙がこぼれました。予告編で泣いてしまうなんて、初めての経験・・・

思えば、今日は父の日でした。
裏磐梯のいわおのように厳しく、表磐梯の猪苗代湖のように深い、父の愛。
それを意識して予告に載せたかどうかはわかりませんが、素敵なシンクロでした。




キャスティング今日のフィーチャー

今日は敵ながらあっぱれな西軍司令官、大山弥助演じる反町隆さんをフォーカスしてみました。
西郷隆盛の従兄弟・大山弥助が率いる新政府軍が、故郷を守ろうと懸命に戦う少年兵たちと対峙します。
先週、武士の風上にもおけないような新政府司令官・世良修蔵があまりにも情けなかった分、
西軍にも、この武将あり!と思える大山弥助のふるまいは、まことに立派で、昔、川中島の合戦で上杉謙信が、敵側の信玄に塩を贈ったという武士道のエピソードがふと脳裏をよぎりました。

反町・大山   反町隆インタビュー
薩摩藩士で、西郷隆盛の従妹。鳥羽伏見の戦いで薩摩砲隊を指揮して戦い、会津戦争では右腿を撃たれ負傷。この狙撃手は八重であったと言われている。後に、会津藩山川家の末娘で大蔵の妹、捨松(幼名咲)と結婚。西郷は色んな意味で手本であり師でもあったが、維新後は決別し、対戦する立場となる。

<インタビュー紹介>

大山を演じる反町さんにとって、今回の二本松少年隊との闘いは、大変印象的なシーンとなったそう。
NHK八重の桜HPからの、とれとれのインタビューです。

「僕ら新政府軍と二本松の少年兵たちが戦うという殺伐とした状況のなか、大山弥助が「早よ家せえ帰いやんせ(早く家に帰りなさい)」と少年たちに声を掛けるんです。
本当に一瞬のシーンではあるのですが、大山を演じる僕としては、そこに彼の"人間らしさ"を感じました。
僕にとっての大山とは古き良き男、美をもって生きる人というイメージがあって、この殺伐としたシーンにもその人柄を垣間見ることができました。
きっと、彼のそういうところを見て、「ついていきたい」と感じた仲間も多いと思うんです。」


敵とはいえ、幼い子どもたちを思いやる"人間らしさ"を忘れない大山弥助。
演じる役によっても、時代やシーンの見方がこんなにも変わってくるのですね!



    美雨のぷち・八重の桜紀行その⑫
           二本松少年隊のふるさとを訪ねて


二本松少年隊の舞台、あだたら山のふもと二本松城を訪ねてきました❤

八重と尚之助が視察の旅で訪れた二本松。
ここでは激しい戦いが繰り広げられ、幼い少年たちも動員されました。
その二本松の戦いに至る原因となった白河口敗戦、二本松落城の道程を少し。


美しい霞ケ城


東北地方の境界で、奥州街道の要衝でもある白河。奥羽列藩同盟により白河城へ進軍した会津兵は、この地を死守する必要がありました。監督として家老の西郷頼母、副総裁として若年寄の横山主税(父と同名)が入城しますが、新政府軍の巧みな戦略と武器の性能の差によって、城は奪われてしまいます。東北諸藩の軍は約100日七回に渡って白河城奪還を試みますが、ことごとく失敗、東京では上野戦争の勝利も相まって、関東から板垣退助率いる土佐兵などが増援されると、棚倉藩や磐城平藩が落ち、三春藩の裏切りから、白河口に多くの兵力を割いていた二本松城が標的とされてしまいます。兵力不足の二本松藩では、老兵はもちろん、13才~17才の少年隊も出陣を願い出ました。

慶応4(1868)年、二本松城の南に位置する二本松・大壇口は小高い丘で、欧州街道を北上してくる新政府軍を食い止める最後の砦でした。白河口の戦いに、兵の配分を多くとられ、空虚同然だった二本松(霞ケ城)は、この緊迫した状況の下、少年たちの出陣嘆願の熱意に、藩主はやむなく出陣の許可を与えます。少年隊士らは合計62名、なかでも木村銃太郎率いる27名の少年隊士が新政府めがけて一斉に砲撃する精度は正確で、一時は新政府の前進を止めるほどでした。
しかし多勢に無勢、ついに7月29日、二本松(霞ケ城)は落城します。


木村銃太郎と出陣していく少年隊士の像


城の二本松少年隊群像は、大義のために戦う隊長及び少年隊士と、右はわが子の出陣服に藩主丹羽氏の家紋・直違紋(すじかいもん)の肩印を、万感迫る思いで縫い付ける母の像をあらわしたもの。
なお、この地は「千人溜め」といい、藩兵が集合する場所であり、少年隊士も、それぞれの配置守備地に出陣したという。


霞池をいろどる藤がきれい!ムラサキと白のコントラストがすてき
霞池をいろどる藤がきれい!ムラサキと白のコントラストがすてき

典型的な山城。お城(本丸跡)までどんだけ~(((+_+))という上り坂。まだ五合目くらいです。でも、数々の池、滝、庭園(特に松!)が美しくて距離を感じない。豊富な水は、安達太良山麓から引水した二合田用水。もともと城防備が目的だったので、幕府へも内密だったそう。


前後しますが、お城に行く前、氏神様の二本松神社にお参り。もともとこの社は城内に祀られていた八幡様と熊野宮を、藩主光重公が合祀したものでした。秋の提灯祭は有名で、日本三大提灯祭りに数えられています。

まずは、氏神さまの二本松神社にお参り。
二本松の神様、ご縁をありがとうございます。どうぞ旅の安全をお守りください。素敵なことがありますように

・・・など、お祈りしつつ城の奥へ進んでいくと、高さ 七合目ほどでしょうか、美しい安達太良山が開けている丘に出ました。少年隊の丘にも近い、西側のあずまやです。

八重と尚之助も眺めた、安達太良(あだたら)山。女性が寝ている姿にも似ていますね
八重と尚之助も眺めた、あだたら山。別名、ちくび山と呼ばれていそうで、女性が寝ている姿にも似ていますね

なんと神々しい眺め・・・それでいて女性らしく優しい。観音伝説があるのもうなずけるなぁ・・・なんて思っていると「女らしい山でしょう。てっぺんが女性のお乳みたいなので、別名ちくび山と言われてるんですよ。その立札があったはずなんだけど、あれ、取り壊したのかな?」なんて声が背後から・・・

二本松郊外の仮設住宅に住む、おじいちゃまと知り合いました
84歳のおじいちゃんと、愛犬シマ14才(人間で言えば80くらい)

なんと、木彫りの布袋様か寿老人のような優しい笑顔のおじいちゃんと、おとなしく賢いわんちゃんが隣に…いつの間に??私の服に、飼い犬(チー助)の匂いがするのか、近寄ってきて、しっぽを振りながら優しく挨拶をしてくれました。「可愛いですね・・なんておりこうさんなんでしょう」そんな会話から、八重の桜を見ているというおじいちゃんともすっかり意気投合。
この日おじいちゃんは、愛犬シマの予防接種にきて、乳首山がもっとも美しく見えるお気に入りのこの場所にやってきたようです。


アルカサバ。おじいちゃんと、シマとのぼった、てっぺんの本丸跡。すごい威容でした。会津領時代もあったようです
アルカサバ。すごい威容でした。会津領時代もあったようです

そそり立つ立派なアルカサバ(城壁)に沿って歩くと、やっと頂上に到着。城主の住んだ、本丸跡、天守閣のあった場所からの眺めはそれは素晴らしく、5月の抜けるような青空がまぶしい・・・すがすがしい新緑、心地よい風・・・
天守閣からの眺めは、四方全てが美しく、天国ってこんなところじゃないかと感動していると、アルカサバ下から、息切れの音・・シマが駆け上ってきて、おじいちゃんの到来を告げました。複雑な狭い山道、私が迷わないよう、おじいちゃん、シマと一緒についてきてくれたのですね(涙)。

市街地の向こうに謡曲でもおなじみ、鬼婆伝説の安達ケ原が広がる
市街地の向こうに謡曲でもおなじみ、鬼婆伝説の安達ケ原が広がる


八重の桜で語られた、安達ケ原や、二本松少年隊の墓を今日じゅうに回りたいと言った私のおしゃべりを覚えていたおじいちゃん、それぞれ遠いし便が悪く、タクシー以外足がないからと、車で案内して下さる、という。ただ、助手席の犬の毛がつくのが、美雨さんに申し訳ないとおっしゃる・・・「犬の毛?もっと毛のモフモフしたチワワ飼ってますから全く気にしませんが、そんなそんな、おじちゃんをアッシー君になど、できません」と遠慮する私を、シマがワオ~ンと引っ張って、駐車場に連れて行ってくれました。(涙)「美雨さんがいやでなけでば」と何度も繰り返すおじいちゃん、明るいうちにと高村千恵子の生家と美術館にも連れてってくださいました。この仙人みたいなおじいちゃんは何者なんだろう?それは、あとでわかることに・・・神様って、本当にいるんだということも。


おじいちゃんとシマの愛車で・・・クイーンシートに乗れなくてシマちゃんごめんね!

わお、ここにも銃太郎君や少年隊士がいっぱい!
このドライブインに車を止めて・・・ わお、ここにも銃太郎君や少年隊士が!
大憐寺前のドライブイン

聞けば、おじいちゃん、もともとは浜通り(福島東)の浪江のかただったのですね。お子さんも独立し、以前から鴨長明のようなわび住まいに憧れていたおじいちゃんは、福島の浪江の山奥の古家屋を買い、わが手で10年かけて修復し、あたりの開墾もし、やっと人並みに住めるように手を入れていったそうです。ボクはトビ職だったんだ。美雨さんは?「あはは、私も飛び職だったの、じゃ、一緒ね、おじいちゃん」なんてわけわかめな笑い話をしながら、大憐寺に到着。しっとりとした木立の合間から、時折まぶしい陽の光が、何かを告げるように差し込むのでした。


二本松少年隊の供養碑がまつられた大憐寺。墓碑には、銃太郎や才次郎の名も。
二本松少年隊の供養碑がまつられた大憐寺。銃太郎や才次郎の名も。山の奥に藩主丹羽氏代々の廟がある
山の奥に藩主丹羽氏代々の廟がある

しかし、神さまの天秤の、なんと不公平なこと・・・
手塩にかけて作ったおじいちゃんの終の棲家(ついのすみか)がやっと落ち着いた年、3.11が起こりました。放射能被害で、強制的に家と犬からひき離されてしまいます。
おじいちゃんは、淡々と話します。
震災直後は、ペットは二の次で、人間のみ救助され、浪江においてきぼりにされたシマが、おじいちゃんは心配で心配でたまらなかったこと、でも、ひと月後に許された一時帰宅でシマが奇跡的に生きていてくれたこと。なんと、玄関にじっと座ったままで、家を守ってくれていたこと・・・。そのあとも幾度かの強制移動のあと、やっと今の二本松の仮設住宅に落ち着いたそうです。「つらい時も、シマがいつもついていてくれたから、生きてこれた」
いつの間にか私の頬に涙がつたって流れ、私は無言になって、ひたすらシマの頭を撫でていました。
3.11は、まだ、終わってはいないのだ・・・週末とはいえ安穏と旅をしている自分がどこか恥ずかしい。


安達ケ原ふるさと村  昔は葦とススキがどこまでも生い茂る、旅人を襲う鬼婆の住む地だった
安達ケ原ふるさと村。昔は葦とススキがどこまでも生い茂る、人食い鬼婆の住む地だった
武家屋敷があり、当時の中流武士の家屋と暮らしを今に伝えています。(なんと無料開放)

安達ケ原の鬼婆の話は、平兼盛の歌、
「みちのくの 安達ケ原の黒塚に 鬼こもれりと 聞くはまことか」 
で有名になり、謡曲『安達ケ原(黒塚)』として広く知られるように。現在、安達ケ原のあった場所はふるさと村や住宅地となって、昔の面影をしのぶことは出来ませんでしたが、うっそうとしげる杉の木立に囲まれた巨岩の岩屋の前に立つと、そこだけがまわりの流れから取り残されたような、どこか不気味な静けさを漂わせていました。


実在した人食い鬼婆いわてを祀る観世寺
実在した人食い鬼婆いわてを祀る観世寺

さて、智恵子博物館のスタッフさんや、団体観光客バスの現地ガイドさんなどとすれ違うたび、帽子を脱いでおじいちゃんに頭をさげるのを不思議に思っていました。おじいちゃんがトイレに行った時、たまたまガイドさんに「お知り合いですか?東京の娘さん?」と話しかけられたので「いいえ」と逆に問い返すと、おじいちゃんは何度も新聞やTVで取材された有名人と知りました。60年ごしのボランティアーで、戦後の焼け野原から始まって、今も施設や小学校の子供達、また老人施設を回っては16mm映画(幻灯機)や紙芝居、手品などの奉仕に、大工の無い日は必ず回ったそうで、震災後の、シマとの再会はフジテレビ系 ザ・ノンフィクション600回記念 「老人と放射能~FUKUSHIMA~」で全国放送されたそうです。
おじいちゃんの、こぼれるような笑顔と、福の神のような優しい表情・・・ふくしまの歩く愛みたいなおじいちゃん・・・二本松神社でお祈りしたことそのままに、生きぼとけに会わせていただいたんですね。これこそ、神のみこころではないのか・・・?
神のみこころと言えば、二本松の駅前商店街で、こんな風景を見ました。


「今年もツバメさんが店内で子育てをしています 店内頭上、ご注意ください」
こころ優しき二本松の人々
写真屋さんの中。
ライトの左横、天井ちかく、巣が↓ 見えますか?     
ライトの左横、天井ちかく
巣の下には、アルバムや、フィルムなどの商品が並んでいます。

「おじいちゃん・・今日一日、大変お世話になりました。お金では買えない、素晴らしい宝物をたくさんいただいた気がします。こんなによくしていただいて、モノやお金でおじいちゃんのお気持ちに報いられるはずもないと判っています。でもせめて、今日のお夕食を、ご馳走させていただけませんか?」そう頼む私に、おじいちゃんは、にっこりと笑いました。
「では、お寿司でも、中華でも、おじいちゃんの好きなものを食べにいきましょう!私もお腹が空いてきました。」

そして、おじいちゃんが車で向かった先は・・・


お別れのまえ食べた夕食 お寿司屋さんでもよかったのに、遠慮するおじいちゃん(涙)

ら・・ラーメン屋さんでした

握りずしとか、郷土料理とか、ゆったりした場所で、と何度も言ったのに、おじいちゃん、私の帰りの電車時刻を気にして早めに食べれるところにしたようです。「散財させてすまないね、美雨さん。ご馳走様。僕もすごく嬉しかったよ」また溢れ出そうな涙をぐっとこらえ、おじいちゃんと住所交換(メアド交換でなく、住所交換)。おじいちゃんはメールやパソコンが出来ません。でも、これで立派に文通が出来ます。いまどき手書きのお文など貴重。なんか嬉しい。達筆なおじいちゃんの手蹟から、おじいちゃんの内面や生き様がわかるようです。

ちょっとラーメンがのびてしまいました。残ったチャーシューはシマのために、ナフキンにくるんでご褒美に。


ズーム!母さんツバメ帰宅
ズーム!母さんツバメがご飯を持ってきたところをパチリ
ヒナにご飯を持ってきたところをパチリ

私が気遣わないよう、車に帰るふりをしながら、電車が走りだしたあとも、向こう側のホーム改札から、ずっとずっと手を振ってくれたおじいちゃん・・・
でもここで私は泣けない・・・おじいちゃんの前では泣いてはいけない・・・なぜだか、わからないけど。

命ある限り、ふくしまに尽くし、ふくしまで骨をうずめたい、と語る、84歳現役ボランティアーのおじいちゃん。
軒下でなく店内に作ってしまった巣を許してあげる写真屋の店主さん。

二本松のつよさ、ゆたかさ、おおらかさ。
またひとつ、「うつくしま、ふくしま」に出会った、二本松の旅でした。



美雨


おじいちゃんから届いた本とおてまみ
おじいちゃんから届いた本とおてまみ


「八重の桜」各話あらすじ&感想
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大河ドラマ 八重の桜 第23回「会津を救え」

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歴史ドラマ 八重の桜 第23回「会津を救え」

あの名作が帰ってきた!
平日 朝8:00~午前9:00 深夜1:15~深夜2:15(月~金、毎日放送)
制作年 2013年
制作国・・・日本  ジャンル・・・歴史ドラマ
総話数・・・全50話
出演者・・・綾瀬はるか、西島秀俊、長谷川博己、オダギリジョー、綾野剛、玉山鉄二、市川実日子 ほか

視聴率15.0%、前回より1.7%UP!ついにやってきた地獄の使者。顔面凶器のように横暴で下劣な奥羽鎮撫(ちんぶ)使参謀・世良修蔵に屈さず、会津救済のため、奥羽の名誉のため、東北が力を合わせて動き出す・・・!

チャンネル銀河・八重の桜HP https://www.ch-ginga.jp/feature/yaenosakura/
八重23話
八重の桜OP、BGMにドゾ http://www.youtube.com/watch?v=6tDZC6aTUxA


第23話あらすじ

1868(慶応4)年3月、会津討伐に乗り出した新政府軍が仙台に到着。公家の九条道孝が率いる奥羽鎮撫総督宿舎は桜が満開となっていたが、それを見た参謀の世良修蔵と大山格之助は、何もかも遅れた土地だとせせら笑い、伊達家に会津討伐を任せると言い放つ。「奥羽の賊徒は奥羽に討たせる。」それが大総督府の考えだと不敵な笑みをもらしながら世良は、こんな僻遠の国主は手柄でも立てんと朝臣の列にも加われんぞと侮辱を重ねる。この奥羽鎮撫使一行こそ、東北一円を戦乱に巻き込んだ地獄の使者であった。

一方、三郎の戦死と覚馬の消息不明の報を受けて沈みきっていた山本家の嫁・うらを励ますために八重は、薙刀の稽古に彼女をつれていく。道場には、鳥羽伏見の敗戦の責任を被り腹切った神保修理の妻・雪もきて「何もせずにいては、修理に申し訳ない」と健気な覚悟をみせ、竹子も会津のために共に腕を磨こう、と雪に対戦を申し込む。雪の懸命な姿に心動かされたうらは薙刀の稽古をしてみようと発起し、八重もまた覚馬が生きていると一縷の希望を見出し、薙刀の稽古にいそしむ。
 その頃江戸・上野寛永寺では、新政府軍に全面降伏し今日付で江戸城を明け渡すことになった慶喜が、勝海舟にボヤキを漏らしていた。「果たして自分には会津のように君臣一体となる家臣がいただろうか」と。慶喜は、海舟をはじめ多くの幕臣が仕えてきたのは、徳川幕府に対してであって 自分ではない、と うつろな目をして立ち去るのであった。
 同じ頃、会津に奥羽からの使者がひそかに訪れる。仙台藩と米沢藩の家老であった。会津討伐を言いつかったものの、会津との戦いを避けたかった彼らは、恭順の証として鳥羽伏見の戦の首謀者の首を三つほど差し出せないか提案するが、それを聞いた梶原は、非がない会津が討伐の対象となったならば、全藩あげて死をもって国を守るのみ、と脇指しを抜き腹を差し出す。梶原の気迫に圧倒された仙台、米沢の家老達は 両藩の呼びかけで東北諸藩が結託し、嘆願すれば、総督府の妥協もあり得るのではないかと思いつく。そうして、会津救済のために奥羽諸藩に通達し、4月4日に白石に結集することを誓う。今こそ、奥羽諸藩の力が試される時だ、と。
八重は、会ったことも無い他藩の人びとが会津のために動いてくれたことに感謝する。会津への加勢に来た米沢藩士に新式銃のてほどきをする山本家の角場は久しぶりに活気づき、八重はありし日の覚馬の姿を思い浮かべ喜ぶのであった。
その覚馬は、京の薩摩藩邸の牢にいまだ捕らわれていた。目は見えず、足を患い立つこともままならない覚馬は悪夢にうなされながら、会津は、そして自分はどこで間違った道へ進んでしまったのか自身に問いかける。ふとその時 一瞬光が差し込み、かつての象山塾の学友寅二郎(松陰)の「身一つで立ち上がれ!」という声を聴く。打たれたように我に返った覚馬は、自分にもまだ出来ることがあると片隅の文机に向かって這っていく。

ついに、奥羽25藩の署名をしるした嘆願書をもって、仙台の伊達家藩主と米沢の上杉藩主を筆頭に、奥羽諸藩が和議に向かって総督府に掛け合う日がやってきた。だが無残にも嘆願書は総督参謀の世良に握りつぶされ、あまつさえ「こんなものを持ってくる暇があるなら容保の首を持ってこい」とまくし立てる始末。あまりに下劣で傍若無人な世良の振る舞いに伊達も上杉も我慢の限界であったが、世良が都の総督府に宛てた密書の中身を知り総毛立つ。そこには「奥羽をみな敵と見て討つべし」と書かれていたのだ。奥羽鎮撫使とは名ばかりで、実態は全くの奥羽討伐軍にほかならないと知った東北藩士達は、その日の深夜、世良を殺してしまう。しかしこの暗殺が運命の歯車を回してしまう。
会津救済の一縷の望みも断ち切られ、新政府軍と会津・奥羽軍との間で戦いの火蓋が切られる。そしてついに、奥羽越後合わせて31藩からなる※奥羽越後列藩同盟が成立、それはもはや会津救済嘆願の連携でなく、軍事同盟へと姿を変えたのだった。

・・・ということで、次回は第24話「二本松少年隊の悲劇」です。




第23話ぷち・ギャラリー
<黒河内道場>

夫の死後、髪を切りやってきた雪
八重2305a
師匠「まだ喪が明げておらぬだろう」「何もせずにいては旦那さまに申し訳なくて・・・」わかった!
姉さま・・わだすは信じてる・・!  希望を失わない八重
八重2306
あんつぁまはきっと生ぎてる。いづか、また会えっから 「はい」

<最後の将軍、江戸城あけわたしの朝>

のう、勝・・・ワシには家臣がいたのだろうか・・・?会津のように君臣一体となる家臣が
八重2307
ここまで地に堕ちては もうヤルヤル詐欺もできない慶喜

斉藤一と時尾の出会い

新選組総長近藤勇を弔う斉藤と、八重の弟三郎の冥福を祈る時尾
八重23話1

<やってきた地獄の使者 奥州鎮撫使・世良修蔵>

フン、今頃満開か!なんもかんも遅れた土地よのぉ~。
八重2304
仙台中将、早う会津を討ちとれい!僻遠の地の国司など手柄でも立てにゃ、朝臣の列には加われんぞ
歌でも詠むか・・・  「陸奥に桜狩りして思うかな 花散らぬ間に いくさせばやと」 
八重2303
良い歌じゃろ~    (う・・知性・品性のカケラも

<奥羽列藩の友情で会津救済に向け、署名をつのり、嘆願書を提出する方向に>

総督府の意のままになっては奥羽の地が踏みにじられまする!
八重2308
これは会津一国のことだけではございません。
加勢に来てくれた米沢藩士に新式銃の手ほどきをする八重
八重2310
「まさかこないに美しい奥方から教えを受けっとは・・・」カァーッ

<しかし、嘆願書は無残にも・・・>

グシャリ やいっ!こげなもの持ってきよるヒマに賊徒の首を取って来んかーッ!!
八重2311
この女もろた~! ガハハハハ
八重2312 
お前らもなんかやってみぃ! 芸のない奴らめ・・・
主君が主君なら、家臣も家臣、そろいもそろって何の役にも立たんなァ
八重2314
・・・・
こいつの持つ密書、「奥羽をみな敵と見て討つべし」とあるぞ
八重2315
成り上がりの下郎・・・、もはや許せぬ! やるか?
ダダダーッ  「なんじゃ、お前ら~」
八重2316a
ついに取り巻かれる世良

この日、ついに運命の輪がまわってしまった

もはや、戦は避けられぬ
八重2318

当初通り、白河口は頼母が、日光口は大蔵が、越後口は佐川官兵衛が死守することに
八重2301

<最大の難所、白河口を守ることになったが、苦戦を強いられる頼母>

われらの銃は、弾が敵に届がないだと?
八重2319
おめらは城下にもどって城を守れ、俺はここで巻き返す
しかし、ついに新政府軍の手に落ちた白河城
八重2319a
奥羽越列藩同盟の旗  五稜郭CI
八重2320
31藩からなる奥羽越列藩同盟が成立

<その頃、京の薩摩藩邸牢獄に捕らわれていた覚馬は>

まだある、オレにてきるごとがまだひどつだけ・・・
八重2322

<戦場から次々と運ばれてくる負傷兵の看護を手伝う八重>

すまねぇな・・・ああ、優しい手だ
八重2324
医師春英「今夜はもう遅い。八重さん達は帰りなさい」「いいえ、もちっと。出来ることを、もう少し」




 八重の桜、こんなところが好き!感想&雑記

今回は世に名高い関宿会談。

「戦はさけるべきにございまする。なれど、総督府の意のままになっては、奥羽の地は踏みにじられまする。これは決して、会津一国のことではござりませぬ!」

尚之助の、簡潔で的を得たこの言葉、軽いのに重い。
飄々とした風のような尚之助が、場の空気を変える力をもっているとは。

仙台藩家老たちとの対話は決着がつき、列藩同盟が成立しました。
ある資料だと副総督だったか、二番目の位置に容保の名が記されていました。会津藩は、家老クラスを二人失います。そのうちの一人、横山主税(京都詰めの横山の養子ですね)も戦死。

しかし、東北にやってきた「地獄の使者」って、よく言ったものですね。

「みちのくに桜狩りして思うかな 花散らぬまに いくさせばやと」

絶句。
いろんな意味で、生涯二度と忘れえぬ歌となりました。
エピソードでは、桜の枝を横暴にボキリと折って歌を詠んだらしいですが、
世良修蔵さん、さもありなんと笑ってしまいました。

日本には「桜折る馬鹿、梅折らぬ馬鹿」という格言があるけれど、
やはり折ってしまったのですね、桜を。
折るべきものを折らず、折ってはいけないものを折る世良修蔵。
ものの本質が、まるでわかっていない。
それは攻めるべき相手と攻めてはいけない相手にも言えること。
折る相手を間違えて、ついに自分が折られてしまった。

たぐいまれなルックスも相まって、あまりに強烈な残像となりましたが、
世良演じる小沢仁志さん、顔だけでなく感性がまたすごい。
まるで、世良修蔵が憑依したかの如く、撮影前 「世良はもしかしたらこの革命がなし崩しに終わらないようにあえて横暴なふるまいをしたのかもしれない」など、閃いた情景を次々 演出(加藤)チーフに提案したという。 素晴らしい。

というか、顔面凶器と謳われたあのかんばせで言われたら、無碍に断れないでしょうね、加藤チーフの対話を想像するだけで、世良の猛烈シーンより可笑しいかも・・・(爆)
ちゃらけた造作顔ばかりのわが国のタレント界に、まだあのような役者さんがいるのは、実に頼もしいことです。

しかし、慶喜は水戸で謹慎で済んでいるのに、徳川の名で行動した容保を斬首するという処分、新政府勢力の内部にも、強硬派と穏健派がいるのが窺い知れます。
時代が変わる時の負のエネルギーみたいな物を一身にしょわされてしまった会津・・・理不尽すぎます。
融通のきかない世良のような人物を最前線の交渉の任に当たらせたという新政府の狙いはどこにあるのか・・・あるいは・・・考えられますね。世良も捨て駒だったのかもしれません。
ここまで苛烈に容保の首を要求する世良に、長州の私怨による戦いを察し、そんな不条理に加担せじと、奥羽武士の義憤が噴き出した瞬間は、世界が何時にも増して美しかった。

そしてついに奥羽越列藩の同盟へと流れが向きます。
それは、今回の東北の津波被害や放射能の被害を受けた各県とも重なりますね。
東北魂が読み解ける回となりました。
八重や覚馬の感じた無力感と、私自身が東日本大震災で感じた無力感とが重なり、
NHKの狙いに見事にはまってしまいますね。
でも、それは美しい狙いでもある。時代劇でそんなふうに思えたのは初めて。

しかし、河合継之助の加勢は助かりますが、それも追いつかない位、銃が古過ぎ…
銃の替わりにほら貝を吹いてきた山形藩士の家系の話・・・”古風ですね”と言い換えた尚之助、エンジニアとしてのこれからの苦労が偲ばれるところです。

そして、会津の女性達。

未亡人の切り下げ髪で道場にやってきて、何もせずにいては旦那様に申しわけない、と稽古を願い出る雪さんの姿に、思わず涙したのは八重だけではなかった筈。
悲しみを超えて生きようとする彼女の横顔は、なんと輝いていたことか。

それ以上に、ひとは、どんなときも自分を見失ったままではいけないこと、
絶望に、こころを譲り渡してはならないこと・・・
悲しみに心が呑みこまれてしまえば、人は闇の中で生きるしかありません。
いま精いっぱい自分が出来ることをして、自分の足で立って生きていくしかないのだと、八重も うらも、雪の凛としたすがたから 察した気がします。

そしてラストの「これも戦だ」という八重のセリフは重みを感じますね。
この時代では、治療場はまるで地獄絵巻だったことでしょう・・・
八重はこの時点ですでに「ナイチンゲール」だったのですね。

故郷を守るため力を尽くしていく会津。弟の思いを胸に前へと進んでいく八重。
そして、時代を変えようと動き出した新政府軍。
さまざまな視点から物語を見てみると、
より深く「八重の桜」を楽しむことができますね。




 八重の桜かると 山川大蔵と日光口の戦いについて

前々回記した会津の若手4逸材の中でも、もっとも華々しい生き方をしたであろう山川大蔵。会津の武士道を貫きつつ生き残り、戦後の会津藩士たちをまとめ、明治陸軍でも活躍した人物。ついに西南戦争で会津同胞の無念を晴らし、名誉回復を果たした、会津のエースと言えますね!残された者の使命をしっかりと果たす人材を、天は敗者側にもきちんと配分してくれていた・・・そんな法則を見た気がします。
山川ファミリーや大蔵については過去レビューでも何度か書いてきましたが、今回の日光口の戦いと”伝説”彼岸獅子を舞いながら鶴ヶ城入城について、解説・雑記など載せてみます。


ロシア留学後、フランス式の軍服で西洋調練を。 春が来たことを告げる 会津の風物詩、彼岸獅子
玉鉄大蔵 会津彼岸獅子1
                       

鳥羽伏見の戦いで手腕を発揮した大蔵を、なぜ日光口などに配置したのか判らない、という評価があります。
日光口でも大蔵は土佐藩の谷干城が率いる部隊を相手に巧妙に戦い、結果的に新政府軍は会津西街道(日光口)から会津に突入することは出来なかったほど、勲功をあげています。
猛将の佐川官兵衛を会津藩の沢山の飛地があり戦略的に重要な越後に配置したのは判る。けれど、大蔵が日光口だったことは手落ちだという。

当時の西郷頼母家老ファン(←美雨も含め)には少々辛口の批判が。
というのも、白河口の総督に 実戦経験のない西郷頼母を任命したため、適切な指揮が下されず大事な緒戦を失う結果となってしまったという。700余名の新政府軍に対し、同盟軍は約2500の内の700名を失った。小千谷の慈眼寺での会談の前日にあたる5月1日の白河での敗戦は、仙台藩離脱の遠因にも繋がってしまいました。
歴史に”もしも”は禁句ですが、大蔵に白河口を指揮させたらどうなったのか・・・勝てなくても、せめて負けはしなかったのではないか、と。
その結果、奥羽越列藩同盟がより強固となり、榎本海軍の動きも合わせ、新政府と同盟軍は少なくとも引き分けることになったのではないか。そういえば戦の実地体験を知らない頼母さま、予告編でも稚拙なことを口走って、ヒンシュクを買っていましたね。


      山川大蔵    大蔵(山川浩)の著した京都守護職始末
明治になり弟の健次郎と会津の名誉回復運動を展開、「京都守護職職始末」を執筆。
山川家の人についてhttp://yonipo.blog13.fc2.com/blog-entry-941.html
フランス式調練についてhttp://yonipo.blog13.fc2.com/blog-entry-981.html


 もっと辛口に言えば、西郷頼母の一族は、頼母の母、妻、子供など家族と親戚21人が邸内で自決する中で、頼母は明治36年74歳まで生き抜きます。藩主松平容保には潔い自刃を勧めながら、自らはどこまでも生き抜こうとした・・・
でも実際は、残された人たちの背負ったもののほうがずっと大変なのは、言うまでもありません。

さて、話戻りますが 山川浩の著した「京都守護職始末」で、孝明天皇が松平容保に与えたご震かんが明らかとなり、原稿の段階で明治政府は発行を見送らせたというから、なんとも情けない。「京都守護職始末」が世に出たのは没後13年経過した明治44年のことで、故人の意思を継いだ弟の健次郎が発行したのです。
この本は幕末の会津藩が辿った正義の道を後世に伝えてくれています。



※ドラマも前半佳境に入り、暗く重たくなりがちなので、今回のみ ちょっと容保のトノに
POPにはじけていただきました。^^




       <容保の熱き一日編>

ご家老!殿が・・殿がおりませぬ!
ご家老!殿が・・殿がおりませぬ!ご辰韓を持ってどこへ?さては、またあの町娘と赤茄子うどんを食べに出たやもしれぬ!
殿の大切なご宸翰と赤い陣羽織も無い・・・20:45分までは確かに城においでだったのに何処へ!?

そのころ容保は・・・

21時になると松平カナポリに変身していた容保
9時から松平カナポリに変身してしまう容保
ツルツルッ
ワシと飛ぶのが怖いか? 集中するのは、ロック・オンの瞬間の2秒じゃ
タバスコが甘さを中和するのじゃ
しかし美味いのう・・・ワシは甘めが好きじゃ

さては・・・又あの町娘と赤茄子うどんを食べに 出ていったやもしれぬ!
慌てる土佐
ご家老、殿は海陽丸には乗ってないようです! 「では なにで でがげだど」
カナポリさん、ど・・どこへ飛ぶの? 「案ずるな・・あと2分じゃ」(輸送機C1で出た二人
カナポリさん、ど・・どこへ飛ぶの?「案ずるな・・よく聞くがよい」
そちの父上ゆかりの場所でもあろう・・・上空から しかと見るがよい
湖の周りに 田んぼが ばぁーっと広がって・・・近くに 磐梯山・・・!
あと2分じゃ。湖の周りには稲穂が・・・後ろには磐梯山
娘をくどきつつ しっかり会津をアピールするカナポリ
そちの父上ゆかりの、磐梯山が見守る、会津じゃ!会津・猪苗代の上空(しっかり会津をアピールするカナポリ)
美しい猪苗代湖
案内(あない)も、そこそこですまぬな・・・音速で帰らんと家臣たちが騒ぐゆえな
案内もそこそこですまぬな・・・音速で帰らんと家臣たちが騒ぐのじゃ
時間が迫ってきたカナポリ
あっ・・でも、2秒待ってほしい   みやげが欲しい
あっ・・でも、2秒待ってほしい 
頼みいる!!  
頼みいる!!
CHU-☆彡       「・・・・!!」
ちょっとパワハラなカタポリであったが・・・
これが何よりのおみやげであった
カナポリさん、それより急がないと・・!戦雲が迫ってるんでしょ?
カナポリさん、急いで!
ああ、でもあるが・・・2秒は短いのうっ



その後、マッハ2,5のスピードで 帰ってきたカナポリタンであったが・・・



何ごとじゃ!?みな、騒がしいぞ! 一同「ははーっ」         just in time for 軍議♫
帰ってきたカナポリタン just in time♪ 何ごとじゃ!?みな、騒がしいぞ! ハハーッ
これにて一見落着

・・・では決してなさそうな、どちらの時代も波乱ぶくみの次回に、つづく☆彡



「八重の桜」各話あらすじ&感想
http://yonipo.blog13.fc2.com/blog-category-81.html




❤今日もありがとう❤
今日もありがとう 天鏡台
山桜と磐梯 天鏡台にて



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大河ドラマ 八重の桜 第22回「弟のかたき」

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歴史ドラマ 八重の桜 第22回「弟のかたき」

あの名作が帰ってきた!
平日 朝8:00~午前9:00 深夜1:15~深夜2:15(月~金、毎日放送)
制作年 2013年
制作国・・・日本  ジャンル・・・歴史ドラマ
総話数・・・全50話
出演者・・・綾瀬はるか、西島秀俊、長谷川博己、オダギリジョー、綾野剛、玉山鉄二、市川実日子 ほか

慶喜公のお命だけは奪いもはん・・さて、そげんなれば振り上げた拳をば、どげ下すかじゃな・・・西郷の笑みが意味する、次なる矛先は!?

チャンネル銀河・八重の桜HP https://www.ch-ginga.jp/feature/yaenosakura/
八重22話表紙
八重の桜OP、BGMにドゾ http://www.youtube.com/watch?v=6tDZC6aTUxA


第22話あらすじ
1868(慶応4)年、新政権に降伏した徳川慶喜は、会津を江戸から追い払った。同年2月、わずかな供回りだけで国許に戻ることになった容保は、家臣たちに江戸引き上げのことを託すと、皆を置いて大阪を出たことを詫びる。
ほどなくして藩士たちも江戸から会津に戻って行く。八重とうらは覚馬と三郎の帰りを待ちわびていたが、戻ってきたのは尚之助だけであった。尚之助は、家老頼母の指示を受け、最新の戦術を学ぶため江戸に遣わされていたのだった。山本家に戻った尚之助は家族の前で三郎の遺品を広げて話し出す。三郎は鳥羽伏見の初陣で勇敢に戦い命を落としたこと、覚馬は御所の戦で目を患い参戦していなかったが、開戦の日、薩摩兵に捕えられ四条河原で処刑されたこと。そんなのは嘘だ、三郎とは人違いだと言い張っていた八重も、縫い付けてやったお守り代わりの南天刺繍をみとめ愕然とする。激しく動揺する八重を父・権八は一喝し 三郎も覚馬も山本家の男として恥ずるところはない、と言い、二人の最期を確認した尚之助に頭を下げ礼を言うのだった。うらが台所に駆けこんで母と泣く一方で、八重は泣いているときではないと自身に言い聞かせ、三郎の仇を討つために尚之助に洋式調練を教えて欲しいと願い出る。
 
朝廷の錦旗を掲げる新政府軍に いっせいに恭順を示した西国諸藩と違って、関東は依然徳川方の巣窟のままだったことから、新政府軍は早々に江戸城を落とし、幕府の残党狩りに出ようとしていた。その場で甲州攻めを言いつけられた乾退助は、岩倉具視のすすめで 敵を平定する策として、先祖の板垣駿河守にあやかり、以降 板垣姓を名乗ることになる。
同じころ覚馬は、同じく薩摩藩士に捕らえられた弟子の野沢と獄中にいた。大垣屋と共に覚馬を訪ねた時栄は、腰を打たれ足も動かなくなった覚馬に茫然となる。視力を失いながらも、それでも魂の叫びのように何度も会津救済を願い出る覚馬。その覚馬の執念ともいうべき嘆願書は、いずれ西郷の目の届くところとなる。※万国公法についての言及が、目にとまったからだ。

会津に戦雲が迫る中、鶴ヶ城では、恭順派の頼母と抗戦派の佐川が、容保の前で激論を繰り広げていたが、鳥羽伏見の戦で負け戦の責めを一身に背負わされて自刃した神保修理の父・内蔵助が、いわれなき朝敵の汚名を被ったまま恭順しては武士の一分、会津の面目が立たないと言上し、容保の気持ちを固めさせる。修理を死なせてしまったことを悔い、容保は養子喜徳に家督を譲り、御薬園で自身を責めながら蟄居のような暮らしをしていた。今では、修理に敗戦の非は無かったことは誰もが知っている。朝廷を重んじ恭順を貫くことを決定し、容保は、それでもなお攻められたときは全藩挙げて戦うことを表明する。
その後会津は天明以来の長沼流軍学を捨て、尚之助や大蔵の指揮のもと、フランス式の軍学、体練にいそしむことになる。部隊は年齢別に「玄武隊(老人)」「青龍隊(中年)」「朱雀隊(青年)」「白虎隊(17才以下少年)」に分けられ、砲兵隊、遊撃隊を加えて3000人の正規軍が結成された。
一方、京では左大臣・九条道孝を総督に据え、奥羽鎮撫使が出陣しようとしていた。九条は錦旗を背にしょっただけのいわば傀儡であったが、薩摩、長州にとっては新政府の威信を示し何としてでも会津を討つための、必要不可欠の旗印であった。奥羽鎮撫使とは名ばかりで、実態は全くの討伐軍にほかならない。
 軍制改革が始まると、白虎隊士の伊藤悌次郎や山川健次郎、時尾の弟・盛之助などが熱心に銃の訓練に八重のもとに通い始めた。兄と弟の訃報を聞いた後 気丈にふるまっていた八重だったが、悌次郎に鉄砲を教えながら、思わず「三郎」と呼んでしまい、いきなり角場を飛び出していく。

その頃、江戸の薩摩藩邸にいた西郷を、幕府方総裁の勝海舟が兵を連れずに訪ねていた。勝は、6つの講和条約を書いた嘆願書を読み上げると江戸城総攻撃の取りやめを願い出る。対して西郷がそんな条件では退けんと答えると「立場が逆だったら、主君の首を差し出せるのか」と問い、※万国公法では、恭順した敗者に死罪を命じないことを説き、一身に変えてでも江戸城は無事に引き渡すことを約束する。以前より勝を尊敬し信頼していた西郷は、征討総督達に伝令を送り、翌日の江戸城総攻め取りやめを命じる。
だが一方で、西郷は、薩長の怒りの矛先ーー振り上げた拳をどこのおろしたらよいのか、という謎かけを冷ややかな笑いと共にこぼすのであった。

・・・ということで、次回は第23話「会津を救え」です。

※無血開城を約束し勝海舟が提示した6つの講和条件とは
1.徳川慶喜は故郷の水戸で謹慎する
2.慶喜を助けた諸侯は寛典に処して、命に関わる処分者は出さない
3.武器・軍艦はまとめておき、寛典の処分が下された後に差し出す
4.城内居住の者は、場外に移って謹慎する
5.江戸城明渡しの手続きを終えた後は即刻田安家へ返却を願う
6.暴発の土民鎮定の件は可能な限り努力する

※万国公法とは・・・国際社会が遵守すべき法規と、理念として世界中の国家が平等である権利を有することを説いたもので、幕末から中国から伝わり、有識者が競って読み、あたかも経典のような権威があった。




第22話ぷち・ギャラリー

届いた三郎の軍服
八重2201
死ぬはずがねぇ。尚之助さまは、なじょしてそんな嘘を言うんだべ!?
八重2203
八重ッ!! 尚之助殿、息子たちの最期確かめてくれてありがとうごぜえました。
八重2204
両名とも山本家の男として恥ずるところはねぇと存ずる・・・
母・佐久と妻・うらの悲しみ 
八重2205
お・・おっかさま~ う・・うう~っ うっう
父の悲しみ  三郎が毎日火を入れていた作業場のかまどに蹲り・・・
八重2207
三・・・郎 ううぅ
三郎のかたきは、わだすが討づ!!
八重22話 かたきは、わだすが討づ!!

<八重の悲しみ>

「三郎!まだ筒先がブレてるがし!」白虎隊の悌次郎を亡き三郎と思い込んでしまう八重
八重22話 白虎隊の悌次郎「お八重さま・・?俺は、三郎ではねえがえらし・・?」
「お八重さま・・? 俺は、三郎様ではねえがえがし・・?」
ダダダーッ
八重22話 思わず銃を奪い取り、走り出す八重
 どすっ    訪ねてきた大蔵にぶつかり・・・ 
台2話 訪ねてきた大蔵にぶつかり や、八重さん!?
や、八重さん!?
八重さんっ!!銃を持っでどごに!?
八重22話 八重さんっ!!銃を持っでどごに!?
三郎のかたきを討つんだし!

そこに夫登場

 「行っちゃ駄目だ!」「三郎~ッ!!」
八重22話 八重の嘆き 三郎~ッ!!
誰を撃つというのです!?八重さんっ!しっかりしなさい!
ひし!   妻を抱きかかえる尚之助
八重2216
う・・ううっ ううう~っ 堰をきったように溢れ出る涙
・・・・   
フクザツな気持ちの大蔵
                                     大蔵カワイソ

なんかヘンテコリンな新政府軍の制服
八重22話 なんかヘンテコリンな制服
新政府の威信を示すため、なんであろうと会津をば討つ!
阿修羅のような形相の世良修蔵   顔面凶器・・こ、こわいっ
八重2215
降伏の条件は、容保の首を差し出すこと!ただそれのみ!
逃げの小五郎が、攻めの小五郎に 「いよいよ新政府の力を満天下に示すときじゃ!」
八重2208
西郷らを参謀とする総督府は錦の御旗を押し立て東国へ進軍
容保の決断 会津はあくまで恭順を貫く・・・元より朝廷に刃向う心はない。
八重2210
ただし、攻めてくるなら全藩をもってこれと戦う・・!
三の丸の練兵場 フランス式教練で朱雀隊に号令する尚之助
八重2219
次~、後ろ向きかけあーし!

<江戸城と徳川慶喜の処遇をめぐり、新政府軍と旧幕府軍の大将顔合わせ>
西郷さん、くどくは言わん・・ただ、立場を替えて考えてみてもらいたい
八重22話 江戸城の処遇
もし薩摩が破れていたら、あんたはご主君の首を討って差し出せるか?
あの屋根のひとつひとつの下には人間が住んでいるんだ・・我々とは関わりのない無辜の民だ!
八重2217
あんたが造ろうとしている新国家は、そんな人達から家や命を奪うのか?
それがあんたの目指す国造りか?    「・・・」
八重2218
さて、そげんなれば、振り上げた拳をばどげ降ろすかじゃな

覚馬の書いた嘆願書「時勢之儀ニ付拙見申上候書付」を読み、牢にやってきた西郷

さ、西郷か? 討つな!会津を滅ぼすな!
八重2220
俺の首を斬れ!俺を斬って会津を助けてくれ!西郷~~!!




八重の桜、こんなところが好き!感想&雑記

先週が悲しみのピークだったので、今回は少し冷静に観れました。

それでも、三郎や覚馬の死が家族に伝えられ、弟の名を呼んで飛び出していく八重の行動を止める尚之助を見るのが切ない・・・その三郎の指揮官だった大蔵は、愛する八重の悲しみを目の当たりにしてもっと切なかった筈。
八重のふくれあがる復讐への思いを見ることも・・・。
いつだって、戦争で親兄弟をなくした女たちの思いは、こんなふうなのでしょう。女ばかりではない、声を殺して泣く父の慟哭も・・・権八役の松重さん、名優ですね。

悲報だらけの山本家。会津の人が続々と帰国してきていますが、山本家や神保家にもたらされるのは涙ばかり。
それでも、神保内蔵助の声なき涙は美しかった。
負け戦の責めを一身に背負って腹切った息子の修理同様、父の内蔵助も繰り言を一切もらさなかった。その内蔵助が声を振り絞って言った「武士の一分」「会津の面目」という言葉は輝いていました。言葉が光の様に、同胞たちの胸に差し込んでいく・・・
そしてそれは、容保の胸にも、ずしんと響いた筈。
ついに、恭順という名の元に、全藩あげて戦う決意を固める容保のうるんだ目もまた、美しかった。

恭順か抗戦かーーどちらの立場も辛いもの。
今回は何と言っても世紀の会談といってもよい、無血開城の顔合わせ。

征討軍参謀で江戸城総攻撃の指揮官西郷に対し、旧幕府の重臣・勝もまた江戸城を守る実質的な指揮官。
いわば、相手本陣に敵方の大将がひとり丸腰でやってきた訳ですね。

学問二流、はったり一流、胆力超一流の勝先生。
あんないい加減なのに、 あんなに正しく人を見ることができて、気難しいのに社交性がある。
そんな彼が日本の行く末を担ったことは日本の幸運ですね。

勝海舟の時代を見る目と同じくスピーディな江戸っ子べらんめい口調が、またいい。
海舟役の生瀬さんは、22話の 世紀の会談に臨むあたり、どういうテンションでやろうかと考えたときに、西郷という怪物を治めるためにいちばん大事なのは“パワーとスピード”かな、と感じたというから凄い。
勝という人物は、ブレーキをかけてから何キロも進んじゃうタンカーみたいな人だと思うので、それを最大限に出していければと思って挑んだそうです。

坂本龍馬も、『海舟座談』の巌本善治も、 最初は勝海舟を敵視して対面したのに、 いつの間にか虜にされてしまったという エピソードを聞いただけでも、その魅力が 伝わってきます。そんな勝先生の説得だからこそ、西郷も一も二もなく徳川に振り下ろす矛を収めたので 、江戸に住む無辜の民たちが戦火からまぬがれた。
でなければ、壮絶な内戦の末に、今の北朝鮮と韓国のごとく日本が東西に分裂していたかもしれない。また、そこまで行かずとも日清・日露の戦役を乗り切るほどの国力が残っていたかどうか・・・結果としては、日本にとって大きな意味が有ります。
また、江戸の街が残ったことで、 東京への移行も簡単だった。

それを考えると、勝先生の功績は評価してもし足りないところがありますね。
また、これは、西郷の大英断だったと言えます。
勝も、聞く耳持って矛をおさめてくれた西郷をとても買っていて、維新後、地に落ちてしまった西郷の名誉回復につとめ、洗足池には「南州(西郷隆盛)をたたえる碑」がありました。

板垣退助の苗字の件は、ドラマで初めて知りました。なるほどこんな理由で・・・と、そのとおりですが、岩倉の発案だったとは。やはり彼は怪物ですね。
しかし、500円札が100円札に姓を替えろ、と命じる・・・可笑しいですね。
岩倉が乾(板垣)に助言したことが、後世の私達にも影響があるなんて、歴史の洒落たいたずらみたいなものを感じます。

ブレーキをかけてから何キロも進んじゃうタンカーというのはむしろ西郷のように思いますが、その西郷を黙らせたのが「万国公法」。これは魔法の言葉ですね。
勝も覚馬も「万国公法」を引き合いにだし、江戸は救われましたが、われらが会津は・・・

西郷どんが江戸攻めをやめて「振り上げたこぶしをば、どけぇおろすかじゃな」と言ったとき、
「自分の頭におろしなんしょ!」と叫んでしまったのは、私だけでしょうか。





キャスティング今日のフィーチャー

出番少ないけど、超濃いインパクトだった、土佐、長州のキーマンをフォーカス!

土佐のキーマン、加藤雅也さん演じる板垣退助
いつも出番は少ないのに、ものすごい濃い陰影を醸し出すカトマサ/板垣、もとい乾退助。
甲斐地方を平定させるために、先祖の七光りを利用するよう、「板垣」姓に改名をすすめる岩倉具視の言うとおり、板垣退助で新政府デビュー。
対旧幕府軍の戦では新政府軍として一歩出遅れた土佐の命運をかけて、甲州平定に向かう。先祖の七光りというのは、板垣駿河守:いたがきするがもり(1489~1548)のことで、武田信玄とその父信虎二代仕えた名将をさしたもの。武田四天王、および武田二十四将と謳われ勲功をあげたが上田原の戦いで戦死。板垣駿河守の孫が山内家の重臣・乾家の養子になったと言われ、明治時代の自由民権運動家の板垣退助は、駿河守直系の子孫と称し、板垣に改名した。

乾退助時代                       板垣退助誕生
乾退助    板垣退助 加藤雅也
その退助演じる加藤雅也さん、板垣が前面に出てくる作品が少なく、見る人の固定観念が無い分、演じやすさを感じていると言います。「会津戦争は、板垣が自由民権運動を推進するきっかけとなった戦です。新政府軍は、身分の低い者から情報を売ってもらって、戦で勝利を収めることができたと言われています。そのときに板垣は、いくら攻めても下から情報が漏れてしまっては勝てないと悟ったのです。身分の差が戦のあしかせになっていると感じ、維新後に訪れた外国での経験を通して、身分制度の廃止を訴えるようになり、自由民権運動へとつながるターニングポイントだった」と、述べています。 100円札にも描かれ「板垣死すとも自由は死せず」という言葉を残した民権運動の父を育んだ経験は、会津にあったのですね!由緒正しく華々しい先祖を持ちながら、下々の言葉に耳を傾け、いま私たちが生きるデモクラシーの基盤を築いてくれた板垣を颯爽と演じる加藤雅也さんです。


長州のキーマン、世良修蔵
一度見たら忘れられない、阿修羅のような形相、この眼光・・・顔面凶器と謳われた小沢仁志さん
ハマリ役ですね!そうです、やはり戦のきっかけとなった人物です(^^;)

か、顔がこわいんだよね

世良修蔵;幕末の長州藩士。騎兵隊の書記・軍監に就任。戊辰戦争では奥羽鎮撫総督府の下参謀となり、仙台藩に会津藩攻撃を命ずる強硬論を説いた。福島に滞在中、会津藩に対する寛典(寛大な処置)を請う仙台藩よりの使者が送られたが、これを拒否。恨みを受け、旅宿で捕えられ斬殺される。世良の死をきっかけに、新政府軍と奥羽越列藩同盟軍の戦争が始まってしまう。




  八重の桜かると 尚之助と八重の、愛のゆくえ

八重と尚之助


ハッキリ言って、いま八重の桜を見ている女性達の関心事って、八重と尚之助の行く末だと思いますが、皆さんいかがでしょう。八重は京都で新島襄と再婚するので、尚之助とは別れてしまうのはわかりきっているのですが、身も心も会津の人となり、こんなにも会津に尽くし、山本家に尽くし、八重を愛し支えた夫の尚之助がどうして離婚という道を辿ったのか、美雨も気にならずにいられませんでした。
しかし最近になって、戊辰戦争あとの八重の消息や尚之助のあらたな足取りや書簡記録が(八重の桜効果でしょうか?)あちこちから見つかって、本当の別れの理由、その愛の深さを思い知る記録が、脚本の山本むつみさんの手元に続々と届いているといいます。 さすがは近代、負け戦の常で焼失してしまった筈の記録が残っていて、こうして善意ある人々から届くと言うのも、ふたりの愛の真実の力かもしれませんね。
そこで、尚之助の行く末に関する、とれとれの山本むつみさんの報告とシナリオの方向性を、美雨ブログでも紹介してみます。

尚之助は、資料が殆ど見当たらなかった人の筆頭です。以前は籠城戦のあと会津を捨てトンズラしたという俗説までありましたが、そんなはずはありません。ドラマをご覧になっている方はお解りだと思いますが、八重と庄之助は互いに尊敬しあう、実に仲睦まじい夫婦であったと思います。演じているお二人の初々しい夫婦らしさが、私も大好きなんです。お似合いの二人が別れてしまうなんて可哀そうという声を、しばしばいただくのですが、二人がどんな形で別れを決断したとしても、すべてはお互いを思いやる気持ちからのことです。
by 山本むつみ 脚本家が語る『八重の桜」より抜粋 



                           八重の米沢への出稼ぎ判明を報じる新聞
尚之助新郎姿    ふたりのその後
                            豊岡市にある尚之助の供養碑


今まで殆ど知られなかった川崎夫婦の戦後の足取りが、少しずつ詳しく解り始めているなか、尚之助&八重伝説エピソードの内容を、解説本からダイジェストしてみました。中には、会津戦争後、離れ離れになった八重と尚之助が4年後に東京で再会を果たしている、という夢のような(?)エピソードも。実話でないかもしれせんが、二人の間には、男女の壁を超えて互いを敬い合う、同志のような思い遣りがあった気がします。(産経新聞出版NIKKO MOOK八重の桜)

         <八重のおもしろエピソード集より>

会津戦争で自宅を失った八重は、戊辰戦争前に尚之助に師事し砲術修行しいていた内藤新一郎の助けで、一時、彼の米沢宅に寄宿し、出稼ぎをしていました。尚之助はこんなふうに八重が生きるための人脈のパイプを残してくれていたのですね。尚之助自身は、他の会津藩士同様、猪苗代を経て、東京で謹慎、放免された後は、会津藩士たちが移住させられた斗南藩におもむき、困窮する会津の移住者のための米の調達に尽力します。しかし、尚之助は仲介業者の詐欺に遭い、罪もないのにその責任を一身に背負います。そのため外国商人から訴えられ、東京に送られてしまいます。いっさい「会津藩は無関係」とし、罪をかぶろうと覚悟していた尚之助のもとに、何も知らずに八重と覚馬が訪ねてきたエピソードが残されています。このときの尚之助は見るも無残に痩せこけ、会津戦争で大砲隊を指揮していた面影はありませんでした。そんな尚之助に、覚馬は「京都の復興に力を貸してほしい」と頼み、八重も「京都で暮らしましょう」と頼みます。しかし、裁判があるため東京を離れられない尚之助は、「塾で勉強を教えている子供達を置いていけないから」とうそぶき、裁判のことはおくびにも出さずに、八重たちの申し出を断ってしまいます。じっさいの尚之助は、斗南藩から給料を貰っておらず、裁判所から支給されるわずかな金で生活をしていたため、医者にもかかれず、食事にも困る生活をしていました。その二年後、尚之助は心労から肺炎を患い、病死します。奇しくも八重が新島襄と婚約した年でした。
まるで、会津ゆくすえと八重の未来のしあわせを見守るように、身一つ犠牲にすればいいことじゃないか、とばかりの潔い男の人生・・・最後に八重を見送った尚之助の眼には、一点の曇りもなかったことでしょう。

愛しているからこその別れ・・・
人間であればこそ、そんな別れもまた、あるのでしょうか。






尚之助に関するレビューはこちらを参照
30話クリックhttp://yonipo.blog13.fc2.com/blog-entry-1055.html
31話クリックhttp://yonipo.blog13.fc2.com/blog-entry-1060.html
33話クリックhttp://yonipo.blog13.fc2.com/blog-entry-1069.html



    美雨のぷち・八重の桜紀行その⑪
    桜の傘咲く「八重の桜」オープニング・バックの地をたずねて


美雨の大好きな磐梯山、天鏡台を訪ねてきました❤

オープニング 磐梯山にて400人の小学生・・・


やんごとなき稀びとに、天を写すこと鏡の如し・・・と歌われた、磐梯猪苗代、天鏡台。
360度美しく、迦陵頻伽のように鳥たちが合唱し、どこかダヴィンチの描く絵の背景のように神々しい、不思議な空間・・・そこが天鏡台です。でも、ここはリゾート地として整備されいるので、撮影にはふさわしくありません。そこで、すぐ隣の何もない牧場の一部で、370人の現地児童を集めて撮影したようです。
・・・と、猪苗代リゾートサンピアのスタッフさんにお聞きしました。^^ なんと、撮影の日にはレストハウス(冬はスキー場)でカレーを400食サービスしたそうです。


天鏡台1
'13年春、携帯で撮影

370人の着物と傘、動員したスタッフや先生、親御さん等さぞ大変でしたでしょうね。
おかげで、磐梯山を彩るように桜色に咲くあの無数の傘帽子を楽しめるわけですが、偶然の様にそこを知ったときは、感無量でした。
京都の職人の手による370もの和傘を次々と開き、緑の大地を桜色に染めていくシーンに、未来を切り開く子供たちが福島に”希望の花”を咲かせるメッセージが、聞こえてきますね。


美雨

「八重の桜」各話あらすじ&感想
http://yonipo.blog13.fc2.com/blog-category-81.html


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今日もありがとう 天鏡台
山桜と磐梯 天鏡台にて



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MIUMIU 美雨

Author:MIUMIU 美雨
旅、歴史、長編ドラマ(短編も)のレビューやエッセイを書いています。
文化系の記事が多いですが、歴史ドラマ(大河ドラマ:八重の桜)や、韓ドラレビューも書きます。中でもソン・イルグクさんの作品が大好きです。
更新はマイペースで続けていきますのでどうぞよろしくお願い致します。

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